選択
悲しい、悲しい選択を行ないます。
じっくりとお読みいただけると嬉しいです。
ヤナは、父親の涙に戸惑ってしまった。
母のセリーナの死以来、ふざけたような涙を見せる事はあっても、このような純粋な涙を流すところは見た記憶がなかった。自身の感情すらコントロール出来る、そんな強い人なんだとずっと思っていた。
だが、違ったのだ。シュウは、ずっと抑え込んでいたのだ。寂しさを。
ヤナが泣いている父親に向かって一歩あゆみを進める。
「お父さん、お洋服汚れちゃうから」
国賓を招くのだ、シュウは今回改めて仕立てた上等な礼服を着用していた。そのあたりがどうも無頓着なシュウの為に、サルタスが無理やり用意させたものだった。シュウによく合う、漆黒の裾の長い礼服。月の明かりのような優しい色の金糸で細かな刺繍が施されていて、黒地に光り輝く月のように映えていた。何だか花夏みたい、とヤナとサルタスで決めた色合いだった。
離れていってしまった、シュウが心を寄せる花夏をせめてその色だけでも感じられるように。
「あ、ごめんヤナ。ちょっと感動しちゃって」
はは、と誤魔化してポケットからハンカチを出そうとしていたが、なかなか出て来ないらしく「あれ?」などと言っている。見かねたサルタスが、自分のハンカチを差し出した。
「シュウ様、こちらを」
「あ、うんありがとうサルタス」
シュウは素直に受け取ると流れた涙をさっと拭きとり、ヤナに笑顔を向けた。
「ヤナ、綺麗だね」
シュウが触れたくないのなら触れない方がいいのだろう。ヤナはそう思い、背筋をピンと伸ばし父親に向き合った。
「お父さんをびっくりさせようと思って黙ってたの。ごめんね」
シュウが大好きだったセリーナは、赤やえんじ色をよく好んで身に着けていた。花夏にも赤いワンピースをあげたりしていた位だ、シュウ自身も好きなのだろう、そう思ったので、ヤナと離れて寂しく過ごしているであろうシュウに見せようとサルタスと用意していた物だった。まさかダルタニア国王の表敬訪問で着用するとは思ってもみなかったが、どこで着ようがこうして喜んでもらえたのならヤナはそれで満足だった。
「最高のプレゼントだよ、ありがとうヤナ」
シュウはそう笑うと、かがんでヤナのおでこに小さくキスをした。
「お父さんも格好いいわよ」
「ヤナがそんな事言うなんて珍しいね」
「私だってたまには褒めるわよ」
親子仲良く会話を交わしていたところ、ソーマが申し訳なさそうに声をかけてきた。
「シュウ様、そろそろシュウ様は王の間にお願い致します」
「もうそんな時間か。分かった。じゃあヤナの事はサルタスとシーラに任せるから」
サルタスとシーラが頷く。シュウが名残惜しそうな目でヤナを見る。
「ヤナ、大丈夫だと思うけど宜しくね」
「うん、任せて! 度胸の良さはお母さん譲りだから大丈夫よ」
「確かにね。――ヤナ、今日は絶対壁を取らない事」
宰相付けの事務官たちはヤナの魔法を知らなかった。ソーマたちが何だろう? という顔をしたが、シュウもサルタスも何も説明しなかった。
「絶対に。約束するわお父さん」
ヤナが力強い目で答えた。
「いい子だ。じゃあ先に行ってるね。楽しみにしてるよ」
そう言ってヤナの頬を軽く撫でると、ソーマと共に執務室を颯爽と出て行った。
今回の花束贈呈、及びその後の立食パーティーでは、ラーマナ王国の長が付く官職の者たち、それにそれぞれの行事を担う官たちのみが列席することになっている。ダルタニア王国側が10名と少人数での訪問だった事もあり、お互い少人数で、との話し合いの上での決定だった。それでも王の間には50名近い人間がダルタニア国王ご一行の到着を今か今かと待っていた。
ダルタニアは強国ではあるが、国王アレンはラーマナ王国王妃フィオーレの実弟である。立場としてはフィオーレの方が上となる為、王と王妃は玉座に座る事になった。フィオーレ曰く、アレンはその辺りはあまり気にしないのでまあ問題ないだろう、との事だった。そのような些末な事に拘るような小物ではないという証拠だろう。
