69.歴史の舞台は砂漠である
こんにちは、ふとんねこです。
寒いです、人死にが発生するレベルの寒さ。
お外へ行きたくありません。
そんな本日は。
今日たまたまファミリーで夕食時に話していたお話。題して『歴史の舞台は砂漠である』です。
宗教のお話ですね、主にキリスト教。
信仰の厚い人はもしかしたら忌避感があるかも。駄目そうなら避けてください。
ふとんファミリーの不可思議談義の一部をおとどけです。
それでは参りましょう。
ふと、ふとんは思ったのです。
「キリスト教って、壁サー?」
と。なんて失礼な。
※壁サーとは壁サークルの略で、同人誌即売会等での大手サークルのことを指します。
「いや、シャッター前レベルでしょ」
シャッター前のことを忘れていたふとんへ、ファミリーが突っ込みます。
確かにそのレベルの大手。聖書は世界一読まれている本ですね。
「いちゃラブ限定の過激派だよな……」
「特殊性癖に厳しいよね」
等々ファミリーは失礼なことを続けます。まあ、平常運転。
「聖書は信仰してねぇと読めない、眠くなる。ファンクラブ限定配信の書」
「Privatterか??」
「パスワード用の質問は「信仰してますか? y or n」てやつ」
「なるほど」
色々間違っていますがまあそれはそれとして。
「キリスト教的思想は嫌いだけど、原罪だけは好き。人間は罪深い」
ふとんはいつもそう思っています。が、信仰によってそれを赦されるとかそういう考えは微妙に好きじゃないです。罪を抱えて生まれ、罪と共に死ねばよいのです。その先は無。プラマイゼロ感。
「……その身内への甘さ何なん????」
ファミリーが言うので、ふとんは「キリスト教は砂漠の宗教だから」とテキトーに答えました。
ここでやっとサブタイトルに関連するワードが登場。サークルの話とかして申し訳ないね。
「身内への異常な寛大さと敵への不寛容は砂漠の宗教の特徴だよ」
そうなんですよね。
少し真面目な話をすると、人類の信仰の始まりは、四大文明の発生源が全て大河のそばに位置することから、自然環境が大なり小なり豊かであったと推測できるので、そこからアニミズム的なものであったと考えられます。
で、そこから迫害されて砂漠に逃れると、アニミズム的信仰心って人間の中で生き残れなくて、一神教に変遷していくんですが、その辛い環境の中で「我々はいずれ救われる」「我々を迫害した者たちはいずれ滅びる」という選民思想が発生します。
それによって「身内への異常な寛大さと敵への不寛容」が発生していくんですね。
「だからキリスト教は世界の最強宗教なんだと思うよ」
これもふとん論。ちなみに「最強」とは頂上決戦的最強さではなく、人気度的な最強さです。
「戦争、飢餓、疫病、貧困、そういう理不尽が横行してきたのが人類の歴史だからね。皆「選ばれた側」になって安心したいんじゃないの」
だから「歴史の舞台は砂漠である」のです。もはや「地球は砂漠である」と言ってもいいと思うふとんでした。人類は常に餓え、渇き、生命の危機に瀕し続けていたので、砂漠の宗教であるキリスト教と相性が良くて当たり前、と考えています。
そんなわけで、豊かな自然環境が要因で多神教な日本人ですが、伝来してきたときにあんな結局禁止しなきゃいけないレベルで広まったのかもね、とか思ったり。まあキリスト教の禁止には様々な理由があるのですがそれは別の話なので割愛。
そんな不可思議談義でした。
宗教の変化は学んでいて非常に面白く思った話なのでよく覚えておりました。
進化っぽいですが、学術的なお話の時に「進化」を使うと、進化先が上位存在であると定義することになってしまうので「変化」と言っています。ポケモソ……
世界中が温暖湿潤で自然豊かだったらキリスト教は生まれなかったかもね、と思ったり。
それでは、本日の思い付きはこの辺りで。
またなんか思いついたらまったりゆるゆる書きます。




