七十三幕 送り出し
急遽、春乃の出演見合わせに伴う【ハルノカオリ】のお披露目ライブの中止。
その報を改めてリーダーである香織の口から聞かされた観客から残念な声が挙がる一方で、香織と柚野のだけのステージに声援を送る者も散見された。
ファンの温かく寄り添ってくれる気持ちに応えるべく、香織は精一杯会場内を盛り上げようと最初と休息の合間に入れるトークや楽曲毎のパフォーマンスで楽しんでもらえるように努める。
普段はあまり喋らない柚野もお喋りな春乃に負けないくらい話そうと頑張る様子を見せるも話し慣れない極度の緊張感からかなり空回りしている様子が強かった。
元より柚野は天然発言の多い不思議ちゃんとしてファンの間で親しまれている。そんな一面を楽しみにしているファンにとっては柚野の空回りは通常運転にしか映らないのが幸いした。
そんな盛況な流れを維持したままSCARLETとしてのライブも既に終盤戦を迎え、次は【ハルノカオリ】のデビューライブ……ではなく三津谷香織だけのステージが始まる。
舞台裏に一旦戻って別の衣装に着替える準備、この間約数分しかない。
【ハルノカオリ】というユニット名に因んだ桜色の華やかでポップな可愛い衣装を纏い、鏡で装いを目で確認しながら呼吸を整え、心臓の鼓動を落ち着かせつつこの後に控えるもう二曲をたった一人で披露することに香織はどう対応するか考える。
「どうしよう……全然思いつかない」
独り言の様に弱々しく椅子に座り込んだ香織は再びふぅーと息を深く吐いて、直ぐに落ち着く。
「駄目だ。考えても出て来ないなら手探りでやるしかない」
水分補給の合間を縫って思索に耽っていたものの、良いアイディアが浮かばないことに頭をかなり悩まされていた。
このライブを行う上での段取り、言わば台本は既に破棄されているも同然。
前半と中盤にかけては二人でのSCARLETライブ。
後半はSCARLETの三津谷香織だけのソロライブ。
前者はインカムを通じて適宜変更点に従い進めてきたものの、後者に関しては一から台本の作り直しということで舞台裏は少ない時間で知恵を振り絞って構想を練っているに違いないと香織は勝手に予想した。
だが、ステージに立つ当事者として自分でどうライブを作っていくか、考えるのもまた仕事の一つ。
一番ファンと近い距離に立ち、ファンが自分達に何を求めているのか。
それを探りながらこれまでやってきた。
ファンが求めるSCARLETの三津谷香織を演じ、どう楽しんでもらえるか。それはある程度、自分の中で既に見出している。
定石通り、王道、定番、型……言い方はなんだっていい。
次に待ち受けてるステージもいつも通りにやればいいだけ。
そう自分自身に気合いを注入した香織は立ち上がって控室の扉を開ける。
再びステージへと立つ通路の脇で春乃が手を振って待っていた。
「私の屍を越えてゆけよ、香織!」
思ってた以上に元気そうな表情で振る舞う。
本番前に怪我で動けないと知った時はかなり落ち込んで涙を流している様子であったが、今はもう少し吹っ切れて元に戻っている春乃に香織は少し安堵しつつ「死んでないし」「誰の真似?」と軽く二発のツッコミを入れる。すると、春乃はいつになく真剣な顔で尋ねる。
「香織、一人だと怖い?」
「……」
「本当なら私がいつもみたいに夜中の連れションに付いて行ってあげたいんだけど」
「待って、その分かり辛い例えは止めて。あと、そんな事実ないから。それに下品」
「でも、一人が怖い気持ちは分かる。香織が常に一人で何かと向き合っているのは私も知ってる」
「ふざけたいの?真剣なの?」
「どっちもだよ!」
