〈19〉山下夢二
今の自分は明らかに過去の自分を越えている。
もし過去の自分と戦ったら過去の自分に指一本触れさせず過去の自分を打ちのめすことが出来ると友雪は思っている。それぐらい自信のある作品を応募した。
近年に至ってはまさにその連続。
自信しかなかった。
毎年、二百人ほどが通過する一次審査など眼中にもなかった。
しかし、現実は違っていた。
実家に戻ってからも一度も一次審査を通過したことがなかった。
一次審査は友雪にとってまさに鬼門。その鬼門に友雪はまたしても落とされた。
去年は失恋と失意することはあったがすぐ立ち直ることが出来たがシナリオコンクールだけは毎年、一次審査で落ちていてもどうしてもなれることは出来なかった。
落選を知るたびに茫然とし頭が真っ白になり体の芯から震え、視野が狭くなるこの感覚だけは慣れなかった。そして茫然自失の日々を暫く送り、落選で受けた傷は作品を作ることでしか癒せないというところに意識がたどり着き、そこで次の作品に向けて意識が向いたとき、やっと平静さを取り戻し我に返る。
その繰り返しを毎年行っているのに落選ショックだけは一向に慣れなかった。
まさに地獄の無限ループ。
夢や希望、人生をかけているから当然なのかもしれないが……。
七月の風物詩を比都瑠村の人々は見る。
特に友雪の母、純子に先輩夫婦の竜司と奈美は心を痛ませていた。
友雪の努力はいつ実るのか?
報われる日はいつやってくるのか?
友雪は今年も一人、比都瑠村を流れる川のほとりに立っていた。
この年、友雪はまたしてもプロになるチャンス一つ手に入れることが出来なかった。
友雪は年末に三十五歳になった。相変わらず何も変わっていない。変わりたくても変われない自分に不安さえ覚える。その不安を払拭するには作品を書くことしかない。
年が明けて二月、友雪はシナリオコンクールに作品を応募した。
応募はしたものの七月が来るのが怖かった。
「まずは七月の一次審査を通過できれば……」
四月、鞠子から手紙が届いた。
小学六年生になり希望の中学校を受験するため今年は勉強三昧と手紙には書いてあった。
「鞠ちゃんも来年は中学受験か……。今年、ほんとなんとかプロになって一緒に喜びたい。そして春には鞠ちゃんを喜ばせたい」
七月、友雪の願いも空しく、またしても一次審査で落選した。
友雪は途方に暮れた。
落ちる理由が分からないだけに、わだかまりが友雪を一層苦しめた。
その苦しみを癒すために比都瑠村の大自然に我が身を置いた。
今年も七月の風物詩はなくならなかった。
そんな七月が終わる頃、栄治が家に人を連れてきた。
山下夢二、二十五歳。
栄治が勤めている役場で知り合ったらしい。
そもそもこの村に若い人が来ること自体が珍しかった。
その日の夕食は山下を交えて四人で食事をとった。
いつも寡黙な栄治が機嫌よく山下と談笑していた。
友雪はその話を黙って聞いていた。
話の内容から山下は過疎化が進むこの地域を活性化させる自治体のプロジェクトの一人として比都瑠村を請け負っているらしかった。
「若い人をいきなりこの村に定住させるにはハードルが高いと思うんです。もっと体験的な、そう、田舎暮らしに興味ある人が気分転換がてらにふらっとやって来れるような敷居の低いところから入っていくのがいいと思うんです。全国を旅している人がちょっとした旅費稼ぎにこの村によってきたり、農村暮らしを知らない人の農村生活体験とか、どんな形でもいいから毎年、この村にやってきてくれるようなリピーターを作るところから始まると思うんです。季節労働者というか、兎に角、この村の存在をまずは知ってもらわないことには何も始まらないと思うんです。そうすることでこの村に好感が持てれば、SNSを通じて広がっていけば、定住という形に拘らず第二の故郷としてこの村が認知されていけば何か変わってくると思うんですよね」
「山下君はしっかりとしたビジョンを持ってるんだね」
