第百七十七話:助けて!モリエモンっ!トレード三連発はさすがに反則です
不死の敵に、正攻法は存在しない。
剣も、魔法も、神の奇跡すら届かないなら――
使えるものは、全部使うしかない。
憤怒も、強欲も、虚栄も、色欲も。
九つの罪は、攻略のためにある。
これは焦熱地獄の最終戦。
そして――
悪魔と友達になるまでの話だ。
「助けて!モリエモンっ!」
私は確かにベリアルを一度倒した。モリアの試練をクリアしたはずだ。だが、復活したベリアルはコインを渡してくれず、まだ私を喰らおうとしている。
動きは最初よりはるかに速く、応急処置の氷盾すら通用しない。もう何度か倒すことは可能だろうが、神格を持つ彼女は不死身だ。彼女は何度負けてもいいが、私は一度でも負ければ終わりだ。やばいやばい、喰われる。
そう思った瞬間、私が転移した先に、既に彼女が待ち構えていた。私の転移の軌道を先読みしたのか?第六感まで強化されたのか?次の転移が間に合うか?いや、間に合わないな。詰んだ。
ベリアルが私を食い千切ろうとする直前に、世界の時間が止まった。間一髪だった。しかし私の時間停止は、彼女のような神格者には通用しないはず。だとすれば答えは一つだ。
「はい~、あなたが大好きなモリエモンだよ。ふふふ」
本物の時間の支配者、モリアが現れた。
*
「私は勝ったはずだ。ベリアルの行動はルール違反じゃないのか?」
「そうね、あなたは見事にベルを倒したわ。だけど彼女には特性があるの」モリアは優しく、停止されたもう人ならぬ無貌の顔をなでている。親が子を慈しむように、慈愛に満ちた仕草だ。だから、私はこんなモリアに恋をしたのかもしれない。
「蘇生後一時的にバーサーカーモードになってしまうの。理性を失う代わりに、秘めた力のすべてを解放するわ」
ミカエルもそれでやられたのか…。
「でもそれは一度死亡してから発動するものだろう。私は既に彼女に一度勝ったんだから、コインを貰って次の地獄へ行くべきだ」
アスモデウスの時もそうだった。不死でない私は、不死の悪魔たちを本当の意味で殺せない。だから一度でも勝利すれば、それが私の勝ちとなる。そのルールの絶対性は、モリアが保障することになっているはずだ。
「ええ、でも残念ね。ベルはちょっと特殊なんだわ。彼女のこのバーサーカーモードは、一回目の勝利では『効果継続中』として扱われ、終わるまで退場扱いされないの。神魔大戦の時もそうだったわ」
つまり、彼女の負けが確定しても、私の勝利が決まったわけではないということか…。
「ちなみに、どのくらい時間がかかる?」
「一週間」
「長いよ!そんなに待てるわけがない」
「あら、百年単位で準備に時間を費やすあなたが、たかが一週間はあっという間じゃない?」
「それは…」
セリナたちの依頼が失敗してしまう。今まで彼女たちに色々世話になった。できれば彼女たちの努力を無駄にしたくない。
「そんなに、あの子たちのことを気にかけているのね。ここまで無茶をして…私が助けなければ、今のあなたはもう死んでいたわ」
「ああ、そうだ」
今の私は、自分一人のための戦いじゃない。
「身内には甘いのね。それはいつになっても変わらないわ。ちょっと妬けちゃう。…ヘル、頼んだわよ」
時が動き始める。モリアはまるで最初からいなかったかのように消えた。だが、おかげで息をつく時間ができた。これでなんとかなるだろう。私は一つの肉まんを別の方向へ投げた。
案の定、ベリアルは私ではなく、肉まんの方へ飛びかかった。
食い物なら美味しいものの方がいいよな。こんな毛玉より、出来立ての肉まんの方がいいだろ。普段のベリアルならこの手を食わないが、理性を失った今本能のままで動くだから、意外と扱いやすいかも?
アブソリュート・スケイル──マムブスはいいものを持っていたな。価値の交換、一定の価値でものを買える。能力すら交換できる代物だ。
「トレード。私とザベルトの体を交換する」
「我が主の為、喜んで!」
両者の同意さえ得られれば、時間も場所も問わず、これで取引ができる。便利だな。強欲の王、恐るべし。
長年使っていた毛玉の体が消え、代わりに現れたのはザベルトの巨体だ。こんなに重い真紅の鎧を着てもまったく重く感じない。体中に溢れんばかりの力が湧いてくる。
これが戦士か、これが憤怒の王か──。
ベリアルは肉まんを一口で呑み込み、再び視線をこちらに向けた。だが、もう何も怖くない。同じ不死の体、公平に戦わせてもらおう。
大太刀を抜刀する。ベリアルとは違う真紅の炎が周囲を包み、デスサイズが振りかかってくる。ならばこちらも受けて立とう!太刀と鎌が激突し、赤と黒の炎が渦巻く。気持ちいい!
