其の五、右の猛将・左の智将
其の五 右の猛将、左の智将
「オラオラオラァ!どうした、もう終りかァ!?てんで歯ごたえがねェ!こんなんじゃ腕慣らしにもならねーぜぇ!」
「烈火、俺今ので十人目だけど、何人倒した~?賭けしようぜ、賭け!負けた方が晩メシおごりな!」
「ざけんな、燃!さっきので十人以上倒しちゃいるが、んなもん細かく数えてられっか、しゃらくせェ!」
光野が行った後、少しも緊張感のない会話が聞こえてきて、示詩は自分でもうんざりしてくるのが分かった。
特徴的な訛りは、明らかに新参者の将軍達のものである。
剣戟や争いの騒々しさは段々こちらの方まで近づいてきており、前線に遣られていた者まで下がってくるほど戦況は明るいものでないらしい。
それにしても、彼らとはなるべく関わり合いになりたくない示詩にとっても、今の状況は芳しくなかった。
「なんっって野蛮な方達なのかしら。光野が聖人に思えてくるほどでしてよ」
「正妃様、武人とはあのようなものです。烈火様は、あれでいて教養がおありな方だと思いますけれど……」
「な、桃衣、それは本当ですか!?あれ以上に酷い殿方がこの世におりますの!?」
「え、ええ、私はこの王都に来る前は辺境の村におりましたので、浪人、傭兵、野盗の類には軒並み被害に遭っております。烈火様は……蛮族といえ、王の血筋を引いてらっしゃる方なので、やはり身なりや雰囲気からしてその辺の狼藉者とは一線を画していらっしゃいます。あ、その、あくまで、私の見解なんですが」
そんな与太話をしていると、突然馬車に大きな衝撃がかかって揺さぶられ、中にいた者は全員体制を崩し、壁や戸に体をぶつけた。
「きゃあああああああ!!」
幸い怪我はなかったが、無事を確認しようと首を巡らせた矢先に「ガン!」と乱暴に戸が開け放たれた。
「おい、あんたら、邪魔だ!こっから離れて王様んとこに向かいなァ!」
野卑そのものといった調子の荒っぽい声が外から響いてくる。
恐る恐る示詩が確認すると、例の右将軍が背丈ほどもあろうかという両刃の剣を肩にかけ、馬車を覗き込んでいた。
「おい、聞こえてんのかァ?ちィ、これだからオウコウキゾク様ってェのは……!」
そのいかにも「子供のお守を押し付けられた」とでも言いたげな烈火のうんざり顔は、示詩の自尊心を奮い立たせるに十分だった。示詩は、出逢って当初から隠そうともしないこちらを軽んじる烈火の態度に、いい加減業を煮やしていた。
「右将軍、烈火殿。先ほどから、私をさも『頭の無い痴れ者』か何かの様に仰いますが、生憎、私たちはここを動くことが出来ぬ由を持ち合わせておりましてよ」
「あァ?ンだよ、そりゃあ」
ぎろっと鋭い三白眼で睥睨する野蛮人の迫力は隣の侍女たちをびくりと脅かすほどだったし、流石の示詩も少々後ずさりそうになった。だがここで負けては今後も尾を引くに違いないと断じて、ぴんと胸を張り、怖気を振り払った。
「光野殿が告げに来たのです。この馬車より外へ出ること罷りならぬ、と。私たちを守り切ると断言した者との約定を違えることはできません。私は、そなたより光野殿を信じます」
「…………」
僅かながら震えている声をなんとか出し切って、示詩は視線を逸らさず烈火に告げた。黙り込んだ烈火は「ちっ」と舌打ちすると、がりがりと後頭部をかいて馬車から離れる。
「死んだら何にもならねェってのに、クソの役にも立ちゃしねェ約定にすがるとはな。ま、俺が知ったこっちゃねェが」
肩に大剣を担ぎなおして、大きな体はそのまま駆け出していった。
「正妃様、さすがでございます!あの右将軍殿をものの見事に引き下がらせるとは……!」
「……完璧に、こちらの勝ちでございました……」
火乃と臙脂が褒めそやすのを遠巻きに聞きながら、示詩は、引き下がっていった烈火の瞳の中に明らかな侮蔑の色を見つけ、憮然としていた。
