抱える者
部屋に籠り切っていたエラは、アメリアの両親と会って以来ぼうっと城の入り口に座っている事が増えた。
両脇で立ったまま警戒している衛兵には目もくれず、城に来ては亡くなった家族の遺品を引き取りに来たり、無事かを確認しに来る家族を眺め続ける。
楽しいわけでは無い。やる事が無いのだ。ルーカスから正式に、一月程自由にしていろとお許しが出た。実家であるテルミットに戻る気にはなれず、好きなだけいると良いという言葉に甘え、ただぼうっと無駄な時間を過ごしていた。
「また此処に居たの」
「行くところが無いんだ」
「だからって此処にいる意味が分からないわ」
一目に触れるのが嫌なのではないのかと怪訝そうな顔をしながら、サラはそっとエラの傍らに腰かける。今日は軍服を着て、新米として過ごしているようだ。
「何がしたいのか分からないけれど、知り合いの家族に詫びでもしたいの?」
「さあ。私にも分からん」
「本当、意味不明だわ」
低く唸りながら、サラはエラと同じ方向をぼうっと眺めた。
サラなりにエラの事を心配しているのだ。あのじゃじゃ馬問題児が鳴りを潜め、ただ大人しくじっと座っているだけ。日が暮れる頃、呼びに来た使用人に連れられて部屋に戻り、ほんの少しの果物を口にして、ほんの少し眠ってはまた魘されて起きる。毎日その繰り返し。
そんな状態のエラを、心配しない筈が無いのだ。
「最近話題になってるのよ。貴方がずっと此処に座り込んで動かないって」
「邪魔にならないように隅にいる」
「気を使うのよ」
ねえ?と衛兵に声を掛けるが、衛兵たちは気まずそうに視線を逸らすだけだ。
「ほら、困ってる」
「何も言ってないだろ」
「視線が困ってますって言っているのよ」
呆れたように溜息を吐き、サラはぐっとエラの腕を掴んで立ち上がる。無理矢理立たされたエラは、ぼうっとした顔のままサラに引きずられて歩き出した。
城の中、ほんの少し入っただけのエリアは、関係者以外でも入る事が出来た。
流石に今は警備の問題上関係者とごく一部の部外者だけが入る事を許されているが、サラもエラも自由に出入り出来る者の一人だ。
「ああいた。マシュー」
びくりとエラの肩が揺れる。下げていた視線をのろのろと上げ、廊下の先から歩いて来た男を凝視する。
いる筈のない男が、そこでひらりと腕を上げた。
「よう久しぶりだな」
にんまりと笑うマシューは、右肩から先が無かった。
何故そんな事になっているのだと言葉を失ったエラに、マシューは呑気に笑ってみせた。
「何だ、髪を切ったのか。短いと幼く見える」
「切ったんじゃなくて切られたのよ。魔法使いにね」
「魔法使いに?何でお前がそんな事になったんだ」
暴れ狂っていると思っていたのにと意外そうな顔をしながら、マシューは左だけになった腕を腰に当てた。
「腕…どうしたんだよ」
声が震えた。無くなってしまった肩から目が離せない。その視線に気付いたのか、マシューは困ったような顔をしながら右肩にそっと触れる。
「守れなかった罰、といったところか」
そう言ったマシューは、戦場で何があったのかを簡単に説明してくれた。
同じ新米として配属されたポートと共に戦場に立った。予想よりも多くの魔法使いが配置された隊と戦闘になり、攻撃魔法からポートを庇おうとしたらしい。
だが、守れなかった。ポートは体を潰される程の大岩から逃れられず、マシューもまた、右腕を潰され切断したのだと、小さく纏めた。
「可哀想に、あいつはまだ若すぎる」
「貴方だって、これからだったのにね」
「生きていれば何とでもなる。片腕が無かろうが、地元で何かしら仕事は見つけられるからな」
がははと豪快に笑ってみせるマシューだったが、その顔は無理をしているように見えた。
「片腕と引き換えに、守れていたら良かったんだがな」
守れなった。そう悔やんでいるのはマシューも同じだった。悔しそうな、哀しそうな顔をして、マシューは弱弱しく手で顔を覆った。
「俺にもっと、力があれば良かったんだ」
「あの子はそんな風に後悔してほしいなんて思ってないわ。きっと」
「どうだろうな。死んだ者の考えていることなんぞ分からん」
「知ってるでしょう?あの子がどういう子だったか」
ちろりと、サラがエラの方を見る。
その視線に応える事も出来ず、エラはぐっと拳を握りしめる。
言葉が出なかった。体の一部を失い、守れなかったと後悔しているマシューに自分を重ねたのだ。
自分は身体の何処も失っていない。髪ならそのうち元に戻るだろう。
