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上官

テルミットに戻っているのなら、まず真っ先に顔を出さねばならなかった場所がある。

本当は実家に戻って、少し休んだら顔を出そうと思っていたのだが、何となく行きたくなくて先延ばしにしていた。

だが、そろそろ本当に行かなければならないなと覚悟を決め、エラは重たい腰を上げて、屋敷から少し離れた詰所に顔を出していた。


生意気にも先に一人で長期休暇を楽しんでいる小娘が漸く顔を見せに来たと、先輩達はぐりぐりとエラの頭を掻き回しに来てくれた。ここの男たちなりの「可愛がり」というやつだ。


「すみません先輩方、遅くなりました」

「一人だけ先に長期休暇!しかも手土産も無しに顔を出すとはな」


にんまり笑う男に、エラも苦笑しながら「すみません」ともう一度詫びた。

今度実家から何か贈っておいてもらおうと考えながら、わらわらと集まってきた群衆の中に目的の人物がいないか視線を走らせた。


「お目当ての人物なら中だ。行って来い」


そして盛大に遅いと怒られろ。

にまにまと笑う男たちに背中を押され、ぐしゃぐしゃになってしまった頭を手櫛で整えながら歩く。


うら若き乙女の髪を無遠慮に掻き回すとは何事かとぶつくさ文句を零していても、エラの顔は穏やかだ。

彼らなりの可愛がりである事は理解しているし、怪我人ばかりだったが皆元気そうだ。元気でない者は何処かで休んでいるせいなのだろうが、それでも外で作業していた男たちは皆、嬉しそうにエラを迎えてくれていた。


「ガルシアじゃないか。顔を見せに来るのが遅いと思ってたんだ」

「申し訳ありません、ハンス小隊長」


恐らく此処だろうと思った執務室の前で、丁度部屋から出て来たハンスに見つかった。

目を丸くしたハンスの顔は、あちこちに大きなガーゼが貼り付けられ、片腕は胸の辺りで吊られている。回復魔法を使っているだろうに、回復しきれなかったのだろう。


「中隊長、我らの魔女のお帰りですよ」


今出て来たばかりの部屋に顔を突っ込んで、ハンスは明るい声を出す。

中にいたザッカリーの「じゃじゃ馬を早く入れてやれ」という声に、エラは緊張した顔でそっと顔を覗かせる。


「来たか」

「申し訳ありません、遅くなりました」

「ガルシア邸から知らせは来ていた。休めたか?」

「はい、しかと」

「なら良い」


にんまり笑うザッカリーだったが、エラは呆然とその姿を見つめるしかなかった。

顔の半分を覆う包帯。立ち上がったザッカリーの動きに合わせて揺れる服。その左袖は、くるりと少々雑に結ばれていた。


「腕が…」

「ああ…まあ、あれだ。失くした」


最後に見た時、ザッカリーの腕はきちんとくっついていた筈だ。何故無くなっているんだいるんだと袖に視線を釘付けにしていると、ザッカリーは困ったように笑いながら部屋に入れとエラを促した。


