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第9話 花垣迷路

「うわぁ……綺麗……」


 目の前に広がる見事な庭園を見て、私は思わず声をあげてしまった。

 私が薬草を育てて楽しんでいた庭なんて、比べものにならない広さなのに、妥協なく徹底的に整えられている様子は、もはや生きる芸術と呼べる。


 丸く刈られた木々、そして一番美しく見えるように配置された季節の草花。その間には、馬や人の彫刻がたっている。


 素晴らしいと目を奪われながらも、心のどこかで、庭園を管理する人のことを思うと胃が少しだけ痛む。

 長年、使用人として働いていた弊害だろうと思うと、少し悲しい。


 感傷に浸っている私の前を、セラスが走って行く。広い場所が嬉しいのか、満面の笑顔だ。

 純粋な喜びを体現する彼女に、心がほんわりする――と思った瞬間、目の前の光景に血の気が引いた。


 セラスが、花壇の縁にのぼり、両手を広げてバランスをとりながら軽快に歩いていたからだ。

 一度も立ち止まることなく花壇の縁を一周すると、今度は隣の花壇の縁を回り出した。こちらも先ほどと同じように軽く一周すると、最後は高くジャンプをして着地した。セラスの足下の草や落ち葉が、ふわっと舞う。


 まるで、空から舞い降りた天の使いのよう。


 青い瞳が、得意げに私を見る。

 私はセラスの元に駆け寄ると、内心冷や汗だらけの気持ちを隠しつつ、髪を撫でた。


「セラスって、運動神経がとてもいいのね! こんなに細いところをスイスイ歩くなんて、驚いちゃった!」


 私の賞賛に、セラスはぴょんぴょんとその場を飛び跳ね、私に抱きついてきた。そしてこちらを見上げ、蕩けるような満面の笑みを浮かべた。

 透き通った瞳がキラキラとしていて、声が出なくても、私に褒められて喜んでいる気持ちが手に取るように伝わってくる。


 可愛すぎる……


 同時に、別の疑念も湧いて出てくる。

 花壇の縁を歩くセラスの足取りに、不安定さがなかったからだ。それに、隣の花壇に移ったときも、全く迷いはなかった。


 まるで、慣れているかのような……って、そんなわけがない。私もセラスも、初めての場所なのだから。


 そのとき、ふと視界の端に、緑の塊が見えた。背の高い生け垣が立ち並んでいる。木々には花が咲いていて、とても華やかだ。


「あそこが、ニーナさんが仰っていた、花垣迷路かしら……」


 私が呟くと、セラスが私のスカートを引っ張った。好奇心が止まらない様子のセラスに苦笑いしながら、私は頷く。


「ええ、行ってみましょうか」


 セラスの手を握ると、私たちは花垣迷路へと向かった。


 *


 花垣迷路は、思った以上に広かった。花垣も高くて、顔を近づけたり、少し木々の葉をかき分けないと、向こうが見えない。

 しかし花垣、ということもあって、至る所に花が咲いている。


 花が咲く木だけでなく、蔓状の花も植えられているため、どこかしこも花ばかりだ。

 花垣迷路という名称にも、納得がいく。


「ここが入り口ね……」


 太陽が照らしているとはいえ、思いのほか薄暗く、緑が濃い迷路を見る。ここでもしセラスとはぐれたら、彼女を見つけられる気がしない。


 目を離さないようにしないと……


 しかし、私の心配をよそに、前を進む小さな背中からは、一人で挑戦する気迫が伝わってきた。


 意外と頑固なセラスのことだ。

 普通に言っても、首を横に振るだけで、最悪、一人で駆けだしてしまうかもしれない。


 私は、前を行くセラスの背中に、弱々しく懇願する演技をした。


「セラス、手を繋いでくれない? 私、一人になると迷っちゃうかも……」


 眉間に皺を寄せ、肩を縮こまらせると、セラスが隣に来て、小さな手で私の手を強く握ってくれた。


 まるで私を守ると言わんばかりに。こちらを見上げる青い瞳には、自分にまかせろ、と言わんばかりの強い光が宿っていた。


 可愛いだけでなく、優しすぎる……

 心がほっこりすると同時に、少しだけ罪悪感でチクチクした。


 セラスの手を握り返すと、私たちは改めて、花垣迷路と向かい合う。そしてほぼ同時に、色とりどりの花で彩られた緑の迷宮へと足を踏み入れた。


 道幅はそれほど広くはないが、大人と子どもが並んで歩いても問題ないくらいはあった。


 様々な花が咲いていて、とても綺麗だ。

 しかし花は違えど同じような風景が続くので、だんだん方向感覚が奪われていく。入り口がどちらの方角にあるのかすら、もう分からない。


 この迷路、確か王子様たちのために造ったと聞いたけど、本当に子ども向けなの?


