第9話 狩る者、狩られる者Ⅰ
自分の意志で人を死に至らしめたのは初めてだった。
相手にどんな理由があれ、その行為を正当化するつもりなんてない。
だが後悔はしていない。
必要だったから。やらなければ自分が殺されていたから。
誰かのために手を下したのではない。正義感でも復讐でもない、自分のため。
ただひとつ後悔があるとすれば、それは初めてその行為をしたあのときだ。
ふいに意識が覚醒した。
ゆっくりと瞼をあける。
見慣れない白色の天井が見えた。
不思議と意識ははっきりとしていた。
視線だけを動かしてここがどこだか確認する。塔の自室ではない。侍従や下働きの部屋にしては広いし、かといって医院ではない。壁につけられた灯りではない、仄かな明かりが揺らめいていることから、いくつか蝋燭がつけられていることだけは察することができる。
もっと周りをよく見ようと少し身じろぎをしたせいで、ベッドがぎしりとほんの少しきしんだ。
「あ、起きたんだね。良かった」
その音で、ベッドから離れた位置にあるソファで剣の手入れをしていたヴィンセントがこちらに気づいた。手先に力が入ることを確認してから、セシリア―トは体を起こした。
それを見てヴィンセントもそっと剣を机に置いて、歩み寄ってくる。背中を支えようと手を出そうとしたのを、セシリア―トは手で制した。こんな無防備な状態で他人に触れられるなどありえない。
「気分は?」
その行動にヴィンセントは特に嫌な顔ひとつ見せず、代わりに大きめのクッションを背中の後ろに挟んだ。セシリア―トはほっとそのままクッションに身を預ける。
「そんなことはどうで」
言いかけ、気づいた。
ヴィンセントが冷ややかな視線を送っている。毒の過剰摂取のときといい、ヴィンセントはセシリア―トが自分の体をかえりみない態度を見せると、どうもあまり良い顔をしない。彼にとって自分は故郷に帰るための剣。だからその行為は単純な心配ではないのだろうが、なんとも慣れない気持ちだ。
「よく眠れたからか、むしろいつもより頭がすっきりとしている」
「それは良かった。三日も寝た甲斐があったね」
「……みっか?」
聞き間違いかと思い、おもわず聞き返した。だが、再び返ってくる答えは同じ「三日」。
「君、今朝もランリャ医師に診てもらったんだよ。ただ眠っているだけって言ってたけどこれでよく体を休められたんじゃないかな。ああ、君を診たのはランリャ医師ただ一人だから。そこは安心してよ」
それではっとした。
力を使った後、あろうことかセシリア―トはヴィンセントの前で気を失ったのだ。
今のところ、ヴィンセントが秘密を知った素振りはない。それでもバレていないという保証はどこにもない。腹黒いヴィンセントのことだ。得た情報をいつどこでどう使えば最も効果的なのかを考えているのかもしれない。
体にぎゅっと力が入った。
表情はきっと強張っている。
「……うーん。やっぱりまだ本調子じゃなさそうだな。無駄なことに頭を使っているようだから」
ひんやりとした声色に、床に落ちていた視線をあげた。妖艶に輝く深蒼色の瞳がこちらをしっかりと見ている。
「何をそんなに心配しているのかわからないけど、俺が無事にこの国を出るためには君が必要なんだよ。だから君のこと、なんとしてでも守るよ。それが自分の安全に繋がるのだから。それにね、セシリア―ト。俺たちは互いに隠し事が多い。君が抱えるものがどれほど大きく重くとも、それが理由で切り捨てることなんてしないさ」
「……むしろ、上手く使いそうだな」
「あはは。俺のこと、わかってきたね。セシリア―ト」
あっけからんとしたヴィンセントを見て、肩の力が抜けた。安心というより、脱力だ。自分が真剣に考えていることが、ヴィンセントの前ではそれほど重く考えることでもないように思えてしまう。不思議とその理由はよくわからないが。
