花
ようやく薄暗い小門から抜け出た途端。
日射しと共に、歓声にも似た呼び込みの声に襲われた。
「果物っ、果物はいらんかねー!?」
「串焼きがいい色に焼けてるよぉっ。安いよ! 安いよ~!」
「ちょいと小腹が空いたなら、パンでもどうだい!?」
門前広場に市が立ち、露店が軒を連ねている。昼下がりという時間帯故か、食べ物系の出店が特に、活気に満ちているようだった。ガメリオンでは見かけなかった光景である。
その食べ物の匂いに釣られて、服の隙間から蝶妖精が飛び出してきた。青と黒の羽が太陽の光を浴びながら、風を切っていく。その小さな細い手足を伸ばし、垂れ目がちの紺碧がより一層細められる。
「ん~~~っ、おなか、空いたーっ!」
身を隠していたことなどすっかり忘れたように、のびのびしている。
そしてセレンの頭上で周囲を見回し、物色し始めた。
「すっごーい! ひといっぱいね、セレン!」
「ファラーシャの好きなもの、あるかなあ」
体格が小さいためか、蝶妖精という特性か、ファラーシャの食事の間隔はひととは大きく異なる。気がつけば花に頭を突っ込んでいる、と言えばわかりやすい。一日三食と言わず、しょっちゅう何かを食べている状態だ。しかも、食べるとMPの回復速度が上がるというお得体質でもある。もともとのキャパシティがそれほどないので、これはとても助かる仕様だった。癒しの術を扱うファラーシャだが、旅路には多くの花が咲き乱れていたため、少しも困ることはなかった。
ずっと隠れていたということもあり、飛び回るのが楽しいようだ。しかし、やはりテディベアと合わせて目立つようで、子連れの買い物客などには指をさされている。
シオンとセレンの間を、時折、足をその肩や頭へ下ろして舞うように飛び上がる。セレンは周囲から彼女へと視線を移し、手を伸ばした。心得たように、ファラーシャはその手に舞い降りる。
「あの、お花、いりませんか?」
「お花!?」
いつのまに近寄っていたのだろう。
シオンほどの背丈の少女が、小さめのかごいっぱいに花を詰め、その手にも一輪握って差し出していた。白と黄と紫の色合いに、セレンは不思議な感覚を味わう。
十歳に満たないように見える少女は、小汚い、という形容の似合う風体をしていた。かつては生成りだったろう服は土埃にまみれ、奇妙な文様を描いている。ただ、顔つきはゲーム界の住人らしく、整っていた。やせこけた印象もあり、貧しさを演出している。
しかし、そんなことよりも「お花」の単語に目の色を変えるのがファラーシャである。
さっそく差し出された白い花へとふらふら吸い込まれかけていた。
その羽を、むんずとシオンが掴む。
「ファラーシャ、それ売り物だよ」
「う……セレン……?」
羽が折れやしないかとひやひやしていたのだが、ファラーシャの上目遣いに無事を確信する。
そして苦笑し、少女へと尋ねた。
「いくら?」
売れる気配を察したようで、少女は目を輝かせる。そして、かごから花を摘まみ上げた。十本ほどが束ねられている中で、一際小さなつぼみをつけた一本がぴょこんと脇へ飛び出していた。
「一束、一コープル! ……ありがとうっ」
セレンは銅貨を一枚とそれを引き換えた。喜色満面として、少女は礼を言う。
不格好に飛び出したつぼみを摘まみ、今もなお掴まれたままのファラーシャの髪に挿す。ファラーシャの髪に飾ると、頭に比して大きなつぼみが今にも咲きそうに見える。まるで花妖精だなと、口の端を緩ませた。
「似合うよ、ファラ」
「えへへ……」
セレンに褒められ、ファラーシャが身をよじる。シオンはそのまま、セレンの持つ花束へとファラーシャを近づけた。
「ほら」
「わーいっ」
ようやく解放されたファラーシャは、嬉々として花に顔を突っ込む。花束をにぎった手を、小さな両足が踏みつけた。
どちらかと言えばあまり機嫌がよさそうではないシオンの声音に、セレンは首を傾げた。
そういえば、シオンは……花を頭に飾られて、喜ぶほうなのだろうか。
「シオンも、飾るか?」
「シオンはいいよ。ファラーシャのごはんをつけて歩くのってちょっとアレだし」
小さくかぶりを振り、テディベアは断った。ファラーシャにしてみると、シオンの頭上でくつろぎながら食事が取れるという素晴らしさだろうが、確かに飾りという意味合いではなくなってしまう。想像して可笑しくなり、互いに肩を震わせた。
が、その黒いまなざしが、少し厳しい色合いを宿す。その先は、とセレンが視線を追えば、花売りの少女だった。
今もまだ、花束を見ている。
否、ファラーシャを、見ている?
二人分の視線を受ければ、さすがに気づく。
少女はびくりを身を震わせ、身を翻した。そして、雑踏へ消えていく。
「いろんな、ひとがいるね」
「ガメリオンより大きな、街だからな」
「でも、お花あってうれしー♪」
花から顔を上げ、黄色を少し頬に散らばらせたファラーシャが声を上げる。反対の手を近づけたものの、頬を拭うには難易度が高い。爪が当たりそうだと躊躇えば、ファラーシャのほうから指先に頬を寄せてきた。
あ、取れた。
早々と満足したようだ。その手に抱きついて留まる。
そして、シオンが花束を引き受けた。いつかの施療院への道のりを思い出し、少しなつかしくなる。
「まあ、小さいファラーシャも心配だけど、シオンだってじゅうぶんかわいいんだから、気をつけなくちゃな」
花束を握ったテディベアは、目を丸くしてから、ぷいっと顔を背けた。
「そんなの、知ってるよっ」
すねた声音に、セレンは「熊妖精を知らなかったら……かわいい見た目に騙されるのは、きっと同じ契約者だろうな」という内心は賢明に呑み込んでいた。
気をつけるべきなのは、セレンであってシオンではない。プレイヤーを敵に回せばいろいろと厄介なのは、経験上よく知っている。そんなつまらない諍いに、ふたりを巻き込みたくなかった。
魔術学院の都合に、プレイヤーたちの思惑まで加われば、本当に妖精たちはひとの社会に翻弄されるだけになってしまう。
黙ってしまったセレンが気になったのか、シオンがほんの少しだけ振り返る。ファラーシャはセレンの手から飛び出し、そのやわらかな毛並みへと着地した。
「シオン、セレンは怒ってないよ?」
「う……そう、かな」
ぽそぽそとしたやりとりも、これだけ近ければ周囲の呼び込みにかき消されることなく聞こえる。不安げなつぶやきに、セレンは手を伸ばした。
テディベアの一体なら、難なく抱き上げることができる。
「これなら、きっと誘拐されないよな?」
「だからっ、誘拐されたってシオンはセレンのところに戻れるってば!」
「頼もしいなあ」
くすくすとしたファラーシャの笑い声を楽しみながら、セレンは露店を見て回ることにした。シオンも、そろそろおなかが空いているだろう。
嫌がって暴れるかと心配したが、シオンはそのまま、しばらくセレンの腕の中で花束を握り締めていた。
その口元は、テディベアの内心を表したように、少し歪んで見えた。




