七十四幕 ライブ/一曲目
『みなさ~ん、お待たせしました!』
お色直しも兼ね、新たな衣装に身を包んだ香織の再登場に際して、客席で休んでいた観客全員が総立ちで一回目と引けを取らない大歓声で迎えられる。
香織の心境を配慮してステージ側から客席全体が見えやすいように普段よりも照明を若干明るくしていた。そのお陰か、香織は何も怖気づくことなく最初のトークタイムに入る。
『公演の冒頭でもお伝えしましたが、本日の【ハルノカオリ】デビューライブは中止となります』
落胆の声は挙がらない。
事前にそう通達していたからかファンも理解を示し、仕方ないと受け入れる。
『ですが、今日は一人でやります』
香織の確固たる意志に会場内から一瞬、どよめきが生じる。しかし、一人でもやると決めてステージに立った香織に拍手や温かい声援が送られる。
『皆さん温かい応援、本当にありがとう!早速ですが披露させて頂きたいと思います』
大きく息を吐いて曲名を叫んだ直後、香織が春乃やヒカリと二週間に渡って練習してきた一曲目の音楽が会場内と香織のイヤーモニターにかかる。
SCARLETの定番曲みたいく聞き慣れたリズムに合わせて、Aメロに入るまでの前奏でダンスを踊りながら衣装と同色のペンライトが振られていることに気付く。
一週間前に二人でMV撮影を終え、動画配信サイトに公開されたばかりの新ユニット曲。
この日のライブに向けて繰り返し視聴を重ねてきた観客達は知っているリズムに合わせてペンライトを振ったり、香織のダンスに合わせて見様見真似で簡易な振付を披露する者も散見された。
(いいね。一緒に踊ろう)
一人ではなく会場全体で一つのパフォーマンスを完成させる。
それを意識した香織はAメロに入る直前で息を整え、ゆったりとした声で歌詞をなぞる。
穏やかでマイクから透き通った綺麗な声。
前奏はアップテンポな曲ながらもいざ歌詞を紡いだ途端、静寂が舞い降りた。
ペンライトの動きもゆったりとした静かな波打つ動きへと変わる。
観客の誰もが香織の響かえる声に耳を傾け、集中して曲を聞き入る。
その入りを掴んだ香織は曲に従って、今度は自身の声を加速させる。
ダンスも次第に動きが増える。
会場と一体となって楽しく盛り上がる曲という本来の姿へと戻って香織は自分以外の歌唱パートも含めて一人で二役を担う。
それゆえか、いつもの様な勢いに上手く乗れていなかった。
一人で歌い続けても違和感しか覚えない。
無論、それは分かっていた。
分かった上で歌っている。
なのに……香織は正直なまでにこれは違うと思ってしまっていた。
それに気付いた唯菜は歌声に隠された香織の想いを薄っすらと感じ取る。
(そうだよね。難しいよね)
二人で動きや声を合わせて真価を発揮する楽曲を一人で披露することの難しさ。
それと似たようなことを先日、唯菜はポーチカのライブで経験していた。
五人の曲を三人で回す。
居ない二人の分を補って歌うというのは意外にも難しい。
ルーチェと幸香。唯菜にはない要素を二人は持っており、それを真似することは到底容易ではない。だから、自分なりにアレンジして新たなパートに仕上げる必要がその場限りで生じた。
それを思い出しながら唯菜は香織がより難しい難題に直面しているのを目の当たりにする。
本来であれば交互に歌う筈だったパートを一人で歌わなければならない。
下手に春乃を演じることより、自分なりに春乃のパートをカバーする事に決めた香織は歌い方を統一し、違和感なく歌詞を紡ぐも少し厳しさを覚えた。
香織と春乃。二人の違いが如実になることで良さを生み出す。
この曲を事前に予習段階で聴いてきた観客の中ではその印象が深く刻まれていた。
無論、【ハルノカオリ】の楽しみの一つとしてそれは含まれている。
そのせいか反って統一感に出た香織の歌い方が聴く者に少し違和感を与えてしまう。
