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セシア伝  作者: 海森 真珠
第1章
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第8話 信仰の証Ⅳ

 びくともしないほどの強い力で、セシリア―トは半ば引きずられるようにヴィンセントによって神殿の方へと連れ戻されていく。掴まれている自分の骨と皮だけの青白い手首とヴィンセントのすらりとした引き締まった手を見比べ、異常な自分の体の状態を認識した。自分でも折れてしまいそうなほど細いなと感じるのだから、他人から見ればもっとだろう。

 だが、今はそんなことどうでもいい。豹変した態度をとるヴィンセントを止めるのが先だ。


「ちょっ、何のつもりだ!? なぜ神殿の方へっ」


 わけもわからず、ヴィンセントに反抗するように力を込めて引く。だが、全くの無駄。無言でずんずんと歩いていくヴィンセントからは静かな怒りの感情が窺えた。


 なぜ? 一体、何に対して。

 毒の耐性をつけるために、日常的に毒の摂取はしている。だがそれは珍しいことでもない。一般的に見て摂取量が多いという事実があっても、今すぐどうにかなることでもないだろう。もしそうなら、さきほどすでに医師の鑑であるランリャが何かしらの治療を施していたはず。

 ヴィンセントの行動の意味が理解できず、セシリア―トはただ戸惑う。だから思わず口走ってしまった。


「お、おい! 何なんだっ。――ヴィンセントっ!」


すると神殿の裏手でぴたりと歩みが止まった。投げ出されるようにセシリア―トの体は林の中から外へと飛び出た。続くようにヴィンセントもゆっくりと林から出てくる。


「俺は、君という(つるぎ)を最高の一本にすると決めたんだ。その邪魔をする者は絶対に許さないよ。それが例え、君自身だとしても」


 淡々とした言葉、妖艶に輝く深蒼色の瞳。重苦しい雰囲気がセシリア―トにのしかかる。神殿内には神官たちがいるはずなのに不思議と物音ひとつしない。息が詰まりそうな静寂が二人を包んでいる。

 堪らず無意識に一歩引くと、ヴィンセントは距離を詰めるように二歩近づいた。


「俺にとって人間は二種類だ。利用できるか、できないか。……だから最後まで君を手放しはしない」

「……何が言いたいんだ」

「だからね、セシリア―ト。俺は君の使い方を知って、考えねばならない。そして君も俺の使い方を知るべきだ。ほら、ちょうど良いものがあるだろう」


 そう言ってヴィンセントは整然と建つ神殿を指さした。どうも先ほどから話が嚙み合わないが、これがヴィンセントのペースなのだろうと何も言わずに言葉の続きを待つ。


「この国に根付く信仰心というものは確かなのだろう。それは他国の人間である俺は疑う余地もない。けれど、この国の皆がみなそうであるとは思っていない。所詮、俺たちは同じ人間だ。目先の利益しか頭にない奴らがいることは当たり前。この神殿内にもね」


 神殿の言葉ひとつで国が動かせるほど、ウィンザー王国民の信仰心は深く、影響力は絶大だ。人々にとって信仰というのは心の拠り所。だから信仰以外に心の拠り所がある特権階級の人間たちが、純粋な信仰心だけで動いているわけではないことくらいセシリア―トも理解している。

 だから、政治と複雑に絡み合った信仰で成り立つ神殿に関心を寄せるヴィンセントも王族の一人として至っておかしい点はない。


 しかし、だからこそ、無闇に神殿に触れてはいけない。


「何をするつもりかは知らないが、やめろ。神殿はこの国そのものなんだ。そのうち、あなたの病死を知らせる手紙がエバンス王国に届くことになる」

「ご心配ありがとう、セシリア―ト。でもいらぬ心配だよ。――もう、遅いから」


 ヴィンセントの美しい黄金の金髪が、一層と輝いた。妖艶にほほ笑むその瞳からは狂気が顔をのぞかせている。

 関わる相手を間違えた、そうセシリア―トは感じた。そしてヴィンセントを見据えてはっきりと言う。


「愚かで、怖いもの知らずで、陰険で、凶悪な奴」

「うん」

「……でも、何も知らないうちにただ巻き込まれて、利用されて終わるなんて許せない」

「うん」

「あなたは、一体なにをするつもりだ」


 セシリア―トの言葉にヴィンセントは満足そうに、にやりとした。手のひらで踊らされていることは承知の上。それでも、この世でただ息をするのではなく、生きるためにこの男の手をとらなければいけないようなそんな直観がした。

