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第44話 改築途中の工房





改築工事が始まってからというもの、青ぷよ薬房の一日は以前よりもずっと騒がしくなっていた。


夜明けとともに裏庭では大工たちが資材を広げ、乾いた槌音が小気味よく響き始める。続いて切り出したばかりの木材を鉋で滑らかに整える音がしゃっ、しゃっと流れ、運び込まれた石材が荷車から降ろされるたびに重い衝撃音が地面を震わせた。職人たちの威勢の良い掛け声や寸法を確認するためのやり取りも絶えず飛び交い、昼前になると新設中の洗浄室では水路の通水試験が始まっては、勢いよく流れる水音や排水管を叩いて確認する音が店内まで聞こえてくる。そして夕方になる頃にはゲン爺が腕を組みながら現場を巡回し、「この梁はあと少し削った方が収まりがいい」「扉の遊びが大きすぎる」「この継ぎ目は湿気を吸ったら歪むぞ」「ほれ、そこを見ろ」と次々に指摘を飛ばし、職人たちを苦笑させていた。


もっとも、ゲン爺の場合は端から見れば文句や小言を延々と並べているようにしか見えないのだが、実際にはその大半が現場をより良くするための改善点や経験に裏打ちされた助言であり、本気で不満を抱いている時よりもむしろ仕事が面白くて仕方がなくなっている時の方が明らかに口数が増えるため、最近では職人たちも「ああ、今日は機嫌が良いな」「また始まったな」という顔で適当に相槌を打ちながら聞き流しそれでいて必要な部分だけはしっかり取り入れるという付き合い方を覚えていた。


少し前までの工房で一番大きな音といえば、調合中に釜蓋が圧力でわずかに浮き上がって派手な金属音を響かせる時か、薬液の攪拌に失敗して泡が吹きこぼれ慌てて対処する騒ぎが起きる時か、あるいはミーナが俺の雑な帳簿や日付すらまともに書かれていない在庫記録を発見して額を押さえながら深々とため息を吐き、「どうしてこれで管理できているんですか」と呆れた声を漏らす時くらいのもので、基本的には薬液の煮える音や火のはぜる音が静かに流れる穏やかな場所であり、一日中ほとんど騒音らしい騒音が聞こえない日など珍しくもなかった。


それが今では違う。


店全体がまるで一つの巨大な生き物になったかのように、古い骨組みを組み替え、新しい筋肉を付け直し、血の巡りや呼吸の仕方そのものまで変えながら少しずつ成長しているような感覚があった。建物でありながら生きている何かを相手にしているような不思議な気分になることがあったし、朝と夕方でさえどこか雰囲気が変わって見えるほど工房は絶えず姿を変え続けていた。


壁一枚が取り払われるだけで部屋の広さがまるで違って見え、床板が剥がされれば見慣れた通路が工事用の足場へと変わる。傷んだ柱が新しいものへ交換され、棚が別の場所へ移され、新設された仕切りによって昨日まで一続きだった空間が別々の部屋になることもあった。朝に出勤した時にはあった壁が夕方にはなくなっていたり、逆に何もなかった場所に新しい枠組みが組まれていたりするため、工房の中を歩くたびに小さな発見がある。長年見慣れてきたはずの作業場なのに、ふと角を曲がった瞬間に「ここはこんな場所だったか」と戸惑うことさえあり、朝と仕事終わりで景色が変わっているのも今では珍しくなくなっていた。


長く住んだ家を改築する人間が妙な落ち着かなさを覚える理由が少し分かった気がしたし、自分の居場所であるはずの空間が日々変化していくというのは、想像していた以上に意識へ影響を与えるものらしい。


慣れ親しんだ場所ほど、変化は意外と目に付くのであるし、ほんの少し棚の位置が変わっただけでも違和感を覚えるのだから、人間の記憶というものは案外細かな部分まで周囲の景色を覚えているのだろう。


工事の第一段階は予定より一日長引いた。


ゲン爺に言わせれば、「一日で済んだなら上出来」らしい。


古い建物というものは開けてみるまで中身が分からず、壁を剥がせば傷んだ柱が見つかり、床を外せば想定外の補修箇所が出てくるため、予定通り終わる方が珍しいのだというし、むしろ何も問題が出ない方が不自然で、どこかに見落としがあるのではないかと疑うくらいなのだそうだ。