何十回と繰り返し耳コピした唯菜も例外になく、心では満足するつもりでいても脳内に焼き付いたその曲の印象が違うと呼びかけてくる。
(やっぱり違う)
歌っている本人ですら、自分の取った選択が間違いであると気付き始める。
いっそのこと、春乃のパート部分だけ音源を流してしまった方がまだマシなくらい合ってないと自分でも気付く。
でも、もう遅い。
これが三津谷香織による一人だけの【ハルノカオリ】を演出すると決め、歌い出した以上……後戻りはできない。だから、想像していたクオリティとは程遠いパフォーマンスになると分かっても、ある程度妥協して最後までやり遂げるしかない。
しかし……
この先に待つ幾つかの難所を一人で切り抜けようと覚悟するも……心のボルテージは下がるばかりであった。
一人でも全力でやり切ると決めていたのに、会場と自分の反応からあっさりと曲げて、いつの間にか妥協点を探っている。
もう失敗したと決めつけ、如何にしてダメージを抑えて二曲を歌い切れるか考えている。
(らしくない。私が投げやりにライブをするなんて……)
観ている者の事を考えて楽しんでもらえるようなステージを意識は何処か行ってしまった。
今は広がる傷を如何にして抑え、皆を出来るだけガッカリさせないようにすべきか考えてしまっている。
(こんなの私じゃない)
(私らしくない)
(甘えるな。私は一人でも上手くこなせる)
そう自分に言い聞かせて、気持ちを上げようと鼓舞する。
その精神に応じて、現実でのパフォーマンスも徐々にキレを帯びていく。
いつになく余裕のない笑顔を浮かべ、段々と強張っていく表情に観客として観ていることしか出来ない唯菜は『頑張れ』と強く応援する。
(塗り替えろ。これは私の曲だ。【ハルノカオリ】の色をなるべく出すのではなく、私だけの色に変える。そうすれば、この違和感は消える……)
違う。そうではない。
この曲はもっと違う筈だ。
今まで練習してきたこの曲はこんなにも独り善がりな雰囲気ではない。
春乃と一緒に練習していた時は各々の役割分担をそれぞれ明確にしながら二人の色を出しつつも、似て異なる対称的な雰囲気をダンスや歌で表現する。
なのに、私は全然違うことをやろうとしている。
迷って決めて、また迷い続けている。
手応えのなさに臆してドンドン紆余曲折し出している。
(あぁ、もう分からない!)
どうすればいい。
私はこの曲をこのままどう進めれば正解に導ける。
何をやっても納得がいかない。
全然満足のいかないパフォーマンスに思考回路がパンク寸前まで追い込まれている。
(お願い)
(誰か助けて)
(私、一人では無理)
(誰か、もう一人。私の隣に立って……春乃…)
身体を半回転させるタイミングで香織は舞台袖に居るであろう春乃の方へと弱気な想いを向ける。
居てくれるだけでいい。香織はステージ前にそう伝えることで何とかやり遂げられると思っていたが、今は隣に居て欲しいと強く願うばかりであった。
(車椅子のままでも構わない)
(ダンスは出来てなくてもいいから、せめて一緒に歌って欲しい)
切実なその願いを瞳に込めて春乃へと訴える。
すると、その想いが伝わったのか。
春乃は微笑みながら口を開くと『大丈夫』と伝えた。
(大丈夫?)
この状況を顧みて一体何がどう大丈夫なのか。
そう尋ねたくなる気持ちを抑えつつも、香織は再び前を向く。
恐らく春乃のことだ。自分がステージに立てない代わりに何か策を用意しているに違いない。
それが一体何であるかは検討がつかない。
しかし、何か打開策があるなら何だって構わない。
(これ以上、私をこのステージ上で一人にしないで……)
現実世界では真剣にパフォーマンスを取り組み、内心では弱音を吐きつつも、体裁は強く保ち続ける。
Aメロを全て一人で乗り切り、二人のユニゾンに入ろうとするBメロへの段階で会場内が妙にざわついていることにふと気付く。
(なに……?)
