第3話 塔の日常と侵入者Ⅲ
数百年か、数千年か、もっと遥か昔か。かつてこの大陸には、人知の及ばない不思議な力を持ち、操ることができる人間たちがいた。彼らは自分たちの力がどんなものなのか、世界にどのくらい同胞がいるのか、それさえわからず日々の生活にその力を使っていた。
傷を癒す力もあれば、手を触れずに岩を砕く力もある。動物と心を通わすこともできれば、ただほんの少し風を起こすことができる人もいた。
この力を人々は《神の御業》と呼んだ。
ある時その力の伝承は“血”だと主張する者が現れ、国をあげて彼らを囲う動きが広まった。そして、その力の争奪戦を有意に進めたのが、古代レヤ大国。これは現在のウィンザー王国が位置する場所に栄えていた大国だ。故に、古書にはウィンザー王国の前進である古代レヤ大国が神国と書かれていることが多い。
しかし、それは記録もろくに残っていない太古の話。
技術の発展の影響なのか、必然なのか、はたまた別の要因なのか。年月が経つにつれ、《神の御業》を持つ人間が生まれなくなっていった。そして今日、消えてしまった力とそれに対する信仰が現実のものだったという認識を持つ者も減り、人々は昔のお伽話だと、ぐずる子供の寝話の1つとしていた。
太陽がすっかり空高くに上った頃、セシリア―トはやっと目を覚ました。そして昨日のことを思い出し、悔いるように唸る。
「うぅ~」
自分は一体、何をやっているのだろうと。
気づけばすっかり相手のペースに乗せられてしまっていたが、あの状況なら、塔の周りに火をつけ、大変迷惑な嫌がらせをした犯人をあの青年は見たかもしれない。それなのに、何の情報も得ることなく動揺のあまり塔に引っ込んでしまったのだ。
しかも、とセシリア―トは動きをとめた。
最後の自分のあの発言。あれは、はたして男から男にしても良い内容なのか。男女であれば愛を囁く甘い言葉だと受け取ることができるが、男同士であれは少々危ないどころではないはず。どう捉えたとしても、言われた方が悪寒に身を震わせたかもしれない。
はああああ、と自分の対応力のなさに盛大なため息をはいたセシリア―トは、思考を無理やり停止させ寝台から降りた。ひんやりとした感触を足の裏に感じながら手早く動きやすい服装に着替え、爽やかな香りと少しの甘い香りを放つ2種類の花を浸しておいたハーブ水でばしゃばしゃと顔を洗う。
これ以上考えたところで、件の青年と関わることはないのだ。つまり、考え損というやつ。だから雑念よ消えろという思いで、ついでにハーブ水で髪の毛も洗った。昨夜の鎮火作業で若干、焦げ臭さが残っているような気がしたから。
「朝食、ではなく昼食はどうしようかな。昨夜は無駄に労力を使ってしまったからお腹減った……」
不貞腐れたようにぼそりと呟き、ひとまず飲み物でも飲もうと器に手を伸ばしたその時、
「おーい。食事を持ってきたぞー」
外から、誰かがセシリア―トを呼ぶ声が聞こえた気がした。最初は空耳かと無視をしたが、再び「おーい」という声が聞こえ、現実のものだと認識した。
「はっ?」
初めての出来事にセシリア―トはびくりと肩を揺らす。幽閉されて、つまり生まれてこの方、食事やら生活必需品やらを持ってくる侍従たちは何も言わずにかごごと適当な場所に置いておくだけだった。今回みたいにわざわざ呼んでくることなど一度もない。
「え、え……」
放っておけばそのうち立ち去るだろうと思う反面、『誰かと関わる』ことに対する好奇心が心の奥底にくすぶっていることにもうっすらと気づく。空気のように扱われてきた今までを考えると、少しくらい誰かと言葉を交わしても良いのではないか。そんな考えがセシリア―トの頭をよぎってしまった。
机の上に置いていた汚れの無い綺麗な布を取り、しっかりと目元から下を隠して、セシリア―トはいつもより軽やかに塔の階段を下りた。
「そこに置いたらすぐに立ち去りなさい」
扉越しにそうセシリア―トは伝えた。
新しく入った侍従なのか、このようにわざわざ声をかけてきただけでも珍しい。きっとまだセシリア―トがどのような存在なのか知らないのだ。でなければ手渡しで食事を渡そうなどと思うはずがない。
そう思っていたのだが、
「直接、渡しますよ。怖がらずに出てきてください」
理解に苦しむ返答が返ってきた。
セシリア―トは思わず眉を寄せる。それと同時に扉に手をかける気配がして咄嗟に叫んだ。
「触るなっ!」
塔の中にセシリア―トは自分以外の人間を入れる気は一切ない。人と関わることが極端になかったため、他人の干渉に慣れていないというのもあるが、一番は秘密を知られないためだ。徹底しているつもりではあるが、どんな些細なところからズレを見つけられてしまうかわからないから。
見事に拒絶反応を見せてしまったが、どうやら相手はいまだ扉の外にいるようだ。だから仕方なくセシリア―トは扉を少し開け、そっと顔をのぞかせた。すると、そこにいたのは、
「こんにちは、セシリア―ト殿。数時間ぶりですね」
件の青年がいた。
セシリア―トが目を見張って驚いている間に青年は続けて言う。
「今日は天気がとても良い。外で日光を浴びながら食事をするのも悪くないと思いますよ。どうです?」
「……」
「さあ」
手を差し出され、はっとしたセシリア―トは訝し気な視線を送って尋ねた。
「どうしてあなたが……?」
「今日から俺が君の“運び係”を担当することになったのさ」
「え?」
「侍従たちにも伝えてある。彼らが得体の知れないものを見るような目で俺のことを見てきたのは少し面白かったかな。ということで、今拒絶したとしてもこのやりとりは毎日繰り返されることになるから、そこら辺よく理解しておくといい」
で、どうする?
