新大陸に旅立つまで 前編
了へ。
悔いなし貯金なし。
言い訳じみているが、結局のところこれが私の信条であるから。
それを一人息子のお前に押し付けるのはいささか心苦しいがどうか理解してほしい。
お前には何も残さん。
元来、親のものを受け継いで親以上の偉業を成した人物が少ないことは、歴史が教えてくれている。
私が逝けば、世界から家族という共同体の一つが消える。それだけのことだ。
あるいはお前もそう思っているのかもしれないが、限りなくドライでクールに言うならそういうことになるし、限りなくドライでクールな人間で私はありたいと思っている。
従って、お前に残す財産もなければ、お前に残す仇敵も無念もない。
私の墓の事もお前には面倒をかけないようにしたつもりだ。骨はどこぞの共同墓地に入れてくれればいいし、そのくらいの蓄えならある。
通夜も告別式も、私には知り合いが少ないので行う必要はない。
司法手続きだけ苦労をかけるが、そこは申し訳なく思う。
お前には何も残さん。だから好きに生きてくれ。
つわものを
憎めと告げし
蓮は咲き
戦の果てに
都はありき
遠きもの
追いし女は
円描き
男は黒き
雨を降らせる
この詩を私の遺書に代えて残しておく。
追記。
何も残さないと言った以上強要はできないが、もし時間と余裕があったら、『裸木』の方々によろしく伝えておいてくれ。
士座幸雄
* * * * *
親父からの遺書を四つ折りにして、封筒に納め、ため息をついた。
それは嘆息などというような「はぁ」という類のため息ではなく、
どちらかというと肺や器官を通り越して胃やら大腸やら、内臓全部を使った「はあああ」に近い。
そう僕は、正直うんざりしていた。
別に遺産がないことに不満はない。そんなものは最初から期待もしていなかった。
問題は追記の部分だ。
本当に、あんた何をしたんだ? 親父よ。
* * * * *
元々寡黙な性格である親父との、思い出はあまりない。
知っているのはフリーのライターで、僕が起きてから、僕が寝るまでの時間何かを書いており、常に同じ場所に同じ背中があるのが当たり前の家庭だった。
物心ついた時には父子家庭で、代わり映えのない背中を見て育ったために僕らの間に会話などなく、旅行に連れて行ってもらった記憶もない。
決して仲が悪い親子なわけではないのだ。……いや良いとも言えないのかもしれないが。
ただ、お互いに生きるのに必死で、言いたいことを言い合う余裕なんて無かった。今思えばそんな気がする。
それに見かねた親父よりも年上の恭代おばさん(近所のおばさんだ)が、父に代わって僕に人間らしさとか、社会常識であるとか、そう言ったものを叩き込んでくれたのだ。
おかげでグレずにすんだし、恭代おばさんが亡くなった時は大声で泣いた。
それが時を越え、僕も歳をとり親父を看取った後には涙も何も出てこない。
決して僕が感情のない人間だからではなくて、そう言い切れる理由は別にある。
親父は長い間、行方不明だった。
だから物理的に思い出がないのだ。
あれは僕が大学の四年生で、この時にはすでに恭代おばさんは亡くなっていた。
僕は卒業も、近所の出版社に就職も決まっていた。
大学に通うのに家を離れておじさんの家に居候していたし、連絡を取り合う仲でも無かったのがまずかったのかもしれない。
ある日、実家に帰ったらいつもの場所にいつもの背中が無かったのだ。
こんな時どうしたら良いのか、正直ものすごく困った記憶がある。
奨学金と、アルバイトと、おじさんの御厚意で全てをやりくりしていたので、青春する暇はなかったが親の脛を傷つけずに済んだと思う。
だから居なくて困る存在では決してなかったのが逆に問題だったのだ。
そうは言ってもたった一人の肉親だと思えばこそ、放っておいたらそれはそれで息子としてどうなのだろう?
