酷な選択
シュウさん視点での事の顛末。
お楽しみくださいませ!
シュウが用意された部屋で風呂も済ましベッドに横になって微睡んでいた時、ふと凄まじい程の魔力を感じて起き上がった。気配はアレンの自室の方からした。
まさかな、とは思う。アレンの部屋に花夏を残してきたが、ふたりきりにはしていない。いくらアレンの力が強大であろうとも、ユエンには効かない筈だ。ならば花夏に危害が加えられた訳ではなさそうだった。
ならばこの気配は何なのだろうか。アレンの気配ではないとしたら。
嫌な予感がした。
急いで服を寝巻着から日中の物に変え始める。気持ちだけが先行して、ボタンを取る指が追いつかなかった。着替えながら、最後に見た時の花夏の様子を思い出す。何かおかしな所はなかっただろうか?
いや、普通だった。
だがよく考えてみたら普通でいられる方がおかしかったのだ。
アスランが花夏を追って来ているのに、花夏とアレンが和解している事を知り得る筈もないのに、その状態でここに乗り込んできたらどちらかが大怪我をする程ぶつかり合う事が予想されるのに、何故花夏は普通の顔が出来た?
あれは、演技だ。
何故か? シュウを部屋から出す為だ。何か、シュウが部屋を出て行った後に行なったのだ。セシルはまだ部屋に残っていた。あの人はこういう嘘はつけなさそうだから、あの様子だと何も知らなかったに違いない。であれば、セシルが何かされたか。
シュウはボタンの掛け違いに気が付いた。ああ、でもそんな場合じゃない。上からジャケットを羽織って誤魔化す。
靴下を履く。急いで靴も履く。ぎゅ、ときつく紐を縛った。走る可能性もあるかもしれない。念には念をだ。
あの圧倒的な魔力が移動しているのが分かった。こちらに近付いて来ている。シュウは腰掛けていたベッドから立ち上がると廊下に続く扉を開いた。気配のする方向を覗く。
いた。ユエンと手を繋ぎ、花夏がこちらに向かって走ってきていた。
ユエンがシュウと目が合った瞬間、瞬時に踵を返した。眉を顰めたのが遠目からも確認出来た。あいつ、絶対舌打ちしたな、とシュウは思った。一体どこへ向かっているのか。
花夏も一瞬だがシュウを見た。その顔には、焦り。シュウに見つかりたくなかった、そんな表情。何故そんな顔をされなければならない。
シュウが反対するような何かを隠しているからだ。
「ユエン! どこへ連れて行く!」
シュウは腹の奥底から叫んだ。止めなければ、取り返しのつかない事が起こる気がしてならなかった。そして同時に理解した。アスランだ。アスランがすでに呼び寄せられたのだ。そうでなければあの魔力の説明がつかない。
途端にシュウの心の中に嫉妬の嵐が荒れ狂い始めた。もうすでに、花夏はアスランのものとなってしまったのだ。自分が呑気にも部屋で微睡んでいる間に、あのふたりは。
いつかこの時を迎えるのは分かってはいた。ずっと避けては通れない。それ程に強い引力だという事も分かってはいた。だが、シュウにとっては花夏はラースなどという神秘的な存在ではなく、確かにシュウの腕の中にいたひとりの美しい女性だったのだ。
その女性を恋敵にあっさりと奪われた。伝説の下書きに従わざるを得なかった男によって、シュウの愛しい女性が。そして彼女もやはりカラドを選んだのだ。ふたりの間にシュウの入る隙間など元々どこにもなかったかのように、当たり前のように選んだ。
虚しさ、悔しさ、そして怒り。取り残されたシュウに残されたものは、負の感情ばかりだ。
ふたりが階段の奥に消えた。朝、あのふたりは一体どこへ行っていた? 王宮魔術師の執務室、イリヤの所だ。シュウはその場所を知らない。即座に判断した。
