土の竜
目の前の若い男が「土の竜」だということにリョウもスイレンもすぐに気づいた。抱きついているスイレンの首から下がっている石がリョウとスイレンの体の間で熱を帯びており、それに気づいたリョウがふと腰の剣に目を向けるとその柄にはめ込まれた石も反応しているのが分かったので。
グウィンは既に面識があるその男は。
見た感じ、スイレンと同じくらいの若さだ。
短く黒いくせ毛に黒い瞳がキラキラして一見すると元気の良さそうな好奇心旺盛な若者に見えるが、口元に浮かべている笑みはどう見ても一筋縄ではいかないような皮肉めいたもので、親しみを感じる存在ではない。
首からは銀色の鎖で繋げたネックレスが下がっており、その先には黒く輝く石がある。
「別に僕だってこういうの、好きな訳じゃないからね。君が水の竜?」
土の竜がそう言いながらスイレンに目を向ける。
「……好きじゃないならなぜ人間をあんな風に扱うのだ」
スイレンは何か言ってやらないと気が済まないといった様子でしがみついていたリョウから体を離して土の竜に向かい合う。
「こうしておけばバカな人間も身の程知らずに竜族にたてつこうとなんかしないだろ? それにここの木は宿主の精神を吸い取って成長しているんだ。こんなに醜い樹木に成長しているということは宿主の精神が醜いってことだよ。そんな命にそもそも生存価値なんかないだろ?」
「……なにそれ。精神を吸い取ってるの? この木……」
リョウが視線を近くにある木に向けながら尋ねる。
「ああ、その通り。あなたが火の竜? 人間と混血なのはグウィンとおなじなんだね。よくもまぁ人間の血なんか混ぜるよね。せっかくの竜の血を、命を削ってまで薄めるなんて考えられないけど」
土の竜はそう言うと、目を細めてリョウを眺めた。
まるで品定めでもしているような目付きだ。
……本当に人間に対して悪感情しか持っていないのか、とリョウは改めて認識した。
「客人をいつまでそんなところに立たせとくんだよ、土の竜」
不意にそんな声が頭上でしてリョウが目をあげると、いましがた移動した木の上でその枝に座ってこちらを見下ろしている男が一人いる。
「あれ? なんだスザク、来てたんだ」
土の竜は上方の男に目をやってそう声をかけると今度はグウィンに目を向けて。
「まぁ、人間じゃないんだしちゃんと中に通してやるよ」
そう言うなり歩き出す土の竜に付いてグウィンが歩き出し、付いてくるようにとリョウとスイレンに目で合図するので二人もそれに従う。
スザクと呼ばれた男はそれに合わせて木の上から身軽に飛び降り、土の竜の隣を歩き出す。
樹木は土の竜に合わせるように移動するので少しずつ前方が開けて視界が広がる。
それについて歩くグウィンは終始無言だ。
そのグウィンに少し遅れをとるようについて歩くリョウとスイレンもどう考えても友好的とは思えない土の竜の態度に神妙な面持ちになってしまう。
それでもリョウは心のどこかで土の竜の心の内をどうにかして知ることができないのだろうかと考えてしまう。
土の竜の隣を弾むような足取りで歩くスザクの様子に興味を引かれたのだ。土の竜より年上に見えるがそのしぐさはやんちゃな感じで親しみが持てなくもない。
先頭を行く土の竜とスザク、グウィンの三人と距離をおいているせいで何か言葉を交わしているようだがリョウとスイレンのところまでその言葉は届かず、それでもスザクの笑う声が時々聞こえる。
そんな者を側に置いていても疎ましそうにはしない土の竜はもしかしたらそんなに悪い人ではないのではないか、なんていう気がする。
まぁ、こんな風に人間を扱うなんて段階であまりに残酷な性格を垣間見た感はあるんだけどね……。
と思いながらリョウが何気なく左右に退いている木々に目をやっていると。
「リョウ……! あれ……!」
スイレンが歩きながらリョウに小声で囁きかけ、袖を引っ張る。
リョウがスイレンの指差す先に目を向けるとそこには比較的新しいと思われる若木が生えており。
「うわ……」
リョウも歩きながら思わず小さく声を漏らす。
