1、 ハビョウカから来た娘
「あー、緊張するな」
落ち着いて座っていることさえ出来ず、部屋の中をグルグルと回れば、ハルトがそれに続く。絶対遊んでいるだろ、こいつ。
『おいおい。そんな緊張しても始まらねーだろ?
そりゃあ、坊主が緊張しちまう気持ちも分からねーでもねーけどよ。でもよ、もう決まちまったことなんだし、ここは男らしく、どーんと構えておきな』
市場で拾ってから五年以上が経ち、今では俺の身長の半分くらいの高さと大きさを持つようになるまで育ったハルトが、落ち着くようなだめる。
しかし、ハルトの言葉で落ち着けるくらいならこんな苦労はしていない。
「しょうがないだろ? 今日が初対面なんだし。しかも、俺のお嫁さんになる娘なんだから、これで緊張するなっていう方が無理だよ」
俺も無事に十歳となり、親が縁組を定めた相手と結婚をすることとなった。
まだ一度も顔を合わせたことのない相手と結婚なんて、日本で生きていた頃には考えられなかっただろう。しかし、この世界では割と普通にある。父さんと母さん、それにタニヤ母さんは一度も顔を会わせることなく結婚したそうだ。
チュークさんも同様らしい。聞けば、他の使用人もそんなものだと言っていた。
だから俺も結婚相手の顔を知らずに結婚をするのは、別段おかしなことではない。この世界で赤ん坊の頃から生きてきただけあって、大分この世界の常識などにも慣れてきた。そのため、忌避感自体は抱いていないのだ。
しかし、未だに地球の常識が頭の片隅にあるため、今回の結婚に少し躊躇いを覚えてしまうのだ。
ままならぬものだなぁ、本当。
『分っちゃいるさ。だがよ、せめて嫁さんの前では堂々としてやんな。
きっと向こうの方が緊張しているだろうしよ。この家に嫁入りしたら、もう実家には滅多なことじゃなきゃ帰れないんだろう? しかも、付いて来れる使用人も居ないって言うじゃねーか。
そんなん、絶対心細いと思うぜ?
だから、少しでも安心させてやりな。この旦那と一緒なら大丈夫、ってさ。
坊主が緊張するのは、その後でもいいじゃねーか?』
俺の視線の先に移動し、問いかけられる。
全く。このスズメもどきは本当に分かっていない。
「そう言う風に思ってもらえるか心配だから、こんなにも緊張してるんだっての。もー、ハルトのどアホ!」
このスズメもどきは、俺がこれから来るお嫁さんのことで緊張していると言うことを、理解しているのだろうか? 花嫁修業を兼ねているため、早くに来るが、帰ることは殆ど出来ない。
それこそ、子供が出来たとか、病気になったとか、くらいなものだろう。
もう、家族と今までのように気軽に会いに行くのは難しくなる。
そんなの、寂しいに決まっている。
俺でも分かるわ。家族と会えなくなるのは寂しいし、不安だと言うことも。
だからこそ、どんな風に接していこうかと悩み、緊張していたと言うのに。
憂さ晴らしも兼ねて、ハルトにタックルをかます。
言葉にすることも大事だが、こうして体を動かして発散することも大切だ。
うむ。この犬猫とは違うモフモフ感、悪くない。日向干しした布団みたいな匂いがするのも、また良し。
『ぐふ! てめ、自分の大きさと体重を鑑みやがれってんだ! こちとら大型犬サイズではあるとは言え、坊主に本気でタックルされたらきっちーからな!』
何かハルトが文句を垂れているような気がするが、気にしない。緊張がほぐれるまで、存分にモフらせてもらおう。どうせお嫁さんが来るまでの僅かな間だ。ハルトも我慢出来るだろう。
あー。それにしても、どんな娘なんだろう。
ハルトとじゃれ合いながら、まだ見ぬお嫁さんのことを想う。
確か、名前はテルミハルア。少し長いが、そんなものだろう。
ひいばあちゃん(第二夫人の方)の親類の子で、俺よりも二歳ほど年上だとか。この街より大分離れた、ハビョウカで生まれ育ったそうだ。この街まで来るのに、早くて二週間はかかるらしい。