なので、今回シュウはグルニアが座る玉座の斜め後ろに控えていた。シュウは背も高いし身体もがっしりしている。そこに立っていては相手に圧迫感を与えるのではなかろうかと心配したが、グルニアがそこで立てと言うのでそうせざるを得なかった。仕方ないので、せめて極力柔和な笑顔をしてみせよう、などと考えた。側近には嘘くさいと言われる笑顔も、シュウの本性を知らない人間が見ればそれなりに善人に見える事をシュウは熟知していた。
他の官たちは皆、玉座の間入り口から玉座まで真っ直ぐに敷かれている赤い絨毯の通路に沿って立っていた。玉座からの階段を降りたすぐ先に、ヤナがサルタスとシーラに挟まれ待機している。大きな花束を持ったヨシュアは、ヤナにすぐ渡せるようヤナのすぐ後ろに控えていた。
今日は玉座の間の扉は開かれたままだ。扉の向こうの光の中に、数名の影が見えた。
「ダルタニア王国国王陛下アレン・ラゾフ・ダルタニア様、お見えになられました!」
衛兵が高らかに宣言する。その声をきっかけに、控えていたラーマナの官たちが一斉に入り口の方を向いた。光の中から、ダルタニア王が現れた。辺りが静寂に包まれる。
艶のある黒髪がたなびく。その頭には品のいい王冠が乗っている。翡翠色の礼服を見に纏い、後ろに流れるローブは深紅だ。そして何よりも印象的なのが、その赤い瞳。神に愛された事を誰しもが疑わない美貌の中で力強く輝いていた。その、圧倒的な存在感。
これが、ダルタニア国王アレン・ラゾフ・ダルタニアか。
シュウは顔に笑顔を貼りつけたまま、ひやりと冷えるものを感じ取った。瞬時に悟る。この男は、危険だ。半端な覚悟では相手にならない。
アレンの後ろに、あの大きな魔術師の男、セシルが続く。ユエンからの報告通り、あのふわふわの髪をした弟子は今日は一緒ではなかった。その後に続くのは、それぞれダルタニアの官職につく者であろう。皆堂々とした者たちで、流石は大国の官を務めているだけあった。
アレンが絨毯の通路を進む。その横顔を見たラーマナの官たちが、ほう、と感嘆の声を漏らしていた。そういった声には慣れているのだろう、眉ひとつ動かす事なくグルニアの前に立った。
「義兄上、突然の訪問にこのような歓迎の場を設けていただき、誠に有難うございます」
アレンが軽く一礼をした。グルニアが頷く。
「このような簡易なものとなってしまい申し訳なかったが、ごゆるりと寛いでいただきたい」
「お心遣い感謝致します」
この食えない義兄と義弟の表面上のやり取りが速やかに交わされる。お互いそのような事は全く思ってもいないだろう事も、シュウはよく分かっていた。
「続きまして、宰相シュウ・カルセウス殿のご息女であらせられるヤナ・カルセウス嬢から花束を贈呈させていただきます」
宮内府の官長が、少し上ずった声で言った。シュウがヤナを見ると、特に緊張した感じもなくにこやかにヨシュアから花束を受け取っている。我が娘ながら大した度胸だ、とシュウはヤナを誇らしく思った。
大きな花束はヤナには大分大きいようで、半ば抱えるようにして花束を持った。ヨシュアはどうも調子に乗って盛り過ぎてしまったようだった。
花束の上から顔を覗かせて、ヤナが静かにアレンの方に向かう。アレンがヤナを静かに見下ろした。小さく微笑んでいる。
ヤナが、週末に叩き込んだ祝辞を口にする。
「アレン・ラゾフ・ダルタニア国王陛下。我がラーマナ王国へようこそいらっしゃいました。歓迎の意を表して、こちらの花束を贈呈させていただきます。是非お受け取りくださいませ」
たどたどしくも一字一句間違える事なく祝辞を述べたヤナが、大きな花束をアレンに差し出す。だがその途中でアレンの赤い瞳を見ると、その手が止まってしまった。
その場にいる者は皆、ヤナがアレンの美貌に見惚れてしまったのだな、と思ったに違いない。シュウですら、一瞬そう思った。
ヤナの目に浮かんだ恐怖の色を確認するまでは。
花束を持つヤナの手が震え始めた。静寂が場を支配する。
アレンは変わらず薄っすらと笑みを浮かべている。何を考えているのか分からない、美しい笑みだった。
シュウは今すぐヤナの元に駆け寄りたかった。サルタスの方を一瞬見ると、サルタスはヤナの顔が見えていないのだろう、怪訝そうな顔をしているだけだった。ああ、駄目だ。
シュウはヤナを見た。
早く、早く渡してしまえ。終わらせてしまえ!