互角に見えるが、私にはわかる──力だけなら、ザベルトの方が上だ。
「侵略すること火の如く!」
行くぞ、ザベルトの『風林火山』。この毛玉の怒り、存分に味わえ!
「火砕大薙!」
『火』のモードに入り、さらに力が高まる。全身の筋肉を締め上げ、地を焼く勢いの全力薙ぎ払いを放った。力はこちらが上、さらに体重もベリアルの方が軽い。ザベルトの体で放つ一撃で、彼女は吹き飛んだ。ダメージは与えられないが、そこが狙いではない。
「徐かなること林の如く」
その隙に『静』の境地へ至る。次の『動』をより激烈にするために。
明鏡止水、我が刀に遮るものなし!
「動くこと雷霆の如し!雷壊一文字!」
雷光が先に閃き、稲妻を帯びた太刀がベリアルを両断する──とはいかなかったが、デスサイズを打ち落としたのは大きい。雷鳴が後から追い付く。九つの地獄まで響き渡る轟音が、その威力を物語っていた。強すぎる…こいつらのステータス、高すぎはしないか?
「ァ゛ァ゛ァ゛──ッ!!」
だが、その程度で倒れるベリアルではない。黒い炎が口元に球体を形成し始める。ブレスか?ドラゴンですらないのに、こんなのがありかよ。ならば──
「その疾きこと風のごとく」
「その徐かなること林の如く」
「侵略すること火の如く」
「動かざること山の如し」
「知り難きこと陰の如く」
「動くこと雷霆の如し」
風林火山陰雷──ザベルトが武の極みとして究めた一撃を受けてもらおう。
「奥義・軍神の一太刀!」
ベリアルが黒炎のブレスを放つと同時に、私も奥義を叩きつけた。世界を滅ぼすに足りる二つの衝撃が衝突し、空間そのものが悲鳴を上げる。既に破壊し尽くされた焦熱地獄は、もはや往時の面影すらなかった。
そして、結果は──
「ァ゛ァ゛ァ゛──ッ!!」
軍神の勝ちだ。やはり速度ではベリアルが上だが、力ではザベルトが圧倒的に有利。軍神の一太刀はブレスをも切り裂き、その行く手のすべてを薙ぎ払った。もちろんベリアルも例外ではない。頑丈な黒炎の鎧が砕け、その体さえも両断された。これで終わりだ。
と思った刹那、黒い炎が生き物のように蠢き、両断された胴体を引き寄せ、繋ぎ合わせ始めた。タフすぎるだろ…!
だが、愚痴を言っている暇はない。軍神の一太刀の後には硬直がある。ならば──
「トレード」
先ほどザベルトと交換した体を元に戻し、再び取引を開始する。
「私の体と、アスタロトの体を交換する」
「はい、喜んで!返さなくていい?」
「ダメだ」
「ちぇ~残念」
毛玉の体が再び消え、代わりに現れたのは龍メイドの姿。さすが最強の種族。ザベルトほどの純粋な力には及ばないが、非常に軽やかだ。そして皮膚の下には固い鱗が秘められている。ザベルトの鎧に劣らない防御力を持つというわけか。
「二回戦。アスタロトの格闘術で行きましょう」
なんだか口調まで伝染されていないか、私…?
