34.めざめ
今日も海は凪いでいた。
「雲一つない青空」とはいかないが、天気はここ数日で一番の晴れ渡り様であり、水平線上を航行している数隻の魔導船を目視できるほど。
グレースパーム大灯台の2階。
そう呼んでいいのかはわからないが……地上1階から内部の螺旋階段を登った先の踊り場にちょっとした小部屋がある。
簡素な小部屋だ。
そこには暖炉と2つのベッドが設置されており、そのうちの1つがもこっと膨らんでいるのが見て取れる。
設けられた小窓から穏やかな陽光が射し込んでいる。
海鳥の鳴き声がかすかに聞こえている。
もぞりもぞり。
膨らんだ毛布が丸まりながら、ゆっくりと身じろぎをするように動き出した。
───アマネが運んだ少女、クルリアは嗅ぎ慣れぬ匂いに目を覚ます。
「……どこじゃ、ここは」
上体を起こしたクルリアは周囲をぐるりと見渡した。
白塗りの壁。木造りの、木目と骨組みがむき出しの部屋。古びたローテーブルと、あまり清潔とは言い難いベッドと毛布。
そして、わずかに香る潮風の匂い。
「何をしていたんじゃったか……」
ギシリと軋むベッドから降り立ち、光の差し込む窓から外を覗き見る。
海。
そこから見えたのは青々として光を粒状に反射する広大な海だった。
背伸びをして下の方を背丈ぎりぎりで見やれば、港湾のようなものと見慣れぬ市街地らしきものが見える。
記憶を探りながら小窓から離れ、おもむろに自分の身体を見下ろす。
着ている服はいつも通りの白いダボパーカー。すこしだけ土のようなものが付着している。
「……すこし見てみるとしようか」
砂粒のようなそれをはらい落とし、彼女は長く垂れさがる髪をパーカーのフードにたくわえる。そうしてしゃがみこんで片手を床についた。
ついた左手から「ぶわり」とエーテルが広がる。
床を覆い、壁を覆い、部屋のドアを突き抜けて螺旋階段を下り、外の地面にまで。
───灯台。
彼女のエーテルが大灯台を覆い尽くす。
どうやら一番上に人間がいるようだが、それ以外はどうだろうか?
外の森をエーテルが目にも留まらぬ速さで駆け抜ける。
細い小道を辿るように、通る先の地面と木々を覆いながら突き進んでいけば、それはやがて市街地へと行き着いた。
もう少し、広げてみよう。
市街地の整備された地面。そこへ雨水のように彼女のエーテルが浸透して広がっていく。
いくつかの建物を覆って港湾にほど近い場所。
そこに人間が多数集まる広場があった。流れる水。座っているような人間。
このあたりまででいいだろう。
クルリアは左手をついたまま、もう片方の右手をそっと床についた。
エーテルが励起する。
ドンッと空気が震えるような振動が一度だけ。
彼女のエーテルが覆うすべての場所から、紫色の光る霧状のもやが一瞬にして舞い上がる。
───釣り場と釣果、売上、船の行き先、航路、トラウマと恐怖、恋人のこと、明日の天候、教会のミサ、信仰、今日の昼ご飯、おすすめの店……。
建物と人間。
それらから得られる残滓の如き、細切れのような情報がエーテルを通して伝わってくる。
「……グレースパーム、ハルモニア……」
そうして風に舞う花びらのように揺らめく数多の情報から、自分の求める2つの言葉を見つけ出す。
クルリアは両手を離した。
励起していたエーテルが空中に溶けるように消えていく。紫色に光るそれは5秒もすれば見えなくなった。
グレースパームとハルモニア。
そのどちらかがこの場所の地名なのは間違いないと、彼女は腕を組みながら考える。
そしてトバリにそんな横文字の地名があるかといえば、彼女の知る限りでは存在しない。
とりあえず、付近に敵のようなものは存在しない。
よくわからないが、あの市街地に行ってもう少し詳しく見て回るのは問題ないだろう。
「───キャアアアアアッッ!!!!」
と、そこまで考えていたところで。
頭上のどこかから、灯台内を反響させるほど大きい悲鳴が聞こえてくる。
とてもただ事ではない悲鳴である。
───そういえば人間がいるんじゃったか?
何があったかは分からないが、様子を見るがてら、ちょっと話を聞いてみるのもいいかもしれない。
クルリアは部屋を後にして、カンカンと足音を響かせながら……上へと続く螺旋階段を登り始めた。