その言葉通り、小さな修正は何度も発生した。


それでも洗浄室、排水設備、釜周辺の耐火化、床の水平補修、完成品用の隔離棚といった重要部分までは無事に完成し、少なくとも薬液へ木屑や石粉が混入する心配がない状態まで辿り着いたことで、停止していたポーション製造も少しずつ再開されることになった。


もちろん、改築途中の工房で以前と同じ生産量を維持できるほど都合よくはない。


作業区域は安全確保のため縄と札で細かく区切られ、どこから先が工事区画でどこまでが製造区画なのか一目で分かるようになっていた。さらに両区域の境目には厚手の布が二重に吊り下げられ、木屑や石粉が少しでも流れ込まないよう厳重な対策が施されている。木材加工や石材運搬が行われている時間帯には瓶詰めや仕上げ作業を一時停止し、職人たちの作業が終わったあともすぐには製造へ移らない。まずユナが床や棚、作業台の隅々まで丁寧に拭き上げ、目に見える汚れだけでなく細かな粉塵まで取り除いていく。その後アイスが専用の器具や魔法を用いて空気中の魔力反応や微細な浮遊物の有無を確認し、異常がないことを何度も確かめる。そして全ての確認工程が終わり、安全が保証されて初めて釜へ火を入れることが許されるのだ。以前の俺なら「そこまでやる必要があるのか」と面倒臭がって逃げ出していたかもしれないが、今ではそれが当たり前の手順として組み込まれていた。


作業効率だけを考えれば、以前より確実に手間は増えているし、一つの工程を進めるたびに確認事項も増えた。


当然ながら待ち時間も長くなったし、その間に片付けや記録整理など別の仕事も発生するため、純粋にやるべきことの総量も以前より多い。


それでも不思議なことに、大きな不満や苛立ちはほとんど感じなかった。


むしろ慎重な手順を一つずつ踏みながら工房が再び動き始めていることに、どこか安心感すら覚えていたのである。


実際に釜へ火が入り、青く透き通った薬液が静かに揺れながら熱を帯びていく光景を目にした瞬間、胸の奥に張り詰めていたものがふっと緩み、俺は自分でも思っていた以上に安堵していることに気付いた。


工房というものは、やはり釜が動いて初めて工房になる。


図面だけが並んでいても違う。


木材だけが積まれていても違う。


立派な石床が完成していても違う。


そこに火が入り、薬液が煮え、人が調合を行い、いつもの匂いが漂い始めてようやく工房らしくなる。


どれだけ立派な設備が整っていても、俺にとって火の入っていない工房は工房ではなく、まだ工事現場の延長線上にある場所でしかなかった。


もっとも、新しく水平になった床には未だに慣れていない。


これが思っていた以上に厄介だった。


長年、右側へわずかに沈み込んだ床の上で釜を見続けていたせいか、真っ直ぐ立っているつもりでも肩が微妙に傾き、火加減を確認しようと身体を寄せると昔の位置へ足を置こうとして空振りし、調合台へ向かう時にも無意識に以前の床の高低差を避けるような歩き方をしてしまう。


身体が勝手に昔の工房を覚えているのである。


頭では理解している。


床は平らだ。


段差もない。


危険もない。


それなのに身体だけが「ここは少し低い」「ここは少し高い」と存在しない情報を前提に動いてしまう。


アイスはそんな俺の様子を見つけるたび、まるで珍しい観察対象でも発見したかのように記録板を取り出し、細かな文字をさらさらと書き込みながら、「作業姿勢の再調整が必要です」「重心移動の補正期間に入っています」「長年の環境変化による身体動作の再学習が進行中です」「腰部負荷と膝関節への影響も再評価するべきでしょう」と、やけに専門的な分析結果を次々と読み上げていた。本人は至って真面目なのだが、その口調があまりにも研究報告じみているせいで、聞いているこちらとしては自分が患者なのか実験動物なのか分からなくなる。


一方のミーナはそんなやり取りを横で聞きながら肩を震わせ、「店主さん、帳簿だけじゃなくて床にまで癖を覚えさせていたんですね」「ここまでくると工房そのものと共生していたと言ってもいいんじゃないですか」と面白そうに笑い、俺が反論しようとするとさらに追い打ちをかけるように「そのうち棚や釜からも『いつもの位置と違います』って苦情が来そうですね」と冗談を飛ばしてくる。


