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最終話 僕の勝ち


夕焼けを映してきらきらと輝いていた水路も、気づけば暗闇に染まっていた。


その側に佇むレストランは、前回のシュヴァンとの食事会の時と同じように、普段とは様相が異なっている。


壁際にずらりと並ぶメイドたち。

ふかふかの赤いカーペット。

金で彩られた長いテーブル、チェア。


クラリスはそのチェアにひとり、所在なさげに腰掛けていた。すぐそばにはカレルが控えている。


「あの……」

「もうじきいらっしゃいます」


ぐう……。


返事をするようになるクラリスのお腹。

このやりとりも既に三度目だった。

カレルはため息をつくと、ポケットに手を入れ、クラリスに差し出した。


「わー!ありがとう!」


クラリスは嬉しそうに包みを受け取った。


三つの小さな白い包み。

その一つを開くと、ころんとしたキャラメルが一つ姿を現した。

クラリスはすぐに口に放り込む。

レモンのような香りが口中に広がった。


「殿下はヴェサリアン家の件でお忙しいのです。本日の食事会も、本来ならば実現できていないのですよ」


「わかる、わかるよ。でも忠告した方がいいよ?どんなに忙しくても、食事と睡眠は大事だよ?死ぬからね、ほんとに」


クラリスの背筋が過労死の気配に震えた、その時だった。


「殿下、見えられました」


ドアの外からの兵の声に、クラリスは背筋を伸ばし席を立つ。

すぐにドアが開き、ひゅう、と風が吹き込んだ。


「やあ。待たせたね」


シュヴァンはにこやかに微笑むと、メイドが引いたチェアに静かに腰掛ける。


完璧な笑み。

けれど、なぜか違和感が残る。


(なんか……疲れてるのかな……)


クラリスは眉を寄せると、手に握ったキャラメルに視線を落とした。

それからシュヴァンの側に近づき、キャラメルの一つを差し出した。


「これ、貰い物だけど……疲れてる時はまず糖分だよ。低血糖は馬鹿にできないからね」


胸を張るクラリスにシュヴァンは目を見開くと、一つ受け取った。


「で、殿下、それは……」

「いい。ありがとう、クラリス」


シュヴァンはわずかにキャラメルを眺め、それから開き口に運んだ。


「うん、甘い」

「それはよかった」


クラリスは満足気に頷くと、己の席に戻った。









「……で、ミュラー先生がアニに泣きついたんだよ」

「ふふ、アニは、随分と馴染んだんだね」


シュヴァンは微笑みながらカップを傾ける。

クラリスもグラスを手に取り口をつけた。


(ダメだ……沈黙が気まずくてついめちゃくちゃ喋ってしまった……)


冷たい水が喉を潤す。

先ほど食べ終えたばかりのパンナコッタの甘さが消えていくようだった。


(そろそろ話さないと……!妃の件……!)


クラリスがグラスを置いて口を開いた時。


「あの」「ねえ」


声が重なる。


クラリスはシュヴァンに手で先を促す。

が、シュヴァンはグラスをわずかに掲げ、クラリスに先を譲った。


クラリスは咳払いを一つ。


「あの、妃候補の件だけど……わたし、辞退したいの」


しん、と沈黙が広がる。

シュヴァンは変わらず微笑んでいて、クラリスを見つめていた。


「理由を聞いても?」


なぜかどこか楽しげなその声に、クラリスはごくりと唾を飲む。

けれど意を決して口を開いた。


「今回、死にかけて思ったんだよね。やっぱり老衰目指すならちゃんとしないとなって」


シュヴァンは瞬きをひとつ。


「だから、まずは楽に仕事が回るように下地を整えたい。自分のことはそれから考えたいなって……」


「あなた……」


クラリスの後ろに控えていたカレルが、思わずと言ったように口を出す。

その声音は呆れていた。


が、クラリスは気にせず続ける。


「それにさ、妃って奥さんでしょ?わたし、シュヴァンのこと、今までずーっと推しとしてしか見てなくて……あなた自身をよく知らない」


シュヴァンは目を大きく見開いた。

その瞳はカップの紅茶を映していたが、ゆっくりとクラリスにあがっていく。


「だから……ごめんなさい!」


クラリスは勢いよく頭を下げた。


「……っ!」


ごん、と机に額がぶつかり、クラリスは額を抑える。


「……っふふ、クラリス……」


顔を上げると、シュヴァンは口元を隠しながら、それでもくすくすと笑みが溢れていた。


「きみは、本当に面白いね……」


穏やかな微笑みとは違う、初めての笑顔に、クラリスは目を見張る。


シュヴァンは笑いが収まると、口を開いた。


「ねえ、きみが教えてくれたじゃんけん。あれ、とても気に入ったんだ。君が勝ったら、僕の秘密を教えてあげる」


「えっ!?」


思わず裏返る声。


(それ……秘密を知ったからには殺すとか言われない?大丈夫?)


