■ 第32話 「静かな侵食」
戦場は静かだった。
不気味なほどに。
裂け目は存在している。
“向こう側”も消えていない。
だが。
攻撃が止まっていた。
ポセイドンが海を見る。
黒い。
以前より広がっている。
しかし。
動かない。
「……逆に気持ち悪ぃな」
ゼウスは空を見ていた。
空の一部が黒く染まっている。
だが。
侵食は進んでいない。
止まっている。
いや。
“観察している”。
アテナが観測を続ける。
「外部存在群、活動低下」
「大規模侵攻反応なし」
ハデスが低く言う。
「止まったか」
「違います」
アテナは即答する。
「学習しています」
沈黙。
誰も否定しない。
“向こう側”は、急に動かなくなった。
それが逆に危険だった。
ロキが裂け目の奥で笑う。
疲れた顔で。
「多分さ」
「今、“考えてる”」
ポセイドンが顔をしかめる。
「考える?」
「どうやって壊すのが効率いいか」
空気が重くなる。
その時だった。
遠く。
小さな神話都市。
そこで。
一人の神が、突然止まった。
沈黙。
次の瞬間。
ゆっくりと、自分の腕を見る。
「……誰だ?」
空気が止まる。
周囲の神々が振り返る。
「何を言っている?」
その神は混乱していた。
自分の名前が思い出せない。
神格が不安定。
存在定義が揺れている。
アテナが即座に観測する。
「……記憶侵食?」
ゼウスが振り返る。
「何だと」
「直接侵攻ではありません」
アテナの顔色が悪い。
「神格情報そのものが、少しずつ削られています」
ポセイドンが舌打ちする。
「また新しいのかよ」
「違います」
ハデスが静かに言う。
全員がそちらを見る。
「最初からあった」
沈黙。
「今までは、戦闘が激しすぎて見えていなかっただけだ」
空気が冷える。
つまり。
“向こう側”は、最初から神話側を侵食していた。
戦場だけではない。
存在そのものを。
ロキが乾いた笑いを漏らす。
「うわぁ……」
「地味に最悪」
その時。
空から、声が響く。
機械的。
感情がない。
「観測継続」
全員が空を見る。
観測層。
Archive。
巨大な“目”。
動かない。
ただ見ている。
ポセイドンが顔をしかめる。
「何もしねぇのかよ……」
返答はない。
アテナが低く呟く。
「まだ、条件ではない」
ゼウスが問う。
「条件とは何だ」
沈黙。
誰も分からない。
その時だった。
黒い海の一部から、“手”が伸びた。
小さい。
人間ほど。
ポセイドンが即座に海を凍結させる。
「チッ」
“手”は消える。
だが。
数秒後。
別の場所から、また伸びる。
アテナが観測を続ける。
「局所侵食」
「小規模接続が始まっています」
ハデスが低く言う。
「侵略ではないな」
「繁殖だ」
空気が止まる。
ロキが笑う。
だが。
今度は本当に笑えていなかった。
「……静かな方が怖ぇな」
誰も否定できなかった。
――観測記録
観測層:第3層
対象:外部存在群
状態:低活動段階
更新:
大規模侵攻停止を確認
変化:
記憶侵食 発覚
評価:
神話側存在定義 不安定化進行
補足:
対象は戦闘以外の侵食手段を保持
追加記録:
局所接続反応を確認
結論:
侵食は継続中
(次話へ)




