39 華燭
その週の日曜日に俺は紅林家を訪ねた。
土産に東京にある県のアンテナショップで買ったお菓子を持って行った。
俺は大した考えもなく昼前の高級住宅街の中にある紅林邸の門を叩いた。
迎えたのは巨大な玄関と、紅林家御一行様だった。眞帆子と紅林幸次郎と妻、高校生の長男、中学生の長女、それに眞帆子の実の父紅林康造だった。
さすがに病人の父親は車椅子に乗っていたが、その車椅子が余裕で移動できる廊下の広さには驚いた。
通された部屋は広い座敷だった。
病気の父親以外の家族は皆そこに集合した。眞帆子がいないと思ったら艶やかな振り袖を着て現れた。
紅林夫人が注文していた着物が間に合ってよかったと言った。八月半ばまでには注文していた着物が全部出来上がるので、あちらでのパーティで着るといいと夫人はにこやかに言った。
すでに日程は紅林家のペースで決定していた。
研修で忙しい俺ではとても準備まで手が回らないから、それがありがたかった。
旧盆の前に田舎に戻り、俺の身内と東京から来る紅林一家だけで挙式披露宴を行なった後上京し、俺が先に渡航し準備を整えてから、眞帆子が追って出国するという手筈である。
いささか慌ただしいが、これも時間がないため仕方なかった。
挙式披露宴については紅林夫人の知り合いが俺の田舎でも有名なホテルの経営者の夫人だということで、便宜を図ってくれるということだった。
眞帆子にも異存はないということだったが、俺は少し心配だった。女性は大なり小なり結婚に夢を抱いているものだと聞いたことがある。
不満があっても眞帆子は我慢する。だから、俺は帰る時に希望はないのかと尋ねた。
「いえ、ありません。披露宴ができるなんて夢のようです。贅沢は言いません。」
そう言われたらどうしようもない。
それに一緒に食事や話をしてわかったのだが、紅林家の人々は本当にいい人達だった。
金持ち喧嘩せずという言葉があるが、本当に育ちのいい人達は、まさしくその言葉通りなのだ。
無論、危機管理能力が高いから、喧嘩の原因になるような行いをまずしないのだろうが、何事につけ他人に対して親切でよく話を聞く。
心にゆとりがあると言うのか。
それは子どもも同じで、中学生の娘は眞帆子を眞帆子お姉さまと呼ぶだけでなく、俺のことを浅戸のお兄さまなどと呼ぶのだ。それもわざとらしくない自然な口調でだ。
お兄様なんて妹にも言われたことがない。
高校生の長男は俺の土方カーブの話に驚いていた。距離が長くなれば誤差が大きくなるから数学では使えないのだが、現場でちょっとしたカーブの二つの測点の中心点を出すのに土方カーブの公式は便利なのだ。
「道路工事って身体だけを使う仕事ではないんですね。」
あまりに素直な感想だったが、嫌味がなかった。
「危険を予知しないと大けがもするしな。だけど、どんな仕事でもいい仕事をしようと思ったら、頭のてっぺんからつま先まで使うものだ。」
作業員になりたての頃に先輩から聞いた言葉をそのまま言った。
「よいお話を伺えました。」
伺うなんて敬語を使われるとは思いもしなかった。
こんないい人達なら、眞帆子の結婚式や披露宴を心から祝ってくれるだろう。
仕事のほうの研修は語学や中東の文化についてが大半だった。
語学といっても元々は英領だったということで英語が公用語だった。
英会話は苦手だが、仕事のためだった。俺は高校生以来、久しぶりに一生懸命勉強した。
文化については、イスラム圏に属するので、女性は外国人でもあまり肌を露出しないような恰好が望ましいということだった。
眞帆子ならたぶん問題ないだろう。会社にいる時も派手な格好とは無縁だった。
やはり外国ということで治安については日本のような考えではいけないらしい。とはいえ、他の周辺の国々に比べれば国民性は穏やかで犯罪は多くないということだった。
ともあれ、俺一人のことではない。眞帆子の命も預かることになるのだからと、アパートに戻ってからも英会話を復習した。
そうこうしているうちにあっという間に挙式・披露宴のため田舎に戻ることになった。
泊まるのは会場のあるホテルだった。
前日に眞帆子も来て、一緒にホテルで打ち合わせをした。東京で用意した指輪も預けた。
その前に指輪が買えるか心配で、銀行で一年か二年ぶりかで記帳をしたのだが、買えるだけの残高が普通預金に残っていたのでほっとした。
夜はそれぞれの家族を交えて一緒に食事をした。
妹一家は紅林家が普通のサラリーマン家庭だと思っていたらしかった。
だが、兄が紅林と名乗った時、母がいち早く気付いた。
「紅林興産の社長さんですか?」
俺は驚いた。どうして知っているのかと。紅林氏は言った。
「私は社長ではありません。父が社長です。」
「紅林は大日本舗装建設の親だ。耕輔にとったら大事な会社だ。どうか、息子をお願いします。」
認知症のはずの母が、俺の勤め先のことをまだ覚えていてくれた。俺は嬉しかった。
顔色を変えたのは妹の旦那の雄基だった。自己紹介の時、かわいそうなくらいガチガチになっていた。
「どうした?譲司、顔色がわるいが。」
雄基に向かって母が言った。妹が最近、雄基のことを譲司と呼ぶのだと言っていた。
「譲司、おまえも早くお嫁さんもらわんとね。耕輔に先を越されてしもたがね。」
「お母さん、こんなとこで言ったら、兄ちゃん、恥ずかしがるよ。」
妹は穏やかに言った。
「そうけ。じゃもう言わん。」
そんなやり取りがあったが、食事会は何事もなく終わった。
その後で、雄基にはなんで言ってくれんかったのかと怒られたが。
その夜はそれぞれの家族で同じ和室に布団を並べて休んだ。
眞帆子も紅林家の一員最後の夜を兄一家と過ごしたのだった。
翌朝はよく晴れていた。
挙式はホテル内の神殿で行われた。
白無垢の眞帆子は美しかった。俺は昨夜の雄基の緊張が乗り移ったかのようにガチガチになっていた。
それでもなんとか式は無事に終わった。指輪の交換の時に眞帆子の指に触れ、そういえば沖縄でキスして以来、触れていないことに気付いた。
披露宴のため、そのまま宴会場に移動した。
身内だけのはずだった。
だが、入場した俺も眞帆子も驚いた。
大日本舗装建設株式会社西日本支店九州統括事業所山置出張所の面々が会場の一角に陣取っていた。
江口、所長、石田、野村……、島さんもいた。
紅林氏も人が悪い。黙っているなんて。
ふと隣を歩く眞帆子を見た。
鬘が取れないようにわずかに俯いた顔から光るものがこぼれ落ちた。その顔を上げた方向には親族の席があり、紅林家の人々が着席していた。その中に一箇所だけ空席があって、テーブルに小さな額に入れた写真が飾られていた。
眞帆子の母親の写真だった。