 さらに一歩近づいたヴィンセントはセシリア―トの口元を隠している布にそっと触れて言う。


「まずは君に手出しをさせなくしよう。彼らと同じ方法で」

「……同じ方法?」

「実は俺ね、君の“運び係”を押し付けられたのは君と出会う前日の夜だったんだよ」

「ん?」


 唐突な話題に、一瞬頭を切り替えられず思考が停止した。そんな様子をわかっているのかわかっていないのか、ヴィンセントは構わず続ける。


「でもその日は騎士たちの訓練の後片付けを任せられていて、君に夕食を持っていくのが遅くなってしまったんだ。そもそも“幽閉王子”なんて存在自体、半信半疑だったから正直持っていくつもりもなかったんだけど、夜の散歩のついでに塔へ行ってみた。でも君からの返事はなかった。きっと寝てたんだろう?」

「……確かに。あの日は眠るのが早かったから」

「今思えば、毒の摂取による影響で体が悲鳴をあげていたんだろうね」


 あの日、何者かによって塔で火事が起こされるその前に、ヴィンセントはあそこに来ていた。その事実にセシリア―トは素直に驚いた。


「俺はそのまま自分の部屋へ戻ろうと林を抜けたところで、ちょうど巡回中の兵士たちとすれ違ったんだ。巡回経路には入っていない場所なのにね。しかもすれ違いざま、彼らから不思議な香りがしたんだ。それが何の香りか、さっき気づいたよ。()()()()()だ」

「……兵士の振りをした神官たち」

「だろうね」


 口振りからするに、ヴィンセントは塔で起こった火事のことを知っている。鎮火したあのタイミングで現れたのだから、人でなしにもほどがあるがきっとどこかでずっと見ていたのかもしれない。そして今、あの火事の犯人が兵士に偽装した神官たちだということをセシリア―トに教えている。

 その理由は、


「私に、神官たちを罰しろと?」

「目には目を、歯には歯を。彼らが利用しているものをこちらも利用させてもらう」


 具体的なことは何も言わないまま、ヴィンセントは自分の着ている上着を脱いでセシリア―トの肩にかけた。侍従服を覆い隠すように、大きさ的にぶかぶかの上着のボタンをしっかり留める。


「今、大神官は王に呼び出されて神殿にいないのは残念だけど、後片付けで残っている神官たちが数名いる。しかも彼らは下っ端たち。あの日の出来事にも関与しているはずだ」

「顔もわからないのに、推測だけで神官たちを罰することなんてできない。関係のない神官がいるかもしれないだろう」


 神官だからという理由で誰でも構わず傷つけることなどできるはずがない。ヴィンセントの言葉に不信感を露にしたが、彼は全く動じなかった。


「神官たちには厳しい規律がある。それは時間の規則であったり、人との接触の規則であったり。だからね、誰か一人でも悪事を行えば他の神官たちはうっすらとそれに気づくことができるんだ。そしてその後は、それに加担するか、見ないふりをするか。二種類の人間に分かれる」

「つまり、神官たちは大なり小なり必ず罪があると言うのか? 少々、強引すぎないか」


 その問いかけには答えず、ヴィンセントは「ついてきて」と言ってセシリア―トを神殿内へ手招きした。裏口らしき扉の鍵をなぜか易々と開け、こっそりと中に侵入する。薄暗い道を通って、出た場所は先ほど儀式を行っていた礼拝堂の隅に置かれた棚の中。どこからどう見てもこれは隠し通路だ。

 隙間からは雑に後片付けをしてさっさと撤収しようとしている若い神官数名が見えた。


「右にいる釣り目の男は下級侍女を犯した挙句、口止めのために殺害。くせ毛で鼻の低い男は城内の宝飾を盗みその罪を平民出身の騎士に着せ、騎士は片腕を切り落とされたのちに除名。布を持って笑っている男は気に入らないことがあるたびに自分よりも下の者たちに体罰をしている。その苦痛に耐えられなかった下働きたちが自殺をしたのはすでに三回。その隣に立っている――」