クラリスはおずおずと首をさする。


「僕はグーを出す。さあ、始めようか」


シュヴァンはクラリスの様子などお構いなしに、グーに握った拳を顔の横にひらひらと掲げた。


(勝つのがいいのかよくわかんないけど……)


クラリスも手を掲げる。


「じゃんけん……ぽん」


クラリスはパー、シュヴァンは……グー。


シュヴァンはくすりと微笑む。


「僕はね……」


クラリスはごくりと喉を鳴らす。


「ヴェサリアン家が昔から大嫌いだったんだ。あの貴族医学校もね」


「へ?」


クラリスは思わず目を瞬かせる。

シュヴァンは静かに続けた。


「けれどあの家は中々隙を見せなかった。そして、君があの学校に興味を持った」


クラリスは瞬きを繰り返す。

が、シュヴァンは微笑みを浮かべると、再びグーを掲げ、ひらひらと揺らす。


もう一度、というように。


「じゃんけん、ぽん……」


クラリスはパー、シュヴァンはグー。


「あの家は黒い噂に絶えなかった。知っていた?」


クラリスは首を横に振る。


「実際、君は僕と共に誘拐された。なぜあの時、僕は突然現れ、平民の服だったのか?なぜ護衛は救助が遅れたのだろうか?王子の近衛はそれほど無能なのだろうか?」


クラリスは目を見開く。


(そうだ、そうだよ……ずっと、疑問だったんだ)



思い返せば。

あれはあの誘拐の前日、フィーリアとカレルが診療所に顔を見せたのだ。


『医学校、ですか……』


『そうなんだ。やっと見学許可降りて。全然許可くれないし、担当の人めちゃくちゃ感じ悪くてさ』


『そうでしたの……その方と少し、お話がしてみたいわね』


『は、はは、フィーが来たらびっくりするね』


『クラリス嬢。医学校は……いえ。お気をつけを』


カレルの心配そうな顔が妙に頭に残っていた。






(カレルが、知らせてたってことだよね……?)


振り向くと、カレルもまたわずかに目を見開いていた。


「ゲオルクはね」


シュヴァンの声に、クラリスは向き直る。


「本当に驚いたようだよ。君と共に攫ったのが、僕だと気づいた時にはね。全てを打ち捨て逃げ出したほどに」


シュヴァンはそういうと、またもグーを顔の横にひらひらと掲げた。

次を促すように。


「じ、じゃん、けん、ぽん……」


クラリスはパー、シュヴァンはグー。


「君を妃候補にすればあの男はどう思うだろう?どう動くだろう?そして妃候補が万一誘拐でもされれば、その罪はいかほどだろうか?」


クラリスの口がぽかんと開く。


シュヴァンは再びグーを顔の横に掲げる。


「じゃんけん、ぽん……」


クラリスはパー、シュヴァンはグー。


「君が初めてあの家に診療に行った日は本当に驚いたよ。妃候補のお披露目パーティの前だったからね。護衛たちが血相を変えて僕を呼びにきた」


(だから、あの時、あんなに怒って……)


あの冷たい眼差しが脳裏によぎる。


シュヴァンはグーを顔の横に掲げた。


「じゃんけんぽん……」


クラリスはパー、シュヴァンはグー。


「セレンのことも知っていた。なんせ高位貴族だ。僕の婚約者候補に名が上がったこともある。

だが、きみと仲間になるとはね。君は本当に予想を超えてくれるね。そこが気に入っているよ」


シュヴァンはそう言うと席を立つ。

右手を上げると、メイドがすかさず近寄りシュヴァンに小箱を手渡した。


シュヴァンは小箱を受け取ると、ゆっくりクラリスの隣へ歩み寄った。


そして、クラリスの手に小箱を握らせた。


「……これからも、よろしくね。クラリス。僕は君のこと、諦めたつもりはないよ」


クラリスはぽかんと口を開け、言葉を返すことができなかった。


シュヴァンはくすりと笑い、くるりと背を向ける。

赤いマントが、ばさりと翻った。


「では、またね」


シュヴァンは顔だけ振り返り、その横には右手をチョキの形でひらひらと揺らす。


負けてない、というように。


(この人……この人、最初から、全部……)


クラリスは、ただその背に揺れる赤いマントを見送ることしかできなかった。







「着きましたよ、クラリス嬢」

「はっ……!」


馬車の中でクラリスは我に帰った。

カレルが呆れた顔でクラリスに手を差し伸べていた。


馬車を降りると、ミュラー診療所。

中には明かりがまだ灯っている。


「……うん」


クラリスは顔を上げた。


「やっぱり目指すは老衰だ。……仕事しよ。今度こそ、目立たずに」


頭の中では相変わらず恋愛がよくわからない。


シュヴァンのことも。

……ヴィルのことも。


けれど。


明日診る患者のことなら、わかる。


だから、まずはそこからだ。





第三章 完

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