そしてユナはというと、二人のように言葉を重ねることはなかったが、俺が何度も同じ場所で足運びを誤っているのを見ていたのだろう。翌日にはいつの間にか釜の前へ薄い滑り止め用の敷布が敷かれており、さらに立ち位置の目印になるよう端がきれいに揃えられていた。何も言わず、何も聞かず、それでいて必要な対策だけはきっちり済ませているあたりが実にユナらしい。


俺としては、本当にただ長年同じ場所で仕事を続けていただけのつもりだった。


特別な訓練をしたわけでもなければ、意識して身体に覚え込ませた記憶があるわけでもない。


毎日釜へ火を入れ、薬液を見守り、材料を運び、帳簿を書き、失敗してはやり直し、また翌日も同じことを繰り返していただけだ。


ところが、そうした何気ない日常の積み重ねというものは、本人が思っている以上に深い場所へ根を張り、気付かないうちに身体そのものへ刻み込まれていくらしい。


床もそうだ。


棚もそうだ。


釜の縁もそうだ。


毎日同じ場所へ手を伸ばし、同じ位置へ足を置き、同じ角度で身体を傾け、同じ順番で道具を扱い続けた結果、木材は指先の触れる部分だけがわずかに艶を帯び、石床は歩く場所から少しずつ摩耗し、棚板には物を置く癖がそのまま痕跡として残る。そして面白いことに、そうして環境が人間に合わせて変化していく一方で、人間の側もまたその変化した環境へ適応し続け、気付けば互いに影響を与え合いながら形を作り上げていたのである。


建物が人へ合わせる。


人も建物へ合わせる。


その積み重ねが何年も続いていたのだろう。


改築というものは、単に古くなった建物を新しくする作業ではない。


そこで働く人間が長年積み重ねてきた癖や習慣まで掘り起こし、「お前はずっとこうやって仕事をしていたんだぞ」と見せ付けてくる作業でもあるらしかった。


「本日の一般販売分、二十四本。生活用回復薬、十六本。騎士団前倒し納品分、八本。試作は行いません」


朝の確認で、ミーナが予定表を手に持ち、今日の製造数と出荷予定を一つずつ読み上げた。改築工事中は仕込み量を意図的に抑えているため、店頭販売分も以前より少なく設定されており、表の扉には販売本数と短縮営業を知らせる札が出され、村内で日常的に必要とされる生活用回復薬については、工事中でも不足しないよう店頭とは別の棚へあらかじめ確保されている。


ハルトは新しく設置された受け渡し棚の工房側の扉を開き、一般販売用の瓶を一本ずつ間隔を揃えて並べながら、片側を開けた時に反対側の掛け金がきちんと止まり、両側が同時に開かない構造になっているかを何度も確かめていた。工房側から補充し、店頭側から取り出すだけの単純な棚に見えるのに、実際には扉の閉まり方、瓶の取り出しやすさ、棚内の温度変化、販売担当が奥へ入らず補充できるかどうかまで確認する必要があり、ただ壁に棚を埋め込んだだけではないのだと改めて思い知らされる。


ユナは洗浄室で、青い柄の道具と赤い柄の道具をきっちり分けていた。青い柄は粗洗い用、赤い柄は仕上げ洗い用と決められており、桶も布も刷毛も壁の金具へ別々に掛けられている。うっかり混ざらないよう金具の位置まで離され、使用後に戻す場所も木札で示されているため、俺のような人間でも間違えにくい。むしろ俺が間違えないように作られている気がするが、そこはあまり突っ込まないでおこう。


ホワイトは窓際の陽当たりの良い場所に腰を下ろし、丸くなったミルを膝の上へ乗せたまま、時折しっぽを揺らしながら外で進む改築工事の様子を静かに眺めていた。木材を運ぶ音や職人たちの掛け声が聞こえても特に反応することはなく、まるで見張り役と昼寝役を同時にこなしているような気楽さである。正式な従業員ではない以上、工房の仕事へ参加させるつもりは最初からないし、本人も積極的に働こうとはしない。ただ、それでも完全に無関心というわけではなく、気が向いた時だけふらりと席を立ち、誰に言われるでもなく外へ出ていくことがある。