守れなかったという後悔だけが、ずっと後をついて回るのだ。
「だが生き延びた者の責任だ。俺はあいつの分まできっちり生きてから死ぬ。配属早々退役は不本意だが、まあこれも俺の生きる道というやつだろう」
「それで良いわ。といっても、あの子はきっと自分が死んだ事に責任を感じてほしいなんて思っていないわ」
アメリアもね。
そう付け足したサラが、じっとエラの顔を見つめる。
自分を責めるなと言いたげな、真っ青な瞳が怖い。思わず逸らしてしまった視線の先で、マシューもまた、じっとエラを見据えていた。
「俺が言えた事では無いが、お前はよくやったと思う。何をしたのか色々聞いたぞ」
よく頑張ったとがしがし頭を撫でられ、その懐かしさに思わず鼻の奥が痛んだ。
マシューは良い兄貴分なのだ。仲間と認めた者は懐に抱え込み、可愛がり、妹分弟分として可愛がってくれた。時折世話を焼きすぎてうざったいと言われ、大きな体を小さく丸めるような、優しい男なのだ。
「落ち込むのは良い。心の整理をする為の時間は必要だろう。俺も同じだ」
「うん」
「だが、いつまでも同じ所で留まり続けるな。それはポートもアメリアも望んでいない。分かるな?」
「…うん」
こくりと小さく頷き、エラは堪えきれなくなった涙をぽろぽろと床に落とす。
泣くんじゃないと笑うマシューも、失った仲間を想って涙を流していたが、今は可愛がっている妹分の前だからと、必死で兄貴分を演じていた。
「俺は退役して地元に帰る。もう軍人じゃないが、いつだってお前は俺の妹分だからな。何かあれば頼りに来い」
「なにしてくれるの」
「あー…良質な魔石の横流し?」
「それ、私の前で言わない方が良いわよ」
にんまりと笑ったサラに「冗談だ」と慌てたマシューが言葉を続けた。
「まあそういうわけだ。出来る事はそう多くないが、魔女様ではなくエラとして遊びに来るならいくらでも歓迎するからな。お前も」
「ええ、サラとして遊びに行くわね」
約束と笑ってみせたサラと共に、三人は拳をぶつけ合った。
◆◆◆
同じ所に留まり続けるな。
マシューから言われた言葉を何度も頭の中で繰り返しながら、エラはぼうっと空を見上げる。
もう春が近いとはいえ、夜の外はまだまだ寒い。ほうと小さく吐いた息は白く、夜空を漂う雲のように登って消えた。
テルミットよりも随分暖かい。寒さに強いエラならば、外套など無くても平気だった。だが、今は何となく心細いような、寂しいような気がして、部屋から持ってきた毛布を体に巻き付けている。
「何してるんだ、こんなとこで」
ふっと微笑みながら、アルフレッドがエラの隣に腰かける。
数日前に二人で座った、中庭のベンチ。アルフレッドの母親のお気に入りだった場所で、エラは今まで一人でぼうっと夜空を眺めていたのだ。
「別に。何となく」
「此処まで来るなら、俺の部屋に来てくれたら良いのに」
「…夜空を見上げたの、いつぶりだろう」
アルフレッドの冗談を軽く無視しながら、ぽつりと呟く。
いつかお前は月の魔女として生きていくのよと、大嫌いな祖母から何度も言われ続けてきた。そうしていつしか、月というものが嫌いになった。
夜空の一員として生きていけと、周囲が求めた。そうして夜空が嫌いになった。
いつの間にか見上げる事の無くなった夜空を、久しぶりに眺めてみれば、チカチカと輝く無数の星が黒を美しく彩っていた。
「テルミットの方が綺麗だろうに」
「そう、なのかな。もう覚えてない」
空気の澄んだ冬の夜ならば、きっと城の中庭から見るよりも沢山の星が見えるのだろう。開けた場所で寝転んで、ぼうっと見上げた夜空に広がる星空は、どれだけ美しかったか思い出せない。見ようともしなかったのだから当然なのだが、今更見に行きたいとも思えなかった。
「私はこれからどうすべきなんだろうな」
「エラのしたいようにすれば良い」
「どうしたいのか、私にも分からないんだ」
ぽつぽつと言葉を零すエラに、アルフレッドが寄り添うように体を寄せた。寒いと小さく零しながら、エラが包まる毛布に一緒になって包まり、しっかりと腕の中にエラを閉じ込めた。
「自分の事なのにな」
「アルは?今後どうしたいとか無いのか」
「俺?そうだな…兄上の側近じゃないけど、それなりに使える駒として働いて、適当な頃合いで引退して、ぶらぶら放浪の旅をするのも楽しそうだ」
エラの頭に頬を寄せ、あれもやってみたい、これもやってみたいと幾つも案を出して見せた。