「面白いじゃないですか。過疎化が進む村に人が集まってきたら。なんか自分たちで村を作っていくって。ある意味、ゲーム感覚でもあるような気がするんですよね。自分たちで村を復興させる。きっとこのゲームに参加したいと思う人って多いと思うんです。起業家ならぬ起村家になれる」
「起村家。面白いね。いいと思うよ。その感覚は若者ならではの感覚だね。私みたいなおじさんからは生まれないな。ゲーム感覚でも何でもいいよ。山下君のやりたいことを思いっきりやったらいい。そしてこの村に人が集まるようになったら、過疎化が進む村の再建モデルにもなる。思いっきりやったらいい」
「ありがとうございます」
「まるで夢みたいな話ね。この村に人がやってくるなんて」純子が言った。
「集まるかどうかは約束は出来ませんがやってみます。やらなきゃ何も始まらないしやりたいんです」
「なんか夢があっていいわね。友ちゃん、山下君と合うんじゃない?」
「……」友雪は純子を見た。
山下が友雪の方を見て尋ねた。
「何かされてるんですか?」
「……」
友雪は自分がシナリオライターを目指していることを言わなかった。またしても一次審査で落ちて、とても自分がシナリオライターを目指しているとは言えない。山下のように自分の未来ビジョンを饒舌には語る人を見て友雪は劣等感を覚えた。
「こいつはシナリオライターになりたいんだよ」栄治がぶっきらぼうに言った。
「シナリオライターですか」
「もっともなれるのかどうかもわからんが」栄治は他人事のように言った。
「……」友雪はただただ黙っていた。
「なるわよ。友ちゃんならきっとなれる」
「そんな根拠のないこと言うな」
「あなたはほんと冷たいのよね。父親なんだからもっと友ちゃんのやること信じなさいよ。味方になりなさいよ」
純子と栄治が険悪な感じになった。それを察した山下が口を出した。
「夢を持つことは決して悪いことじゃない。僕だって過疎化対策という日本が抱えている途方もない問題に立ち向かうドン・キホーテのようなものですから」
「……」
純子は山下の前で夫婦喧嘩をして大人げないことをしたと、その後は黙っていた。
その日、山下は家に泊まった。
友雪は寝る前に台所に行くと山下が水を飲んでいた。
「先ほどはありがとうございます。山下さんがああいってくれたおかげで父のお小言が始まらずに済みました」
「別にいいです。自分がああ言わないとなんか面倒くさくなりそうだったから言っただけですから」山下は愛想なく言って客間に戻った。
友雪は山下とは親しくなれるのでは、と思っていたが、どうやら勝手な思い過ごし、と思った。
「どうも、俺はいい方に物事を考える節がある」
友雪は水を飲んだ。
山下はちょくちょく比都瑠村を視察しに来た。
耕作放棄地や高齢化により、放置された田畑を調べたり、過疎化で廃校になった小学校や廃墟と化した建物も視察した。
その姿はシャングリラの常連客の話のネタにもなった。
「最近、ちょくちょく見かけない兄ちゃんがいるが、何やってんだ?」常連客の文彦が言った。
「この村を活性化させるために調査しているみたいよ」奈美が答えた。
「活性化⁉ 活性化ってなんだよ」
「この村にたくさん人が来るようにするんだって」
「人がこの村に来る。何しに? 農家の手伝いにでも来るのか?」
「そんなの分からないわよ。でも人が集まるようにするんだって。そうでしょ」奈美は友雪を見た。
「親父が家に連れてきたとき、そう言ってけど」
「そりゃまた、凄いこと企んだな」
「企む?」奈美が眉をひそめた。
「そりゃそうだろ。若い人も子供が成長するにつれて町に出ていく村だ。そんな村に人を集めるなんて、怪しい集団でも呼び込むつもりなのか」
「ちょっと辞めてよ。ここは、のどかだけが取り柄なんだから」
「そんなことは言ってなかったよ。この村を過疎から再生する。そんなようなことを言ってたかな。心配しなくていいと思うよ」