大分遠いな。
だから、今日は簡単な挨拶を済ました後は、すぐに休んでもらうそうだ。
まぁ、それもそうだな。でないとやっていけないだろう。
何でもハビョウカは馬の産地で有名で、彼女の家も、良馬を育てては売っているらしい。彼女も手伝いで馬を放牧したり走らせていたため、馬の扱いには長けているとのこと。
俺よりも上手いかもしれないな。
俺、馬に乗るのはさほど上手くないし。
一応練習はしているが、乗馬した上、そこで弓矢や槍、剣を扱うなんて到底無理だ。出来る気がしない。まぁ、まだ練習し始めたばかりだから、あまり弱気になるのもアレだな。
でも、改めて、セッタン兄さんや父さん達の凄さを思い知った。
アイリ兄さん達も練習しており、俺より形になっているが、父さん達に比べれば、見劣りしてしまう。
まぁ、まだ小さいしな。これから開花するのかもしれない。
ゆっくりと頑張れば良いだろう。
それに、俺にはアイリ兄さん達がいるおかげで、練習もはかどるわけだし。身近で手頃と言っては失礼かもしれないが、父さん達のように飛び抜けて上手いよりかは、アイリ兄さん達のように俺より少し上手いくらいの人がいるのは、やりやすい。
あぁ。なんか話が逸れて行ったか。
でも、緊張はまだとけきらないんだよな。参ったよ、本当。
そんなことを思っているうちに、扉をノックされた。
「アージ。入っていいか?」
この声はテイリ兄さんだ。俺はハルトとじゃれて少し乱れた絨毯を直してから、扉を開けた。
「よ! アージ、いっちょ前に緊張してるか?」
開ければ、アイリ兄さんもいた。その顔は、ニヤニヤと意地の悪そうな笑みが浮かべられている。どうやら、緊張で苦しんでいる俺を茶化しに来たようだ。
「すっごいしてる。もう、この緊張半分どころか、全部アイリ兄さんにあげたいくらいだよ」
「あはは。おいおい。それくらいで緊張するのかよ。男が廃るぞ?」
俺の本音を、軽く流され笑われる。
俺と同じ状況で結婚をしているが、アイリ兄さんは緊張の類いを一切していなかったからな。俺の緊張なぞ分からないのだろう。父さんもそうだし、セッタン兄さん達もそうだったからな。そこが辛い。
「よしなよ、アイリ。からかいに来たわけじゃないんだから」
アイリ兄さんの言葉をたしなめるように、テイリ兄さんがため息をつく。
「似たようなもんだろ? 緊張をほぐすなんてさ」
その返答に、やれやれ、と言わんばかりにテイリ兄さんが肩をすくめる。対してアイリ兄さんは特に悪びれた様子はない。とりあえず二人に好きな所に座ってもらい、水差しに入った水出し茶を出しておく。
アイリ兄さんはハルトをモフろうとするが、ハルトの繊細な小鳥心に反する触り方をするらしいので、中々触らせてもらえていない。お前もう小鳥なんて大きさじゃないだろうに。
しかし、それにもめげずにアイリ兄さんはハルトに挑む。
「お嫁さんが来る日って、緊張するよな。俺もかなり緊張したよ」
アイリ兄さんとハルトの奮闘を横目に流しつつ、テイリ兄さんが零す。アイリ兄さんと違って、テイリ兄さんは俺と同じように相当緊張していたからな。俺の気持ち、痛いほど分かってくれた。
「そうだね。テイリ兄さんを見て、緊張する感じは何となく分かっていたつもりだけど、やっぱり実際になってみるとキツイ。全然違った」
「まあ、ならなきゃ分かんないもん。仕方ないよ。父さん達だって緊張したことは無いって言っていたし。コルシュカも昔みたいな泣虫じゃなくなったから、お嫁さんが来ても緊張するようなこと、ないのかもしれない。
羨ましいよね、本当。
きっと、俺達くらいだろうね。こんな緊張しちゃうの」
「そうかも」
苦笑混じりの言葉に、同意する。それから、テイリ兄さんは他愛のない話をしながら、時々お嫁さんが来た日のことを話してくれた。やっぱり、その日からしばらくは緊張しっぱなしだったようだ。
