第2話 塔の日常と侵入者Ⅱ
何かの違和感でセシリア―トは目を覚ました。窓から差し込む月明かりを頼りに、寝ぼけ眼で時計を見ると時間にしてまだ深夜。
「んん……なんだろう……?」
何を感じ取って目を覚ましたのか、その原因を首を回しながら探す。塔の中に誰かが踏み入れば、すぐにわかるように仕掛けはしてある。だがそれではない。なら、何?
ふと、視界の端で何かが揺らめいた。
「なんだ?」
寝台から降り、窓から外を見た。すると、なぜだか深夜だというのにいつもより明るい気がした。
「――まさか!」
寝間着姿のまま寝室から飛び出し、ばたばたと塔の最上階へ駆け上って窓のない窓枠に立った。びゅうっと生温い風が頬を撫で、紫水色の髪の毛が下からの風に少し舞い上がる。
塔の下を見下ろすと、
「なんて、愚かなっ!」
そこには轟々と燃える火の海があった。
苦虫を噛み潰したような顔でセシリア―トはそう吐き捨てる。
塔を囲むようにご丁寧に燃えやすい藁を敷き詰め、それがありえないほどの勢いで燃えていた。どう見てもただの藁ではない。あれは、たっぷりと油を含んでいる。
さっと周囲を見渡すが人影はない。すっかり熟睡してしまった間に、何者かにしてやられたようだ。今まで毒を盛られたことは何度もあったが、ここまで大胆な行動をされることはなかった。
どうすべきかセシリア―トは逡巡する。
塔を構成するのは石。だからこのまま火が燃え続けたところで藁が燃え尽きてしまえば、勝手に鎮火されるはず。しかし、いつから燃えていたのかはわからないが、炎の勢いは増すばかり。
塔があるこの場所は、かつて何かの儀式が行われていた神殿跡。国が建国された当時、つまり何百年も前から存在する場所だが、今では使われていない荒廃した跡地のため、神殿であったであろう崩れかけた石づくりの柱がそこら辺に申し訳程度に立ち並ぶだけ。周りは隔離するように木々に囲まれ、雑草やら蔦植物が我が物顔で生えているようなこの場所で、火事が起ころうがすぐに誰かが気づくわけでもない。
「ちっ」
セシリア―トは誰も見ていないことをいいことに、大きく舌打ちをした。
塔を囲むように火の海が出来上がっていたとしても、人ひとりが焼け死ぬほどではない。木造の小屋ならまだしも、ここは石造りの高い塔。だったら、これは何のための故意的な火事なのか。明らかに中途半端だ。
「……ああ、嫌がらせか」
場合によっては相手が死ぬような行為を、嫌がらせで片付けて良いものかは微妙なところだが、それしか思いつかない。
その考えに思い至った途端、はあっと大きく息を吐いた。なんて無意味で無駄な行為に労力を使う輩がいるんだろうと、セシリア―トは大いに呆れる。
「あー、どうせなら真冬とかにしてくれたら暖房代わりになったのになぁ。気が利かない奴らめ」
外ではいまだ轟々と火が燃えている中、セシリア―トは呑気にそう言った。
風向きによってはそろそろ周りの木々にも燃え移る頃かな。どのタイミングで外に脱出しようか、いやそもそも脱出する必要があるのか。
そんなことをだらだらと考えていると、唐突に背中がひやりとした。
「ああっ! しまった! 本!」
実は、この塔のほとんどは書庫となっている。もう誰も手に取らなくなったような古い本だが、セシリア―トにとっては面白く興味深い本ばかり。趣味の全てがこの塔に詰まっていると言っても過言ではない。
それなのに、石の壁を通じて熱気に当てられた古い本たちがどのようになるかなんて、考えただけでも恐ろしい。ここにある本はまだまだ読み足りないし、今後も読んでいく予定のものばかり。本をこよなく愛するセシリア―トにとってどんな些細な破損でも、断じて許すことなどできない。
「私が何も反撃しないからって好き放題やりすぎじゃないかっ!?」
苛立たしげに階段を駆け下り、部屋の棚に並べ置いていた薄黄色の液体をいくつかの小瓶に手早く注ぎ入れていく。慌てているせいか、途中何度か手元が狂いその液体が手にかかった。すると、徐々にその部分がひりひりとしてくる。だが、注ぎ入れる行為はやめない。
「くそ、貴重な薬なのにっ」
