第一話:勇者を育成しよう、魔王はそう思った。
伝説では、勇者が魔王を倒し、世界に平和が訪れた――そう語られている。
だが、魔界から見れば、それは少し都合のいい話だ。
この物語は、“ふわふわ魔王”が考えた、とんでもない逆転の一手――勇者育成計画から始まる。
人間の伝説にはこう記されている――
「勇者は魔王を倒し、世界に平和をもたらした」
魔王は滅び、勇者は英雄として称えられた……と。
しかし、魔界の視点は少し違う。
「おのれ、勇者め……!」
魔王城の一室で、人間が出版した読み物を手にした毛玉状の存在――現魔王が、怒りをあらわにしていた。
「嘘だろ……せっかく苦労して魔王になったってのに、もう人間の刺客に狙われて死なきゃならないなんて、ふざけんな!」
本を破ろうとした手を、ギリギリの理性で止める魔王。
その隣で、天使のような姿をした少年がつまらなそうに魔王のふわふわの毛を撫でていた。彼の顔立ちはあどけないが、どこか底知れぬ気品と冷淡さを併せ持っている。
「マスター、人間って本当に幸せな生き物だよね。現実も知らず、空想だけで“魔王を倒した”とか。自分たちがアリ以下の存在だってこと、わかってない」
「歴代魔王もそう言って油断して、勇者に討たれてきた。油断こそ最大の敵だぞ。……この『勇者ハラルド戦記』によれば、勇者は魔王の食事に毒を仕込んで弱体化させたとか。卑劣きわまりない!」
「うわ、さすがにそこまではマスターもしないよね? ……ま、そんなの気にしないで。僕が一飛びして人間どもを全部滅ぼしてあげれば解決でしょ」
そう言いながら、手の動きを止めようとしない天使。
「はい、アウト。そんな短絡的なことをしたら“この『勇者クエスト』の二の舞”だ。ここでは、魔王が四天王を次々に送り出しては勇者に倒され、勇者が戦いを通じて成長して……最終的には魔王を討つ、とある」
「どこもかしこもテンプレ展開だね。やれやれ、ストレスでマスターのふわふわが薄くなったら僕、泣くよ」
「その原因、お前のさわりすぎだと確信してるがな。……だが、冗談では済まされん。例え一人の勇者を滅ぼしても、次が現れる。第二、第三……際限がない」
魔王はふっと笑うと、目を細めた。
「だからこそ、我々が与えるべきは“絶望”だ。『魔王には、勇者では勝てない』と、人間たちの心に刻み込むのだ」
「ふうん……じゃあ人間の半分を滅ぼすくらいでどう? 人が多そうな都市に僕の槍を投げて、マスターがどーんと登場して、なんかそれっぽいセリフ言えば、はい解決。あ、今夜のごはん、何にする?」
「待て、落ち着け、どこまで考えるのを省略する気だお前は……。そもそも強者は、弱者の考えを理解できないものだ。人間は、“勇者”という希望を心に抱いている。彼らは信じている――『勇者は必ず魔王に勝つ』と。それを覆すのだ」
そう語る魔王の顔には、どこか満足そうな邪悪な笑みが浮かんでいた――というより、毛玉の顔にしてはやけにかわいらしい。
「我々は人間側の視点で“最強の勇者”を育てあげ、その希望を一瞬で粉砕する。そうすれば、人間たちは思うだろう。『魔王に勝てるというのは夢物語だった』と」
「……」
少年天使は沈黙する。
「そこで問いたいだろう、『なぜそんなことをする? 育てた勇者が我々の手に負えなくなったら?』と」
「いや、聞いてないけど。」
「むしろ好都合だ。こちらで育てるなら、弱点も性格もすべて把握できる。対処も簡単になる。これぞ——『勇者育成計画』、じゃ!」
「好きだねぇ、そういうまわりくどいの。僕はそういう面倒なの、ついて行きたくないな」
「よいではありませんか、どうせ我々は暇を持て余しておりますし。付き合いでございますわ」
その声は、さっきから黙って紅茶を楽しんでいた少女のような存在からだった。漆黒のゴスロリ服に身を包み、人ならぬ美貌を持つその者は、明らかに人外の存在。
「もし退屈でしたら、天界に戻られてはいかがですか? 魔王様のお世話は私がつきっきりでいたしますので」
「嫌だね、僕は悪魔の甘言には乗らないよ。すきを見て僕とマスターを引き裂こうとするその魂胆、君の汚れた身分相応に下劣だね」
「まあ、それほどでも。創造されたときに“脳”を作り忘れられた天使様に比げれば、私などまだまだ理性的な方ですわ」
――勇者どうこうの前に、この魔王城が内紛で崩壊しないかのほうが心配である。
読んでくださりありがとうございました!
勇者が活躍する前に、魔王が真剣に世界の“伝説”にキレている第一話でした。
次回は、いよいよ“勇者候補”が登場するかも……?
ふわふわだけど本気な魔王たちの企みを、よければこれからも見届けてください!