「ま、待てっ。まさか、あそこにいる全員が何かしらの悪事をしているのか!?」


 次から次へと出てくる聞くに堪えない所業に、セシリア―トは愕然とした。神官である彼らの行動があまりにも本来の神官からかけ離れている。

 ヴィンセントは声の大きさを抑えながら「そうだよ」と肯定した。


「彼らは下級から中級貴族の次男坊や三男坊たちなんだ。長子ではないから家は継げない。だからといって商人のように(あきな)いをするのはプライドが許さない。だから神官という独立した特殊な道を選んだ。利己的で傲慢な非常に面倒な部類の人間さ。それにね、彼らの手を見て。火傷の跡がある。なぜだろうね」


 その言い方に、彼らがあの火事の実行犯だということは明白だ。思わず目を細めて彼らを観察していると、自分たち以外誰もいないと思っているのか大きな声で話始めた。


「あー! めんどくせえっ。下働きの奴らはどこいったんだよ! 見つけたらただじゃおかねえ」

「おいおい、あんまりいじめすぎるなよ。また自殺でもしたらそれこそ面倒だろ。それより、大神官様も上手くやったよな。床に転がった奴ら、誰か知ってるか?」


 くせ毛で鼻の低い神官が他の神官たちに尋ねると、彼らは「さあ」と首を振った。それを見てにやりと嫌な笑みを浮かべて得意げに言う。


()()()派の貴族たちだよ。奴ら、ウジ虫の如くまだ政に関わってたのさ。だからこの機に一掃したってこと。大神官様の神の啓示が本当か嘘かなんてのはわかんないけど、良いタイミングだったんだよ」


 どくりと心臓が鼓動を打った。


「なるほどな。今どき、中立派ならまだしも第二王子を指示していない家門があるなんてどんな馬鹿だよ! 笑える! 奴らはここでまぬけに死ぬ運命だったってわけか」

「あの不気味な“幽閉王子”もこーゆう時ばかりはその存在に感謝だなっ!」


 ぎゃはははは!と笑う声がセシリア―トの耳に届く。たったそれだけで吐き気がしてくる。


「っ」


 自分の中に渦巻くどす黒い感情に胸を押さえる。

 ああ、頭痛がする。

 それはだんだんと激しさを増す。

 ふつふつと沸きあがるのは、怒りと後悔。


「…………こんな、風に……使われるなんてっ」


 心の奥底から絞り出したその時。


 ガシャン!とガラスが割れる音が神殿内に響いた。

 ふっと蝋燭の火が消える。

 全てが暗闇に包まれる。

 神官たちの驚きの声よりも、近くで悪魔の如く甘美な囁きが聞こえた。


「舞台は整えた。さあ、彼らの最期はどんなのだろうね」


 固く縛った鎖がガキンとひとつ壊れる音がした。


 耳元にかかるその熱い吐息を(ぬぐ)い去るかのように、扉を勢い良く開け放つ。

 突然の出来事に彼らはあたふたと混乱をしていた。

 暗闇だというのに、なぜかセシリア―トにはそんな彼らの姿が良く視えた。


 一歩一歩近づくセシリア―トに、やっと目が慣れてきた彼らは気づいた。ぎょっとしつつも得体の知れない恐怖に服の中から短剣を取り出す。兵士でもない神官の彼らが短剣の所持を許されているわけがない。

 一体、何のために普段から持ち歩いているのか。その使い道を簡単に想像できてしまってセシリア―トは吐き気がした。恐怖と屈辱に顔を歪める侍女、侍従、兵士たち弱い立場の者たちが頭の中に浮かぶ。


