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旅の始まり

花夏が移動を始めました。ようやく旅の始まりです。


日々更新チャレンジ達成中です!(2020/9/24)

※3点リーダ等微修正しました(2020/10/29)

 サルタスの宣言通り、太陽が天辺を超えてしばらくの後、花夏達は次の町に辿り着いた。


 シエラルドのような城塞都市ではなく、町をぐるりと石で出来た外壁が囲んではいたが、城はない。花夏が聞くと、サルタスが教えてくれた。


「ここは商業が発展し作られた町なので、城はありません。領主が治める町にはシエラルド程ではありませんがお城もありますよ」


 結界の敷ける範囲の問題からここのところ大規模な戦争もないため、町の外壁は盗賊や魔物といった理不尽な暴力に対しての対策として設置されているそうだ。


 花夏の世界、少なくとも花夏の住んでいた郊外では、目に見えて分かる町と外との境界線はなく、町と町との間に空白はない。


 シエラルドを見ても思ったが、全体的に人が少ない。ラーマナが寒冷地だからなのか、この世界はそもそも人口が少ないのか。まだまだ知らない事が多い。


 町の中に入ると、シエラルドの石畳みとは違い、道路は土が踏みしめられたものだった。雪の塊と溶けた水とで、所々泥になっている所があるかと思うと、乾いた砂が時折風に舞う。マントは、身を隠すだけのものではなく、こういったものからも身を守ってくれるものなのだ、と花夏は実感した。

 アルは、町の入口近くにある厩戸うまやどに預けた。


「まずは宿に部屋を取ります。私が後ろに付いてますので、今日から手続き、支払いは全てカナツがやりましょうか」

「分かりました」


 流石にシエラルドでは宿屋に泊まる事はなかったので、ぶっつけ本番だ。

 通りを歩きながら、看板をキョロキョロと探す。星のマークが宿屋のマークだ。あった。


 入口は広く、こざっぱりとしている。よく見ると、宿屋の隣にギルドがあった。成程、提携宿のようだ。


 中に入ると、そこそこ広い。木製のカウンターがあり、中には初老の髭もじゃの恰幅のいい男性がいた。まるで熊のようだ。店主だろうか。何かを書いていてこちらにはまだ気付いていない。


「あの、今日泊まりたいんですが」


 熊っぽい男性がこちらに気付く。にこ、と人の良さそうな笑顔になった。熊おじさんだ。


「いらっしゃい、おふたりかね」

「はい。1泊なんですが」

「部屋はどうします?相部屋だとひとり1000ルカ、個室だと1部屋で2200ルカだよ。風呂付きの部屋は2500ルカ、みんな朝食付きだよ」


 宿屋にも風呂はあるらしい。300ルカで夜ご飯1食分くらいの価値がある。日本のおよそ半分くらいの相場であろうか。


「カナツ、風呂付きでもいいですよ」


 迷っていたカナツに、サルタスがそっと耳打ちする。これからは節約していかねばならないのだが、正直入りたい。だがいいのだろうか。


「この先、徒歩の場合夜営も続きますので、入れる時に入っておいた方がいいですよ」


 成程、それはそうかもしれない。


「じゃあ、お風呂付きでお願いします」

「はい、じゃあ前金だから、2500ルカね」

「はい」


 帯の間から、ガサゴソと紐付きの革の財布を取り出す。縛っていた紐をくるくると解き、中のコインを3枚取り出した。1000ルカコインだ。


 熊おじさんの熊のような手にコインを乗せる。おじさんがガサゴソと下の引き出しから500ルカコインを探して花夏の掌に乗せた。


「はい、じゃあこれ鍵。2階の一番右奥ね。朝食はギルドの隣にあるお店、この鍵を見せてね」


 鍵には紐が付いていて、星のマークのキーホルダーが付いている。


「分かりました、ありがとうございます」

「新婚さん? いいねー初々しくて。壁薄いから気を付けてね!」

「?いや、あの、何を? ……まあ、はい」


 何か勘違いされているようだが、まあたかが1泊、大した問題ではないだろう。

 

 首を捻りながら階段を登っていく花夏をサルタスが背後から見、静かに深い深い溜息をついた。







「ここですね」


 2階の右奥、廊下の突き当たりにはガラス窓がはまっており明るい。先程もらった鍵で扉を開けると、ふたりは中に入った。中もとても明るい。角部屋だからか、2面にガラス窓があった。生成りのカーテンは今は開いている。

