帰宅
久しぶりに戻ったテルミットは、まだ荒れた土地を元に戻す作業に追われていた。
テルミットの主である父は忙しく、次期当主であるリアムもまた、毎日遅くまで仕事に追われている。
「何か、帰ってくる時期を間違えたような気がします」
「実家に帰るのにそんな事を気にするんじゃありません」
久しぶりに帰って来たエラの髪が短くなっている事に驚き甲高い悲鳴を上げていたアデルは、今はちまちまとエラの髪を編んでいる。テーブルの上に置かれた幾つもの髪飾りを、あれでもないこれでもないと吟味しながら、どうにかして少しでも飾り立てようとやっきになっていた。
「お姉様、そんなに無理をしなくても…」
「駄目よ。折角可愛らしい恰好をしているのだから、髪もきちんとしないとね」
結局大きなリボンを後頭部に結び付けると、まだどこか納得していないような顔をしながらふうと息を吐いて、エラの向かい側に座る。
テルミットのガルシア邸の談話室は、姉妹が仲良く過ごすのに丁度良かった。
アデルは戦い遠しだったエラを酷く心配しており、もう戦争は終わったのだから、暫くゆっくりしてくれと何度も言った。
エラも休みたいと思っていたし、手厚く世話をされる生活も悪くはない。どうせもう数日もしたら落ち着かなくなって外出したがるようになるのだが、家族もそれを分かっているのか、父と兄はどれだけ遅くなっても出来るだけエラと過ごす時間を作ってくれた。
話す内容は様々だ。だが、主に戦争中どうしていたかという話をアルバートは聞きたがる。娘が何をさせられ、大人しく実家に帰ってくる程弱っているのかを知りたいようだった。
エラも出来るだけ吐き出したかった。有難く全て吐き出し、辛かったでしょうと泣き出すアデルに大人しく抱きしめられた。リアムもぐっと唇を引き結び、小さく「すまない」なんて零していた。
「今日はお父様もお兄様も早めに切り上げて帰ってくるそうよ。夕飯は皆で一緒に食べましょう」
「はい、楽しみです」
柔らかく微笑むエラだったが、アデルには無理をして微笑んでいるように見えたらしい。くしゃりと歪んだ顔は、涙を堪えているようにも見えた。
「お姉様?」
「折角、綺麗な髪だったのに」
小さく声を震わせ、耐え切れないとばかりに両手で顔を覆う。目の前ですすり泣かれるのは少々困るのだが、それだけ心配させていたのかと思うと何だか申し訳が無い。
「髪くらい、すぐ伸びますよ」
「だって!女にとって髪を切られるというのは、その身を切り裂かれるのと同じなのよ?何故貴方が…そんな…!」
「ただ私が未熟だっただけです。生きてればすぐ伸びますから…」
何とか泣き止んでもらおうと必死で声をかけるのだが、戦場に妹を立たせたという事実がもう既に辛いらしい。
しゃくりあげ、零れ落ちる涙を止められないアデルは、何度も「ごめんね」と謝り続けた。
「…お姉様は、危険な目には合いませんでしたか」
「私は、ずっと屋敷で…」
喉がひくついて上手く話せないのか、アデルの言葉は酷く拙い。
だが、護られていたという事を理解したエラは、無事で本当に良かったと微笑んだ。
「貴方が、前で守ってくれたから」
「え…」
「此処まで来られなかったの」
ぐずぐずと鼻を鳴らし、アデルは目元を何度も擦りながら言葉を続ける。
エラが前で人間の群れを抑え込んだおかげで、アルバート達が守っていた所まで攻め込まれなかった事。更にその後方にある集落も、ガルシア邸にも誰も辿り着けなかった事。
それらを何度もしゃくりあげて聞き取り難い声で話してくれた。
「貴方が守ってくれたから、私も、この屋敷も、集落も皆無事だったの」
「…そうですか」
「ありがとう、守ってくれて」
座ったまま、深々と頭を下げたアデルを前に、エラは硬直する。