(往々にしてああいった旧態依然とした殿方至上主義は女をバカにしてくるものですけれど、あの右将軍の瞳にはそれだけでない何かがあったような……)
こちらを完全にお荷物扱いしていることに関しては確かにその通りなので訂正する気もない示詩だが、去り際の烈火の瞳にはそういった意味合い以上の意図が含まれていたような気がしてならない。少なくとも、女をバカにしきっている勘違い男、の括りでは片づけられないような知性が感じられた。
どこをどう切り取っても知性などカケラも感じないような人物にも関わらず、である。
「おう、お姫さん、無事かい!?」
しばし沈思していると、今度は聞き慣れた声が馬車の中に響いて、示詩は弾かれたようにそちらへ顔を向けていた。
「へ、陛下!?な、なぜこのような所へ……」
予想通りといおうか、相変わらず華美な出で立ちのままの座龍が、抜き身の剣を片手に馬車の中へ顔をのぞかせていた。ほっとしたような表情を見せた座龍のこめかみから顎にかけては汗が滴っており、今しがた切り結んできたことを暗に知らせている。
「賊が狙ってんのは俺かアンタだろうからな。ま、ようはどうせ的になっちまってんなら、ひとつにまとまった方が返って迎撃しやすいってな」
「何をおっしゃっておられるのです!そのようなお考え、まったくもって危のうございます!」
「見くびってもらっちゃ困る、お姫さん。戦闘民族の烈火にゃ劣るかもしれんが、俺とて腕っぷしには多少覚えがあるんだぜ。あんたらを守って切り抜けるぐらいの芸当はできるさ」
「そういうことではありませんわ!問題は、国を統べる正当な王たる陛下が、みずから御身を危険に曝すということの重大さを……!」
内心では助けに来てくれたことへの喜びと感謝とときめきが先行しているものの、それを素直に表に出す示詩ではないので結局いつものように喧々と言い募るしかない。彼女の場合、その素直でない態度に加え、口から出るのは大概が相手の的を射るような口に苦い薬の如き台詞なので、照れ隠しということすら周りに気づかれないのが不遇と言えば不遇かもしれなかった。加えて、そこにはある程度の真理が織り込まれているというのも不遇に拍車をかけている。
「まあ、黙って見てろって。あんたのその人形みてぇに綺麗な顔には傷一つつけさせねぇからさ」
示詩の言い分には少しも取り合う様子がないことに更なる言葉を募らせようとしたとき、座龍の背後に数人の敵影が突如現れた。
「へ、陛下!!」
切迫した示詩の声が響き渡ったのと、座龍が振り返って剣を構えたのは同時だった。濃い藍色の装束を身に纏った数人の兵が一挙に座龍へ迫り、対する座龍は悠然と構えたまま。
もうだめだ、ときつく目をつぶって示詩が己の身を抱えた時、ごしゅ、どす、という、固い何かが潰れて折れたような音がして、一瞬後にどさどさっ、と地面に何かが落ちる音が聞こえてきた。
「せ、正妃様……陛下が……」
桃衣の弱弱しい声に導かれるように目を開けた示詩が目にしたのは、5、6人の屍を前に立ち尽くす座龍の背中と、前方で彼を守るように壁になっている二人の男の背中だった。
「陛下……?」
「ったく、有能な将軍どもめ。援護はいらねぇと釘を刺したのによ」
示詩の呼び声に応えることなく、座龍は目の前に立ちふさがった二人の青年に悪態をついた。それへ振り返った、二つのまったく性質の異なる精悍な顔は、どちらも不敵な表情を浮かべている。
「はっ、援護なんぞ生温ぃ。テメーと戦り合ってもいねぇウチに死なれちゃ困るのはこっちなんでなァ」
「陛下の御前にて腕前を振るうという数少ない好機、むざむざ逃すほど私は愚かではありませんよ」
右手では烈火が背丈ほどもある大剣を苦も無く振り回し、左手では秋英がまるで舞いをまうかの如く敵を薙ぎ払っている。
軍事強国の将軍として頼もしいことこの上なかったが、聞きようによっては国家転覆を匂わせるかのような二つの不穏な答えは、座龍の肩をがくっと落とさせた。