そう心の中でヤナに強く話しかけた。もしかしたら、その声がヤナに届いたのかもしれない。ヤナの恐怖に満ちた目がシュウの目を捉えて、少し安心したものとなり、シュウに目だけで小さく頷いてみせた。
ヤナは再びアレンを見上げ、震えながらも花束を更に掲げた。
アレンが笑みを浮かべたまま、花束に両手を伸ばす。花束を抱えるヤナの手に、自分の手をそっと重ねた。
そして実に楽しそうに、ヤナに向かって言った。
「君、知ってるね?」
その瞬間。
辺りが瞬時に暗闇に包まれた。「何だこれは!」と声を荒げる官たちの声が鳴り響く。シュウは焦ってヤナを見た。暗闇にいる筈なのに、見つめ合うヤナとアレンの姿がはっきりと見えた。その手は重ねられている。
――これは、ヤナの魔法だ。
暗闇を見上げる。星のような無数の小さな明かりが見え始めた。それが、一斉に下へと流れ始めた。始めはゆっくりと、段々早く。
官たちが叫び声を上げて逃げ惑う。頭を抱えてしゃがみ込んでいる者もいた。
星が物凄い勢いで降ってくる。シュウは天を見上げた。線となって流れる星の奥に、淡い金色の光と、寄り添うような青白い光が見え始めた。
あれは。
ヤナがアレンの手を振り払おうとしたが、アレンはヤナの手を離そうとしない。楽しそうに、実に楽しそうに笑っている。抑えきれず、声を漏らして笑っていた。
「カナツ……! いやあ! カナツ、逃げて!!」
ヤナが叫んだ。
その瞬間、呪縛が解けたかのように身体が動いたシュウは、急いでヤナの元に駆け寄ると、ヤナをアレンから無理やり引き剥がしシュウの腕の中に奪い取った。
花束が床に落ちる。
光のシャワーが消えた。
恐怖でパニックになっている官たちの中心で、シュウとアレンは見つめ合っていた。アレンの後ろに控えていたセシルが、驚愕の表情でアレンを見ているのが視界の片隅に入った。
シュウの腕の中のヤナが、震えて泣いている。シュウは、ヤナをきつく抱き締めた。
アレンがシュウを見つめたまま囁いた。
「あとちょっとだったのに、残念」
そして、妖艶な笑みを浮かべた。シュウの首の後ろがゾクッとして背中にかけて鳥肌が立った。そんなシュウの様子を知ってか知らずか、アレンが一歩シュウに近づいてきた。シュウは思わず一歩後ろに下がる。グルニアがアレンを厳しい表情で睨んでいるのが見えた。
「アレン、やめよ」
「義兄上は黙っててください。これは、私とこのお嬢さんの問題です」
「アレン!」
グルニアが止めるが、アレンは聞かない。手が、シュウの腕の中のヤナに触れそうになった瞬間。
シュウの背後から来たサルタスが、ヤナを奪い取った。シュウがサルタスに短く言う。
「行け。後は何とかする」
サルタスが小さく頷くと、ヤナを抱えて王の間から飛び出して行った。それを見て、アレンがこめかみをピクリとさせ、シュウを睨みつけてきた。
「僕はあの子に用があったんだけど」
口調が変わった。これがこの男の本性だろう。怒りが魔力となって立ち昇っているのが見える。恐ろしい、恐ろしい力だった。
「貴方が求めているのは、彼の人の痕跡でしょう」
シュウが静かにアレンを見下ろす。グルニアの視線を感じたが、今は振り返られなかった。
「……そうであれば?」
挑むように笑うアレン。ああ、結局こうなっちゃったか、そう思ってシュウは頭を抱えたくなったが、始めから決めていた事だ。ヤナを取るか、花夏を取るか。
ヤナを取ると決めていた。それは変わらない。変えられなかった。
シュウが目を細めてアレンを見つめ返す。
「娘に手出しは無用です。私が存じ上げております。私を思う存分お使いになられるがいい」
出来れば口にしたくなかった言葉を紡ぎ出し、シュウも挑むようにアレンを見返した。
後ろにいるセシルが、悲しそうな顔をしているのが見えた。
次回は月曜日(2020/10/26)更新予定です!