 部屋には、大きめのベッドがひとつ、小さなサイドテーブルがひとつ。高さの低い箪笥の奥には風呂だろう、小さめの扉がある。


(ちょっと待て)


 何故ベッドがひとつしかないのだろう。


「あの、サルタスさん、宿屋ってベッドがひとつが普通なんですか?」


 サルタスが荷物を箪笥の上に置きながら答える。


「いえ、そういう訳ではないですが、先程店主が私たちの関係を勘違いされておりましたので、あえてこの部屋をあてがわれたのかと」


 私たちの関係。花夏は先程熊おじさんがふたりの事を『新婚さん』と呼んでいた事を思い出した。顔が赤くなるのが自分でも分かった。壁が薄いから気を付けてとも言っていた。何に気を付けるのか? 勿論、あの時の声だ。その事にようやく思い至った。


「さ、サルタスさん、どうしましょう」


 真っ赤になっている花夏を見て、サルタスは相変わらずの鉄面皮であっさりと言ってのけた。


「同じベッドでも私は構いませんが。ここにはシュウ様もヤナもいらっしゃいませんし、万が一間違いがあったところでバレやしませんから」

「ま、間違いなんてありません!」


 慌てて否定する花夏の顔をしばらく無言で見ていたサルタスが、我慢出来ずに腹を押さえて肩を震わせてくつくつと笑い始めた。花夏は、自分がからかわれていた事に気付いた。


「ちょっとサルタスさん! ふざけないでください!」


 しばらく楽しそうに笑っていたサルタスだったが、笑いが落ち着いたところで花夏の肩をぽん、と叩いた。


「失礼致しました。どういう反応をするのかつい見たくなってしまいまして。店主に交渉してきますので少々お待ち下さい」


 そういうと颯爽と部屋を出て行った。花夏はしばらく手で額を押さえてただ立っていた。どうしてこう、シュウといいサルタスといい、男共は人をからかって遊ぶのだろうか。日頃はとても真面目なあのサルタスでさえもああだ。やはり、まだまだ花夏は隙だらけなのかもしれない。


 まだまだ、学ぶ事は多そうだった。







 結局、サルタスがどう交渉したのか、ひとり用のベッドがふたつあり、真ん中に衝立が立てられた風呂付きの部屋に交換してもらうことが出来た。


「ひとりの時は問題ありませんが、連れが出来た場合は必ず必要なベッドの数を先に言ってください」

「それを先に言ってくださいよ」

「普通に気付くかと思ってましたので」

「……すみません」

「いえ、面白いものが見れたのでよかったです」

「安定の鬼の所業ですね」

「いえ、シュウ様ほどではありませんよ」


 時折思い出し笑いをしてこちらをちら、と見るのは本当に勘弁してもらいたいが、とりあえず何とかなったので花夏はこれ以上深掘りをするのはやめる事にした。


「やはり、馬にも乗れる女性用のズボンを買いましょう。胴着でもいいですが、胴着で町を歩くと目立ちますので」

「分かりました」


 どうもその為に今日は早めに町で1泊する事にしたらしい。確かに花夏はワンピース、ワンピースに合わせるスパッツのようなもの、胴着と寝巻きしか持っていない。サルタスの野営セットには服は含まれていなかった為、先ほど念のため持ってきた服を確認された。サルタスがあれとこれと、と指を折って数えている。全然足りていないようだ。


「すみません、男なら洗って乾くまでの間半裸で移動しようが構わないんですが、女性はそういう訳にはいきませんから。失念しておりました」

「いえ、山から降りてくる時も普通の服だったんで、こういうものかと思ってました」


 サルタスに促され宿屋を出た。昼過ぎだというのに、人通りはまばらだ。やはりシエラルドよりは人が少ないのだろう。


「夜を外で過ごさない距離を移動されるのであれば普段の服でも問題ありませんが、やはり野営となると女性ひとりでは危険です。町の外ではなるべく目立たない服の方がいいですね」