何も守れていないと思っていた。だが目の前でまだ呼吸の落ち着かない姉は、守ってくれたと言った。
「私ではなく…お父様たちが守ったのでしょう」
「お父様の所まで来なかったって言ったでしょう?エラと、エラの隊の人達が守ってくれたのよ」
「守れていないから、友人を亡くしたのです」
ぐっと拳を握り、俯いたエラを前に、アデルはきょとんとした顔をした。
少しの間何かを考えるような素振りをして、何か思いついたようにスッと立ち上がると、エラの前に跪く。
「エラ、両手を出して」
「え…?ああ、はい」
言われた通りに両手を出す。掌を上にして出された手を、アデルは水を溜めるように合わせてそのままでいろと言った。
何をするのだと思いながら、エラはテーブルの上に置かれた焼き菓子を一つ手に取るアデルを見つめる。
「はい」
「…クッキー、ですか?」
「ええそうよ。一つだけなら、手の中に収まるわね」
「はあ…?」
何が言いたいのか全く分からない。だが、ひとつ、もうひとつと次々に掌に置かれていくクッキーが徐々に山となる。
「お姉様、それ以上は落ちます」
何とか山が崩れないように動かないようにと必死で腕を持ち上げ続けるが、容赦なくひょいひょいとクッキーを乗せるアデルの手は止まらない。
ああどうしようと焦り始めた頃、両手からぽろぽろとクッキーが落ち、エラの膝の上で屑を散らかした。
「ああ…だから言ったのに」
「エラ、抱えられる数には限界があるでしょう?」
「そりゃこれだけ乗せられたら誰だって落とします!」
どうするんだこれはと姉を睨みつけるが、アデルは至極真面目な顔をエラに向け続ける。
相変わらず、何が言いたいのか分からないままだ。
「抱えられるには限度がある。貴方がどれだけ強くて守れる数が多くても、限界はあるでしょう?」
「それは…でも、私は…」
「エラ、その両手に抱えられるクッキーには限度がある。貴方が守れなかったと悲しんでいるのは、その零れ落ちたクッキーと同じよ」
全てを抱えるのは無理な事。零れ落ちてしまった数だけでなく、抱えられた数を見ろ。そう言うアデルは、零れてしまったクッキーを一つ摘まんで口に放った。
「零れた方にしか目が行かないのは、今は仕方ないわ。でも、抱えられた数はどれくらいあるかしら」
「…分かりません」
「分からないなら見てみれば良い。その目で見て、自分がどれだけの事をしてみせたのか知れば良いわ」
そう笑ったアデルは、ここに置けと皿をエラの前に出す。
ばらばらと落とされたクッキーたちを見つめながら、エラは眉根に皺を寄せる。
抱えられた数を見たって、零れてしまったものは戻って来ない。クッキーのように、気軽に拾い上げて口に放り込めるようなものではないのだから。
◆◆◆
王都に比べ、テルミットはやはり寒い。分厚い冬服に身を包んだアデルと、比較的軽装のエラは屋敷から一番近い集落に足を運んでいた。
勿論まだ警戒しておくべきだとアルバートが屋敷の警護をさせている兵を数人連れているが、領主様のお嬢様が二人も来てくれたと、集落の住民たちは皆喜んで二人を出迎える。
「ようこそお嬢様方!」
「お邪魔するわね。妹が久しぶりに戻ってきたから、皆元気だって見せてあげたくて」
にっこりと微笑むアデルが、後ろに隠れようと体を小さくしているエラを前に出す。
アデルの妹、領主の二女という事は、この地の偉大な魔女、月の魔女であるエラだと気付いた住民たちは、皆揃って歓喜の声を上げた。
「エラ様!月の魔女様だ!」
「貴方様のおかげで私共は戦争中も誰一人欠ける事無く生き延びました!」
ありがとございます。
口々に投げられる感謝の言葉に、エラは動く事も出来ずに固まった。