もちろんそう思うが、警察沙汰や面倒ごとに巻き込まれるのだけは勘弁だった。
それに、今偶然いないだけかもしれない。その日はとりあえず家に帰り、この事は心に留めておく事にした。
それから毎夜毎夜電話したが出なかった。週にいっぺん帰っても、姿も現さなかった。
正味、親父の無事よりも、親父が誰かに迷惑かけてるんじゃないかと心配した僕は失踪してから一ヶ月後にようやく警察に行って事情を話したのだ。
想像通り面倒臭かった。失踪手続きとか……取り調べとまでは言わないが、警察にあれこれ聞かれたり、
忙しい時期に忙しいことが重なって、ろくな思い出ではなかったが、無事親父は国の失踪者のリストに加えられた。
親父の失踪から十五年も経った後の事である。
僕と世界とでは別々に、それぞれとんでもない事件が同時に起きてしまい、
抗うすべもなく流されるがまま僕は、想像もしていなかった旅行……いや、大冒険に出ることになる。
この冒険の始まりを語るにあたり、少しややこしいが親父の失踪から実に二十一年後。
西暦二〇二六年五月、親父の葬儀当日の朝から話そう。
* * * * *
親父の葬儀が控えている今日。
僕は二十年勤め上げた出版社のデスクを片づけている。
二十年と言う歴史は、一時間もすれば埃一つ残らないのだなあと、今更になって妙な喪失感を覚える。
周りは僕に声をかけづらいはずだし、微妙に灰色の空気で事務所は満たされていた。
そう僕は今日で退職をする。それが親父の葬儀の日と重なるというのは、因果でも偶然でもない。
何も今日中に両方やることもないだろう。と、僕も思う。
それに年齢的にもまだ働き盛りだけど、止まれぬ事情があるのだ。
葬儀……『彼ら』も来るんだろう。「身内だけで」と口を酸っぱくして言っているのに勝手に親子の間に割り込み、話を大ごとにしやがった。
言ってしまうと他人なのに、いや、素性ですらよくわからん人間なのに葬式の費用から何から全て無償で手配すると言うので、むしろ長男で一人っ子の僕の面子が立たない。
なのにそんなことが罷り通ってしまうのには、説明し難い巨大な力が働いているからで……。
あー。嫌なことを思い出してしまった。こちらは去りゆく者の余韻に浸りたいのに。
退職の理由は、解雇ではない。
結局辞表を出すことにはなるのだが、それも僕の望んだことではないという、なんだか訳のわからない事態だ。
そこに親父が亡くなったなんて知らせがくっついたら、いよいよ誰だって僕に声をかけられないだろう。
だが社長はそうもいかない。
僕がデスクの片付けを終え、色々な残務処理を後輩に引き継いだ事を報告し、
「長い間お世話になりました」と深々頭を下げると、
「うん。まあ、うん」
と、おおよそ想定通りの反応が返ってきた。
「まあ、その、なんだ」
社長は席を立ち、僕の肩をぽんと叩いた。
「寂しいが、国への奉公なのだから。胸を張って出て行きなさい」
この言葉はきっと心で用意していたのだろう。
この時、事務所には三、四人ほどの人間がいたが、社長の言葉を皮切りにようやく言葉が飛び出した。
「しかしすごいですよね。ラギ大陸でしたっけ」
僕は正直、今その名前を聞きたい気分では無かったのだがそれを顔に出すのも違うよなと思って、
「うん。行ったことある?」
と、今喋った向かいのデスクの女の子に返した。
「ないですー。でも、今人気なんでしょ? ラギ大陸。良いなー」
すると、女の子の隣のデスクの男が待ってましたとばかりに声を発した。
「ラギじゃないよ。《《ラァジ》》ね」
「あー、やっぱり行ったことある人は違うなー。
ほら、会社の向かいにラギ料理屋できたじゃないですかー。あれって本場の味なんですか?」
「全然あんなんじゃないよ。俺が行ったのはラァジ大陸南西部のハイデ・アルデルクっていう港町だったから海鮮ばっかり食ってたけど。
もっと香辛料も効いてるし。センパイも行ったら食ってくださいよ。ハイデの海鮮丼」
ラギ大陸はおろか、海外に行ったことがない僕が知っているラギ大陸は、ラギ料理が全てだった。
タピオカミルク然り、ヤンニョムチキン然り、麻辣担然り、珍しい国の料理が流行ったりすると馬鹿みたいに町中に料理屋が建つ。
話の種に一度ラギ料理を食べてみたことはあるけれど、所謂ラギ料理とは、スパイスのきいた牛刺し丼みたいなことだ。
生臭さを大量の香辛料で誤魔化した独特な味がする。
決して不味くはないけれど、わざわざ食べたいと思うほどではないかな。
そんな印象だったが、流行り物の料理なんて冷静に考えればどれも同じ印象だろう。
そんな僕がなぜ、会社を辞めてまでラギ大陸に行かなければならないのか。
社長の言葉を借りると『国への奉公』らしいが、それを考えると頭が痛くなってくる。
だってそうだろう。なぜ僕が? そう思って、当然だろう。
社員たちに挨拶を済ませて、二十年間歩いた廊下をエレベーターまで。
別に人生最期の別れでもないのに、なんとも言えない寂しさを感じる。
たった一人の親が死んでも、特に何も感じなかった僕が。
* * * * *
二〇〇五年。僕が大学四年生で卒業も就職も決まった頃、親父は行方不明になった。
彼は十五年後の二〇二〇年、突然帰ってくる事になる。
その時にはすっかり僕は独身貴族を極めていて、日本は年号がちょうど変わったあたりだった。
