やもめと中華の素
帰り着いたのは22時。
まあ特別早くもなく、遅くもなくといったところだ。
いつものように部屋に入り、短い廊下を歩いてワンルームへのドアを開く――
「――わああーッ!!! 帰ったかトラキチィ!!!」
――その瞬間に物陰からタマが元気よく飛び出してきたのだが、俺は一瞥もくれることなく荷物を下ろした。
「おう、ただいま」
「えええっ!? もっとなんかないのか!? びっくりしただろ?」
「いいや、全然」
「ちぇーっ、面白くないな」
元々冷めた性格の俺は、こういったものに驚くこと自体あまりない。
最初にタマが俺の前に現れたときもそうだった。
ぶつぶつと文句を垂れながらベッドに伏せてしまったタマのことは放っておいて、俺は今日の夕飯の支度にとりかかることにした。
*****
さて、今日使うのは三種の神器の最後の一つ――中華の素だ。
これはいろんな名前で売られているし、缶やチューブや粉末など種類も様々だ。
俺はその中でも缶のタイプを使うのだが、深い意味はない。
人それぞれが使いやすいと思うものを使えばそれでいいと思っているのが正直なところだ。
ではまず一品目。先にスープを作ろうと思う。
湯を沸かし、そこに中華の素を入れればそれだけで土台は完成したようなものだ。
はっきり言って簡単すぎる。猿でもできるぞ。
あとは具材を何にするかということだが、今日はわかめと溶き卵にしてみよう。
定番中の定番だが、舌に馴染むからこそ定番なのであって、こういったメニューは裏切らない。
他にどんなものを入れるのかと言われれば、そうだな。
肉団子と春雨なんかも定番でいいと思う。
白菜やきのこもなかなか好きだから、時々入れたりするな。
まあ何を入れるにしても、土台となるスープに小細工がいらないところが、この神器の利点ということだ。
中華の素を入れて油が少し浮かんだスープに、乾燥わかめを一摘まみ。
卵は食べる直前にといていれることにしよう。
最後にゴマを散らすのも悪くないな。
さて、あと二品作るつもりなのだが、どちらも炒めてできるものだから同時進行で行うとしよう。
一つ目のフライパンは人参とピーマンとしめじ。
これも昨日のように人参から炒めるようにする。
ピーマンとしめじはあとからまとめて放り込めばいいだけだからこれもまた簡単だ。
二つ目のフライパンは豚肉から。
赤みが半分くらいになったら切っておいたキャベツをたっぷり投入だ。
醤油と酢を混ぜ、豚肉とキャベツに絡めながらさらに炒めていく。
たれの割合は本当に適当だ。ただ、醤油を多めで酢を控えめにするのが俺流だな。
実はこれ、たれではなくて味噌で炒めてもかなり美味い。
ただ今日は中華風を目指しているから、味噌はちょっとなしだ。
必要な手順はたったこれだけ。"豚肉とキャベツの酢醤油炒め"の完成だ。
そうこうしている間に一つ目フライパンの野菜も火が通ってきた。
このタイミングで俺は、野菜をよけてフライパンの真ん中にスペースを作る。
そこに乾燥した春雨と、それを戻すための水を入れ、蓋をして蒸していくだけ。
先程スープに春雨を入れるのもいいという話をしたが、今日そうしなかったのは春雨をこちらで使いたかったからだ。
いい具合にめんが戻ったら中華の素を入れて全体に味をつけ、"味付けこれだけチャプチェ"の出来上がり。
時間が経つと春雨同士がくっついて、つるつるした食感が損なわれてしまう。出来立てを食べるのが一番だ。
おっと、スープに溶き卵を入れるのを忘れないようにしないとな。
卵を流し込んだら、あまりかき混ぜてはいけない。
スープの中に分散させすぎてしまうと、卵の主張がなんとも寂しくて物足りなくなってしまう。
俺流なら円を描くように流し入れて、線状の塊で漂うくらいにする。