軍服ではなくドレスを着ているエラは、黙っていれば儚げなお嬢様だ。お嬢様にしては少々髪が短いが、住民たちはそれを気にする様子は無かった。
「どうか恩返しをさせてはいただけませんでしょうか!」
「お、恩返し…」
集落の長らしき男の勢いにたじろぎ、僅かに引き攣った笑みを浮かべたエラだったが、感謝されるというのは悪い気はしない。
素直に喜べたら良かったのだが、守れなかった者を思うと、素直に感謝を受け取る気にはなれなかった。
「何か私共に出来る事はありませんでしょうか?」
「何かと言われても…私はあくまで新兵としてザッカリー部隊に属している身、勝手に指示をするわけには…」
「ですが、お守りくださったのは貴方様です」
そんな真面目な顔で迫られても。
どうしたものかと姉に助けを求めようと視線を向けるが、アデルは集落の子供たちを相手にしているようで、エラの方には見向きもしない。
何てことをしてくれたんだと内心怒鳴り散らしたくて堪らなかったが、どうかどうかと懇願する長は、しっかりとエラの両手を握りしめて離さない。
「で、では、我が父の助けになってくださいませ。この地は戦争のせいで荒れてしまっていますから」
「それは勿論ですとも。そうではなく、貴方様の為になる事をしたいのです」
「私一人が守ったわけではありません。上官や仲間たちも共に戦い、傷付きました。私だけではない」
頼むから、そんなにエラという女を過大評価しないでほしかった。
守れなかった者がいる。生きていても傷付いた者も多い。ずっと心に圧し掛かってどうにもならない事実を、見ないふりをしないでほしかった。
「エラ、さっきも言ったでしょう?抱えた物を見なさい」
「だからそれはどういう…」
「ここはね、テルミットの一番端の集落なのよ」
「はい、後方支援物資の中継地でもありました」
アメリアたちの隊がよくここに顔を出していたと、長は寂しそうな顔をする。
無理矢理連れて来られたせいで此処が何処にある集落なのかいまいちよく分かっていなかったが、大好きな友人が最後に来たであろう場所は此処だった。
「あの方々の事は本当に…残念です。気の良い方ばかりでしたから」
「…そう」
「もうお会い出来ない事は、とても悲しく残念です。ですが、彼らのおかげで我々は生き延びた」
彼らがあの場で戦ってくれたから、人間たちは此方迄来なかったのだと、長は小さく呟く。彼らの命の代わりに、我々が生き延びたのだと。
「逃げようと思えば、彼らは逃げられたのです。ですが逃げれば我々が死んでいた。彼らは我々を守ってくれたのです」
「逃げられた…?」
「逃げられますよ。不思議に思いませんでしたか?何故人間たち相手に全滅したのかと」
魔法使いが一緒だったのなら、人間であっても魔族に対抗出来るだろう。だが、全滅させるのは困難な筈だ。
後方支援部隊に多く配属される土の術者達が戦闘に不向きだとして、それでも全滅まではさせられない。
防壁を張って、ゆっくり後退していくのが定石の筈だった。それが出来る隊だった。だが、あの隊はたった一人を残して全滅したのだ。
「我々は、あの隊の少女がいつも笑って話してくれた貴方様の為に何かさせてほしい。それがあの方々へのお詫びと恩返しになると思うのです」
少女とはきっとアメリアの事だろう。
自分がいない場所でも、いつだって笑ってエラの事を話してくれていたのだ。月の魔女なんて呼ばれているけれど、あの子はただの問題児で、私の大切な友人なのだと、いつも言っていたと言って、長は力なく微笑んだ。
「アメリア…!」
わっと顔を覆い、その場に崩れ落ちるエラに、アデルは遠目からそっと目を向ける。
わんわん声を上げて泣き出したエラと、釣られて泣く住民たちの泣き声が、まだ積もったままの雪に吸い込まれていった。




