9.プロットと自由~2つの方法~
こんにちはー、ふとんねこです。
今日も今日とて、むみむみとグミを貪る日常であります。コラーゲンを感じます。
さてはて、今日の思い付きは『プロットと自由~2つの方法~』でありまして、またもや創作論的なお話となって参ります。
さて、読者様の中にいらっしゃいます書き手側の皆様。質問です。
プロットは、綿密(何が起きて主人公はこうして敵はこうして……等登場人物の行動まで細かく固める程)に練りますか?
それとも、話のあらすじ(始まりはこうで、中間地点にこんな出来事がいくつかあって、終わりはこう)だけですか?
ふとんねこは後者です。ちなみにプロットは『ストーリーの流れの設計図』という扱いであり『世界観設定』『キャラクター設定』は別として考えています。
何故後者であるのか。それはふとんねこの、主に『キャラクター設定』に理由があります。
ふとんねこは基本、キャラクター放任主義であります。
本エッセイの1でも述べたように、キャラクターの人生を作っておくことで、彼等から彼等らしい言動を引き出して小説を書いているのです。
そのため、綿密すぎるプロットは却って創作の障害となってしまうのです。
あらすじを決めておけば、時折無理を言って軌道修正をするだけでキャラクターたちが話を運んでくれるところへ、決められた出来事が必要なくなることすらあると言うのに、どうして細かなプロットを当て嵌められましょうか。
しかし、何だか楽そうに見えるこの方法にもかなりの爆弾がくっついております。
キャラクターの暴走です。
設置の方法を間違えたロケット花火の如く縦横無尽に駆け回るキャラクターの手綱を握り、なんとか元の位置へ戻ってほしいと念じる時「私ならこうするんだっ」という意志を感じます。
(´・ω・)<「いや、やめてけろ」
そうは言われましても、無理なものは無理なので作者ふとんねこは作者の権限を発動。キャラクターの自由意思を無視して話を進めます。
( ⌒‐⌒)<「これでどうだ」
そこへキャラクターの反撃。こんなの望む道じゃねぇぞ、と勃発ストライキでございます。
(話の本筋に何の関係もないのですが、読み返しながら書いているとキャラクターと話しているヤバイ奴に見えてきますね!)
ふとんねこが突発性万年スランプ症候群を抱えているのはこのせいもあります。
キャラクターの操縦に疲れ、ストライキされ、筆が動かなくなるのです。プロットが荒いので、キャラクターが動いてくれないと話の体を成さぬへんてこな文章しか書けなくなります。わぁゴミ。
しかしふとんねこ、実は綿密プロット系(当社比。そこまで綿密じゃない)の作品も書いております。
それは息抜き連載『乙女ゲー……長いので略して、ショタコン転生です。
こちら、乙女ゲーム転生モノでありまして、作品として『乙女ゲームの世界』という雛型が存在するんですよね。
書く前に、本物の乙女ゲームとは如何なるものか、勉強のため動画なり何なりを見ました。
(そこでの発見:
①『悪役令嬢』が出てくる乙女ゲームって無いんじゃね?
②中世or近世ヨーロッパ学園モノ、意外と少ないかもよ)
その中では、キャラクターたちの雛型もたくさんございました。
発見にあります『悪役令嬢』いない説に関してはぶっちゃけ関係ございません。こちらの雛型は『小説家になろう』に飽和状態なのですから。
さて、雛型にスパイスとしていくつかのオリジナリティを加えますと、まあ既視感はあるもののオリジナルなのかな、ぐらいのキャラクターが完成します。
(我がショタコンヒロインは、かなり斜め上へ突き抜けているので、彼女のお陰でオリジナリティのある作品になっているのではと思います)
こうして生まれたキャラクターには、人生という歴史がありません。舞台である世界も、ありふれた中世or近世ヨーロッパ風のファンタジー世界です。
この場所では、ほとんどのキャラクターがあまり息をしておりませんでした。ヒロインだけは異常に鼻息が荒いですが。
そのため、かなり起こることを沢山設定して細やかなプロットを作りました。
ここで気づいたことは、綿密なプロットでは伏線をしっかり張りやすい、と言うことです。
ふとんねこは、伏線とかあまり考えずに書いているタイプでした。感覚派であったので、思いついた瞬間に差し込むという感じでやっておりました。ぱっしょんであります。
しかしショタコン転生では、結構考えて伏線を張っています。これ、とても楽しいですね。
そんなわけで、細やかなプロットも、荒いプロットも、実は両方やっているふとんねこから見た『プロットと自由~2つの方法~』のお話でした。
ではまた、次回お会いしましょう!