悪態をつきながら、5つほど液体を注ぎ入れた小瓶が完成した。それを持って再び最上階へ駆けのぼろうとして、ぴたりと動きを止める。視線の先は机の上においてある薄い布。
「……念のため」
そう呟き、その布を雑に手に取ると目元から下を覆うようにつけて後頭部ら辺でしっかりと紐を結んだ。これでセシリア―トは今、目元以外の顔を隠すかたちとなった。
そして今度こそ、最上階へ駆けのぼり、窓のない窓枠に佇む。そこから覗き見ると、幸いなことに炎の勢いは先ほどとそう大差なかった。だからといって事態が好転してるわけでもないが。
「誰かわからないけど、嫌がらせは大成功だよっ!」
誰に聞かせるでもなくそんな嫌味を叫びながら、手に持っていた小瓶の1つを燃え盛る炎に向かって投げ入れた。塔の最上階からということもあって、途中からただの落下に変わっていたが命中率はそこそこに小瓶は炎の中に消えていった。
「……さん、に、いち」
ぼうっ!という大きな音を立てて、炎が一瞬の間、大きく燃え上がった。まるで爆発でも起こったかのように。
セシリア―トのいる塔の最上階までのぼってきた熱気で、その威力の凄さがわかる。しかし、次の瞬間には炎の一部が鎮火された。炭と化した藁が焦げ臭い香りを放ち、灰色の煙がのぼってくる。
セシリア―トはその様子を確認してから次々に小瓶を炎に向かって投げた。先ほどと同じように火はみるみる鎮火されていく。しかし、わかっていたことだが塔の裏側までは手が届かない。
だから仕方なく残りの小瓶を2つ手に、さらに階段を駆け下り、外に出ようと焦げ臭く重い扉を押し開けた。
無事に鎮火作業が終わり、セシリア―トは脱力するように地面に座り込む。あがっていた息を整えるように何度も深呼吸をする。
「いっ」
鋭い痛みに思わず視線を自分の手に落とした。すると、骨張った白い手の甲は赤くただれて若干出血もしていた。薬品による炎症と、鎮火作業中に火の粉が手に触ったせいでできたものだろう。
これらに効く薬はあったかなと考えていると、背後でぱきっと枝を踏む音が聞こえた。
反射で振り返ると、そこには見事な金色の髪で深い蒼色の瞳を持つ一人の青年が立っていた。ばっちりと目が合ったその青年の瞳にも、僅かな驚きの色が見えた。
「……驚いた、ただの噂ではなかったのか」
そう言って青年は座り込んだままのセシリア―トの上から下までをじっくりと見た。その視線に居心地の悪さを感じて、セシリア―トは眉間に皺を寄せる。青年の言う“噂”がどんなものを指すのかわからないが、ただ一つ言えることがある。
それは、不愉快だということ。
「初対面の相手に無礼だ。エバンスの作法には初対面の相手にそのような不快な視線を送る習慣でもあるのか」
夜の空のように深い蒼色の瞳を見据えて、凛とした面持ちでそう言うと、僅かに目を見開いた青年――エバンス王国の第三王子――はふっと笑った。
「噂なんて所詮、噂でしかないな。――失礼しました、ウィンザー王国の第一王子セシリア―ト・ダリア・ウィンザー殿。驚きのあまり礼儀を欠いてしまいました。お詫びする」
そう言ってにこりと作り笑いを浮かべたが、口先だけなのは一目瞭然。悪いなどと少しも思っていないし、そもそも口先だけだというその態度を隠そうともしていない。見目麗しい容姿とは裏腹に、性格はあまりよくなさそうだ。
「……はあ」
ため息を吐きながらセシリア―トは立ち上がった。今自分が着ているのは、麻でできた首元までしっかりと覆われている長袖の簡素な寝間着。自分が何者であるかを忘れないためにも、常日頃から肌の露出を最小限にしていることが功を奏した。こんな風に突然の出会いにも慌てずに済むのだから。
「こんな時間に、あなたはここで何を?」
至極全うな質問を投げかけると、目の前の青年は飄々とした態度で軽口を叩いた。
「眠れなかったので夜空を見ながら散歩をしていました。ここは余計な灯りがなく見事な星空を堪能することができますね。素晴らしい」
求めていた答えでないそれに、セシリア―トは冷ややかな視線を送る。しかし、相手は顔色一つ変えず逆に図々しくも質問してきた。
「ところで、俺のことはなぜ?」
お互い初対面なのになぜ知っているのか。