例に漏れずその若木も人間を取り込んでいる。
こちらはまだ比較的新しいのか人間の姿はまだ樹木と同化してはいない。後ろ姿ではあるが、木の根元に座り込んだ体勢で既に地面から伸び上がっている根や枝が体や足を捕らえほぼ包み込んでいるように見える。
「多分、この辺りの三級騎士よ」
鎧をまとっていると見受けられる背中を見て、リョウがスイレンに囁く。
「……こんなに奥まで入り込めたというのにここで命を失ったのか……哀れだな……」
聞こえるか聞こえないかの声でスイレンも答える。
前方の土の竜やスザクに聞かれたら、こんな風に無念の死を遂げた者にもひどい言葉を浴びせられそうでつい声を潜めてしまうのだ。
まもなく木造の大きな建物が現れた。
重厚さを感じる瓦屋根に太い柱。柱の上方には込み入った彫刻が施されており入り口から中も、もちろん全てが木造だ。
リョウは古い記憶にある部屋を思い出しそうになり頭を振る。
おそらく、ここ東の地の昔からの文化に基づく住居の形がこういう木造なのだろう。
通された部屋は思いの外小ぢんまりしており、そのかわり外に向かって開け放たれた開口部からは外の風景がよく見えた。
「うわ……きれい……」
思わずリョウが声をあげる。
外は今まで通ってきたようなおどろおどろしい景色とは全く違う、純粋に美しい木々とその後ろに山がそびえる見事な眺めの空間だった。
大きな庭を囲むように美しい花をつけた木が品よく並び、その隅には池がある。
人の腰の高さほどの岩が幾つか置かれているが、それは何か意図的に芸術的趣向を基に置かれているようだ。
部屋の開口部には硝子のはまった窓などはなく、薄手の織物がかけられていて外からの風がふわりとその織物を揺らす度に外の景色がはっきりと見える。
夕暮れが近いせいで日の光はほんのりした暖色で外の木や岩を更に柔らかい色に見せている。
「ね? 僕だってそんなに悪い趣味してる訳じゃないだろ?」
そんな声がしてリョウが我に返った。
振り向くと部屋の中央に置かれた大きめのテーブルで椅子に座った土の竜がこちらを見ている。
板張りの床の中央には厚手の織物が敷かれておりその上に丸いテーブルとそれを囲むように椅子が置かれている。椅子は土の竜が座っているものを含めて全部で五脚。
そして土の竜の隣にスザクが座る。
スラリと背の高いその男は相変わらずやけに土の竜に対して馴れ馴れしい。
短く刈り込んだ黒い髪に黒い瞳は切れ長で「客人」三人に好奇の目を向けている。
土の竜の逆側の隣にはグウィンが座っており、その隣にはスイレン。なので、リョウは空いた椅子に座る。
「……で、悪いけど僕の返事なんて聞くまでもないんじゃないかと思うんだけど?」
三人が来ることとその目的を理解していたようで土の竜はまず三人を冷めた目で眺める。
「でも、放っておけばいずれここだってあいつらの手が伸びてくるわけでしょ? このまま何もしなければその内もっと増えて勢力が強まって竜族の手にも追えなくなっちゃうわよ?」
リョウが土の竜の目を見据える。
「……そうなったら、その時はその時だよね」
「なに?」
けろっとした土の竜のその返事に、意外にもスイレンが声をあげた。
「だってそうだろ? 人間はいつの間にかこんなにも浅ましく意地汚くなって互いの命を簡単に奪うようになってしまったんだよ。そのあげく竜族にまでその手をあげるようになったんだ。ここまで自然界が崩れているってのに何にしがみつこうってんだよ。僕はその流れに逆らう気はないね」
「じゃあ……お前たちは、もしこの世界が滅ぶとしても」
「抗う気はないってこと」
淡々と話す土の竜の台詞にスイレンが口を挟むも彼は同じ調子のまま言葉を続けた。
「滅びるのが定めなら潔く共に滅びる……ってことか」
グウィンが鋭い目付きで土の竜を見据えて言う。
ここに来てからずっと無言だったグウィンがようやく言葉を発した。と、思うとリョウは思わずグウィンにしっかりと目を向けてしまう。
グウィンは以前に土の竜に会っている。おそらく、先代にも。
