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第41話 工房の図面



「昨日一日で、店頭と工房の往復は三十七回でした」


ミーナが手元の記録板を確認しながら報告した。腰紐へ通していた木玉の数を数え終えたらしく、その声には曖昧さがまったくなかった。


「そんなに行き来してたのか」


俺は思わず聞き返した。


体感としてはせいぜい十回か十五回くらいだと思っていたのである。


工房と店頭は壁一枚隔てただけの距離だ。


数歩歩けば着く。


短い移動を何度も繰り返しているせいで、一回一回の往復が意識に残っていなかったらしい。


「店主さんが店頭で質問されるたびに呼ばれますし、在庫確認もありますし、追加の瓶を取りに来ることもありますから。一般販売分の棚が工房側にあるので、商品が売れるたびに一度奥へ戻ることもあります」


言われながら昨日の様子を思い返す。


確かに朝だけでも数回呼ばれた。


初心者向け回復薬の違いを説明し、在庫を確認し、棚が空いたので補充し、そのついでに工房から新しい瓶を持ってくる。


どれも単独では大した手間ではない。


ところが一日分を積み上げると三十七回になるらしい。


数字にされると妙に説得力があった。


「三十七回のうち、商品を取りに来た回数は」


アイスがすぐに質問を重ねる。


「十一回です」


「完成品保管棚の一部は、店頭側からも開けられる受け渡し棚にした方がよいですね。工房側と店側の両方に扉を設け、販売担当が調合区画へ入らず商品を補充できる構造が望ましいです」


さらりと言われた内容を頭の中で想像する。


少し理解に時間がかかった。


「壁に箱を埋め込むのか」


ゲン爺が腕を組みながら聞く。


「はい。工房側で補充し、店頭側で取り出します。保管棚そのものを壁の内部へ組み込み、両側から利用できる形です」


アイスは図面へ小さな四角を描き足した。


「両側同時に開かない構造が望ましいです」


「片側を開けると、もう片方が止まる掛け金なら作れる」


ゲン爺は顎を撫でる。


「冷気は逃げるぞ」


「生活用回復薬と一般販売品だけで構いません。高純度品、契約納品分、研究用試料は鍵付き保管庫へ置きます」


「なるほどな」


ゲン爺も図面へ視線を落としながら何度かゆっくり頷き、その表情には職人として内容を十分に理解し、実現可能だと判断した納得の色が浮かんでいた。


話している内容はもはや単なる棚の配置換えや作業場の模様替えではなく、工房全体の動線や運用方法を根本から見直すための設計会議そのものであり、しかも思いつきではなく実際の作業回数や移動距離を根拠に改善案を積み上げていく、かなり本格的なものだった。


俺は二人の会話を聞きながら、青ぷよ薬房が本当に自分の店なのか少し分からなくなってきた。


壁の一部へ受け渡し棚を埋め込み、洗浄前の素材は裏口から搬入されて洗浄室へ入り、そこで汚れや異物を取り除かれた後に調合室へ流れ、完成した薬は別の保管棚へ収まり、販売担当は工房へ立ち入ることなく店頭側から必要な分だけ補充する――そんな一連の流れが、まるで最初から決められていたかのように図面の上へ整理されていく。