「あの爆発で半分持っていかれていたんだ。あの場では焼いて止血していたんだが…まあ、こうなった」

「…私が、持ち帰ったから」


ハンスに背中を押され、のろのろと部屋に入ったエラの声は震えていた。

魔法使いの死体から漁ったあの魔石。デボラの魔法で吹き飛ばされてしまったのだと理解し、ごめんなさいとまた何度も繰り返しながら、涙を零して首を振る。


その姿に、ハンスはトントンと優しく背中を摩る。


「君のせいじゃない。あれがそういう物だと知らずに受け取ったのは俺たちだ」

「でも…持ち帰らなければ、あの爆発で死ぬ人も、傷付く人もいませんでした」

「だとしても、それを俺たちは誰も知らなかった。結果的にこうなってはいるが、別に俺はお前を恨んだりしていない」


真直ぐにエラを見つめるザッカリーの視線は優しい。

恨んだりしていないなんて優しく言われたとしても、亡くなった人の家族はそうではないだろう。


前を向こう。同じ所に留まり続けてはいけない。抱えきれなかったものよりも、抱えられたものを見ろ。

そう決めた筈なのに、いざ目の前で顔の半分と片腕を失った上官を前にすると、あの時持ち帰らなければという後悔が止まらなかった。


「あの時は、魔力を籠めた魔石というものはとても魅力的だった。とても助かるものだからだ。疲弊していた俺たちの為に魔力を籠めてくれた、それはお前の優しさだろう?」


あの時は確かにそうだった。少しでも誰かの助けになればと思って渡したのだ。

結果的に傷付ける手助けをしてしまったのだが、ザッカリーはそれで良いと笑った。


「その時考えられる最善だったんだ。それに利き腕は無事だったし、その辺のやつに片腕で負けるとも思っていない」

「普通退役してのんびり引退生活するっていうのに、この人このまま居座って新人教育するって聞かないんだ」


ハンスの呆れ声に、エラはあんぐりと口を開けた。

左目の視力も失っていると付け加えたハンスがやれやれと頭を抱えているが、ザッカリーはにんまりと笑うだけだ。


「立って走れて動けて、利き腕は無事で剣も握れる。戦場に立てないならば、立てる者を出来るだけ多く育てる」

「…無茶な人ですね」


そう零すのがやっとだった。

目尻にくしゃりと皺を寄せ、悪戯っぽく笑うザッカリーの顔を初めて見た。大人の男の人だなあと場違いな事を考えて、エラもふっと口元を緩ませる。


「思っていたより元気そうで安心した。別れる時は疲れ切っているように見えたからな」

「友人と家族に檄を飛ばされましたので。弱い私は私ではありません」

「それでこそテルミットの女だ」


満足げに笑うザッカリーと、「此処に染まったねぇ」と呆れるハンスに挟まれながら、エラは漸く小さな声を漏らして笑った。


◆◆◆


ザッカリーとハンスは、エラがテルミットを離れている間に何をしているのかを話してくれた。


まずは荒れてしまった土地を修繕するところから。

山のあちこちに転がっているであろう、魔族や人間の死体を回収し、人間ならばステプに送り、魔族なら身元を確認して焼いて骨にしてから適宜送って行く。


土地を荒らされた事で不機嫌らしい精霊たちの為に、近いうち儀式を行うらしい。これは北の地も同じだそうだ。


「魔法は精霊の加護とは全く違うものだからな。気持ちが悪いと怒っているらしい」

「爆薬も多く使っているでしょうしね…」


精霊が嫌うからと、魔族はあまり爆薬を使わない。だが人間は違う。精霊という存在がどういうものなのかも知らず、敵の土地だからと好き勝手に暴れてくれた。


山の一部は火事になり、木々が燃えてしまったところもあるそうだ。


「お前の御父上が先頭に立ち、復興の為に働いてくださっている。被害の少なかった西と南から物資を搔き集め、我々に提供してくださっているんだ」

「ああ…そんなような事を言っていたような」


ロージーという不愉快な女のせいで忘れていたが、アルバートとリアムがそんなような事を言っていた。

テルミットという土地は、爵位こそないがガルシア家が領主として纏めている土地だ。


先祖代々、月の魔女の時代から守り続けている土地。

人間なんぞに攻め込まれ、好き勝手された事に怒り狂ってはいるが、その辺りの事は王であるルーカスとその側近たちが上手い具合に片付けてくれるだろう。


「何か足りない物などはありませんか?私から直接父に伝えておきますが」

「ああ、大丈夫だ。充分すぎる程頂いている」


有難いと小さく頭を下げ、ザッカリーとハンスは小さく微笑んだ。


「…犠牲者は、皆見つかりましたか」


こくりと喉を鳴らしながら、エラは怖くて聞き難かった事を聞いてみる。

半数以上が死んだと聞いた。大地を割るあの魔法で、どれだけ死んだだろう。


ふいと視線を床に落としながらの問いに、ザッカリーが固い声で答えてくれた。


「大多数は見つかった。だが行方の分からない者も多い」

「首が吹っ飛んで名札も無いやつがちらほら居てね。魔族だって事しか分からないのがいるんだ」


あの爆発で吹き飛んだのだろう。首から下げられた魔石によって、せめて名前だけでもと身に付けさせられている首輪ごと吹き飛んだらしい。


「必ず見つけ出す。時間は掛かっても、必ず家に帰してやるから安心しろ」

「…はい」

「死んだ者は多い。だが生き残った者もまた多い。死んだ者を追いかけるな。お前の責任ではないのだから」

「はい、中隊長」


姉と同じような事を言うのだなと僅かに笑いながら、エラはそっと視線をザッカリーに向ける。

片腕を失っても、彼はまだ立ち続けようとする。世界を見つめる半分を失っても、まだ世界を見ようとするのだ。


一年の半分を氷に覆われたこの白銀の土地で。


「…時に中隊長。独身ですか」

「何だ急に。どうせ男所帯で出会いも無いさ」

「では恋人もおられないのですね」

「…自分が恋人持ちだからと良い度胸だな?」


アルフレッドは別に恋人ではない。それをささっと文句を言うように吐き捨てると、エラはパンと掌を鳴らしてにんまり笑った。


「うちの姉とくっ付いてくれたら安心なんですけれども」

「どういう発想でそうなったんだ?」

「今度うちに後妻が来るんです。その人に結婚をせっつかれていまして…妹としては、お任せして安心できる方にお任せしたいなあ、と」


自分でも何を言っているのかよく分からないが、ザッカリーならば安心だ。

きっと姉を気に入って、姉もザッカリーを気に入れば仲の良い夫婦としてやっていけるかもしれない。


「俺たちがお前の姉に心底嫌われている事を忘れたか?」

「そういえば…そうでしたね。お忘れください」

「ガルシア邸に報告に行く度に威嚇されてるんだよ」


耳元でこそこそと教えてくれるハンスに、エラは「あの姉ならやりそうだ」と小さく頭を抱えた。


「漸く顔を見せに来たと思ったら…どれ、久しぶりに相手をしてやろう」


面白くなさそうな顔をしたザッカリーに引きずられ、エラは問答無用で建物の外に出される。

訓練用の模擬剣を握らされ、日が暮れるまで稽古を付けられたのは言うまでもない。


やっぱり顔なんて出しに来るんじゃなかった。

片腕の怪我人とは思えない動きと破壊力に散々やられたエラは、あちこち痛む体を摩りながら地面に転がされるのだった。


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