「なっ、何だお前っ!」

「ここがどこだかわかってんのか!」


 無視してセシリア―トは淡々と歩みを進める。

 耳を塞いでしまいたい気持ちをぐっと我慢しながら。


「あー、面倒くせえっ! 俺らを驚かせた罪で痛い目に合わせてやるっ」


 恐怖と違和感に負けた神官の一人が、セシリア―トに向かって短剣を振りかざした。


「――誰に向けてるのかな、それ」

「がッ!」


 しかし、その刃は届かない。

 代わりに鮮やかな血が宙を舞い、神官の手から短剣が弾き落とされた。

 暗闇で一層美しく輝く黄金はセシリア―トの行く手を阻む障害をひとつ蹴散らす。


 歩く。ただ、歩いていく。


 腕を斬られた。

 その事実に気づいた神官は「ひっ」と叫んで痛みに悶える。

 獣の如く騒々しく。


「ひ、ぃあああああああッ! い、いてぇよっ! いてぇッ」


 それを一瞥することなくセシリア―トは神殿前方、聖石が置かれた燭台の前に悠々と立った。薄白く輝いては消える光の粒を背に、その瞳は怒りと憎悪で紅く燃え上がっている。


「なっ!」

「ひぃっ」


 一連の出来事を見ていた他の神官たちは驚きと恐怖で固まった。仲間の血が滴るヴィンセントの短剣を見て、自分たちの前に立つセシリア―トへとゆっくり視線を移す。

 セシリア―トはそっと口元を隠していた布を取り払った。


「ま、さか」


 神官の一人の声が漏れ出た。

 月明かりの元、露になったその素顔は、少女のように幼く美しく青年のように毅然としている。性別のわからないその顔でも、瞳の色と、堂々としたその佇まいと、何より国王と似た口元にここにいる全員が不思議と一瞬で察した。目の前にいるのが、一体誰なのか。


「な……んで」

「あ、ありえないっ」


 神官の叫びじみたその言葉にセシリア―トは答える。


「よく聞け。“死を招く(わざわい)”というあの予言、誰にでも利用できるものだと思っているだろう? はき違えるな。あれは()()()()()()()

「え?――あぐァッ!?」


 セシリア―トの言葉を理解できず、聞き返したその直後。


 神官が急に苦しみ始めた。

 目を見開き、心臓を押さえ、がくがくと全身を震わせる。

 まるで首を絞められているかのように、口から唾液が零れ落ち、そして――。


「…………キ、キール?」


 床に倒れ込んでぴくりとも動かなくなった仲間を神官の一人が呼んだ。しかし、返事はない。事切れた人形のように横たわる人間。刺されたわけでもなく、打たれたわけでもなく、毒を飲んだわけでもない。それでも、彼が死んだことは不思議とすぐに誰もがわかった。


「う……う、わあああああああああああ――あガッ!」


 理解のできない“死”に神官たちはたちまち混乱に陥った。

 一人、二人と悶え苦しみ、


「ぐあァッ」

「た、助けッ――あぎゃァッ!」


 確実に動かなくなっていく。

 その間、セシリア―トは彼らを見ているだけ。

 ただ、見ているだけだ。


「やっやめ――びゃァッ」

「ぁ、あぁッ」


 血で汚れない死体が出来上がっていく。

 彼らが最後に見るのは恍惚と輝く赤黒い瞳。


 この光景を蹂躙(じゅうりん)と呼ばずして、何と呼ぶだろう。



『……………………………………………………』



 しんと静まり返った神殿内で、セシリア―トは口元を押さえると同時に体が傾いた。


「――おっと」


 それを難なく受け止めるヴィンセント。ゆっくりと姿勢を低くして、セシリア―トの体を腕に抱いたまま床に膝を付けた。


 この世のものと思えないほど神秘的に輝く赤黒い瞳に対して、セシリア―トの顔からは血の気が引いていた。だんだんと体から力が抜けていくのに、全身の血は破裂しそうな勢いで体中を駆け巡っている。


 壊れる、そう思った。

 制御できない感情の渦に呑み込まれてしまいそうで、セシリア―トの頬には涙が伝う。


 何かがおかしい。

 こんなはずではない。

 でも何がおかしいのかがわからない。


「……あぁ。こんなの、どうやって……――あ、れ」


 ふいに意識が遠のきかけた。

 ヴィンセントの顔が霞んでいく。


 だめだ。

 ここで、誰かの前で、意識を失うわけにはいかない。

 秘密がバレたその瞬間、セシリア―トに訪れるのは死だから。


「――セシリア―ト」


 ヴィンセントが呼んでいる。

 しかし、セシリア―トの意識はどんどんと遠のいていく。

 ぼやける視界の中、本気で焦ったような表情を浮かべるヴィンセントもきっと見間違いだ。


 すぐそばで聞こえる声に、縋るように震える唇を動かしながら、


「何を……見ても、知らぬふり……を……――」


 ――でないと殺してやる。


 セシリア―トの意識は完全に途切れた。


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