今までのやり方はもっと単純だった。


必要になったら俺が運ぶ。


棚が空いたら持っていく。


在庫が減ったら補充する。


頭の中で覚えておけば何とかなる規模だったから、それで問題なかったのである。


ところが今話し合われているのは、人間がその都度考えたり判断したりしなくても仕事が自然に流れていく仕組みそのものだった。


素材は搬入された後に迷うことなく洗浄室へ向かう。


完成品は決められた保管棚へ集まる。


販売担当は必要以上に工房へ入らない。


人の移動と物の移動が交差しない。


誰かが作業している横を別の誰かが何度も通り抜ける必要もなくなる。


つまり建物そのものへ仕事の順番を覚えさせ、働く人間が変わっても同じ流れで作業できるようにするということらしい。


それは俺の知っている小さな町工房というより、複数の職人や従業員が役割を分担して働く商会の作業場や、王都にある大きな職人工房に近い発想だった。


思い返してみれば、今まで問題が起きなかった理由は工房が特別優秀だったからではない。


単純に人が少なかったからだ。


俺が全部把握していた。


ミーナも工房の中身を理解していた。


二人しかいないから融通で解決できた。


誰かが通るなら待てばいい。


棚が遠いなら取りに行けばいい。


置き場所が足りなければ空いている場所へ置けばいい。


どこに何を置いたかも、誰が何を作っているかも、結局は頭の中で管理できる範囲だった。


そうした曖昧な運用が通用していただけだったのである。


だが扱う薬の種類が増え、人が増え、納品先が増え、注文量まで増えていけば、そのやり方はいずれ確実に限界を迎える。


誰か一人が休んだだけで流れが止まり、置き場所を間違えただけで探し回ることになり、通路が混雑するだけで作業効率が落ちるようになるだろう。


アイスもゲン爺も、その限界が目の前へ現れてから慌てて対処するのではなく、問題が大きくなる前に仕組みそのものを整えようとしているのだろう。


俺は改めて図面へ視線を落とした。


紙の上には線が引かれ、数字が並び、棚や通路や排水溝の位置が細かく書き込まれている。


少し前までなら、その図面を見てもただの線の集まりにしか見えなかった。


どこに壁があり、どこに棚が置かれるのか程度しか分からなかったはずだ。


しかし今は違う。


その線の一本一本が、人の移動を減らし、作業を楽にし、失敗を防ぎ、余計な手間をなくし、これから先さらに人や仕事が増えたとしても工房が無理なく回り続けるための工夫なのだと、俺にも少しだけ理解できるようになっていた。



図面は、その日の午前だけでは終わらなかった。


まず、現在の建物を正確に測る必要があった。店の正面は南向きで、表の売り場が横四間、奥行き二間半。その北側に工房があり、工房は横四間、奥行き三間ほど。西側に井戸、東側に古い納屋、北側に裏道へ抜ける細い通路がある。ところが古い建物というものは、紙の上ほど素直ではない。南の壁と北の壁で長さがわずかに違い、工房の東壁は中央から指一本分ほど外へ膨らみ、床も釜の側だけ少し沈んでいた。俺は長年そこへ立っていたので何も感じなかったが、ゲン爺が水を入れた細い管を使って高さを測ると、工房の端と端では手のひら半分近い差があるという。


「この床で、瓶棚が真っ直ぐ立っていたのが不思議だ」


「棚の脚に木片を挟んであるんだ」


「それを不思議と言っている」


「倒れてないから問題ないだろ」


「倒れてから問題になるのは、一工房の店主としてどうかと思うのだが」


また正論だった。


改築案は、一度で完成しなかった。最初の案では、裏手へ二間半の洗浄室を増築し、その横に一間半の冷却保管室を置く予定だった。しかし、それでは井戸から運ぶ水の経路と、洗浄後の素材を調合室へ運ぶ経路が交差する。二案目では冷却室を工房東側へ移したものの、そこは午前中から日が当たり、夏の冷却効率が悪い。三案目では納屋の一部を保管室へ転用する案が出たが、住み込み部屋との間に防湿壁を追加しなければならず、ユナの部屋の採光が悪くなる。人が住む場所を薬の都合で暗くするのは論外なので、その案はすぐに消えた。


最終的に、増築は北側と西側へ分けることになった。


北側へは、素材搬入口、洗浄室、一次乾燥室を直線で並べる。採取から戻った素材は店頭も調合室も通らず、北側の庇の下で箱ごと確認され、洗浄室へ入る。洗浄室の床は石張りとし、中央ではなく壁際へ向かって緩やかな傾斜をつけ、細い排水溝へ水を集める。排水はそのまま外へ流さず、最初に網籠で薬草片や粘液塊を受け、次に砂と木炭を詰めた沈殿槽を通し、最後に蓋つきの貯留槽へ入れる。貯留した水はアイスが魔力残留を確認し、問題がなければ薄めて非食用樹木の根元へ使い、異常があればレスタルムの処理業者へ引き渡す。俺は「水を捨てるだけでそこまでやるのか」と言ったが、アイスは「医療品製造事業所ですので」と答え、ゲン爺も「井戸を駄目にするよりは安い」と言ったので、反論は諦めた。


洗浄室の内側には、粗洗い用と仕上げ洗い用の二つの石台を置く。粗洗い用には土や苔のついた薬草、採取直後の粘液容器、外膜片などを置き、仕上げ洗い用には一次処理を終えた核と、調合前の器具だけを持ち込む。二つの台は腕二本ぶん離し、道具の柄にも色をつける。赤い柄は粗洗い、青い柄は仕上げ洗い。ユナが「濡れると色が薄くなりませんか」と聞いたため、柄の端へ色木を埋め込む方式へ変わった。こうした小さな修正が、図面の上へ次々と書き足されていく。


一次乾燥室は洗浄室の隣に置き、濡れた瓶や器具、洗浄済みの薬草籠を直接運べるようにする。風は通すが、土埃は入れない。窓には細かな網を張り、床から少し高い位置に吸気口を設け、天井近くから湿気を抜く。乾燥棚は壁へ固定し、地震や衝撃で倒れないよう斜めの支えを入れる。俺はこの地方で大きな地揺れなど滅多にないと言ったが、ゲン爺は「棚が倒れる理由は地揺れだけじゃない。人がぶつかる、箱を落とす、床が濡れる、子どもが入る」と言った。最後の一つについては、ホワイトが少し離れた窓辺から「俺、倒さない」と不機嫌そうに言い、ゲン爺が「お前とは言ってない」と返していた。ミルはホワイトの肩でぷるぷるしていた。たぶん、あいつが棚へ登る可能性のほうが高そうだ。


