第十二話
今話のみステラ・クロサイト視点です。
ノーランに任された、割れた姿見の調査。元・知のアメトリン公爵令嬢ということで、こういった類の案件は私に回されることが多い。正直なところノーランやジェフが調べてもそこまで結果は変わらないと思うのだが、2人は私以上に忙しいので文句はない。
「うーん…」
「私もノーランも、割れなかった」
「ジェフが割った時に音が鳴らなかったのよねぇー」
「精霊の気配がしたでしょう…」
「うぅーん…」
現段階で分かっていることを紙に書き出しつつ、状況を整理していく。しかし、分かっていることが少なすぎて調査といっても何も進まない。
煮詰まってしまったので、あえてそのままにしてある割れた姿見の前に立ち、睨めっこを挑んでみる。
「気配なし、かぁ。だよねぇ、知ってたけど」
「ちょっとくらい何か残ってくれててもいいのにね」
「それで何か危害を加えられても困るんだけど…」
諦めてソファに座り直し、破片を手に取ったり、裏返したりして考えを巡らせる。
最初に嫌な気配に気がついたのはノーランだった。この部屋に入った瞬間からにわかに顔を歪め、使用人たちが出ていった瞬間、私に共有した。
『何か、嫌な気配がしない?』と。
私はノーランやジェフ、リアと比べて精霊の気配に鈍感なため、言われるまでは気がつかなかった。でも、一旦気がつくと、ずっと気になってしまうような気配だった。間違いなく、精霊の気配であることは、私にも分かった。
ノーランは急いでジェフを呼びに行き、部屋にやってきたジェフもやはりすぐに気がついた。
ノーランの指示でジェフが姿見を割ると、嫌な気配はすっかり消えてしまった。今はそれが、調査を難航させている原因だ。
ふと、破片を触る手が止まった。この、小さな破片の裏に、赤黒い塗料が付着しているのに気がついたからだ。
私は手元にある全ての破片を裏返したが、塗料がついているのはその破片だけ。すぐに姿見に寄って、落ちている破片も全て裏返した。所々、塗料がついているものがある。
それからの私は、夢中になって破片を並べた。割れる前の、元あった形に。
ジェフが目一杯の力で割ったせいで、柄が当たった部分は特に粉々に砕け散っている。こんなに復元が大変なのはジェフのせいだ、なんて理不尽な不満を心に持ちながら、なんとか完成させた時にはもう日が沈みかけていた。
そして、ジェフが教会から帰ってきたと侍女からの報告を受けた私は、すぐに部屋に呼んだ。ちょうど公務を終えたノーランも一緒に。
「ジェフ、持って行った破片、出してくれない?」
懐から取り出された1番大きな破片を裏返してはめると、その全貌は判明する。
姿見の後ろに描かれていたのは、何かの紋章だった。
「これは、教書か?」
「でもこれだと、上下逆さまになる」
「逆さの教書、狼らしき動物…」
「精霊信仰に反抗する勢力の仕業、かな」
これ以上詳しいことは分からないが、この姿見が悪意を持って作られたことは間違いない。この世界、中でもルピナスという精霊信仰の国で逆さの教書を描くなど、反逆心の表れでしかない。
「そうだ、ジェフは何か分かったの?」
「あぁ、もちろん」
ジェフは、教会での出来事を事細かに説明してくれた。
ティルスという女性を介して、フィアたち精霊の様子を聞いたこと。
姿見に宿っていた気配は、大精霊のものであること。
「おかしいじゃない。ピシュル様の気配なら、ノーランが気づくはずでしょう?」
「そこが問題なんだ。愛し子の言う、大精霊とは誰なのか」
「矛盾した話ね」
「ピシュルと連絡が取れさえすれば…」
少しずつ分かってきたこともあるけれど、核心的な事実に辿り着けたわけではない。今はまだ、分からないことの方が多い。
「とりあえず、私は明日、この紋章を調べてみるわ」
「もしかしたら、王城の図書館に参考になる本があるかもしれない」
「そうね。探してみる」
その日の夜、私は夢を見た。リアが出てくる夢を。
『リア!!』
『ス、テラ…?』
リアの体は黒い鎖に絡め取られ、建物の柱に括り付けられていた。目は虚で、声もどこか弱々しい。
『そう、私、ステラよ。こんなところで何してるの?』
『……』
『リア?』
目の前のリアは、私の瞳をじっと真っ直ぐに見ている。まるで心の奥底まで見透かしているかのようで、逆に何も考えていないかのようでもある。
『…なんで』
『え?』
一気に、空間の色が黒く澱んだ気がした。リアの表情が、一瞬で消え去った。それはまるで、心が壊れた人間のようだった。
『…なんで、私が』
『うん?』
『なんで私がこんな目に遭わなくちゃいけないの!?』
『急にどうしたの、いつものリアじゃない』
『苦しいよ、怖いよ、もう嫌だ…』
『落ち着いて、リア』
『ステラに言われる筋合いなんてない!! 私がステラを庇ったから、代わりに刺されたから生きているのに。こんなに辛いなら、庇わなければ良かった』
『リ、リア…?』
『ステラが死んじゃえば良かったのに』
リアはうっすらと微笑みをたたえていた。こちらに手を伸ばし、誘うかのように。
「ステラ?」
「ごめ、なさ…私が、ごめ…ん」
「…大丈夫、落ち着いて。悪い夢でも見たの?」
「夢、だったらいいな」
私には、あの夢がリアの叫びに思えて仕方がなかった。きっと、苦しんでいるリアが助けてと言っているのだと。リアが言う通り、私が死んでしまえば良かったのかもしれないとさえ思った。
ノーランはそれ以上何も聞いてこなかった。彼はいつもそうだ。私が話さない限り、無理に聞こうとはしてこない。
「夢はね、所詮夢なんだ。どんなに悪い夢を見ても、それは夢だから。現実じゃない」
「…でも」
「違う?」
「ううん、違わない」
「でしょう? だから大丈夫、安心して」
そう言ったノーランは、朝まで私の手を握り続けてくれた。決してもう1度眠ることなどできなかったけれど、その温もりだけで、私の心は少しずつ穏やかになっていったのだった。
ごめんね、リア。
その思いを抱えたまま。