ヴィンセントから視線を外して、周りを観察した。白色を基調とした室内に、シンプルなデザインの机、ソファ、そして今いるベッド。部屋の広さはそれなりに広いが、物が少ない分、余計に広く見えているのかもしれない。
だが、少なくとも他国の王族が仮住まいとする部屋ではない。ここがヴィンセントの部屋だと予想はつくが、それと同時に彼のこの国での扱いが人質ということを再確認するには充分だった。
さらに視線を巡らせ、外から中の様子が分からないように、ぴっちりと閉められた深緑色のカーテンを見つめる。
会話が途切れたタイミングで、セシリア―トが先に口を開いた。
「私の使い方はわかったか」
誰にも教えるつもりなどなかった。
太古にあった人知の及ばぬ力《神の御業》。時代が進むにつれ自然と消えていったその力を、自分が使えるなんて。しかも誰の役にも立たない恐ろしい力として自分の中に宿っているなど認めたくなかった。どうせなら、時間を巻き戻せるとか、死人を生き返らせるとか、癒しの力とか、もっと価値のある力なら良かったのに。
セシリア―トの問いかけに、少し間を開けてからヴィンセントが答えた。
「正直、半信半疑だったよ。初対面のときから何かあるとは思っていたけど、本当に《神の御業》がこの時代に存在していたとはね。さすがウィンザー王国だ。……ひとつ質問なのだけれど、アレをするたび君の体には負荷がかかるのかい?」
「わからない。私も、二度目だから」
首を横に振って、答えであって答えでない返答をした。
「ふむ、そうか。君にとっても未知なのだね。うんうん、了解だ。それならもう俺から聞くことはないよ」
「……他に、聞きたいことはないのか?」
予想外の反応に、セシリア―トはカーテンに固定されていた視線をヴィンセントへ戻した。驚きと訝しみの籠った瞳を向けるとヴィンセントは首を傾げて朗らかに言う。
「何か聞いてほしいのかい?」
「いや……そうではないが」
《神の御業》についてもっと根掘り葉掘り聞かれると思っていた。どんな力なのか……と、そこでセシリア―トは気づいた。逆に言えば、力以外のことはヴィンセントにとってどうでもいいのだ。そしてその力は実際に目の前でやってみせた。これ以上の共有はお互い無意味なものなのかもしれない。
自己完結したような表情のセシリア―トを見て、ヴィンセントはそれ以上何も言わずにソファへと戻った。手入れの途中だった剣を片付け始める。
「それじゃあ、次は俺からの報告だよ」
「報告?」
聞き返すと、ヴィンセントは自身の指を二本立てた。
「ふたつある。まず一つ。おめでとう、セシリア―ト。君の処刑が三か月後に決まった」
「…………」
「あれ、無反応?」
今更だ。いつ処刑されるかわからない状態が十五年も続いていたのだから、いざ言われたところで驚きよりも「やっとか」そんな気持ちの方が強い。だからセシリア―トは特に何も反応せず至って冷静に返した。
「計画が二か月早まることになるな。どうせ私は身一つで抜け出すつもりでいたのだから、あなたの方が準備に時間がかかるんじゃないのか」
「身一つで外の世界は生きていけないと思うけどなぁ。……まあ、いいか。俺の方も大丈夫だよ。ぎりぎりだけど何とかなると思う」
苦笑するヴィンセントを見て、セシリア―トはずっと聞きたかったことを聞いてみた。知っておかなければいけないことだから。
「ヴィンセント、あなたがここから抜け出す大義名分は何だ」
そもそもエバンス王国の第三王子であるヴィンセントが人質として敵国であるウィンザー王国に差し出された理由は、エバンス王国が許可なくウィンザー王国の領土を侵したことへの謝罪。
国土の大きさで言えば、周辺諸国と比べてもエバンス王国の方が大きい。しかしウィンザー王国は古代レヤ大国時代の知識、技術、歴史的建造物、そして資源豊かな鉱山を持つ。そのため侵略したくともそう易々と手を出せる国ではない。
が、エバンス王国は十年前にウィンザー王国の資源豊かな鉱山欲しさに侵略を試み失敗。ウィンザー王国にはよほどのことがない限り手を出さないという周辺諸国同士の暗黙のルールを破ったエバンス王国への反発はすさまじかった。そこで、事態を収拾するため第三王子であるヴィンセントを差し出し、謝罪の意を表した。