シュウは急いでセシルが居るであろう部屋の扉を叩く。
「セシル様! 起きてください、セシル様!」
ノブに手をかける。幸い鍵はかかっていなかった。普段ならあり得ない行為だが、シュウはセシルの部屋の扉を勝手に開け中に入った。
セシルがベッドの上で寝ぼけまなこでシュウを見ていた。服は最後に会った時のままだ。
「あれ? 俺何で自分の部屋に」
「セシル様! 起きてください! カナツがイリヤの所に向かってます! 何か、何かしようとしている!」
「何だと!」
一気に目覚めたセシルが起き上がりそのまま立ち上がった。幸い靴も履いたままだ。一体何があったのか、本人もよく分かっていないようなので聞いても無駄だろうが、花夏の宿した強力な魔力は感じたらしい。一瞬目が宙を泳いだ。
「私は執務室の場所を把握してません、案内いただけますか!」
気持ちが逸る。説明をしている暇はなかった。嫉妬している暇も、今はない。
「ついてこい」
セシルが扉を開けて通路に出ると、一気に走り出した。シュウもすぐ後を追う。セシルが階段を2段おきに飛ばして降りる。シュウも同じように降りる。急げ、急がねば全てが遅くなる。花夏が何を起こそうとしているのかは分からない、だがふたつの月が重なった。その魔力をその身に宿した花夏がアレンの元に向かっている。何か、何かをやるつもりだ。
下の階の通路に出た。セシルがすぐ左に折れる。王の自室がある階下に控えていた衛兵が、いきなりセシルが階上から飛び降りてきたからか仰天していた。
セシルは全速力で走る。シュウも必死で後を追った。遠くに花夏の黒髪がなびくのが見え、消えた。どこかの部屋に入ったのだろう。目的地はあそこだ。
扉の前にふわふわの頭が確認出来た。イリヤだろう。彼には悪いが、今は邪魔だ。魔法でどかしてしまおう。
そう思いシュウが手を上げた。すると、扉を後ろ手で閉じたユエンがイリヤの前に庇うように立った。
――しまった。
てっきりユエンも中に入ったのかと思っていたが、彼は扉を守る事を選んだのだ。セシルとシュウが扉の前に辿り着いた。
「ユエン、どけ!」
「駄目ですよ隊……じゃねえや宰相。邪魔するのは野暮ってやつです」
ニヤリとする。その目には、いつものユエンにはない感情が垣間見えた。抵抗だ。ユエンは、シュウと対峙しようとしていた。
セシルが一歩前へ出てイリヤに話しかけた。
「イリヤ、悪いがどいてくれないか。アレンとカナツが中にいるんだろう?」
「いるよ。でもどけない」
「無駄です、セシル様。無理矢理押し入りましょう」
言った瞬間、シュウがユエンに肩から体当たりをした。が、スルリと避けられた。肩が扉に当たり、ドン!と大きな音を立てた。
「魔法効かないからってそれっすか」
「お前がどかないからだ!」
シュウが扉の取っ手を掴んで回そうとするが、びくともしない。横にのんびりと立っているイリヤを振り返る。
イリヤがクス、と笑った。
「向こうから開けないと開かない魔法がかかってるよ」
「イリヤ、何でそんな事を」
セシルはイリヤには弱い。シュウのように相手を倒してやろうなどという気持ちがない。これでは駄目だ。こうしている間にも、花夏の身に何かが起きている可能性がある。
「じゃあこうだ!」
取っ手が回らないなら、扉を壊せばいい。シュウが魔法を扉全面に対し放ち、力いっぱい叩いた。割れてしまえ、そう思いながら何度も何度も。まだ、花夏のあの魔力が感じられる。今なら間に合う。
扉の板の部分に亀裂が入る。ユエンが呆れたように見ていたが、すっと扉の前に立った。その瞬間、シュウの力がかき消えてしまった。
「どけってば! 何で邪魔するんだ!」