「…て感じだったかな? でも、これは俺の場合だし、多分アージはまた違う感じになると思う」
「かもね。あー! もう、なんでお嫁さん来ちゃうかなー。俺まだ独身でも良かったのに」
言ってもどうしようもない上に、かなり贅沢なことを言っているとは分かっている。しかし、言わずにはいれなかった。テイリ兄さんもそれを分かっているのか、かなり苦笑しつつ、口に指を当て、「もう少し静かに」とたしなめられる。
そうだな。うっかり早く着いたお嫁さん一行に聞かれたらヤバイよな。
それからまたダラダラと時を過ごしている内に、使用人が呼びに来た。どうやら、ようやくお嫁さんが到着したらしい。
「じゃあ、お嫁さんのところに挨拶に言ってくる」
「行ってらっしゃい。お嫁さんによろしく」
「ヘマしても慰めてやるから、安心して行ってこい」
『そうだぞ、坊主。フラれてもちゃんと慰めてやっから、どーんと構えて行ってこい』
それぞれのエールを贈られ、部屋を出て、お嫁さんの待つ広間に向かう。
「おぉ。この子が我が娘の婿殿ですかな?」
「えぇ。第四夫人から生まれた、六男のアージです。武器の類いは扱えませんが、中々利発な子供ですよ」
広間に入れば、豊かな顎髭を蓄えた初老の男性が嬉しそうに俺を見た。
顔の至る所に小じわが刻まれ、髪やヒゲは白髪が混じり始めているが、肌は日に焼け、体つきも大分健康そうだ。
「初めまして。婿殿。
私はあなたのひいお婆様の一族で、パボルバーダと申します。あなたには我が娘、テルミハルアを任せたくハビョウカから参りました。以後、末長いお付き合いを願っております」
そう言って丁寧にお辞儀をするパボルバーダさん。子供だから、と言って礼儀や作法を軽んじる人では無いようだ。
「ほら。アージ。こちらがお前の義父となるパボルバーダ殿だ。なかなか良い御仁だろう?
お前もしっかりとご挨拶を返しなさい」
父さんに促され、俺はパボルバーダさんの所まで歩み寄り、丁寧に、かつ長すぎない挨拶をした。それが気に入ったのか、パボルバーダさんは満面の笑みだ。
父さんも、満足気に俺を見る。
「いやいや。なかなか良い子ですな。これなら、娘を任せても安心そうだ。なぁ、お前もそう思うだろう? テルミハルアや」
そう言って、鮮やかな余所行きの織り布を被り、更に薄布で顔を隠している少女に話しかける。
入った時から気になってはいたが、彼女が俺のお嫁さんか。
しきたりでまだ顔を見せてはいけないため、未だに布で隠されているが、一体どんな娘なのだろう。
「…」
父親に話しかけられても、少女は何も言わない。
薄布で遮られて表情が見えないため、彼女の様子は一切分からない。どうしたのだろう?
もしかして、長旅で疲れているのかもしれないな。そうだとしたら、今日はこれくらいで退散した方が良いだろう。
「これ、テルミハルア。せめて何か言ってはどうだ? 婿殿に失礼であろう?」
「いえいえ。良いのです。ここに来るまでは相当な長旅であったのでしょう?
きっととても疲れていると思います。
今日はこのまま一休みなされるのがよろしいかと思われますよ。テルミハルア殿とは、ゆっくりと休まれた後でも話せますし」
「その心配は無用だ、アージ殿」
凛とした声で、少女がはっきりと告げた。そして、何を思ったか顔の薄布を取り去った。普通、結婚の祝詞を神官とお坊さまに読んでもらうまで、外してはいけないのに。
彼女の行動に周囲は度肝を抜かれる。
無論、俺も抜かれた。
だけど、度肝を抜かれたのは彼女の行動ではない。
薄布を取り去った際に露わになった、恐ろしく勝気で美しいその美貌に、心を射抜かれてしまったのだ。
「アージ殿。私はそなたと結婚をする気は毛頭ない。
ゆえにこの縁談、全力で破棄させてもらう」
そう言って、凍てつく氷を連想させる、薄青い色をした双眸で俺を射抜くよう睨みつけたのだった。