「わっ……また分かれ道……こっちは行ったっけ?」


 同じような分かれ道が現れる。

 一度通った道なのか、新しい道なのか、もう私には分からなくなっていた。

 しかし、


「こっち……なの?」


 私の質問に、セラスは自信満々に大きく頷くと、私の手を引っ張って先導していく。


 セラスは私とは違い、迷いがない。私が、こっちの方がいいのではとアドバイスしても、頑なに自分が行きたい方へと進むのだ。


 まるで何かに導かれているかのように――


 そんな少女の足が、ふと止まった。私を振り返り、とある場所を指さす。


「ん? セラス、どうしたの?」


 指さした先には、水色の丸い花が咲いていた。長い茎の先に丸い花が咲いているように見えるが、実際は小さな花の集まりなのだ。

 

 セラスと一緒に近づくと、彼女は精一杯背伸びをして、花の香りを嗅いでいた。


 スンスンという息を吸い込む音に、私の表情筋が思わず緩んでしまう。

「良い香りよね。ディークスっていうお花なのよ」


 私の説明に、セラスはパッと表情を明るくすると、今度は花の根元を指さした。


「ディークスの根っこは丸い塊になっているの」


 この子に、球根という単語を言っても分からないだろうと思い、私はできるだけ分かりやすく説明をする。

 セラスはうんうんと頷くと、また花の香りを嗅いでいた。


 実は、ディークスの球根部分には強力な解毒作用があり、薬としても重宝されている。しかし山奥で自生しているため、中々見つけられない貴重なものでもある。


 何故ここに生えているのだろう。

 植えた人は、その価値が分かっていたのだろうか? いや、分かっていたら、迷路の中に生えているわけ無い。貴重な薬として、きちんとした環境で、大切に育てられているはず。


 確か神殿の薬草園では、様々な薬草が育てられていて、人々の健康に役立てられているらしい。ディークスの名前もあったはず。


 ディークスの花の香りを嗅ぎ終えたのか、セラスは私の手を引っ張った。先に進もうという合図だ。


 再び、少女に先導されながら、いくつもの分かれ道を選び、進んでいくと、目の前に豪華なアーチが現れた。

 もしかして、


「え、まさか出口?」


 私の呟きが正しいことを証明するように、アーチをくぐったその向こうは庭園だった。


 手がくいくいっと引っ張られた。

 視線を落とすと、得意満面のセラスの表情が映った。腰に手をあてて、小さな胸を張っている。


 そんな彼女と目線を同じにすると、柔らかな金髪を撫でた。


「凄いわ、セラス! 私一人じゃ、絶対に迷っていたわ! ありがとう」


 そう褒めると、セラスは満面の笑みを浮かべ、私の首筋に抱きついてきた。私も抱きしめ返し、無事ゴール出来たご褒美に、抱っこする。

 目線が同じになると、セラスは嬉しそうにほっぺたをくっつけてきた。

 今にも零れんばかりの頬のお肉はぷにぷにで、もうこれだけで癒やし効果がある。


 そのとき、


「神子様、ミーティア様、お部屋の準備が整いましたので、お迎えに上がりました」


 私たちの前に現れたのは、広げた紙を持った侍女ニーナさんだった。しかし何故かその表情は、驚きで満ちていた。

 私たちと、後ろに広がる花垣迷路に交互に視線を向けながら、目を瞬かせる。


「それにしても、凄いですね。花垣迷路は大人でも迷うため、迷路内にいるお客様を迎えに行く際には必ず、地図が必要ですのに」

「えっ、地図……ですか?」

「はい、こちらです」


 そう言ってニーナさんは、手に持っていた紙を私たちに広げて見せてくれた。

 そこには、花垣迷路の全容が描かれていた。一目見ただけで、子ども向けでないことが分かる。


 こんな難しい迷路を、セラスは迷うこと無く進んで――


 思わず私は、腕の中にいる少女に視線を向けた。しかし幼く清らかな瞳から返ってきたのは、どうしたの? と私に問う純粋な疑問だった。



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