にこりと笑顔を見せたその態度は、こちらには拒否権などないと言っていた。目の前にいる青年の考えが全く読めないし、腹に一物もっていそうだし、関わって大丈夫だろうかと漠然とした不安がセシリア―トの中に渦巻く。
しかし、毎日この押し問答をやる面倒さを考えると結局こちらが折れるしかないのかもしれない。そう思って覚悟を決めたセシリア―トは、ぐっと扉を押し開け、太陽の光が眩しい外へと足を踏み出した。
「これはパンの間に野菜と焼いた肉を挟んだもので、こっちは香草を練り込んだ腸詰。あとこっちは新鮮な果物をいくつか持ってきた。水もある。さ、どうぞ」
かごの中をじっと見つめていると、青年は丁寧に料理の説明をしてくれた。セシリア―トにとって自分以外がした料理は久しぶりだ。いつもなら食材が適当に入っているだけだから。
適当な石柱の傍に腰を下ろしてから、おずおずとかごの中に手を伸ばす。野菜と肉がはさまったパンを1つとり、器用に布の下から口へ運んだ。
「んぐっ……。お、おいしい」
新鮮なのかしゃくしゃくと食感の良い野菜はほんのりと甘みもあり、調味料がなくとも充分なおいしさ。さらに食欲をそそる香ばしい香りの肉はどうやら豚肉のようだが嫌な脂っぽさがなく食べやすい。
その後は無言で食べ進め、最後に水を飲んでふぅと一息ついた。食事の終了に気づいた青年は、ずっと塔を見上げていた視線をセシリア―トへと移す。
「良かった。全て食べきれたようで」
そう言って微笑む青年になんと返せば良いのかわからず、セシリア―トは気まずさを誤魔化すかのように視線を外した。
「もう、いいだろう。私は塔へ戻る。それと、これからはかごだけ外に置いておけ。このようなやりとりは今までならやっていないんだ」
「へえ。なら俺だったから君は関わる気になってくれたってことかな」
「はあ?」
なんとも癇に障るような言い方に気の抜けた声を上げてしまい、思わずぐるんと首を青年の方へと向けた。
見事な金髪は日光の元でも相変わらず美しく輝き、深い蒼色の瞳は夜よりも澄んだ空色に近い。端正な造りの顔はただ綺麗なだけでなく成熟した雄々しさもあり、無表情でも笑顔でも不思議と目を離せない魅力がある。すらりとした手足と一本芯の通った姿勢の良さはきっと普段から体を鍛えているから。
セシリア―トの反応を見た青年は石柱に背中を預けながら可笑しそうに笑った。どう見ても胡散臭い笑みだが。
「自己紹介が遅れて申し訳ない。俺はヴィンセント・ラファ・エバンス。知っての通り、エバンス王国の第三王子だ。今年で十八になる。敬称はつけずにヴィンセントと呼んでくれて構わないよ」
「ご丁寧にどうも。だがあなたの名前を呼ぶ時などない」
今後の交流は望んでいないという意思表示をきっぱりした。しかし、ヴィンセントは全く気にする素振りを見せずに会話を続ける。
「君の人生における貴重な登場人物なのだから、覚えていて損はないと思うよ」
「休戦中という不安定な関係の隣国の人質王子が、か?」
「うーん、ここで俺は“幽閉王子のくせに”とでも言えばいいのかな」
「ふん。好きに言えばいい。どうせ事実なのだから嫌味にもならない」
「そうか。なら、――セシリアート」
どきりと鼓動が鳴った、そんな気がした。
乳母のエマ以外に呼ばれたことのない名前。ただ、名前を呼ばれただけなのにセシリア―トは奇妙な感覚に目をぱちくりと瞬かせた。久しぶりに名前を呼ばれたからなのか、それとも他に理由があるのか。自分ですら理解できない感覚に不思議な気分だが、なぜだか不快には思わなかった。
しかし、それを表には出してはいけないような気がして思わず叫んでしまった。
「そういう意味ではない!」
「まあまあ」
昨夜と変わらず飄々とした態度でさらりとかわすと、ヴィンセントはまるで世間話をするかのように「ところでさ」と前置きをして、
「――俺たちにとって、この理不尽な世の中をひっくり返さないか」
「…………………………………………………………………………は?」
とんでもないことを言い放った。
この男は白昼堂々、何を言っているのだろう。