西側には、調合室に隣接する冷却保管室を作る。井戸の近くで直射日光が少なく、厚い石壁を一部使えるため、温度変化を抑えやすい。保管室は三つに区切られ、スライム核、粘液基材、薬草抽出液を別々に置く。完全な部屋を三つ作るのではなく、一つの冷却室の中に断熱された保管箱を三基置き、各箱へ鍵と番号札をつける方式である。高価な魔導冷却箱を三つ買うより、石壁と地下冷気を利用した共通室へ小型冷却具を設置したほうが費用を抑えられるらしい。


調合室そのものは、現在の工房を全面的に壊すのではなく、床を水平に直し、釜周りへ石板を敷き、火床と木壁の間へ耐火煉瓦を入れる。釜は二基置ける配置にするが、同時に二基を回すかどうかは別問題とされた。俺が一人しかいない以上、釜だけ増やしても目が足りない。片方は通常製造、もう片方は少量試作または予備用とし、同時運用する場合はアイスか資格を持つ薬師の監督を条件にする。俺は自分の店なのに条件をつけられることへ少し不満を覚えたが、二つの釜を同時に見ながら高純度品を作れるかと聞かれれば、正直自信はない。


固定記録台は釜から二歩半離れた壁際へ設置し、薬液が跳ねても届かず、かつ釜の中を見られる高さにする。紙を置く面には浅い縁をつけ、記録板や羽ペンが落ちないようにする。石板を掛ける場所、温度計、滴下計、砂時計、ロット札を吊るす場所も決められた。アイスはさらに、記録台の下へ試料用小引き出しをつけようとしたが、ユナが「調合中にこぼれたものが入るかもしれません」と指摘したため、引き出しは横壁へ移された。俺はそのやり取りを聞きながら、いつの間にかユナが工房設計の会議で普通に意見を出すようになっていることに気づいた。最初は人の顔を見て小さく返事をするだけだったのに、今では危ないと思ったことをきちんと言える。それはたぶん、店にとって良いことだった。


完成品保管庫は、調合室と店頭の間に作る。販売品、騎士団契約品、王都試験品、薬師会研究品、緊急保管品を棚ごとに分け、鍵も別にする。赤札の隔離棚には、使用禁止品、返品品、品質確認待ち、失敗品を入れる。赤札棚の扉は、販売棚の鍵では開かない。返品された瓶は、見た目に問題がなくてもそのまま販売棚へ戻さず、理由を記録して品質確認を行う。今まで返品自体ほとんどなかったため考えていなかったが、王都へ送るようになれば、輸送中の温度変化や栓の緩み、ラベルの汚れだけで戻ってくる可能性もあるらしい。


店頭との間には、ミーナが提案した受け渡し棚を埋め込む。生活用回復薬と一般冒険者向け回復薬の当日販売分だけを置き、工房側で補充し、店頭側から取り出す。両側の扉は連動する掛け金で、一方が開いている間は反対側が開かない。これなら客のいる側から工房の中が見えにくく、販売担当が清浄区画へ入らずに済む。


図面の端には、矢印が何本も引かれた。


黒い矢印は人の動線。茶色は未洗浄素材。青は洗浄済み素材。緑は薬草。赤は完成品。灰色は廃棄物。店の裏から入った茶色の線は、洗浄室で青へ変わり、一次乾燥室を通り、保管室か調合室へ入る。調合室から出た赤い線は完成品保管庫へ進み、店頭か納品口へ分かれる。灰色の線だけは他と交わらず、隔離棚と廃液槽へ向かう。


「建物の中に、仕事の順番を描くんですね」


ミーナが図面を見ながら言った。


ゲン爺は鼻を鳴らした。


「いい工房は、人が少しくらいぼんやりしてても、間違った方へ行きにくい。悪い工房は、真面目な人間でも迷う作りになってる」


「名言みたいだな」


俺が言うと、ゲン爺は「見積もりに一R追加するぞ」と返してきた。


費用については、当然のように俺の胃を痛めた。


改築は三段階に分けられた。第一段階は安全と衛生に直結する部分で、洗浄室、排水設備、床の水平補修、釜周りの耐火化、隔離棚、最低限の受け渡し棚。材料費と人件費を合わせて九千八百R。第二段階は保管と生産安定のための冷却室、固定記録台、乾燥室拡張、鍵付き完成品保管庫で、七千六百R。第三段階は将来拡張分として、試作専用釜台、小型研究室、外部納品用の梱包場所を追加し、四千九百R。すべてを一度に行えば二万二千三百R、工事中に腐った柱や基礎の傷みが見つかった場合に備え、予備費を一割ほど見ておいたほうがいいと言われた。