問いかけてきた瞳の中には、純粋な疑問とこちらを探る警戒心が潜んでいる。その視線を真っ直ぐに受け止め、暇つぶしにもならないわかりきった答えを教えてやった。
「金髪に碧眼なんてこの世にごまんといる。だが、あなたのそれは特殊だ。月明かりに照らされた金髪には、黄金の蝶が空を舞ったかのような黄金の軌跡が儚く揺らめき、深い蒼色の瞳は海底で千年分の月明かりを浴びた宝玉のように妖艶に輝く。……全て、エバンス王家の特徴だろう」
そして今、この城内にいるエバンス王家の人間は両国の交流を目的として留学中の実質、人質であるエバンス王国の第三王子しかいない。だからすぐに目の前の青年が誰か察しがついたのだ。
しかし、なぜだか当の本人は珍しいものでも見るかのようにセシリア―トを凝視した。それから苦笑しながら、
「……その特殊性は確かにエバンス王家のもの、というかその血脈の人間のもの。けれどね、セシリア―ト殿。その特徴があったのは今から遥か昔、《神の御業》というものが存在していたときのエバンス王家の先祖の特徴です。しかも、神の御業を扱える者にしか見えない特徴なんですよ。……君は一体、何だ?」
静かに、そしてはっきりとそう問いかけた。
「え?」
ふたりの間に生温くも決して心地の良い風ではない何かが通り抜ける。
一瞬、何を言われたのか理解が追い付つかず、セシリア―トは不覚にも呆けてしまった。
「あ」
一拍おいて、自分が何を口走ってしまったのか気づいた。弾かれたように目の前の青年から目を逸らし片手で口を塞ぐ。
しかし、そんな一連の行動こそ、愚行に愚行を重ねてしまっている。ばくばくと、今にも破裂してしまうのではないかというほど激しく鼓動を打つ心臓に対して、全身から血の気が引いていく不思議な感覚。なぜだか足元がふわふわふとしている。
乳母のエマが毒で死んだときでさえ、ここまで動揺はしなかった。小刻みに震える手はただれと火傷による痛みからだと思いたい。
何か、何か言わなければ。
必死に頭をフル回転させるが、焦りのせいか上手く言葉が出てこない。
「わ、たし……は………」
いつの間にか喉はカラカラに乾いていた。目の前の青年はじっとセシリア―トの言葉を待っている。その視線はひどく重く、鋭く、強く、ただただ息苦しい。心臓を何かで鷲掴みにされているかのような強烈な感覚にくらりと眩暈がした。
――十六歳までです。どうか十六歳までは何としてでも耐え抜いて下さい。
ふいにエマの声が聞こえた気がした。
願うように、祈るように、毎日聞かされていた言葉。なぜ十六歳なのか、なぜ一瞬でも忘れないように毎日聞かされていたのか、その理由はよくわかっている。
誰にも知られてはいけない秘密があるから。どんなに泣いて叫んでも、どんなに善行を積んで許しを乞うても、変えることはできない残酷な現実。セシリア―トにとって、それはれっきとした呪いだ。
「っ」
セシリア―トはぐっと拳を握った。
こんなところで終わるわけにはいかない。自分の人生に深く関わるでもないたかが隣国の青年に今までの努力と、苦痛と、屈辱と、その他全てを壊されてたまるか。
まだ、その時ではないのだから。
すうっと深く空気を吸ったセシリア―トは、妖艶に輝く深い蒼色の瞳を見据えて言った。
「月明かりに照らされて美しく輝くあなたのその姿が、以前読んだ古い歴史書に書かれていた容姿のようだったんだ。だから、思わずそこに書かれていたままの表現で褒めただけ。私の目に実際にそう映っているわけではないが、それだけ美しく見えているということが本人に伝わったのなら幸いだ」
「………………へえ。それは、光栄ですね」
感情の読めない表情と声色でエバンスの第三王子はそれ以上何も言わなくなった。
この場において、相手が納得しているか、していないかは重要ではない。セシリア―トがどう受け止め答えるか、それが全てだ。
なぜなら、ここにいるのはこの国にとって迷惑でしかない二人なのだから。幽閉されている第一王子と人質の隣国の第三王子。この二人が何を主張しようが、それに耳を傾ける者など存在しない。
話は終わりだと言わんばかりに、セシリア―トは別れの挨拶もなしに踵を返して塔の中へ戻った。




