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31 初めてのデート

 朝食は普通のホテルの食事だった。

 和食にしてくれたのは、昨夜の夕食が食べ慣れないアラブの料理が多かったからだろう。

「眠れましたか。」

 眞帆子は食事の合間に尋ねた。

「ああ。昨日はいろんなことがあって疲れた。仕事してるほうがましだ。」

「私も。」

 眞帆子が笑った。

 柔らかい笑顔。モハメドには妻がいるから、この笑顔を彼は手に入れることができない。

 だが、俺にも彼女を手に入れる資格はない。

 眞帆子の幸せは一体どこにあるのだろうか。やはり東京に戻ってしかるべき家に嫁ぐのがいいのかもしれない。

「東京に帰りたいと言ったのですが、モハメドさんはもう一日ここにいてくださいとおっしゃって。兄に申し訳なくて。それに父のことも気になります。」

「介護はしてくれる人がいるんだろう。」

「はい。でも投げ出したみたいで。」

 真面目な眞帆子にとってはそうなのだろう。だが、肩肘張らずともいいと俺は思う。

 昨日会った時と今の表情はかなり違う。

 やはり血のつながりの遠い兄一家との生活は眞帆子の心にとっては負担なのかもしれない。

 環境の激変は彼女にとって緊張を強いるものだったのだろう。

 だが、ここに来て、彼女の緊張は少しほぐれたように思えた。

 もう少し、彼女の心をほぐしてやりたかった。俺にできるのはそれだけだ。幸せにするなんておこがましい。

「何をする、今日は? 俺も暇になってしまった。」

「この辺は何があるんでしょうか。」

 俺は水族館を思い出した。若い女性のグループやカップルもいた。

 昨日見たばかりだが、別に二回行って悪いこともあるまい。

「水族館に行こうか。でかいジンベエザメが泳いでる。」

「ジンベイザメ? 人を襲うんですか?」

「襲うのかなあ。」

「どんなサメなんでしょうか。」

 眞帆子の顔が好奇心に輝いた。こんな表情も眞帆子にはあったのかと俺は驚いた。



  

「うわあ!」

 子どものような声を上げた眞帆子は水槽を見上げた。

 青い水槽の中で大きな大きなジンベエザメが悠々と泳いでいる。その動きを追う眞帆子の目は輝いていた。この表情も初めて見る。

 今日は眞帆子の初めての顔ばかり見ているような気がする。

 俺は不思議な気がした。 

 水族館に行きたいとモハメドの従者に言うと、タクシーが用意された。今日一日貸切だから好きに使っていいと言われた。

 水族館のチケットも従者から二枚渡された。

 運転手は俺たちを乗せると、観光案内をしながら水族館へと向かった。

 それを聞く眞帆子は驚きを隠さなかった。まあとか、ええっとか、言う様子は実際の年よりも幼い感じがした。

 俺は運転手に道路は滑りやすいか聞いた。運転手は高速道路はそうでもないが、一般道は雨の時は気を遣うと話した。

 眞帆子はそれを興味深そうに聞いていた。

 そうやって着いた水族館だった。

 眞帆子は水槽に知らない魚が泳いでいると一生懸命説明板を読んでいた。

 だから一つの水槽を巡る時間の長いことといったらない。だが、俺はそれでもよかった。今日は眞帆子の心をほぐすために来たのだから。

 全部の展示を見終わった後も子どものように興奮していた。

「マナティがレタスを食べるなんてびっくりです。」

「そうだな。海藻の代わりっていうのが。」

「あんなに食べたら太るんじゃないでしょうか。」

「レタスで太るかなあ?」




 そんな他愛のない会話をしている時も眞帆子はどこか真面目だった。

「そろそろ飯にしないか。」

 水族館の生き物の餌の話をしていたら、なんとなく腹がすいてきた。

「そうですね。」

 俺は昨日行った道の駅のことを思い出した。あそこならうまいし安い。俺の所持金でも眞帆子にそこそこおいしいものを食べさせられる。

 眞帆子ははっと顔を上げた。

「あ、でも私は財布を持っていないんです。ダールのところに置いてきてしまって。」

「俺がおごる。」

「それはいけません。」

「働いていない女性にお金を出させるわけにはいかない。高い店には行かないし。気にしなくていいよ。」

「申し訳ありません。お返しは必ずします。」

 律儀なのはお嬢様になっても変わらない。いや、もしかすると、お嬢様というのは貧しくても律儀なのかもしれない。やはり眞帆子はリトル・プリンセスだったのかと俺は少しばかり感動した。

「気持ちだけでいいから。」

「気持ちだけ、ですね。ありがとうございます。」

 ようやく納得したようだったので、俺たちはタクシーに戻った。運転手はさすがに時間を計算していたようで、車の中はエアコンが入って涼しくなっていた。

「道の駅へお願いします。食事をします。」

 運転手ははいと言って、車を出した。

「運転手さんはお食事は?」

 眞帆子が心配した。

「大丈夫ですよ。私もいただきますから。」

 運転手の答えに眞帆子はほっとしたようだった。

「ついでにお土産もお求めになるといいですよ。」

 俺はしまったと思った。最後にショップの中を通ったんだから、あそこで何か眞帆子に買ってやればよかったと。

 だが、彼女は何も欲しそうな顔をしなかった。普通の若い女性なら、ぬいぐるみを見てかわいいとか言って足を止めそうなのに。

 俺はまたしまったと思った。眞帆子は俺に気を遣ったのだ。下手に立ち止まって見たりしたら、俺が買うと言い出すかもしれないと思ったに違いない。

 紅林眞帆子という女は気を遣い過ぎる。

 兄の子らが海外で自分にお土産を買ってきてくれたことを喜ぶような女なのだから、本当は欲しいものがあったのかもしれないのに。

 運転手に引き返してくださいという勇気は俺にはなかった。

 それに恐らく諦めることに慣れている眞帆子が諦めたものを今さら欲しいと言えるだろうか。彼女のプライドを思えばそんなことはできない。

 道の駅で何か買ってやろうと俺は思った。

 水族館にあったようなぬいぐるみがあればいいのだが。いや、ぬいぐるみを喜ぶ年齢でもないだろう。

 妹は結婚しても好きで、クレーンゲームで旦那が取ったのを車に飾っていた。

 だが、眞帆子の車にはそういうものが載っていたことはなかったような気がする。

 何がいいのだろうか。

 俺は道の駅に着くまで、ずっと何がいいか考えていた。

 そんな俺を眞帆子は黙って見ていた。




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