そしてその意向をある程度聞いていたのかもしれない。それでもここに来た、ということは諦めていなかったということなのだろうか。
「竜族として、恥ずかしくないようにしようと思っているだけだよ」
グウィンの視線に負けず劣らずの強い視線を返しながら土の竜が答える。
「だいたいさ。今の世界に未練なんかないだろ? 人間なんて世界の始まりとはずいぶん様変わりしちゃって、賢さの欠片もないじゃない。自分中心で自分と意見を異にする存在も、自分とは本質的に異なる種族も排除したがる醜い存在だよ?」
「……そこまで酷くはないと思う」
リョウが視線を落としたまま口を挟む。
「へぇ?」
土の竜が続きを促すかのように方眉をあげてリョウの方に視線を寄越す、ので。
「そりゃ、そういう人たちもいるし、今の世の中そんな人が多いのかもしれないけど。でも、そうじゃない人だってたくさんいるわ」
そう言いながら顔をあげる。本気の言葉であることを伝えたい、と思って。
そんな人たちを西の都市でたくさん見てきた。
騎士として戦う人たちは地位や名誉のためではなくて誰かを守るために命を懸けていた。そして時に自分の気持ちと闘いながらそんな彼らを支える者がいた。
それはなにも西の都市に限ったことではない。
愛する人を失うと分かっていても限られた時間を共に生きる決意をする女たちはそこかしこにいる。彼女たちのその決意は、結局のところ共に住む仲間の安全を守るという男たちの役割を尊重するがゆえの決意。本来の自分の願いではない。
そうやって他者を思い、思い通りにならない人生を受け入れて生きている人たちがいるのだ。
それは、守ってやるべき美しい命なのではないだろうか。
「凄いね。何を根拠にそこまで人間に肩入れできるの火の竜? あのさ。僕、知ってるんだけど。あなた、人間の手による刃で昔大怪我してるよね?」
「おい……!」
にやにやと笑いながらリョウの視線を正面から捕らえる土の竜にグウィンが横から声をあげて話を遮ろうとする。
同時にリョウは思わず体を固くしてしまい、スイレンが隣で懐の剣に手を伸ばす。
「それ、水の竜がちゃんと持ってるんだね。自分を傷つけた刃が身近にあるってどんな気分?」
「……どんな……って……!」
リョウが思わず唇を噛む。
グウィンが凄まじい目付きで土の竜を睨んでいるにも関わらず動じることなく薄笑いを浮かべて土の竜が身を乗り出してくる。
「な? こいつ扱いにくいだろ?」
不意に全く場にそぐわない声がかかる。くすくすと笑い声を混ぜたスザクの声だ。
思わずリョウが目をあげると、可笑しそうに唇の端を吊り上げて半ば呆れたような顔をしたスザクがテーブルに頬杖をつきながらこちらを見ている。
つい自分たち三人と土の竜のやり取りに集中してしまっていたので彼の存在を忘れていたが、この調子だとスザクはスザクで四人のやり取りを客観的に眺めながら楽しんででもいたかのようだ。
「なんだよスザク。感じ悪いぞ」
土の竜が不機嫌そうに隣に視線を向ける。
「まぁ、お前は昔からそんなだったからな。あのな火の竜、こいつこう見えてそんなに悪い奴じゃねぇから。見捨てないでやってくれや」
スザクはそう言うとリョウに向かって片目を一瞬閉じて見せる。
「スザク!」
土の竜が声をあげ、そして、あろうことか顔を赤くしている。
この二人、どういう間柄なんだろう……と混乱し始めたリョウがなんとなく隣のスイレンに目を向けると、やはりスイレンも同じように混乱しているような目を土の竜に向けている。
スイレンからしたら。
水の部族も純血種であり世襲制で水の竜の名を受け継いでいたから部族内の文化は似たようなものかと思っていた。つまり、頭として名を受け継ぐ者にはしかるべき敬意が表される。
でも、どうもこのスザクにはそれが無いように見えるし当の土の竜がそれを嫌がってもいなさそうなのだ。
水の部族の場合は名を継承した時点で家族からも引き離されていたから家族との関係も変化していたようだが……もしかしたらここではそれがなく、スザクは土の竜の家族、ということなのだろうか? 兄弟である、とか?