「エラと一緒に行けるなら、一緒に海を見たい。海じゃなくても、もっと他の…いろんな所を二人で」
「ザックは?」
「そこはほら、俺これでもエラに求愛してるわけだし」
空気を読まないエラの発言に苦笑しながら、アルフレッドは「今は二人でやる事の話」と囁く。
いつの間にか甘ったるい雰囲気にされてしまった事に気が付いてももう遅かった。毛布の中でしっかりと抱きしめられ、片手は指を絡められて抜け出せない。
耳元から聞こえる甘いテノールの声が心地よいと思ってしまうのが、何だか恥ずかしかった。
「いつかエラと一緒に夜空を眺められたらなって思ってたんだ。今叶って嬉しいよ」
「別にそれくらい言ってくれればいつでも見られただろうに」
「ずっとエラを見てるんだ。夜空を見上げようともしない事くらい気付いてる。見たくなかったんだろう?」
図星だ。見てしまえば、何だかドロドロもやもやした何かが胸の中を渦巻いてしまいそうで怖かった。
例えられているだけなのに、夜も星も月も大嫌いになってしまったから。
美しいと、素直に思いたくなかった。
「俺はエラがいてくれればそれで良い。こうして無事に戻って来てくれただけで良いんだ」
「…ただ生きているだけじゃ、私の存在意義が無い」
「無くても良いじゃないか。今迄散々求められてきたんだ、少しくらい休んだって良い」
後悔は山程ある。アメリアは望んでいないと分かっていても、何度も詫びたし自分を責めた。守らなければいけなかったのに、守れなかった。
だがもう疲れて動きたくないのだ。日がな一日、何もせずにぼうっとしていたい。そうしてみても、何も変わらないことくらい分かっている。数日試してみて充分に理解した。
だが、もう頑張るという事をしたくないのだ。
「存在意義が欲しいのなら、俺の為に生きてくれよ」
「アルの為?」
「そう、俺の奥さんになって、家で俺の事を待っててほしい。俺が帰ったら、おかえりって出迎えて、一緒のベッドで眠るんだ」
「話が飛躍したな」
思わず吹き出しながら、もしもアルフレッドの言う通りにしたならどうだろうと考えてみた。
だが、アルフレッドの考える未来がよく分からない。令嬢として生きていたのだから、良家の妻として過ごしていれば良いのか、それとも家事をして夫の帰りを待てば良いのかすら分からなかった。
「…その場合、私はどうすれば良いんだ?王族の末席の妻として過ごせば良いのか?それとも新兵の妻として家事をして過ごせば良いのか?」
「え?あー…結婚するなら城を出たいな。一応王都に家を買えるくらいの蓄えはあるけど」
「ふうん…家政婦を雇いつつ私も家事をすれば良いんだな」
成程と真面目に考え始めたところではたと気付く。何をアルフレッドの冗談を真に受けて考え込んでいるのだろう。
軍服を脱いで、毎日ドレスを着て夫の帰りを待つ生活だなんて絶対に退屈だ。幼い頃からずっと、何度も願って想像した未来。許される筈も無い未来。それをほんの少しでも考えてしまった事が、何だか可笑しくなってきた。
「はは、何を馬鹿みたいに真面目に考えてるんだろうな、私は」
「俺は割と本気で言ってるんだけどな」
「私が大人しく家庭に収まってる女だと思うか?どうせ暫くしたら暇だ退屈だと騒いで外に出たがるぞ」
「…想像出来るな」
クスクスと二人で笑いながら、アルフレッドはエラの体をきつく抱きしめる。
何処へも行かないように、此処に居てくれと言いたげに。
「エラが望むのなら、俺はいつだってそうする。逃げ道はある。だから、エラの好きにすると良い」
「うん。ありがとう」
大人しくアルフレッドの腕の中に収まりながら、エラはほっと小さく息を吐いた。
やりたい事も、今後どうしたいのかも、どうすれば良いのかも分からない。だが、立ち止まっているだけではいけない事は分かっている。
何があっても傍に居てくれる人がいる。それを確認出来ただけで満足だった。
「テルミットに帰るよ。家族が心配してるだろうから」
「…分かった」
「少し休んで、また王都に戻って来るから。お土産沢山抱えてくる」
何が良い?そう笑ったエラを見つめながら、アルフレッドは口元を綻ばせた。
この女は本当に残酷だ。弱った姿を見せてはくれるのに、どうしたって手の中に落ちてきてはくれないのだから。
「美味しい酒」
「度数高いのしか無いからな?」
結婚を申し込んだ筈なのに、いつの間にか土産の相談を始めてしまった想い人を腕の中に抱えながら、アルフレッドは小さく溜息を吐いた。