 本当は、護衛をしていただけるような方が出来るといいんですが、とサルタス。


「ギルドで募集する事も出来ますが、女性ひとりが護衛を雇うのもそれはそれで危険が伴います。ギルド経由だからといってまともな人間ばかりとは限りませんので」


 つまり、あまりギルドも無条件に信用するなという事だろう。彼らはあくまで仲介なだけなのだから。


「それに、ずっと雇い続けるにはお金がかかります。この先いつまで続くか分からない旅で雇い続けるのは、現実的ではないでしょう」


 確かにそうだろう。花夏が頷く。いくら花夏が剣の手ほどきを受けた身とはいえ、人と斬り合いなどはした事はなく、複数相手の場合はひとりでは対処しようがない。


「護衛になりうる人をうまく見つけられたらいい訳ですね」

「なかなか難しいとは思いますが」


 ただ、とサルタスが言う。


「とりあえずすぐに触ってくるような男は即時排除してください。貴女に貞操の危機があったとシュウ様に知れたら、私が殺されます」


 即時排除。言い方が半端ない。


「男の急所はご存知ですよね?」


 あそこのことだ。流石に花夏も分かる。


「はい」

「触るのも嫌かもしれませんが、危険な時は遠慮なく踏み潰して下さい。再起不能になるのでは、などと考えなくてよろしいです」

「つぶ……」

「はい。遠慮してはなりません」


 ドン引きしている花夏に、サルタスはあくまで真面目な顔で淡々と教える。


「多分、死にはしません」

「多分」

「ええ、多分」


 サルタスが深く頷く。


「とにかく危険を避けるのが一番なので、なるべく乗合馬車など使ってください」

「わ、分かりました」


 そんな事を話している間に、服屋の前まで来た。サルタスが服を選び始めた。上は黒やグレーのような目立たない色のワンピース、下はタイパンツのような少し幅広のズボン。あまり持てないだろうということで上下2着ずつサルタスが買ってくれた。


「南の方が暖かいので、ダルタニアから離れる形で南の方角に向かわれるのがいいかと思います」


 暖かいと野営が楽ですから、とサルタス。


「ひとつの町に多少は長居されても問題はないと思いますが、何があるか分かりません。常に追われている事を念頭に、長居し過ぎぬようご注意下さい」

「分かりました」

「古着は売れます。多少破けてても、洗って売ればお金になりますので、着ない服はどんどん売ってください」

「……はい」


 花夏が段々不安そうな表情になったのが分かったのだろう、サルタスが申し訳なさそうにした。


「すみません、脅してしまいましたね。勿論いい人もいますから」

「いえ、今まで本当にハルナやシュウさんに守られてたんだなあと実感しました」


 この先ひとりでまだ見知らぬ世界に出て行かねばならないのは、正直なところ怖い。不安だらけだ。いつまでかかるかも分からないし、元の世界に本当に戻れるのかも分からない。分からないことだらけだけど。



 今は、繋がっている人たちがいる。


「手紙、書きます」

「はい。全てヤナ宛にしておいてもらえるといいかと思います。シュウ様宛だと他の者の目に止まるかもしれませんので」

「分かりました」


 支払いを済まし、サルタスが花夏を促して宿に向かう。


「とにかく、雪がないところまでは私も一緒に行きます。あと3日4日程にはなると思いますが、それまでは私を思う存分頼っていただいて結構ですよ」


 珍しく優しく微笑むサルタスを見て、花夏は不安が少しだけ和らいだ事に気付いた。


 流石サルタス、出来る男。花夏の不安も取り除けるとは。ほっとした花夏が、警戒のけの字もない曇りのない笑顔で笑いかけた。


「ありがとう、サルタスさん」

「どういたしまして」


 シュウが見ていたら嫉妬して頭を掻き毟るであろう事に、花夏は気付いていない。まだまだ不安だ、とオカンのように心配するサルタスであった。







 翌朝、朝食を済ましたふたりは宿を後にした。去り際に、熊のような店主に「勘違いしてごめんね〜」と声をかけられた。誤解が解けて何よりだ。


 厩戸にアルを引き取りに行き、西南へと引き続き向かう。真っ直ぐ南下してしまうとダルタニアに入ってしまう為、目指すはラーマナの南西に位置するリュシカ王国である。ラーマナとはあまり仲良くはないが、その分ダルタニアとも仲良くない為、干渉は少ないという。その後、海に面した西の大国ヴァセル王国に行くのが大まかなルートだ。このヴァセルという国も、ダルタニアよりも小国という立場に不満を持ち、あまりダルタニアに好意的ではない。ルートとしては無難といえよう。