どうでもよくなった香織は省エネモードに切り替え、ツッコミを止める。
「私はね。香織の力になりたいの。もらってばかりじゃなくて、与える側にもなりたい」
「そんなことは……」
「『大丈夫。私は春乃達をいつも頼りにしてる』……なんて台詞は読めてるぜ」
下手な自分の物真似に若干イラっとしつつも春乃の主張にこのまま聞き入る。
「けど、こんな感じじゃ香織が甘えん坊みたく私達を頼る日なんてまだ先かもしれないよね」
「ふふっ、そうかもしれない」
「ちょいちょい、そこは『そんなことはない』でしょうが……ふふっ。な~んてね。だから、先で待ってて」
「……!」
「私達は必ず香織に追い付く。離れたりなんてしない。背後霊みたく執拗に追いかけ回してやる」
「せめて、隣に居てよ。それなら」
「勿論だとも!」
「三津谷さん、スタンバイお願いします!」というスタッフの指示が届き、春乃の無駄話に付き合わされているうちに再出場の時間がやってきた。
舞台に立って、何をどうトークすればいいかも結局考えれていない。
出たとこ勝負で台本抜きのアドリブは香織が最も不得意とする。
先を考えるだけで踏み出す一歩が重く感じる。
「はぁ~一人って怖い」
「大丈夫だよ。香織は一人じゃないから」
「分かってる。春乃、せめてもの頼み事を聞いてくれる?」
「もっちろん、何でも聞いちゃうよ~、ステージで一緒に立って欲しい以外なら」
「ステージじゃなくて構わないから傍に居て。舞台の袖でいいから」
「仕方ないな~さみしん坊さんの香織ちゃんの横に居てあげようじゃないか」
「お願いね」
傍に居なくてもいいから。
せめて、出来るだけ近くで且つどこに居るのか明確に分かる範囲内に居て欲しい。
一人じゃないと安心出来る場所に。
「そう言えば、柚野は?」
「なんか着替えがあるって言って、楽屋の方戻っちゃった。まぁ、後で特設脇見席を用意してもらうから私の分も頑張ってきて……二人で」
背中を押した直後、春乃は何かボソッと呟くもその言葉が香織の耳に届くことはなかった。
舞台袖に向かう香織を笑顔で送る春乃は彼女の背中が見えなくなるまで持ち前の明るさを決して絶やさなかった。
「あれれ、言わなくて良かったの?」
ステージ衣装からオリジナルTシャツに着替え終えた柚野が空室であった楽屋のドアを開けて、ひょこっと顔を出す。
「だって、サプライズなんだから言っちゃダメでしょ。まぁ、最後にちょこっとほのめかしたけど」
「言ってあげたら安心したと思うよ」
「今伝えても香織は反って混乱する。むしろ、本番で流れに乗ったまま知る方が香織にとっては良い気がする」
春乃の言葉に一理あると柚野は頷く。
「それより中の準備はどう?順調そう?」
「麗華さんと最終打ち合わせしてるかな~」
「お~ギリギリまで粘るね」
かれこれ三十分くらい春乃の横にある楽屋を使って二人で段取りを話し合っている。
その前にも少しだけ軽く通しで楽曲の復習を行い、歌詞やメロディーの確認を行うなどしてギリギリまで個人リハを中で行っていた。
春乃の代わりに担当するパートを本人立会いの元で再確認を行い、短時間で念入りに準備を進めてきた。あとは先程同様に、もう一人の演者を送り出すだけ。
「ま、こればっかりは私達じゃどうにもならないからね」
「そうだね~。でも、はるのんは楽しみなんじゃないの?」
「勿論、楽しみだよ。あの二人が同じステージに立つ。そんな夢みたいな日を今日見れるとは思ってもなかったから。まるでアニメの最終回みたいな超絶胸熱な展開に興奮が抑えられない!」
「はるのんはいいの?損する報われない役柄で?」