「やれやれ、忠誠心の高い部下を二人も持って幸せなこったな、俺は。分かったから、あとは姫さん達を守ってやってくれ。俺の身など案ずるな」
「先刻承知だ、んなこたァ!いいからてめェはてめェの心配だけしてなっ」
「麗しい御方の警護は武人として至上の務めゆえ、勿論、主命をありがたく賜ります。ですが陛下、ゆめゆめ御身を慮ることお忘れなきよう」
座龍の皮肉に堪えた様子もない両将軍は、一部の隙も無い気迫をみなぎらせながらそれぞれの言葉で似たようなセリフを返した。それへ座龍が返事をする暇もなく、刺客は次々と襲い掛かってくる。
示詩は気が気でなく、いくら座龍が「武王」「英雄王」などと讃えられているとはいえ、これほどの敵を果たして裁ききれるものか、心配でならなかった。
だがいくらもしない内に、その心配は杞憂へと変わっていくことになる。
「正妃様、もしや、陛下や両将軍の戦ぶりを目にするのは初めてにございますか?」
「と、当然ですわ、火乃!こ、このような光景、一生お目にかからずともよろしくてよ!」
「正妃様のお言葉はもっともでございます……ですが、この『歳火国』が、なぜ軍事国家としてこれまで強国の名を欲しいままにしてこられたか……その眼で、しかとお確かめになってみてはいかがでしょう?」
「臙脂?それはいったい、どういう……」
やけに冷静に泰然と構える侍女二人に理由を尋ねようとしたとき、「正妃様!」と取り乱した桃衣が示詩をかばうように半身に取り縋ってきた。多勢に無勢と見える劣勢の戦況が、徐々にその様相を変えようとしているところだった。それは、ある一つの「明らかな」戦法の違いによるものだ。
「天轟!」
「スサァ!」
「夕牙、これへ」
三者三様の呼びかけに、唸りを上げて押し寄せてくる大きな影が三つ。
ごごご…と地響きのような音と共に、大きな影が遠くの方から駆けてくるのが見えた。苔色の、獰猛な琥珀の色をした目を持つ、巨体の生き物。
それは
「そうですわ……歳火が強国を築く由となったあの生き物……規律のとれた、あれは」
―――竜騎兵隊。
ぐぐぐぐ……という威嚇音を立てたが、成人男性の倍はある大きさの竜騎兵隊を従えた、確か示詩の記憶では光夕と呼ばれていた騎兵隊長が、座龍を襲おうとした敵影たちをなぎ倒してやって来た。その数、わずかに五騎。しかも、その内の三騎には乗り手がいない。ということは……。
「天轟、奴らをなぎ倒すぜ」
「スサ、構わねえから全員まとめてやっちまえ!」
「二人の援護に回る、夕牙、手足となれ」
最強の相棒に乗り付けた三人は、水を得た魚のように敵をなぎ倒しまくっていて、その場は独壇場となった。
(さっきまであれほど劣勢のように思えたのに……)
示詩はばったばったと沈んでいく敵を、唖然として見ているしかなかった。
「こうなるのが関の山ですね、あのお三方に掛かれば」
「ええ……勝利が約されたようなもの……です」
火乃はどこか呆れたように、臙脂は珍しく上ずった声で気分が高揚しているように見えた。
敵ながらあまりに無抵抗に蹴散らされていく様子に同情すら禁じ得ない示詩は、やはり歳火の者とは意を異にする異国の者だと改めて見せつけられたような心地になった。
(このような光景、見たくもありませんでしたのに)
歳火の国の者になる覚悟が揺らいでしまった示詩だった。
*
「さあ、もう大丈夫だお姫さん。怪我はねぇかい?」
大剣を肩に掛け、座龍は返り血を浴びて帰ってきた。
そのむごたらしさを、示詩は知らないわけではないので怯えながらも袂から懐紙を取り出して、十字傷の上の飛沫を踵を上げて拭ってやった。
「私の御心配は、無用ですわ。どうせ、陽炎という者が私たちを見張っていたのでございましょう?」
「はは、ありがとよ、姫さん。けど、見張りたぁ、ちょいと物騒じゃねぇかい?護衛とでも呼んでやって欲しいんだがな」
「私にとっては同じことです。さあ、もう少し屈んでらして下さいな、汚れが酷うございます」
「お?おう……」