そうして工房の裏手や排水槽の周辺を一周して戻ってくると、「今日は来てない」「向こうの茂みに一匹いたけど離れていった」など、ごく短い言葉だけを残して再び窓際へ戻る。確認している内容は主にスライムや小型の魔物の接近状況で、工事によって周辺環境が変わった影響がないかを見ているらしい。本人にとっては散歩のついで程度なのだろうが、工事中の安全確認としては意外と役立つ情報だった。


その簡潔な報告を受けるたび、アイスは余計な感想を挟まず淡々と記録帳へ書き込み、日時や場所まで整理して残していく。そして俺は毎回のように「これ、働かせたことにはならないよな」と確認し、ミーナが呆れ半分の笑みを浮かべながら「店主さん、本当に毎回それ聞きますね」「そこまで気にしなくても大丈夫ですよ」と返す。最近ではそのやり取りまで含めて完全に日課となっており、誰も止めないあたり、もう工房内の恒例行事として定着している気がした。


気にしすぎなのかもしれない。


実際、周囲から見れば些細なことなのだろう。


善意で様子を見てきてくれているだけで、報告も数秒で終わる。


それでも俺は気になる。


一度決めた線引きを曖昧にしてしまうと、次はどこまで許していいのか分からなくなるからだ。


約束した以上は守りたいし、相手が気にしていなくても、こちらが勝手に都合よく解釈するのは違うと思っている。


だから毎回確認するし、毎回同じような返事をもらう。


少し面倒な性格だとは自覚しているが、それでも変えるつもりはなかった。


釜へ火を入れ、温度の変化を確かめながら薄めたスライム粘液を媒体液へ少しずつ加え、攪拌棒で均一になるよう慎重に馴染ませていく。その単調な作業を続けるうちに、自然と意識は机の上へ置かれた二種類の書類へ向かっていた。どちらも単なる依頼書ではなく、今後の工房の方向性そのものに関わりかねない内容であり、朝からずっと頭の片隅に引っ掛かって離れなかった。


一つは、先日レオナールがわざわざ持参した、王都南外縁治療院組合への試験納入案である。表面だけ見れば新規取引先への初回納品という話だが、実際には王都圏への本格進出を見据えた足掛かりとも言える内容で、書類の一行一行に想像以上の重みがあった。


納入予定数は、一般冒険者向け回復薬が二十本、高純度回復薬が十本の合計三十本。


数字だけなら決して途方もない量ではない。しかし問題は本数ではなく、その三十本に付随する条件の多さだった。


納期は二十日後。


さらに王都向け規格瓶の使用義務、ロットごとの詳細な製造記録の提出、薬師会による品質確認書の添付、輸送後の使用評価報告の回収と共有、設備拡張を見越した前渡金の支給、そして将来的な優先交渉権に関する条項まで並んでいる。


どの項目も、単純に「薬を三十本売る」という話では終わらない。


例えば瓶一つ変わるだけでも、保管棚の寸法や梱包方法、輸送時の緩衝材の選定まで見直す必要が出てくる。ロットごとの製造記録を残すとなれば、これまで以上に工程管理を細かく行わなければならず、誰がいつ何を行ったのかまで追跡できる体制が求められる。


品質確認書を添えるなら薬師会との継続的な連携が不可欠になるし、確認手続きのための時間や調整も考慮しなければならない。輸送後の評価報告が返ってくれば利用者の反応を直接知る貴重な資料になる反面、その評価次第では改善要求や追加条件が提示される可能性もある。


設備前渡金についても同様だ。資金面では非常にありがたい話だが、先に金を受け取るということは、それだけ期待と責任を背負うという意味でもある。途中で計画変更が難しくなる場面も出てくるだろう。


そして何より気になったのが優先交渉権という文言だった。一見すると安定した取引先を確保できる魅力的な条件に見える。しかし将来的に販路が広がった時、その権利がどこまで拘束力を持つのかによっては、こちらの選択肢を狭める可能性も否定できない。


つまりこの書類は、三十本の納品依頼であると同時に、工房の運営方法そのものを一段階引き上げるかどうかを問う提案でもあった。


もう一つは、セレーナから届いた新しい魔力循環安定薬の共同開発案と、俺の〈スライムキラー〉へ向けた非侵襲的技能反応観察の提案だった。こちらもまた単なる研究協力の相談ではなく、新薬開発と技能解析という二つの分野が絡み合った内容で、成功すれば大きな成果につながる可能性がある一方、時間や労力、そして今後の立場にも少なからず影響を与えかねない話だった。


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