シュウの声には懇願の色が混じった。ユエンが少し憐れむような目をした。
「宰相、貴方の望みを通すと花夏の意思が通らないからですよ」
花夏の意思。
その言葉を聞いた瞬間、シュウの身体の力が抜けた。シュウは手に入れる事の出来ない花夏。それでもそれだけは守ってあげたかったもの。彼女の意思、だ。
それを今、シュウは彼女から取り上げようとしているのか。
ユエンが続ける。静かな声だった。
「カナツに助けを求められて俺とイリヤは協力したんです。カナツは、貴方達に話しても止められるのは分かっていたんです。彼女の意思を無視しても止めに入るのが分かっていたから」
隣でイリヤも頷いた。
「ラースは貴方達のいるこの世界の仕組みを守ろうと思った。カラドも守ろうと思った。でも自分の幸せも欲しかった。陛下には陛下の、僕には僕の希望もあった。僕はその最適な方法を提案しただけだよ。選んだのは彼女だ」
「カナツの……幸せ?」
それでは、花夏は自分を犠牲にしてまで何か事を起こそうとした訳ではないのだろうか? ならば何故逃げた? 何故シュウに話さなかった?
イリヤが幼い顔の中に老齢さを漂わせながら言った。
「アレンは今を選んだ。そしてラースは未来を選んだんだよ」
イリヤの言葉の直後。
執務室の中から溢れんばかりに発されていた魔力が、唐突に感じられなくなった。ユエンがシュウの隣にきて、腕を掴む。
「落ち着いてくださいね。間違っても魔法を使わない様に」
シュウは唖然として、自分の腕を掴むユエンを見た。唇が思わず震える。
「どういう……意味だ」
シュウを見上げるかつての部下の瞳には憐憫の色が見えた。
「どちらにせよ宰相のものにならない事は分かっていた事ですよね? 貴方には酷な選択かもしれませんが、それが彼女の意思だったもので。宰相にしてみれば他国まで連れて来られて仕事までやらされた上にこんな結末でとんだとばっちりなのかもしれませんが」
酷な選択、こんな結末。全く意味が分からなかった。考えたくなかった。
「宰相がお嬢さんを選んだように、カナツはアスランを選んだんです」
ノブが回った。
向こう側に立っているのは誰だろう。シュウはもうただ立ち尽くす事しか出来なかった。そう、ユエンの言う通りだ。シュウはヤナを選んだ。始めからヤナ一択だった。だけど、それでも花夏を手に入れる事が出来ないか考えてしまっていた。欲張りなのはシュウだ。シュウが花夏の選択すら奪おうとしていたのだろうか。少なくとも花夏はそう受け取っていたのか。
扉が開いた。黒髪、赤い服。花夏だ。花夏じゃないか、いるじゃないか。
花夏が部屋から出てきた。感じる違和感。
花夏がこちらを見ない。いつもならシュウを真っ先に探す筈なのに、シュウを見て安堵の顔になる筈なのに、何故見ない?
何故セシルを見つめている?
セシルは花夏に見つめられて挙動不審になって視線を泳がせている。シュウの腕を掴むユエンの手に力が籠った。
花夏が笑った。あの笑い方は。
「そうびくつくな。取って食いはしない」
「……ナツは」
シュウの声は掠れていた。花夏がようやくシュウを見た。その顔には、今までのシュウに対する温かさは全くなかった。
「……カナツは、どこへ行った? カナツをどこへやった!?」
「流石カルセウス殿」
花夏が薄く笑った。
ああ、なんてことだ。シュウの心に押し寄せるのは、絶望の闇。
「僕がアレンだってもう気が付いたんだね」
花夏の声で、アレンが言った。
シュウの、光。それが、いなくなってしまった。
足元から崩れ落ちそうになるのを、隣のユエンが支えてくれていた。
次回は明日投稿予定です。