数日後、シャングリラで話のネタになっていた山下がシャングリラにやってきた。
「お、噂をすれば影」文彦が入ってきた山下を見て呟いた。
山下は店内を見渡した。カウンター内の調理場に竜司がいて、カウンターに常連客の文彦、武、寛治の三人とその相手を奈美がしている。カウンターの隅に友雪が座っていた。
「いいですか?」山下が竜司に尋ねた。
「いいに決まってるだろ。そうでなくとも決まりきった面子しかいないんだから。なぁ奈美ちゃん」武が答えた。
「そうね。新しいお客さんが増えるのは嬉しいわ」
「いえ、今日はちょっと挨拶に来ました。ここに来れば村の人に会えると思ったので」
「そりゃそうだ。なんせこの村の娯楽といったら、ここで飲むことだけだからな」武は笑った。
「でも、これからどんどん人が増えるんだろ? そのためにこの村、調べてんだよな」寛治が言った。
「もう知ってるんですか?」
「そりゃ知ってるよ。何もない村だ。そういう噂はすぐ広まる」武が言った。
山下はカウンター席の隅に座っている友雪を見た。友雪は山下とは目を合わせなかった。
「あんちゃん。この村に人を呼び込んで村に変えるんだろ?」寛治が言った。
「ええ、まぁ」
「さぁ、ここに座って」奈美はカウンターの真ん中に山下を座らせた。
「いや、今日は挨拶に来ただけですから」
「そんな固いこと言ってねぇで飲めよ」武が言った。
「いや、車で来てますから」
「そんなのここに泊まっていけばいい。なぁ、竜司」武が言った。
「そうだよ、泊ってけよ。俺たちも呑み過ぎたら奥の座敷で勝手に寝てる」寛治が言った。
「それ、いい加減辞めて」奈美が嫌な顔をした。
「めんどくせぇんだよ」寛治が言った。
「めんどくさくても帰って!」
「まぁまぁ、奈美ちゃん。そのことは置いといて今日は新入りが来たんだ。仲良くしようや。生でいいよな」武が言った。
「呑んだら、俺が送っていくよ」カウンターの中にいる竜司が言った。
「じゃぁ、お近づきのしるしに今日は飲んできます」
「そうこなくっちゃ」
「俺たちもあんちゃんの話が聞きたいんだよ」
「あんちゃんがどうやってこの村に人を呼ぶようにするのか」
「なんか人が呼べそうなものあったか? 廃校や廃墟しかないだろ」
「村の奥の畑はほとんど耕作放棄地だ」
「売っても二束三文にしかならない土地だから、みんなほったらかして出ていっちまうんだよ」
「そうそう、ここは限界集落ならぬ絶滅集落だ。そんな場所になんか見どころあるかい?」
「そんな言い方しないでよ。私たちはここで生きてくんだから」奈美が反論した。
「悪りぃな。奈美ちゃんみたいに田舎でのびのび子育てがしたい人が大勢いたらいいんだけどな」
「そもそも子供の数も減ってるんだ。人なんて増えんよ」武が答えた。
「じゃぁ、ますますあんちゃんに頑張ってもらうしかないな」寛治が山下の肩を叩いた。
「はい」
「いい考えはあるのかい?」
「いい考えかどうかはわかりませんが、まずこの村の存在を知ってもらうことからだと自分は思ってるんです」
「そりゃそうだ。地元の者しか知らない村だ」
「でも、その地元の者がこの村から出て行くんだ。どうにもならないだろう」武が答えた。
「地元の人に呼び戻すつもりはありません。呼び戻すのではなく、もっと村とは無関係な人を呼びたいんです。村おこしって村に帰ってきてもらうのではなく、新しく村に来てもらうことだと自分は思ってるんです。そのためにもまずはこの村を知ってもらい、この村を自分たちの手で再生させる。自分たちの村を作る。そこに魅力を感じる人、賛同してくれる人を招いて、この村自体をリノベーションするんです」
「リノベーション? リノベーションってなんだ?」
