17.評価ポイントに飽いた話と自作完結間近の時に思うこと
お久しぶりです、ふとんねこです。
約1か月ぶりに、こちらのエッセイを書いております。
オフトゥンでねむねむしながら書いているので、少々過激なことを言っている可能性もあります。ご注意です。
さて少し前、1:1評価を気にしないというエッセイを単体で書きました。
それからしばらく、日間エッセイランキングで(現在の流行りは「レビュー」ですが)評価関係のエッセイが流行っていた時期をじっと見ていました(私のが流行ったんではなくご高名な方々のが)。
それで、ぼんやりと色々な方の色々な意見を取り込んで考えていたらですね? なんかある日、ふとんねこの思考はストンと落っこちたんです。
「めんどくさ……」
ふとんねこは、もともと面倒くさがりな生き物であります。それで執筆が続いているんですから、よほど性に合っているんでしょうね。不思議。
初期の頃から、私の「1:1評価の文章評価はムキーッてなる」という心狭い感じに生暖かな視線を送りつつ「そだね」と言ってくださっていた方々、意見を翻して申し訳ありませ……いや、翻した、は違いますかね。
私は「1:1評価を喜んで受ける」ではなく「1:1評価含め、すべての評価にあまり興味が湧かなくなった」のです。
勘違いなさらないでほしい点は、あくまでも“あまり興味が湧かなくなった”と言うだけで、いただければ嬉しい、けれど無くても気にしない、という感じにシフトチェンジした、ということです。
色々考えて悩むのも面倒になったし、評価について考えの違う方とぶつかることになるのも面倒になったんですよね。
いやー、つくづく身勝手!!
ねことは清々しく身勝手な生き物でありますが、生物学上は社会的動物であるふとんねこは、あまり身勝手ではいけませんよね。
(個人的にはどこか破綻している、欠けている人の方が面白くて好きなんですけどねぇ)
私は「自分が騒ぐ以上は」と、他者の作品の評価を(時間の都合上あれな時もありますが)積極的に行ってきました。
これはこの先も続けていくつもりです。なろうにおける評価ポイントって、レビューと感想の次に貴重なものな気がしていたからです。
けれどその実、なろうでウケるテンプレを書かずにいる以上、ランキングに求められる評価ポイントって、そこまで重要じゃないってことに気づきました。
はよ気づけし、と思ったそこの方。その通りですねぇ。
私が書いているものは、なろう系読者には全くといっていいほどウケない作風ですよね。ラストスパートに入りましたが、シリアスで重いし、辛いことが多い。けれど自分はこれ、大好きです。
そして、同じようにこれを好きだと言ってくださる方が少なかれど存在する。評価ポイントなんて、微々たる存在かなと思いました。
つまり、内輪のやり取りで満足できるようになった! と言うことです。
仲良くしてくださる相互の皆さん、いつもありがとうございます!!
相変わらず、ブクマ等数字の変動には敏感ですが、評価ポイントの平均点が下がろうとも、両方1の評価をいただこうとも、気にならなくなってきました。
評価で悩む方々はこのねこ的面倒くさがり境地にやって来るといいのではありませんかね? 超気楽、だって何をいただいても気にならないですから。
それよか、欲しいのは感想とレビューになりました。
そう言えば、私が初めてこのなろうで人様の視線を多くいただきました初エッセイで、自分の小説に何より欲しいと叫んでいたのは“感想”でした。
なので「なった」ではなく「戻った」が正解。
おっとこれ初心では?
まさかの初心に帰るふとんねこ。
偶然にも今、レビューの話が流行っていますね。批判レビューの存在なら、新着レビュー欄をよく見るので以前から知っておりました。
集客力で言ったら、下手すりゃ普通のレビューより高いでしょう。だってこき下ろされていると気になるのが人間です。つい下を探してしまいがち、こき下ろされていると気になっちゃう、野次馬根性。そんな生き物だという印象ですね。
この意識、なろうでは悪くないと思うんですがねぇ。書籍化作品とか、ランキング常連とか、そんなのばかり見ていたら病むのは必定でしょう? なら「同系統だけど1ブクマすら得ていない作品がある」と考える。
ちょっとマイナスで暗い思考ですが心の安寧には繋がると思うんですよね。
ふとんねこは、周りに輝かしい方々が多いけれど、ポジティブなねこな上に下っ端なので、あんまり気にしていません。尻尾をブンブン振りつつ先輩方を追いかけています。
書くのに必死で他の作品をあまり読めていないのもありますね(エッセイは別)。
感想とレビューの話に戻りますが、やはり目に見える読者様の反応として「良かった」「悪かった」が、作者側からはっきり認識できるのが感想やレビューです。
ポイントは所詮数字。付けた人にどんな意図がありどんな気持ちで付けたのかなど適当に想像することしかできません。
大好きな自作の、私との長い長い旅の果てに、ついに人の目にさらされた場所での完結が近づいてきていることは、作者的に嬉しいけれど、寂しいことです。
変な思い付きから、世界を3年練り、何度も書き直して、ここで1年と少し連載を続けているこの作品。
激しいラスボス戦を、どう描けば相応しいフィナーレを飾ることができるのか悩みながら書いています。
この、ラスボス戦が苦しいんですよ。
今までにも、中ボス的な戦いをいくつも作中で描いてきました。そのどれよりも派手にしつつ、丁寧に、苦しい戦いにしなければならない。
場に5人のキャラクターがいて、それを皆輝かせなければならないのは大変です。ラスボス戦に4人も投入するんじゃなかった。
だからこそ、更新すると送られてくる感想が本当に助けになっています。完結を待ちながらも惜しんでくださる気持ちは作者と同じで、とても嬉しいのです。ありがとうございます。
今、感想に貪欲なので、誰も彼も贈ってくれると嬉しいなぁと、本編でやらない分ここでクレクレしておきます。
ついでに、完結したらレビューが来ないかなぁと夢見ていることもお伝えしておきますね(欲しがりの極み)。
以上が最近のふとんねこの思考です。
評価ポイントを気にしなくなることができたのは、最近のお付き合いや、ご高名な方々のエッセイやその感想欄にそこそこ影響されています。感謝、かなと思います。
重ね重ね、相互さんや、読者の皆様に感謝を捧げます。本当にいつもありがとうございます。
そして、もしもこのエッセイを読んでいる方で、評価が気になってしかたがないという以前のふとんねこと同じことを思っている方がいましたら、あまり気にしなくても支障はないよ、と言っておきます。
それから、私の意見の転換に「今までの主張と違うぞ! なんて身勝手だ!」と憤りを覚えた方は、気にせずお去りになってください。ふとんねこはこういう者です。
では今回はこの辺りで。こうして連載にしておくと意見の変化を見ることができて興味深い、と自分で思いつつ、おやすみなさい。
※2020.2.24 ご指摘をいただきサブタイトルの誤字を訂正いたしました!!