前列の観客の視線が一時的に香織から外され、その驚愕は背後の何かに向けられている。
機材トラブルとかではない。
(何か……いや、誰かが背後に登場して注目を引いているの?)
今すぐに振り向いて一体誰が立っているのか確認したい……が、その気持ちを抑えた香織は流れに身を委ねてBメロへと突入。
マイクを強く握り締め、弱い自分の心に喝を入れる勢いで声を出す。
すると、自分の声と他にもう一人の声が交じり合う。
(……!!)
背中から大きな風を感じ、強く押された気がした。
(振り返るな)
(前だけを見とけ)
そんな明確な意志が歌声と共に伝えられた香織は首をグンと下げ、一瞬だけ髪の毛で顔を隠す、
ステージと前列の間で香織を捉えているカメラのレンズにはとびきりの嬉しさあまり抑えきれずに口元を緩ませてしまう香織の表情がしっかりと納められていた。
(こんな表情、みんなには見せられない。でも、嬉しすぎる)
とんでもないサプライズ演出に心が躍る。
さっきまで考えていたことも一瞬にして吹き飛んで……今は何も考えられないくらい前だけを見て、歌と踊りに集中している。
(事前に来るなら来るで言って欲しかったよ)
サプライズなんて要らないとは言わない。
でも、出来ることなら事前の打ち合わせは欲しかった。
(それがあれば今……私はこんなにも皆の前で笑顔を見せていなかった)
大きなメインスクリーンには満天の笑顔が映し出されている。
誰もが見たことのないその笑顔に多くのファンが惹き付けられる。
そして、同時に新たな期待が膨らむ。
今し方、サプライズゲストとして登場し……ゆっくりと声を重ねながら香織の立つステージまで階段に降り立ち、タイミングよくダンスパートへと移行して完璧なまでに動きを合わせる人物。
その二人による【ハルノカオリ】でもなければSCARLETでもない。
同じ顔をした二人の少女による華麗なパフォーマンスに激しい熱情を覚える。
一瞬にしてガラッと変わった空気感に香織は普段とは違ういたずらっぽい笑みを浮かべた。
(ズルいな~ホントに)
SCARLET・【ハルノカオリ】のライブには拘らなくていい。
今だけは三津谷香織と三ツ谷ヒカリによる一夜限りのユニットでライブを盛り上げる。
『だから、もっと普段の自分を出しなよ』という春乃の想いにこれだと応えざるを得ない。
(でも、今はそれに乗る方がやりやすい。むしろ、私もやってみたく思う)
立場なぞ忘れ、今はだた兄妹の力を合わせてライブを盛り上げ……そして、全力全霊で楽しむ。
そのことだけを意識して香織もまた風を吹かせる。
♢
(ウソ……なんで……)
客席から観れば、彼女が現れたのは舞台後方の階段を上がった大きなモニター前のステージ。
Bメロの直前でいきなりリフトから登場した行方知らずになりかけていた相棒に唯菜は口を半開きで制止した状態のまま数秒間、思考をOFFにする。
「あれ、三ツ谷ヒカリじゃん!」
「え、誰それ?」
「ポーチカのヒカリちゃん。最近、香織ちゃんと似てるって話題の」
「あぁ、双子かもって噂の!てか、よく見たらめっちゃ似てんな」
一つ後ろの席から薄ら聞こえてくる会話を聞き取った唯菜は階段を降りて、香織の横へと並んで【ハルノカオリ】のパフォーマンスをする二人を交互に見合う。
彼女達を良く知る関係者として二人がSCARLETファンの間で噂される様な関係でないのは明白。あくまでも従姉妹であって、決して双子の姉妹ではない。
香織には姉妹なんてものは存在せず、双子の兄が存在するのみ。
そう分かっているのに、どうしてか分からない。
唯菜の中で二人が従姉妹ではなく、本当の姉妹にしか見えなかった。
何年も一緒に過ごして、二人で居ることが日常であると感じさせる様な息の合ったパフォーマンスに一ミリのズレを感じさせない綺麗な歌声が重なり合って途轍もない力を生み出している。