地面を蹴る。ベリアルとの距離は一瞬で消えた。
こわいこわいこわい――意識が反応する前に、体が既に動いている。筋肉の記憶がこの身体を駆り、あらゆる戦況に最適な反応を引き出す。殺戮のマシンだ。
ベリアルの本能任せの動きに対し、無駄のないアスタロトの技がそれを一方的に圧倒する。
「龍門脚」
ベリアルの粗雑な攻撃を躱し、先手で顎へ蹴りを入れる。
「絡足」
体が浮く隙を狙い、尻尾で彼女の足を巻きつけ引きずり戻す。
「龍衝」
そのまま頭突きを叩き込み、連打へと移行。
「伏掌」
「踏鱗」
「穿肉」
大きく鋭い龍の爪が、黒炎の衣を穿ち、その心臓を貫いた。
黒炎が必死に抗い、アスタロトの体を喰らおうとするが、何も通さぬ龍の鱗の前では無力だ。アスタロトの体には猛毒もあるが、さすがにベリアルには効かないか…まあ、心臓まで潰したから、これでどうか。
「ァ゛ァ゛ァ゛──ッ!!」
何事もなかったように、彼女は再び足掻き始めた。拳と足を振るい、こちらを攻撃する。
もう勘弁して…
さらに口を開け、私の首にかじりつこうとする。まずい――顎の下にはアスタロトの弱点である逆鱗がある。何とかしなければ。
「奥義・龍断」
手刀を振るい、ベリアルの首を切断。貫いたもう片方の手を抜き、距離を取る。
切り落とした首は黒炎と共に消え、胴体の上に新たな頭が生えた。これもダメか。魔法でも物理でも効かないとは、どれだけ無敵なんだ。いや、まだ一つ方法が残されている。
「トレード」
自分の体に戻し、今度はあの娘と替わる。とても不本意だが…。
「私の体と、アスモデウスの体を交換する」
「いやん♪いたずらされちゃう♡でも毛玉君なら、い・い・け・ど♡」
「しないから。むしろ私の体を使って変なことしないで。でないと君のすっぴんをSNSにあげるから」
「げ、それは勘弁して…」
三度目の交換。さすがに慣れたものだ。魅惑のギャルボディー。力も速度もザベルトやアスタロトには及ばないが、彼女には規格外の能力がある。
再生したベリアルがこちらを見て、攻撃を仕掛けて――
来なかった。
ただその場に固まり、身動き一つ取らない。
視覚、聴覚、嗅覚…いかなる感覚であれ、アスモデウスの存在を感知した時点で、既に彼女の幻術に囚われることになる。逃れられない。
例外はこの世で神、明けの明星、モリアと私だけだ。
それと、魂を持たない我が家のポンコツロボもね。以前彼女がそんな話をしていたが、私にはあまり関係ないと思い、今まですっかり忘れていた。
つまり――これはベリアルにも効く、ということだ。
こうして見ると、色欲の王の規格外ぶりも、規格外を通り越している。今までのふざけた性格から、彼女の恐ろしさを忘れていたな。でもそれは私のせいじゃない。
あとは、性魔術でベリアルの暴走した力を吸い取れば、彼女は正気に戻れる。粘膜接触すればいいのだろう。
私は、黒い炎に包まれた彼女の口へと、自らの唇を重ねた。
*
唇が触れた瞬間、黒炎が震えた。
まるで荒れ狂う海が突然凪いだように、逆立っていた炎の歯が一斉に萎み、先端から細かな光の粒子へと崩れ始める。炎が中心へと吸い込まれていく。
四肢を覆っていた黒炎が腕へ、胴体へ、そして顔の周囲へと流れ込む。顔面を覆っていた無貌の闇が薄れ、その下からまず蒼白い肌が現れ、次に裂けた巨大な口の両端がせり上がり、人間の唇の柔らかな曲線へと整えられていく。
口の中の無数の牙が、一本、また一本と溶けるように小さくなり、整理され、鋭いながらも整った鮫歯へと収束する。目蓋の上の闇が剥がれ、長い睫毛が現れ、その下から赤く燃えるような瞳がゆっくりと開かれた。
赤髪は、炎のような逆立ちから、重たく滑らかな流れへと質感を変えて肩にかかる。黒炎が完全に消え去ると、そこには少女の細い首、鎖骨、そして黒いローブに包まれた小さな身体がくっきりと浮かび上がった。
ベリアルは、微かに瞬きをした。赤い瞳にはただならぬ飢えがまだ深く沈殿していたが、顔には危ういほどに整った少女の面差しが戻っている。口元には、わずかに──獣のような名残を感じさせる鋭い笑みが、しかし確かに「人間的」な表情として浮かんでいた。
黒い炎は完全に消え、ここにはただ、赤髪の少女の微かな息遣いだけが残った。
怪物は消え、悪魔が戻ってきた──というのは、かなり美化された表現で、実際は…
「なにしてやがるデース!ベルを襲うくらい見境なしになったデースか、このクソビ〇チが!」
あれ?いつから幻術が解けた?アスモデウスの幻術は思った以上に複雑で、私の初めての操作ではそこまで維持できなかったらしい。
「ベルの初めてのキスが…初めてのキスなのに、姉さんに捧げたいと心で決めたデースよ。殺してやる、不死でも千回殺してやるデース!」
えええ、まだ!?今からアスモデウスと入れ替えれば…。
「アスモデウス、私と替われ」