「リノベーションとはよく中古住宅や老朽化した団地などを住みやすいようには新しくするという意味で使われる言葉です。それを住宅レベルではなく村レベルでやるんです。今までの既存の村の存在の在り方ではなく今の時代にあった村を新しく作るんです。それに賛同してくれる人を募り、この村を新しく人が集まる村に変えていくんです」
「俺にはよくわかんねぇな」
「そんなんで人が来るのかい?」
「来るかどうかはわかりませんが、村を新しく作るという所に興味をもってくれるだけでいいと思うんです。兎に角、SNSやインフルエンサ―を使ってこの村を人に知ってもらう。あくまでも定住ありきで村の再生を考えない。定住はハードルが高すぎます。あくまでも人が集まる、関心をもってもらうことを最優先にする。僕はそう考えています」
「定住は難しいよな。なんてったってみんな出て行っちゃったんだから」
「定住しないでどう人が増えるんだよ」
「その考えが古いのよ。この村で生まれ、そのまま終わりを迎える人しか残らなくなるのよ」奈美が常連たちに言った。
「どうせ俺はこのままこの村で骨を埋めるつもりだ」
「だから、若い人に任せるのよ」
「誰も任せないとは言ってねぇよ。好きにやったらええ。どうせこのままだと絶滅集落になる日もそう遠くなねぇんだ」
「この村に人が集まるか。まるで夢のような話だな」
「いいんじゃない。想像でも夢が見れるなんて。変化の前触れだわ」
「そうだなぁ。友雪も夢を叶えるために帰ってきたんだからな」
「そうだ友雪、お前も一緒にやったらどうだ。同じ夢を追うものとして馬があうだろ」
「勘違いしないでください。自分のやろうとしていることは夢ではありません。それに自分は夢が嫌いです」
山下は酒が酔い始めてる。
「夢が嫌い? あんちゃん、面白いこと言うな」
テーブル席で二人で飲んでいたヨシノブコンビの義男が口を挟んできた。
ヨシノブコンビは山下が酒の肴になると思って出しゃばってきた。
そのことを奈美は分かっていたから嫌な顔をし、カウンターの中にいる竜司を見た。
「あんたのやろうとしていることだって、俺から見れば夢のようなことだぞ」
義男の言ったことに呼応するように信孝が言った。
「いいえ、夢じゃないです。自分のやろうとしていることは夢ではなくこれから始める現実です。自分は夢想家ではありません。現実主義者です。もし自分のやろうとしていることが夢に見えるんならそれは間違いです。少なくともシナリオライターになりたいという今井さんの夢とは大違いです」
「お、言うね」
ヨシノブコンビは山下の近くのテーブル席に移動した。
「ええ。言います。そのためにここに来たのですから。これから色々、行政にも民間にも立案し、提案していくつもりです。そのためにこの過疎化再生プロジェクトが魅力あるものでなくてはいけない。そういう魅力を一緒に引き出してくれる人、共感してくれる人を探します。そのためにもまずはこの村を周知することが大切なんです。このプロジェクトを成功させるためにインフルエンサーの方にも呼び掛けてみようと思ってます」
「インフルエンザ?」
「違います。インフルエンサ―です」
「よくわからんけど、なんか考えてるんだ」
「兎に角、賑やかになりそうってことか?」
「賑やかになってくれるとうちも繁盛して嬉しいわ」
「頑張ってや、兄ちゃん」
常連客は山下の話を聞いても、どこか他人事。
それを察した山下は言った。
「まぁ、見ていてください。昨日今日では変わりませんが、必ず変えますよ」
友雪には山下が眩しく見えた。
友雪にも夢を叶えることを信じて疑わなかったときがあった。
しかし、こう毎年、自信をもって出した作品が一次審査さえも通過しないと何をどうしていいのか、今では自分は本当にシナリオライターになれるのか、疑心暗鬼になるときがあった。
友雪は自分のやることが必ず叶うと信じて疑わない山下に、遠い昔の自分を見る気がした。
その夜、常連客は山下を酔わせて、調子に乗せて山下を酒のつまみにした。
この日を境に山下は村の人気者になった。