ちょっと塊っぽいほうが噛みごたえがあって、今卵食べてるーって感じがするから好きなんだ。
こうして三品目、"味付けこれだけ卵スープ"も完成だ。
二品目と三品目の名前が似てるとか、そもそものネーミングセンスとかについては何も言うな。
名前で味が変わるのか? 答えは否だ。だから名前なんて何でもいいんだよ。
*****
「んびゃあああーッ! また今日もすごい腕前だなトラキチ!」
「アンタが一口食った後の第一声、もう少しどうにかならんのか」
帰宅した俺を驚かそうとしたものの、リアクションが薄いと拗ねていたタマ。
そんな彼女も飯を食わせてやればこうしてご機嫌になるのだから扱いやすい。
「今日は肉があるな! あたいは肉が大好きなんだ。緑いのと一緒に食べると美味いぞ!」
「キャベツだそれは。ホントにアンタは葉野菜全部同じに見えてるんじゃないかと思うぞ……」
一口ごとに丁寧な感想を述べながらようやく食べ終えたタマは、いつものように床にごろりと転がって幸せそうな顔をしていた。
「ふう、最高だぁ。今日も美味かったぞ、トラキチ!」
「あいよ、お粗末さま」
「しかし、大家が変わると聞いた時はどうなるかと思ったが、トラキチがいるなら安心だな。これからもよろしく頼むぞ!」
「なに言ってんだ。まさか俺がタダでアンタに飯食わせてやるとでも思ってんのか?」
俺の切り返しが意外だったのか、タマは目を丸くして、耳をぴょんと跳ね上げて起き上がった。
「なっ、なんだ……? 何をする気だ? まさか、あたいに乱暴するつもりなのか!? 知ってるぞ! あぁ~れぇ~とくるくる服を脱がせたあと、太い縄でぎちぎちに縛って、それでも必死に逃げようとするあたいに馬乗りになってよいではないか、よいではないか、というあれだな!?」
「いろいろ混じってる気がするが、そんなのどこで覚えてきたんだ。あと、ちょっとニヤニヤするのやめろ。なんか怖い」
「なんだ、違うのか。てっきり襲われるのかと思った」
なぜだか残念そうに首を傾げるタマ。
彼女には俺が一体どんな風に見えてるんだ、と思ったが、聞くのはやめておいた方がいいかもしれない。
「そんなんじゃねえよ。ただ、人間には"働かざる者食うべからず"って掟があってな。これからも俺の飯が食いたきゃ、アンタも俺の手伝いくらいしろってことだ」
「手伝い、か」
「そうだ。実はな、明日は日曜で仕事も休みだし、久々に餃子でも包んでみようと思ってるんだ。自分で食べる分くらいは自分で作ってみないか?」
俺の提案を聞いて、タマはしばらくきょとんとしていた。
やがて彼女は明日の夕食づくりのことを想像したのか、金色の目をキラキラと輝かせ始めた。
「あたいが自分で作る……面白そうだな! やってみたい!」
「そんじゃ、明日は夜じゃなくて夕方に来い。美味いはねつき餃子を食わせてやる」
「羽根つき……? ギョーザとかいうやつが飛ぶのか。斬新だな」
「アンタはほんとに、空気をぶち壊すことに関しちゃ天才的だよ……」
ちょっぴりいいことを言ったつもりが、タマの大ボケで台無しになってしまった。
なんだかちっとも締まらない気がするが、そんなおかしな妖怪とガサツなやもめの奇妙な共同生活は、今はまだまだ始まったばかりだ。
お付き合いいただき、ありがとうございました!
いかがでしたでしょうか。
私自身、コメディ風のお話は初挑戦で、結構難しいなと実感しております。笑
このお話で紹介した料理の中には、作者が普段作るものも含まれているとかいないとか……。
またフォロワー様からテーマをいただいて、勢いだけで書いてみたいものですね。
もしこのお話を読んで気になっていただけましたら、別に投稿しているメイン連載の方も何卒よろしくお願いいたします!