二万を超える。


金リア二枚以上である。


帳簿上は払えない額ではない。青ぷよ薬房の月間売上は以前とは比べものにならないほど増えているし、王都試験納入を受ければ一万Rの契約となる。騎士団の支払いもある。とはいえ、売上は俺の財布の中身ではない。人件費、瓶、薬草、税、契約費、登録費、修繕費、食費、冬への備えを引けば、好きに使っていい金はずっと少ない。さらに工事中は製造量が落ちるから、落ちた分だけ売上も減ってしまう。払えるかどうかと、払ったあとも安全かどうかはまた別問題だった。


「支払いは分割で構わんぞ?」


ゲン爺が言った。


「第一段階を先にやる。洗い場と排水、床、火の周り、隔離棚。そこまでで工房はかなり安全になるからな。第二段階は王都の試験納入を受けるなら続ける。第三段階は急がん。研究室など、今の店にはまだ贅沢だ」


「アイスは欲しそうだぞ」


「必要です」


即答だった。


「贅沢ではありません。試作品、対照試料、研究記録を通常製造から分離するための空間です」


「今すぐ必要か」


「今すぐあることが望ましいです」


「望ましいと必要は違う気もするんだが」


ゲン爺が言うと、アイスは少しだけ黙った。


「……第二段階終了後でも運用は可能です」


「なら第三だ」


職人同士の会話は強い。俺が同じことを言っても三倍の説明で返されるのに、ゲン爺が言うとアイスも下手に言い返そうという気が起きないらしい。


工事期間中の製造計画も決めなければならなかった。壁を壊し、床を剥がし、石を切る横でポーションを作るわけにはいかない。粉塵が入り、音と振動で釜の状態も見にくくなる。そこで、工事開始前に生活用回復薬と一般販売品を少し多めに作り、村内緊急分を確保したうえで、第一段階の解体と床工事を三日間に集中させ、その間は調合を完全に止めることになった。高純度品は工事開始前日まで作らず、完成品保管庫が整ってから再開する。騎士団には事前に連絡し、納品日をずらすのではなく、先に一部を納める。店頭は在庫分のみで短縮営業とし、解毒薬が必要な急患は村の治療所と連携することにした。


「三日も釜を止めるのか」


俺が言うと、ミーナはすでに作った予定表を見せた。


「止めないで事故が起きるよりいいです。店頭在庫は五日分まで積めます。村内用は一週間分を別に確保します。騎士団分は二回に分け、前半を工事前へ送ります。王都試験分は、契約を受けるとしても工事後の新しい区画で作った方が記録しやすいです」


「俺より先に全部考えてないか」


「店主さんは、止めると言うと嫌がると思ったので」


「よく分かってるな」


「長い付き合いですから」


工事が始まるまでの五日間、青ぷよ薬房は普段よりさらに忙しくなった。


ハルトは瓶と箱の在庫を工事前、工事中、工事後に分け、移動させる棚へ番号を振った。肩へ負担をかけないよう、重い箱はゲン爺の若い衆と俺が運ぶ。ユナは乾燥棚の瓶をすべて確認し、工事中に埃が入らないよう布と薄板で覆った。ミーナは短縮営業の札を書き、村人へ説明し、予約客へ受け取り日の変更を伝えた。アイスは工事前の工房状態を記録し、改築後に品質差が出るか比較できるよう、直近十回分の温度、湿度、魔力保持率、瓶詰め時間を表へまとめた。


ホワイトは正式な従業員ではないため、作業を割り当てなかった。本人は少し不満そうにしていたが、契約前の人間を工事の荷運びに使うわけにはいかない。ただ、ミルと一緒に裏手を見ていた時、排水予定地の近くへ小さな青スライムが二匹集まっているのを見つけ、「ここ、流すともっと来る」とだけ言った。アイスが理由を聞くと、「粘液の匂い、残ってる」と答えた。俺たちには分からなかったが、ミルもその場所で体を伸ばしていたため、ゲン爺は排水槽を井戸からさらに離し、蓋の縁に灰と銀葉草を詰める交換式の吸着帯を追加した。


あくまで情報提供である。


まあ、部屋を貸してやってるんだから多少は働いてもらわないと困るがな。


貴族の子供でなければ、こんなめんどくさいこともいちいち考えなくてもいいのだが…


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― 新着の感想 ―
価値も青ぷよ薬房もどんどん大きくっていく、、、!!!
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