5、青い風が吹く頃に
テルミハルアと話す機会は、この一週間、中々なかった。
今日も結局掴めなかったしなぁ。まぁ、しょうがない。まだ家に来て一週間しか経っていないのだから。
いや。無いと言うのはちょっと大袈裟だったかな? 一応、朝の挨拶とかは普通にしてるし。
そんな感じで、言葉を交わす機会はあるにはあったのだけど、会話をしようとすると、何と言うか、ね? 本人があまり口をきいてくれないと言うか。喋るのを嫌がっているのがバンバン伝わってくるんだよね。ただ、一緒に居ること自体は嫌がってはいないみたい。父さん曰く、日々のご飯作戦が効いたらしい。やった甲斐があると言うものだ。
おかげで、毎日の挨拶は欠かさず返してくれる。嫌々ではなく、至って普通の仕草で。たったそれだけのことが案外嬉しい。どんな些細なことであれ、好きな子に嫌々されるのはどうやっても嬉しくないからね。
とは言うものの、挨拶以外での「会話」になると、全然してくれないけど。
一言程度なら返してくれたり、くれなかったり。猫以上に読めない。
それでも、テルミハルアと一緒に居られるのが嬉しいって思うんだから、俺は相当彼女に入れ込んでいるのだろう。その事に対して、やはり、悪い気はしないんだよな。
それに、一端とは言え、初日から啖呵を切る様な苛烈とも言える彼女の性格をこの目で見ている。そんなすぐに腹を割って話し合えるとは、元から思っていない。時間をかけてでも、信頼と言うか、言葉を交わせる仲になっていくことの方が大事だろう。
近寄り過ぎても、余計に警戒されちゃうしね。
あれ? 何だか野生動物との接し方に近い様な?
うーん。まぁ、いいか。
何はどうあれ、お互いに適切な距離を求めていくのは、大切なことだってことには変わり無いんだから。
「ふーん? まぁ、アージがそれで良いって言うのならいいんだけどさ。俺の問題じゃないし。それにしても、改めて聞くと、相当な性格をしているよな。お前の嫁さん候補」
そう言って、ススルベルルクは適当にもぎって来た果実を齧る。
行儀が悪いが、家の外でまでそんなことを注意する者は居ないので、遠出とまではいかないが、こうして適当な場所にまで出ては適当に過ごすのが、最近の俺達の日課となりつつある。馬の練習にもなるし。
このススルベルルクは俺の友人だ。本名だとクッソ言い難いので、普段は「スルク」って呼んでいる。寺子屋のような手習い場で知り合った同世代の友達で、実家が旅籠屋であるためか、俺よりも算術に長けている奴だ。分野を問わず話題も豊富だし。聞いていて飽きが来ないのも素直に凄いと思う。
「そう? 実際は言うほど凄いこともしないし、割と普通だと思うけどな? 大人しい性格かと言われれば、ちょっと答えに困るけどね」
俺もスルクがもぎってきた杏の様な小さな果実を数個ほど分けてもらい、それを齧りながら会話を続ける。澄み渡る空が気持ち良い。風もカラッとしており、若草の良い匂いがする。雨の日が近付くと青臭くなってちょっと嫌だが、今日の様な日には居心地が良い場所だ。
「それを言えば、俺のとこに来るお嫁さんも大人しい方ではないわな。でも、そこが良い。話していても気が合いそうだったし。
元気があって、威勢が良くて。体も丈夫だし、すぐにメソメソもしないから、気兼ねなく話せるのも良いな。はっきり自分の言いたいこともちゃんと言ってくれるし」
「そうそう。大人しい娘が悪いとか嫌いってわけじゃないんだけど、もっとこう話して欲しいと言うか何と言うか。苦手、と言うのもまた違うんだよね。
友人には申し分無いんだろうけど、恋人や嫁さんの相手とするにはちょっと違うって感じなだけでさ。
俺は思ったことは何度だって話して欲しいし、話し合いたいんだよね。それに、俺にだって言いたいことだってあるんだし。かと言って、何でも思い通りにしたいわけでも無いし、お嫁さんの尻に敷かれたいわけでも無いんだけどさ」
スルクの言葉に同意しつつ言葉を返して、大人しい娘について思い起こす。
確かに、大人しい娘は可愛らしい。こう、守ってあげたくなるような保護欲だったり、清楚を感じたりするから。決して嫌いでは無いのだ。
良き友人、良き隣人にはなれる。
でも、結婚となると話はまた違うんだよね。子育てだってあるし。
友人と妻は違う。ただ、それだけのことなのだ。
「だよな。でもまぁ、それくらいの気概はあってくれても良いんじゃないか? 俺の母さんみたいに、大人しくても、子供を産んですぐに死んでしまうのは悲しい。やっぱり神殿で誓いを立てて夫婦になるんだし、お互いに長生きしたいし、して欲しいからな」
スルクの言葉に無言で肯定する。
スルクを産んだお母さんは、気立てが良く優しい女性ではあったらしいが、体が元から弱く、何かと倒れることが多かったらしい。そのため、スルク以外に子供は産めず、そのスルクが物心着く前に死んだそうだ。
この世界では、人が死ぬのは決して珍しいことではない。まして、産後なんて最も弱っている状態の時に死ぬ女性は、少ない数では済まない。体が弱い女性なら、尚更に。
医者が居ても、どうにもならないことって往々にしてあるから。
だからスルクはよく口癖の様に呟く。
何も悪いことをしていないのに、体が弱いのは可哀想だ、と。