正直あまり覚えていないが中国の何処かで、ナントカという未知のウイルスが発見されたとかなんとかで、
このまま人類は滅びるんだと真顔で言う人間が現れたのとほぼ同時に、世界を震撼させるとんでもない事件が起きてそれどころではなくなった。
地球儀を回したら、真っ青になる面。
ハワイ島から二千キロメートル南に突如として新大陸が《《どこからか転移してきた》》のだ。
それはオーストラリア大陸の三分の一、大陸面積二百万平方メートルほどの島だった。
そこにはすでに人が住んでおり、巨大な文明が築かれていた。
さらに話がややこしいのは、その大陸の人間が話す公用語が、なぜか『日本語』と『ドイツ語』だったのである。
『英語』も少しだけ話せるようだ。そして自らの大陸を『ラギ(ラァジ)』と名乗ったのである。
そんな大事件が起きているタイミングで、こともあろうに親父が見つかった。
地元の川辺で、意識不明の状態だった。
だから突如現れた謎の大陸のことに僕が構ってられなかったのも、十五年間失踪していた親父に世間はおろか近所の人すら無関心だったのも、
仕方がないといえば仕方がないのだ。
消防隊員の話では高い所から落ちたらしく、おそらく橋から飛び込んだのではないか? と言う見解である。
外傷はひどく、言って仕舞えば転落事故なので帰ってきて早々、生死を彷徨っていた彼だがお医者様の尽力もありなんとかこの世に留まった。
そんなこんなで、事務的にも個人的にも色々と聞きたいことは山ほどあるのだが、本人の意識が戻らない限りは如何とも……。な状態が続き、
ついぞ最期まで僕の前で彼が何かを話す事はなかった。
そのはずの彼が看護師の目を盗んでいつの間にか遺書を書いたのは、発見されてから四年後である。
二〇二十四年。どんなに衝撃的なことが起きても、四年も経てばある程度お互い『順応』してしまうのだなあと感じる。
それは僕も世界も同じで、最初はこの大陸の扱いについて各国の意見が分かれ、世界中がギスギスしていたのが最初の二年。
しかし、その大陸と奇跡的に日本語やドイツ語を通じてコミュニケーションがとれたこと、彼らに交戦の意思は全くなく、ラギ大陸の一部の都市は積極的な交友を望んでいること。
そして……あまり公式には発表されてはいないが軍事力がアメリカのそれを軽く凌駕していることから、領土領空領海問題にギスギスしていたのが三年目。
大陸が転移してきた辺りで元々商売をしていた漁師達を、潤沢な資金で黙らせたのも三年目。
結局、「この大陸のことはそっとしておこう……」と言う考えに世界中が至ったのが四年目だ。
この時期は、その大陸の名前から『アフター・ラギ』と世間では呼ばれている。
それだけなら良いのだ。親父が遺書まで書いておいて、そのワンポイント以外目すら開けなかった事も、まあ許すとしよう。
遺書に『裸木』なんて言葉さえ書かなければ。
『ラギ』とも読めるその地名を、どうして親父が知っているのか僕にはわからない。
聞こうにも口すら聞けない親父に、僕はひたすら辟易することになる。
最初のうちはそれも別に構わなかったのだ。最初のうちは。
『裸木』にしたって、本当にラギと読むかどうかもわからない。十五年もどこで何をしていたかわからない上に、普段意識のない親父がまともな文章を書いているのかも怪しい。
だから当時の僕は、妙なこともあるんだなあ。と言う安直な言葉と思考で以って頭の端の方に片付けていた。
そうも行かなくなったのは、親父が入院中に脳梗塞を発症したあたり、つまり最近だった。
突然『彼ら』の方から僕に接触してきたのだ。
あれは……トラウマとは言わないが、考えるだけで頭が痛くなりそうなのであまり思い出したくない。
「チン」と、エレベーターが一階に到着したことを告げる。
二十年間大きな改修をしなかったエレベーターの扉が、何かを揶揄するように重々しく開いて、外光が僕の顔を照らす。
そして待っていたのは、築四十年の古いビルなどでは揶揄の対象にすらならないスケールの現実だった。
「お待ちしておりました。士座様」
ビルの前に、顔の彫りが浅く、やや身長の低い男達が五人ほど、仰々しい格好で僕に深々と頭を下げている。
そして異質感というか……「私はダークホースです」と自己主張してくる自動車が、黒々しく太陽の光を反射している。
その周りでは、大勢の報道陣が取り囲んでおり、写真のフラッシュが不愉快極まりなかった。
何が悲しくて退職直後に火葬に行く中年男性が世間の注目の的にされなければならないのだ。
僕は腹の底から滲み出るため息をなんとか飲み込んで、軽く会釈をした。まさか、こいつらが会社の前まで迎えに来るとは思わなかった。
彼らは日本語を話す日本人に見えるが、そうではない。五人のうち一人は日本人かもしれないが、彼も外務省だかなんだかの政府関係者で、本来僕とは交わるはずのない人間だ。
「この度は、お父様のこと、誠に残念です。葬儀には我々も出席させていただきます。どうぞお乗りください」
やーだよ。と逃げてしまうのは、ナシなんだろうな。
でもそうしないと、嫌に厄介な事態に巻き込まれることになる。
僕は全てを諦めて、ダークホースに乗った。その瞬間も、写真を撮られまくっていた。
なあところで親父よ……
あんた、本当に、本当に、本当に……
何をしやがったんだ?