 ラーマナは東西に横長いが南北は比較的短い。花夏がいた王都シエラルドはラーマナの北西に位置する為、リュシカまでは比較的近い。


「アル、今日もよろしくね」


 アルの頬を撫でる。温かい。


 花夏がまずアルに跨り、次にサルタスが花夏の後ろに跨ると、左の腹を軽く蹴り進めの合図をアルに送った。アルが歩み始める。


「今日は少し長めです。昼前頃には小さな村に寄れますので、水分は控えめに」

「分かりました」


 なんせ辺りは大分溶け始めたとはいえ広い雪原だ。まだこの時期は行商人以外の通行は少ないらしいが、それにしても万が一もよおしてしまった場合、非常に恥ずかしい事態になる。


(男の人ならその辺ですればいいかもだけど、流石にねえ……)


 ひとりで移動する時はなるべく森の中を行こう。そう心に決めた花夏だった。






 

「師匠遅いなー」


 シエラルドの街を出てすぐの外壁に、イリヤは座り込んで待っていた。

 師匠のセシルは、イリヤを置いて今日もまた王妃に会いに行っている。従姉妹だというからイリヤも我慢して待っているが、本来は会いたければ向こうから会いに来るべきじゃないだろうか。師匠を呼びつけるなんて図々しいにも程がある、とイリヤは昨日から腹を立てている。


 イリヤの基準は強さが全てである。畏怖を感じさせない相手は全て自分以下の存在だ。その自分よりも上の存在の師匠セシルを呼び出すなど、勘違いも甚だしい。


「つまんないなあ」


 ぶちぶちぶちぶち、不満が止まらない。


「おーい、どうした?」


 外壁に沿って歩いてこちらに向かってくるひとりの男がいた。ガッチリとした体型だが、背はそこまで高くない。大きな鼻が平べったく、なんとなく間延びした風に見える。茶色いボサボサの髪をそのまま垂らしている。手には、斧。反対の手には、狸だろうか、首から先がない動物の尻尾を握っている。狩りをしていたのだろう。ご苦労な事だ。


 イリヤは男を無視をした。見知らぬ人間を相手にする程、イリヤはお人好しではない。そんなイリヤの態度をどうとったのか、男が目の前まで来て獲物を無造作に地面に置く。


「お前ひとりか?」


 そういうと、勝手にイリヤのフードを剥ぐ。フードに隠れていたイリヤの可愛らしい顔が晒される。


「……お前女か?」


 イリヤは童顔の上体も小さく、その可愛らしい大きな目のせいで女と間違われる事も多い。変な男が寄ってくる事も多々ある。勿論、即撃退するが。


「人を勝手に女にするな」


 男にしては高めの声でイリヤが言う。精一杯睨みつけているつもりだが、いまいち迫力がない事に本人は残念ながら気づいていない。


「なんだ子供か。気をつけな、この辺は比較的安全だけど、変なのも多いからな」

「……ご忠告どうも」


 全く動じないイリヤに何を思ったか、男がしつこく絡む。


「お前本当に男か?ちょっと見せてみろよ」


 ニヤニヤし始めている。醜い事この上ない。


「うるさいって言っただろ、消えろ」

「なんだもしかして本当に女か?」


 男はしつこい。横に座ってイリヤの肩に手を回してきた。なんだか臭い。口臭がする。もう片方に握る斧は、脅しのつもりだろうか。手入れの行き届いてない斧だ。血が所々こびりついている。