「オイオイ、柚野ってばたまーに凄い毒を吐くよね」
「他に言い様が分からなくて~」
「実際にそうだし、合ってるから何も言い返せないんだけどね」
春乃は自分の立場を省みて、こればかりは認めざるを得ないと肩を竦める。
「でも、楽しみな気持ちは本当。あの末恐ろしい従姉妹のステージはめちゃくちゃ胸躍る」
「エモエモってやつだね~」
「あの~人の話聞いてました?」
お互い独特な感性を持つ者同士。
ツッコミ役兼仲裁役不在の状態では話が纏まらぬと判断した春乃は片足を軸に立ち上がる。
なるべく怪我した足は床に着けないように言われているが、バランスが取り辛く爪先を着けてなんとか姿勢を保とうとするも、炎症した部分から激痛が走る。
「くぅ~キツイ」
「大丈夫ですか?」
「うん。ありがとう柚野……って、あれヒカリちゃん?」
崩れ落ちる自分を支えたのが柚野であると勘違いした春乃は腕で支えてくれたヒカリの横顔に不思議と気を昂らせながら頬を少しだけ赤く染める。
「ヤバい、ヒカリちゃんがイケメンに見えた」
見た目はどこからどう見てもあどけない美少女。
華奢な身体のどこに腕一本で春乃の身体を支える力があるのだろうか。
春乃はそんな疑問を他所に滅多に体験出来ないシチュエーションに興奮する。
「うーん。エモエモだね~」
「柚野、それが正しい使い方だよ」
「わかりみ~」
二人の不可解なコント劇にいつの間にか巻き込まれたヒカリは困惑しつつも、スタッフが用意した車椅子に春乃を座らせる。
「色々と世話かけてごめんね。あれ、ツインテール解いちゃったの?」
いつものストレートの髪型に戻しているヒカリを名残惜しい目で訴える。
「そんな目で見てもしませんよ。それにツインテだと私だって気付かない人もいますし」
「そんなお馬鹿な人、居る?」
(えぇ、横に)と内心で呟きつつ、横目で下手な口笛を吹いて誤魔化そうとする人物を追う。
すると、直後にステージ側から大きな歓声が舞台裏まで轟く。
たった一人で四千以上集まった人達から湧き上がる声の塊にヒカリの表情が若干険しくなる。
「凄いな……これ全部、香織一人に向けて放たれてるなんて……」
代役なんて必要ないんじゃないかと思わせるような圧声に土壇場で迷いが生じる。
つい最近まで数百という人間を相手にするだけでも圧倒されていたのに、いきなり四千人もの人達の前に立つというプレッシャーに今更ながら陽一は内心で臆していた。
(なんて重さだよ。これを一人で受け止めるなんて今の俺には到底出来ない)
だが、逃げることも出来ない。
代役を引き受けた瞬間から逃げ道は自分で断っている。
ここから先はどう足搔いても突き進むしかない。
足が重くても、逃げたくても……行くしかないんだ。
(アイツと同じステージに立つために)
そんなヒカリの背中が誰かの背中と全く同じ様に映った春乃はクスリと笑みながら手を伸ばす。
その横から同じようにして柚野も優しく手を伸ばす。
「後は頼んだよ、ヒカリちゃん」
二人の伸びた手がヒカリの身体を前へと進ませる。
陽一が意を決したタイミングで春乃の想いを乗せた言葉を受け取り、振り返ることもなくそのまま自分が立つべき場所に向かって歩き始める。
「やっぱり、ヒカリちゃんはカッコイイなぁ」
「可愛いじゃなくて?」
「どっちも。でも、ヒカリちゃんはやっぱりカッコイイなんだよ」
臆しながらも勇気を振り絞って行動する様はまるでヒーローそのもの。
優しくて頼りがいがあって傍に居たい大好き人。
以前、そうヒカリを語った唯菜の気持ちが理解出来た気がした。
「頑張れ。私の大好きなアイドルシスターズ」