珍しく座龍が、若干挙動不審になっているのを見て示詩は不思議そうに首を傾げた。まるで見たことのない表情で座龍がされるがままになっているので、ふと、野良猫に餌をやった時のことをなぜか思い出した示詩である。
「おい、いい所を邪魔しちゃァ悪ィのは承知だが、この始末、どうつけてくれんだ、座龍よゥ」
と、突如訛りの強い声が聞こえてきて、座龍と示詩は同時にそちらへ振り向いていた。見れば、かなり切り結んだのか、烈火が掲げている、座龍の大剣にも負けぬほど大きな剣が酷い刃こぼれを起こしていた。
「打ち直すしかねェぞ。こりゃ。もちろん、銭はそっち持ちだろうなァ」
「無粋な。陛下や正妃様をお守りできただけで行幸とすべき所ですよ、東の将軍殿。もちろん、私めの働きには褒美などもっての外です、麗しい方。あなた様をお守りできたことによって将軍の地位を証立て出来たと言って過言ではありません」
ずい、と烈火を押しのけて進み出てきた秋英は、座龍への言葉を示詩の方へ向きながら歌うように言ってきた。座龍はそれへ、示詩を袖で隠すようにして「応。二人とも、見事な働きであった」と、珍しく格式ばった口調で答える。
どうやら、二人の将軍にあまり示詩を見せたくはないらしい。
式典の後も、そういえば早々に馬車に乗せられ、いち早く出立したのだ。
(私をあの二人に直接会わせたくない理由がおありなのかしら?そういえば、二人の将軍がこんなに強いのに、わざわざ陛下が出てくる道理もないのだわ)
それなのに、座龍自ら示詩を助けに来たのは、それ相応の理由があるのだろうか。
隠された正妃を明らかに未練そうに見ている秋英が、
「秘される正妃……ですか。燃えますね、陛下」
と言うのに対し、
「はっ、お転婆と頑固が過ぎて危なっかしいだけだろ」
と、烈火はにべもない。本当に示詩に興味がない様子だ。
なんですって、と、烈火に対しては常に一言何か気の利いた悪口でもお見舞いしてやりたい所なのだが、後ろへ振り向いた座龍が優し気な顔で首を横に振るので、それは叶わなかった。
代わりの慰めなのか、座龍は掴まれていた裾から示詩の手をそっと外して、それからその手をぎゅっと握ってきた。
(え?)
驚いた示詩はまさかそんなはずはと、すかさず座龍の顔を見上げたが、彼はもう乱れた竜騎兵たちへ指示を送るばかりだった。
繋がれたごつごつでささくれ立っている手は明らかに武人のそれで、痛いくらい掴まれている。どういうことなのだろうと思う間もないまま、示詩は座龍の案内によって再び馬車の中へと連れ戻された。
「さあ、姫さん、これでもう大丈夫だ。こんだけ滅多打ちにしたら、奴さん、しばらくは動けねぇはずだ」
「これもまた濡羽の刺客ですの?」
「恐らくは。だが、賊はどこからでも湧いて出てくるからな、用心しなくちゃいけねぇ。俺自ら出たのはそいつらへの牽制でもあるんだが……いや、なんでもねぇ。とにかく、あとは侍女達や光野の指示に従ってくれ。くれぐれもお転婆は控えてくれよ」
言いっぱなしで、座龍は馬車の窓を閉めた。
「正妃様、お怪我はありませんか?あ、止血を先にしませんと……」
桃衣が甲斐甲斐しく世話をする傍ら、示詩は、両将軍の言った言葉「秘される正妃」、そして「お転婆と頑固」その二つが、座龍が握ってきた手の熱さで綯い交ぜになり、頭がぐらぐらしてきた。
竜の恐ろしさよりもそちらが気にかかって仕方がない示詩だったが、火乃と臙脂があまりに先の戦の勇猛ぶりを褒めたたえているので、意見を聞く機会を逸してしまった。
(とにかく、左将軍「秋英」、そして右将軍「烈火」……どちらも私の神経を逆撫でするのがとてもお上手だと言うことだけは確認できましたわっ!)
そして、握った手の熱さ、力強さも。
(あれは……一体どういうことだったのかしら?)
第六章 右将軍の帰還・了
右将軍の帰還、これにて幕引き。
次は久しぶりに燈源のおじさまが美少女と共に登場します!