「もういいよ。どっちにしたって僕は本来の価値を失った人間なんかのために力を使う気なんか無いんだから」
土の竜が投げ捨てるようにそう言うと。
「おいおい、まだ賭けは終わってないだろ?」
とスザクが意味ありげな視線を土の竜に向ける。
「……賭け?」
グウィンが聞き返す。
話の方向が少し変わったことでグウィンの目付きから先程までの殺気さえ感じるような鋭さが若干消えている。
「そ! こいつの考え方をさ……」
「その話はいいから! 客人には関係ないだろ!」
スザクが面白そうに話し始めるのを土の竜が顔を赤らめて止める。
……本当にこの二人、兄弟か何かなんだろうか?
リョウが眉をしかめた。
「それよりさ。火の竜はその刃のこと、ちゃんと知ってるの?」
半分ふてくされたような顔で再び土の竜の視線がリョウに向く。
「……え? ちゃんとって……?」
人間が、竜族を怖れて作ったということだろうか。
先ほどからの話の流れからして、彼はそれゆえに人間に嫌悪感を抱いているように思える。
大抵の竜族はその血筋ゆえに優越感を抱いているだろう。その自分たちを滅ぼすことができるかもしれない凶器の存在。
そんなものを生み出した人間への憎しみ。それが彼の心の根底にあるような気が……しなくもない。
「それ、どうやって使ったら力を発揮するか知ってるの?」
土の竜が腕を組んでテーブルから身を離す。
「使い方……?」
リョウは思わずグウィンの方に目をやるがグウィンは再び黙り込んでおりこちらと目を合わせる様子はない。
「その剣はね、怖れと憎しみが込められて初めて力を発揮するんだよ。つまり相手に対する恐怖や憎しみや嫌悪感が強ければ強いほど殺傷能力が高まるんだ」
「あ……」
そういえば。
子供の頃に自分に向かって降り下ろされた刃にも、そして少し前にスイレンが自分に向かって突き立てた刃にもそういう感情が伴っていた。
「そして、その込められた呪いは強すぎてもはや水の竜の力をもってしても浄化できない」
土の竜の視線がすっと隣のスイレンに向く。
「……違うぞ!あれは先代が年を取りすぎていて力が弱かったからだ!」
「へぇ、そんな話を真に受けてるの? だいたいさ、それ、君が生まれる前の話だよ? 先代が何歳の時だよ。そもそもが、まだ弱っているような歳じゃないだろ? それに力が弱るほど年を取ってるならその段階で次の代に代替わりするはずだよね?」
「え……」
スイレンが息を呑む。
そういえば。
リョウもラザネルの話でそう聞いて、疑いもしなかったが考えてみたら土の竜の言う通りだ。
ラザネルの若かりし頃の話。そして、まだスオウがスイレンを身ごもってもいない頃の話。スイレンだって生まれてすぐ水の竜の名を受け継いだ訳ではない。
そう考えると浄化の力が衰えていたとは考えにくい。むしろ、まだ次の世代に変わる前の最盛期だった筈だ。
「つまりね、そのくらい竜族の力は弱まっているってことだよ。それも醜く歪んだ人間のせいでね」
「……でも、それを補う剣もあるだろ?」
グウィンが不意に口を開いた。
どうやらグウィンは何かを知っているのだ、とリョウは直感的に思った。それも何か大事なこと。
「補う……ね。僕はまだ見たことないけど。あれが単なる伝説じゃないってどうして分かるの?」
土の竜の視線が今度はグウィンに固定される。
「あるからだよ。ここに」
グウィンの視線はあろうことかリョウに向いた。




