6話 証明してみせて
「き……今日は患者が多かったけれど、なんとか落ち着いたわね……」
ふらつく足取りのまま休憩室に入ってきたクラリスは、ソファに倒れ込むように腰を下ろした。
肩で息をし、額の汗をそっとぬぐう。
少し遅れて、ルスカが静かに入室する。
彼はクラリスの向かいの椅子に腰掛け、じっと彼女の様子を観察した。
「大丈夫か?クラ。……力を使いすぎているだろう。少し休め」
「ありがとう、ルスカ。……当直明けみたいな気分……でも大丈夫。どうしても、話したいこともあるから」
クラリスはソファの端に座るアニへと向き直る。
朝の無邪気さは消え、瞳は真剣そのものだった。
「待っててくれたんだね、ありがとう。それで……魔法陣の話なんだけど」
クラリスは一瞬、言葉を探すように視線をさ迷わせた。
やがて、きゅっと拳を握りしめる。
「なんとか、力を貸してもらえないかな……今は、アニに喜んでもらえるようなお礼も、正直思いつかない。でも、必ず私にできることでお礼する」
その声は、弱さではなく覚悟に裏打ちされたものだった。
クラリスは深く息を吐き、アニの瞳をまっすぐに見つめる。
「……必要なんだ。たくさんの人の命が、きっと救える」
その言葉が落ちた後、ルスカも姿勢を正した。
「アニ。俺からも頼む。こいつは……まあまあ信用に足るやつだ」
「ルスカ……"まあまあ"が地味に傷つくけど……」
クラリスが苦笑した、ちょうどその時。
「はあ……」
アニが、小さくため息をついた。
三人のあいだの空気が、一瞬だけぴんと張りつめた。
「……魔石で、なにしたいの?」
アニはぷいと横を向いたまま、ぼそりとつぶやいた。
クラリスとルスカは、顔を見合わせる。
ぱあっと表情が明るくなるクラリスに、ルスカはひそかに頷き、顎でアニを促した。
「魔石で、抗菌薬っていう――細菌をやっつけるものを作りたいの!」
「こうき……なにそれ?」
アニは眉をひそめる。
クラリスは身を乗り出し、丁寧に説明した。
細菌の存在。
それによって起きる病。
自分の力で“細菌を消去できる”こと。
でも、能力の回数には限りがあること。
魔石と魔法陣を使って、それを量産したいこと。
「それで、大勢の民が救われる、ねぇ……」
アニは肘をつき、うつむきながら考え込む。
沈黙が落ちる。
(なにこの沈黙……学会の抄録出した時の上級医か?)
ごくり、とクラリスは喉を鳴らした。
アニへ視線を向け、助けを求めるようにルスカを見るが、ルスカは肩を小さくすくめるだけ。
耐えきれず、クラリスは声を落とした。
「あの……アニ?」
ゆっくりと、アニが顔を上げる。
そして――
「全然駄目だね」
淡々と、しかし容赦なく言い放った。
「へ……?」
ぽかんと口を開けるクラリスを前に、アニは続ける。
「まずさ、“魔法陣”だけど。きみの能力で細菌とやらを消すには、場所と対象を指定しなきゃいけないんだよね?」
アニはさらりと指摘する。
「魔法陣は、あくまで能力を“具現化する”だけ。
いまのまま魔法陣化しても、魔石に触れている物体がそのまま消えるだけだと思うよ」
「えっ」
さらにアニは椅子に深く腰を下ろし、指で机をぽんぽん叩きながら続けた。
「それに、きみの能力って人体すら消せるんでしょ?魔石に触れた人間が消える。悪用されたらどうすんの。危険すぎる」
「ご……ご指摘のとおり……」
冷たいものが、クラリスの背をすうっと落ちていく。
アニは視線を上げ、まっすぐにクラリスを射抜いた。
「次に魔石。量産するって簡単に言うけど……値段、知ってる?
きみがシュヴァン王子殿下に貰ったっていう、それの値段」
クラリスはポケットの上から魔石に触れた。
「き、金貨百枚……でしょうか?」
「百二十枚。……庶民の家、何軒か建つよ?」
「そ、そんなに……」
アニの迫力に、クラリスは自然と背筋が縮まり、言葉遣いまで丁寧になっていく。
「でさ。魔石が高い以上、出資者が必要になるよね?庶民の病気を治すために量産?思想は立派だけど……医療は儲からない」
アニは肩を竦め、淡々と告げる。
「貴族が金を出すメリットって何?寄付金でも募るつもり?」
その一言は、刃のようだった。
「……ぐうの音も出ません」
クラリスの肩が落ちる。
アニは机に肘をつき、クラリスを見る角度すら面倒くさそうだった。
「きみの案は甘い。金、時間、技術、全部足りてない。理想を語るだけなら、誰でもできるでしょ?ぼくら魔法陣の一族はね、理想を語る大人に散々利用されてきたんだよ」
クラリスは顔を強張らせる。
胸を、刺されるような気分だった。
アニは続ける。
「“人を救いたい”なんて、何百回も聞いた。そのくせ、できた魔石をみて?貴族たちしか使ってない」
アニの瞳に、静かな諦めが落ちる。
「……きみが“同じ種類”じゃないって証拠、どこにあるの?」
「アニ。こいつはそういう奴らとは……」
たまらず口を挟んだルスカを、クラリスはそっと制した。
「ううん、ルスカ。アニの言う通りだよ」
アニがわずかに目を細める。
「わたしだって最初は……自分が楽になって、しかもお金が手に入ったらラッキー、くらいに考えてた。
でも、それでも――抗菌薬ができれば、多くの人が救われる。それだけは、本気で信じてる」
クラリスはゆっくり視線を上げ、アニを真っ直ぐに見る。
「今のわたしには、納得してもらえる材料なんてない。だけど……“できるかどうか”じゃなくて、やるしかないの。
だっていつかこの国は感染症が流行る。たくさんの人が死ぬ。
だから……アニが認めてくれる方法、必ず見つける。
――待っててくれる?」
しばらく二人は見つめ合った。
やがてアニはぷい、と横を向く。
「……そんなの、待てないよ」
「アニ、俺からも頼む」
王子であるルスカが深く頭を下げる。
アニはちらと視線を向け、しぶしぶと口を開いた。
「……"あの"ルスカ王子殿下にそんなことされたらね。……ひとつだけ、条件がある」
クラリスはぱっと顔を上げる。
「東の我が家の領地の山に“魔物”が出てさ。民から討伐依頼が来てるんだ。でも討伐って金もかかるし、誰も行きたがらない。
――それを倒せたら、きみを認めてあげる」
「……え?
と、と、討伐……?」
クラリスの間抜けな声が、部屋に鮮やかに響き渡った。