 イリヤはうんざりして、周りを見渡した。目の前には広がる雪原。イリヤ達の他には誰もいない。



 見られないのであれば、消す事に何の問題もない。


 男がイリヤの胸に手を伸ばしてきた。胸をポン、と叩き、若干残念そうな顔をする。


「なんだ本当に男か、でもお前可愛い顔してるなあ」

「……だからなんだ」

「どうだ、金に困ってるなら俺にちょっと付き合ってくれたら」

「困ってない」

「つれねえなあ」


 男はそう言って斧をイリヤの首に当てた。強硬手段でいくことにしたらしい。暇なことだ。


「最近ご無沙汰なんでなあ。お前くらい可愛いなら男でも構わねえよ。ちょっと付き合え」


 男が下卑た笑いを浮かべる。本当に醜い。イリヤは苛ついて一言。


「断る」


 そして、肩に回された男の手をそっと握った。口元に笑みが浮かぶ。男は、受け入れられたと思ったのか、更に身体を近付けた。


「お、素直でいいじゃねえか……お!?」


 イリヤは艶然として微笑みながら、男の手を更に強く握る。すると、男の手から、段々と水分が失われ始めた。どんどん、まるで木が枯れていくかのように皺が広がる。


「あ、うわ! お前何した! 離せ! 離せよ!」


 男が慌てて手を引き抜こうとする。だが、抜けない。


「ふ、ふふ、あはは! その顔! 馬鹿じゃないの!」


 実に楽しそうにイリヤが笑う。男は恐怖に顔が引き立っている。その顔も今や老人そのものだが、本人は果たして気付いているのかどうか。


 男が持っていた斧が手から落ち、地面に刺さった。


「あ、もうすぐ師匠くるかな? 早くしなきゃ」

「や、やめろ」

「僕にあれだけ触っておいて何言ってんの? やだね、もう止めないよ」


 大きな目を輝かせて、イリヤが一気に魔力を注いだ。男の肌から色が失われていく。ベショ、と地面に落ちた男の体が灰となる。冷たい風が灰をどこかに運んでいき、残された服もその風に吹かれて飛んでいく。


「こっちの方が余程綺麗だね」


 そう呟く。この場に残されたのは、地面に刺さった斧と首のない狸。すると。


「イリヤー? いるかー?」


 セシルの声がした。ギリギリのタイミングだった。セシルにばれると、またお小言を食らってしまう羽目になる。それは避けたかった。


 狸の尻尾を掴むと、イリヤは急いで声のした方に走って行った。


「師匠!」

「何やってんだそんなとこで」


 セシルが呆れたように言う。中で待ってろって言っただろう、と小言を言う。このセシルという師匠は、いつまで経ってもイリヤを庇護すべきひよっことしか見てくれない。でも、それもこの人なら悪くない。


「師匠早かったですね! 見て! 狸もらっちゃったよ!」

「狸? 誰に?」


 セシルは辺りを見回す。勿論誰もいない。そんなセシルを見て、イリヤは実に嬉しそうに笑った。


「すごく親切なおじさんでしたよ!」


 得しちゃった、と笑顔のイリヤに、訳が分からないもののセシルも笑顔になった。


「じゃあ後で焼いて食うか」

「下処理は済んでるみたいですよ。本当いい人でした」

「よかったなあ」


 などと言いながら、ふたりはダルタニアへの帰路についたのだった。







 シュウは、宰相の執務室の自分の机に座り、大きく伸びをした。


「シュウ様、お疲れ様でした」


 そう言ってソーマが淹れたてのお茶を置いてくれた。


「本当疲れたよ。僕、腹の探り合いとか苦手なんだよね」


 しれっと言い放つシュウに、ソーマが呆れた顔をする。この男が苦手ならば、世の中の人間は皆大の苦手であろう。


「よく言いますよ。で、何か進展はありましたか?」

「昨日からの発展は無しだね。本当に王妃の実家のあれこれを話してただけで。ただ」


 シュウがお茶に口をつけ、あち、などと言っている。


「ただ?」

「大陸全ての結界を見終わったと言っていた。ここが最後だったそうだ」


 先日、シュウは自分の新たな部下3名に花夏の事を異世界という部分を抜かして話をした。結界の破損と何かしら関係があるのでは、と疑われ追われている、という話になっている。


 結界を張った後に話されたので、ソーマなどは大分噛み付いていたが、シュウがなぜあそこまで焦って結界を張ろうとしていたのか理解することは出来たらしい。かんざしの話と相まって、何かを勝手に想像したのだろう、その後は何も言ってこなくなった。ありがたい事である。


「しかしダルタニアですか……面倒ですね」

「目的が分からないからね、しばらくは傍観するしかない」

「それだけで大丈夫なんでしょうか」


 ソーマはやや不満そうだ。軍事協定を結び有事の際はその武力を借り受ける事が出来るため、その見返りとして輸入関税を低くしてもらういわゆる特恵関税を享受している身としては、あまりこれ以上関わりたくない相手である。


 ソーマのその表情を見て、シュウは性格の悪そうな笑いを浮かべた。


「相手がどこかさえ分かれば、まあやりようはあるからね」

「……すでに手を打たれたと」

「かもね」


 ソーマは黙り込んだ。この宰相がそう言うならば、昨日の内に何かしら行動を起こしているということだろう。この一見緩そうな見た目に騙されると痛い目に合う。それがここ数ヶ月でソーマが学んだ事だった。


「まあ、待ちましょう」


 そう言って、お茶をずず、と飲み始めたシュウだった。


次回、いよいよサルタスさんともお別れになります!


明日(2020/9/25)更新予定です。

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