しかし返答がない。あいつ!遊んでやがる!えと、えと、アスモデウスに幻術と性魔術以外の技は…
迫り来るベリアルに、私は彼女のローブの裾を握った。呼吸が一瞬、合う。――今だ。
左足を滑らせるように前に踏み込み、右足を軸に一気に体を半円状に回転させる。まるで大きな水車が回るように、右足を高々と振り上げる。
――内股。
足の裏が相手の大腿部に深く食い込み、その衝撃が骨から脳天へと響く。体重の全てを支点に預け、引く手と支える足に爆発的な力を込める。ベリアルの体が、まるで重力を忘れたかのように宙に浮き上がる。
投げるというより、引きずり落とすように。倒れゆく軌道に身を委ね、崩れ落ちるように地面へと沈む。倒れ込んだ衝撃で、ベリアルの首と右腕の隙間が一瞬だけ無防備に開く。その「三角」の空間を、獲物を見つけた蛇のように自分の左脚が滑り込む。太ももが首筋に、ふくらはぎが肩口にしっかりと絡みつく。右足の甲を左膝の裏に叩き込み、両脚で強固な「絞輪」を完成させる――三角絞め。
脚を交差させ、ヘソを覗き込むように体を折り曲げる。筋肉が鋼のワイヤーのように締め上がる。ベリアルの顎に自分の腿が食い込み、逃げ場を失った動脈が足の下で激しい脈打ちを伝えてくる。
「決まった」――そう確信する感触が、腿から腰へ、そして背髄を這い登る。拳が脇腹を叩く抵抗も、もはや遠い世界の出来事だ。圧倒的な力学の檻が、あらゆる力を無効化していく。
「クソ、離せ!離せのデース!」
まあ、ベリアルは性魔術で力を一時的に吸われていたのもあるが…。そういえばこいつ、柔道も相当できるんだった。あの時エンプラがいて本当によかったかも。
「はいーー、そこまで」
モリアがいつの間に現れたか、私とベリアルに軽くデコピンをくれた。混乱していたベリアルも、これで本当の意味で正気に戻った。
*
「確かに受け取った」
ベリアルからコインを受け取り、焦熱地獄の長い試練はついに終止符を打った。だが、ベリアルはなんだか元気がない。そこまで落ち込むことか、私に負けたことで…。アスモデウスはまだ返事がないので、今も彼女の体を使い続けている。
そういえば、今の私は女の体だ。なのに実感がないのはなぜだろう。
「あったら困るわ。あなたは男の子であるべき。私はノーマルだから、女の子の恋人は要らないわ」
心を見透かされた。いや、私がそう考えるなら、全知の彼女には知れていて当然か。敵わないな。
「姉さんは…恋人ができても、ベルのこと、要らなくならないデース?」
モリアのドレスの袖をひっぱり、寂しそうな顔をしたベリアル。まるですべてを失ったかのように、今にも泣き出しそうだ。
「ならないわ。だってベルは私の大切な妹分よ。恋人ができたくらいで、そんな関係が消えるわけないわ。この翼が染めた黒のように」
神の祝福を受けた天使は堕天すると、神から与えられた『エル』の名を失い、翼は二度と白く戻らない。それが彼女たちの定めだ。
「でも、怖いデース。今まで姉さんとヴェネだけで楽しく生きてきた。それが変わるのが不安で、心細くて…。だから、ベルの今を壊したこの毛玉が嫌いだった」
睨むな睨むな。それからさりげなくアスモデウスを仲間から外すのはやめてくれ。あまりにも不憫に見えるから。
「じゃあ、友達にならないか?君の『今』を壊したお詫びに、私は君と友達になる。それで、君の姉さんから分かれた分を、私から補ってあげる。君の未来は、今よりきっと広くなるだろう」
「気持ち悪いデース。あのクソビ〇チの顔で真面目な話をしないでください、鳥肌が立つデース。もっと『♪』とか『♡』とか、頭悪そうな感じで話すデース」
君もある意味、アスモデウスを別の形で信頼してるんだな。
「わかった。じゃあ…」声を調整し、アスモデウスの物まねを必死に再現する。
「アスにゃんと♪ お・と・も・だ・ち・に・な・ろ・う♡」
「いやデース。そんな下心しか見えないメスに、友達になりたくないデース」
「ふざけんな!どんなに苦労したと思ってるんだ、このクソガキ!大人をなめでいるか!ちょっとこっち来い、わからせてやる!」
「いいぜ、あん!ベルが本気を出せば、毛玉如きは団子のように食ってやるデース」
「ヘル、楽しそうね。やっぱり彼でよかったわ。ふふふ」
こうして、モリアを巡る私とベリアルの長い悪友関係が始まった。口喧嘩はよくするが、殴り合いは一度もなかった。もう十分すぎるほど戦ったからかもしれない。
今でも忘れない。あの日、初めてベリアルと友達になった日、彼女の笑顔は初めて見るほど眩しかった。
依頼期限まで、残り4日。
焦熱地獄は、確かに終わった。
だが、勝者は一人ではない。
暴食の王は友となり、
九大罪の力は一つの形に束ねられ、
そして――
全知の魔王は、静かに微笑んでいた。
地獄はまだ半分。
試練は、これからが本番だ。
残り四日。
次に崩れるのは、
世界か、関係か、――心か。