体が弱いと言うだけで、この穏やかではあるけれど、それでも自然の脅威の残るこの土地で暮らすことが、ひいては生きると言うただそれだけのことが、どれだけ大変なことであるのかが、自然と目に入ってしまうからだろうな。
それがスルクの優しさにも繋がり、同時に、スルクをちょっとずつ傷付ける。本当、弱くて強い、掛け替えのないの友達だ。
「俺は嫁さんにするのなら、元気な女の方が良いな。
その点で言えば、パリッタは良い女だ。ご飯も良く食べて、よく働いて、よく眠る。そう言う女は長生きする。きっと、子供も丈夫な子が生まれるよ。兄妹だって産めるかもしれない。
力だってあるし、病気もあまりしたことが無いって聞いている。刺繍は下手だけど、それでも良いさ。
パリッタは、はっきりと思ったことを口にしてくれるし、誤解もされやすいけど、思いやりだってある。一緒に居たり、話したりしていると、なんかこう、こっちも明るくなる気がしてさ。静かな娘だと、変に気を使っちゃうからな。正直言って、苦手なんだ。心配が尽きないって言うのもあるし。その癖、何を思っているのかも全然話してくれないから、余計に分かり難いし」
「それ、今までの縁談の愚痴?」
前半は来週この街に来るお嫁さんについての惚気もどきだったけど、後半は後腐れを感じさせない、あっけらんとした愚痴にも聞こえた。
「いや。ご近所付き合いとかも含めての、俺の感想」
そんなことを言い終えると、スルクは寝転がっていた草原から上体を起こし、胡座をかく。そうして、ぼんやりと空の彼方を見上げる。それに釣られる様に、俺も空を見た。白い雲が、悠然と空を漂うのが良く見える。あの雲なんて、駆ける馬の様にも見えて、今日の様な天気の良い日にはうってつけの雲だと思う。
「で、お前は彼女のどこをそんなに気に入ってんの?」
「さぁ?」
「さぁ、って。お前、まさか見た目だけ?」
呆れた様に返すスルクに、俺も明確に返す言葉が無いので、取りあえず、思ったことを説明しておく。見た目だけで女の子、ひいてはお嫁さんを選ぶ様な軽率で軽薄な男だとは思われたくないし。
俺自身がそう言う風に思われるのが心外だって言うのも勿論ある。軽薄な奴は、異性もそうだが、何より同性として信頼に値しないから。ここで生活する様になって、特にそう言う風に思う様になった。
だけど、それ以外にも理由はある。人付き合いを大事にするこの土地において、案外こう言う面からの信頼も、我が家の商売の信頼と言う形で普及し、影響を与えてしまうから。
それを踏まえてみれば、改めてテルミハルアのやった「縁談の破棄」と言う行動の恐ろしさが分かると言うものだろう。まぁ、まだ女である分、彼女の実家に対する影響力は小さいだろうけど。
「今のところそうなっちゃうのかな? でも、それだと言葉が悪いし、一目惚れってことにしておいてよ。そっちの方が響きも良いしさ。知らないからこそ、知っていきたいって感じ?
うーん。でも、それだけでは無いわな。それだけじゃ足りない。何て言えばいいのかな〜?
あの時、あの場に居てさ。テルミハルアの気迫だとか表情だとか雰囲気だとか、とにかく、彼女の全部に意識が行って、そのまま離れない感じなんだ」
思い出すのは、俺を射抜かんばかりに冷たくも、途切れることのない情熱を宿したあの双眸。あの混じり気の無い氷の様な美しい色が、俺を惹きつけて止まないのだ。あの瞳に、俺だけを映して、俺を見て欲しい。そんな想いが気付いた時には浮かんでくるのだ。
「重症だな」
そんな俺の内心の言葉をそのまま口にするスルクに、少し苦笑してしまう。そんなに顔に出ていたのかな? それとも、単にスルクが鋭いだけなのだろうか?
何にせよ、俺の内心を察してしまっても、変に言及する様なことをしないスルクと言う友人は有難い存在であった。
「嫁さん候補の親戚とか親父さんとかとは、普通に話せているのか?」
「そっちの方は問題無いよ。寧ろ、テルミハルア殿が話してくれない分、向こうから色々と話してくれるくらいだし」
食後の後は大抵タバコを吸うか、気ままに楽器を弾いたりと、割と悠長に過ごすのが一般的だ。なので、その時にジーンさんとかがここから遠く離れたハビョウカについてなど、たくさんのことを話してくれるのだ。ケルベル兄さんの幼い子供達も知らない土地の話だからか、嬉々として聞いている。
「へぇ。ハビョウカの話は俺も聞いてみたいな。それに、件の嫁さん候補にも会ってみたいし。なぁ、俺もそっちにお邪魔して良いか?」
「うん。勿論だよ。どうせなら親父さん達も連れて来なよ。父さん達も会いたがっているし」
本人の承諾無しに顔合わせの約束をするのは、この土地では良くあることだし、推奨されている事だ。用事が無くても人を招くってことが大好きな気風だからね。俺も割とその気風は嫌いじゃない。なので、遠慮無く他にも人を呼ぶ様にスルクに勧める。
「ん。そうする。そしたら昼飯の時にお邪魔するよ」
そう言ってスルクは乗って来たロバに跨り、軽く別れの挨拶を交わす。俺も愛馬(鬣が萌黄色の真っ白な馬。名前は春風を意味する「クーリシア」。気性が大人しいので、乗りやすい)に跨りながら、別れの挨拶を返す。
さて。
それじゃあ、我が家に戻るとしますか。
今日はお客さんも来るから、きっと楽しい昼食になることだろう。