凄い……なんて言葉では収まらない。
(これは紛れもなく二人の曲だ。【ハルノカオリ】でもSCARLETでもない……二人だけの)
ヒカリの参戦で会場内の盛り上がりは徐々に再燃していく。
観客が抱いていた違和感もいつの間にか払拭され、ヒカリと香織が生み出す新たな雰囲気に期待を馳せるのみであった。
♢
それはステージに立つ香織もまた同じ。
たった一人の登場でガラッと一変した盛り上がりに大きな手応えを感じつつ、この特別ステージを楽しむ気持ちが抑えられない。
(お兄ちゃん、やるな~)
歌もダンスも一緒に練習したのはあの三日間きりである。
リハーサルも行わず、ぶっつけ本番であるのに迷いが一切ない。
土壇場に追い込まれた時に発揮する兄の胆力と潜在能力には思わず舌を巻く。
それと同時に我が兄ことながら香織は妙な嬉しさが胸中で湧き上がっていた。
(もう、昔のお兄ちゃんじゃない)
香織が知っている兄と言えば、本番にはかなり弱い筈であった。
緊張のあまり力を出せず、萎縮してしまって失敗してしまう。
だが、そんな影はもう見当たらない。
知らぬうちに兄もまた大きく成長していた。
その事実に嬉しくなり過ぎるあまり、気が緩んでしまったことを突くかのようにヒカリはこれ見よがしに主役の座を奪うおうと存在感を高める。
(出て来て早々に目立つつもり?いや、違う。この感じは勝負……)
ヒカリの登場と共に会場内のペンライトの色にポーチカの三ツ谷ヒカリを象徴するイメージカラーの黄色が加わりつつあった。
『うかうかしてっと、俺色に会場を染め上げんぞ?いいのか、なぁ?』と脳内で軽い挑発を受け取る。
(いいよ。受けてあげる)
これを機に『パフォーマンスに再集中しろ』という別の意図も汲み取り、香織は敢えて軽い挑発に乗った。
サビ前のシンメトリーダンスでお互いの個を主張しつつも、息の合った対称的なダンスに多くの観客が二人の動きを目で追いつつ、意識が左右へと割かれていく。
♢
その中でも唯菜は自身の相棒へと目が離せなかった。
(ステージから観るヒカリちゃんって何だかカッコイイ)
多分、こう思ったのは初めてではない。
横浜でヒカリと初めてステージに立った時もそう感じた。
可愛くもあり、カッコよくある。
あの華奢な身体のどこにあの様な勇ましさがあるのか。
日常生活でも滅多に見られないその男勝りな性格面が何故か不思議とステージという場面でちょくちょく現れることに可笑しくもある。
しかし、そこがヒカリの良さであると唯菜は知っている。
掴み所のないキャラクター性にワクワクさせられる。
何かする度に驚きをくれる。
それは隣に居る香織もまた同じ。
飽きないライブを心掛けようと常に新鮮な可愛いを提供するエンターテイナー。
新たなことに次々と恐れず挑戦し、何事も全力全霊で取り組む姿勢には大いに尊敬を寄せる。
そんなカッコイイとカワイイの共演。
両手に握ったペンライトの色をそれぞれ二人の色に合わせて変化させる。
そのタイミングでステージ上のヒカリと視線が重なった。
まるで時が止まったかのような感覚に陥るも、ヒカリの表情を直ぐに察して薄く笑む。
二人しか分からない相槌を取り、視線が離れる間際、ヒカリは軽く口元を動かして伝える。
(行くぞ)
ダンスパートの勢いに乗ったままサビパートへと二人は突入。
会場内の雰囲気は上々。
もはや止まる事を知らない熱気がステージまで立ち昇り、二人の額には汗が浮かび上がる。
だが、それすら気にならないくらい二人はパフォーマンスに熱中していた。
あの三日間での事を思い出し、お互いにどう魅せるかを読み合って感じ取りながら最初の一曲を最高なまでに仕上げにかかった。