「人質としてこの国にいることはあなたの祖国の決定。運良くウィンザー王国から逃げ出せたとしてもエバンス王国は歓迎しない。むしろエバンス王国にとって都合の悪いあなたを殺すかも」
セシリア―トが試すようにそう聞くと、ヴィンセントは穏やかに笑った。
「もしや俺のことを心配してくれているのか?」
「茶化すな。以前あなたが言ったように、私は容姿のせいでこの国の中で逃げ回るのは難しい。だから国境を越え、他国で生きるしかない。つまり、あなたと行動を共にするのは“エバンス王国第三王子”という身分を利用し、安全に国境を越えるためだ。それなのに、その身分が逆に危険を招くならあなたとの協力関係をもう一度考え直す必要がある」
すると、ヴィンセントの穏やかな笑みが不敵な笑みへと変わった。
立ち上がり、いつの間にか用意した温かい飲み物を手に、ゆっくりと近づいてきた。無言で差し出すそれを、セシリア―トもまた無言で受け取り口をつける。
初めて見る真剣な表情のヴィンセントに、セシリア―トもしっかりと視線を合わせた。
「お互い協力すると誓った日から、俺たちの間に信頼関係はない。そして互いに様子を見合ってきた。俺が今ここで君の質問に答えれば、その瞬間からもう後戻りはできない。それでも聞くか?」
「もちろんだ。私とあなたは対等でなければいけないのだから」
後戻りも何も、セシリア―トに残された時間は三か月。前に進まなければ紛うことなき死が待っているのだ。
間髪入れずに同意するとヴィンセントはじっとセシリア―トの瞳を見つめて、やがてゆっくりとベッドに腰かけた。互いに向き合っているその状況で言う。
「先に謝っておくよ。君を亡国の王子にしてしまうこと」
静まり返った部屋の中で、ヴィンセントの声が心地よく響いた。
やはりこの男のことは好きになれない。それを再確認できた。
「つまり」
「俺を殺す理由が帳消しにされるほどのモノを持って帰る。そうすればエバンス王国は俺を受け入れざるを得ない。つまり、『ウィンザー王国を手にエバンス王国へ帰還』これが俺の大義名分さ」
恐れのない強い意志をその心に灯すヴィンセントはとても美しい。悔しいがそう思ってしまった。そして、それと同時に底抜けの馬鹿だということも。
「よくも私の前でそんなことが言えたな」
「だから先に謝っただろう」
「受け入れた記憶なんてないのだが」
「奇遇だね。俺も受け入れられた記憶はないよ」
じろりと睨むと、ヴィンセントは空になった器を手元からそっと抜き取った。先ほど飲んだ温かい飲み物は、少し苦かった。
「大丈夫、安心してよ。君の言っていた『意に反することをしたとき、容赦なく殺す』という言葉はしっかりと覚えているから。君が大切にしている人間や物があるならそれは傷つけないと約束する」
ヴィンセントの真剣な眼差しがセシリア―トを捉える。
軽口を叩きながらも、どこから湧いて出てくるのかわからない自信や妙に惹きつけられる何かをヴィンセントが持っていることはセシリア―ト自身、認めざるを得ないことだ。
どの道、常に人生崖っぷち。母国であり巨大な監獄であるこのウィンザー王国がどこかの属国になったところで悲しむ心も崩れ去る矜持も最初から持ってなどいない。
「……あなたとの約束なんて羽より軽い」
「素直に受け取ってよ」
途端、視界が揺れた。
苦笑するヴィンセントが歪む。
「っ」
「そろそろかな」
猛烈な眠気に体が傾く。
が、ヴィンセントに受け止められた。
そのままベッドに寝かせられる。
「何を、入れ……た?」
「君に必要なのは何よりも休養。話はここまでにしよう。大丈夫、安心してお休み」
文句の一つでも言ってやろうと抗う気持ちとは裏腹に、瞼はだんだんと重く下がっていく。触るなと言う力も睨む気力も虚しく、すぐに意識はなくなった。




