旅路(労い)
夕方になり、小さな町にたどり着く。
昼間の会話もあって、リョウはちょっと複雑な思いでグウィンが町に入っていくのを見送った。
「さすがに寒くもなってくるわよね」
凍えるような寒さという感覚は無いまでも……それは竜族の血が流れているがゆえだ。
前方に迫ってきた山並みは白く雪に覆われている。
昼間はかろうじて土とわずかな草が残る地面だったが、今立っている場所はむき出しの地面。さしずめ不毛の地、といったところ。
今、グウィンが立ち寄っている町は人が住む場所としては北の最果てだろう。これ以上北上したら厳しい寒さで人間が住める場所じゃなくなる。
こういう場所だと住んでいる住民は近隣との交流もほとんどなくて警戒心が強く、こんな時間に町の外の河原まで人が出てくることなんかない。
今までは河原に降りて夜を過ごすとはいえ、それでも村や町から距離をおいていた。でも、ここなら町が見えるような場所でも人目につくことはないだろう。
河原を歩きながらリョウはちょっと企んでいることを実行できそうな場所を探す。
川の流れはかなり穏やかで、水も浅くなっている。
この辺りなら馬に乗って向こう側に渡れるんじゃないかと思えるほどの水深と川幅になっていた。
まぁ、水は相当冷たいだろうからそんなことをする人はいないだろうけど。
「あ、やっぱりあった」
町の近くということは。
昼間、川で水を使う人がいたっておかしくないわけで、そういう人が使うために水を引き込んだ浅い水溜まりのような場所があるのではないかと思っていたのだ。
「このくらいなら……グウィンが帰ってくる前にできちゃいそう」
河原の石が丸く輪になって積み上げられて、その中に川からの水が流れ込むようになっている場所。
大きさも、中に人が二~三人は入れそうな程度。
リョウは、ちょっとだけ弾むような足取りで川から水が流れ込んでいる場所と、流れ込んだ水が川に排出されている場所にせっせと大きめの石を積み上げ始める。
そうこうするうちにそれは川から孤立した水溜まりとなり。
「では」
水溜まりの脇にリョウは炎を出す。
山が近いせいでこの辺にある石は炎で熱しても簡単には割れないような溶岩で出来た石のようだ。炎で熱した石を次々に沈めていけば……お風呂が出来上がるはず!
何か、グウィンの役に立つことをしてあげたいと思っていた。
人との繋がりに、自分と同じように行き詰まることがあると知ってからはなおさら。
それでもなお、友となった人に会いに行こうとするのは、他ならぬ私を戦いに備えさせるために必要だから、なのだ。
もっと言えば。
彼はカロのやったことを知ってそのあと世界がどうなっていくかを予想し、世界を救うことができるか賭けに出たと言ったことを考えると。
火の竜である私が、力を蓄え、世界に災いをもたらすものと戦うときが来ることを見越して、その時に役に立つように旅して回る自分の性質を利用したのだということではないだろうか。
利用するということは。
方々に知人を作るということ。人脈を作り、友人を作り、人との繋がりを持ち続ける。いざその時になったら力を貸してもらうために。
小さい村ならともかく、町から出てきたグウィンはレジーナを飛ばしていた。町が持っている兵力を提供させるための話をつけてきてグリフィスに結果報告をしているのだろう。
だけど、そうやってこのときのために築いてきた人脈は、今、この時に役に立つなんて分かる筈もなかった事だったろう。だからきっと、ずっと前から動き回っていた筈だし、この時に間に合わず死に別れる友も沢山いた筈なのだ。それでも諦めずに人との繋がりを作り続けた。
自分が傷付くことになろうとも。
そんな彼の労をねぎらうことは出来ないだろうか、なんて考えてみて。
「私に出来ることなんて……これっぽっち、なのよね」
炎の数を増やしながらそんなことを呟く。
勿論、最終的にはヴァニタスやリガトルを全滅させるつもりでいる。
そうして、この命を懸けてでも、世界に均衡を取り戻させるのだ。
でもその前に、自分の心を痛めながら下準備をして来たグウィンに喜んでもらいたい。感謝してるってことを、その苦労を理解しているってことを伝えたい。
一緒に食事をするだけでも喜んでくれるらしいことが分かって、少し安心した。
ならば、もし、昔の友に合いに行ってその命の短さを思い知らされて帰ってきた時に、何か心安らぐようなことができたらいいな、なんて思ったのだが……。
……まぁ、ちょっと寒いから体が温まれば気持ちも和らぐかな、なんて……安直すぎるかしらね。
そう考えながら燃えている火の中に両手を突っ込んで炎ごと焼けた石を持ち上げて水の中に落とす。
派手な音がして石が沈んでいくのを何度も見守りながら。
「とりあえずこのくらい入れておけば……後で冷めてちょうどいい湯加減になるでしょ」
なんて言いつつ、そこから少し離れて改めて焚き火サイズの炎を作る。
まもなくグウィンが帰ってくるだろう。
戻ってきたグウィンが持ち帰った食料は、以前のような野菜や肉の挟まったサンドイッチ、みたいなものではなくすべてが保存食だった。
固いパンやチーズ、干した果物や木の実、といったもの。
それでもこの町の人たちにとっては貴重な日常の食料。リョウにとってもちゃんと美味しいと感じられるものだった。
グウィンはあいかわらずありがたがって食べるリョウを楽しそうに眺めながら食事をしている。
それがリョウにもなんだか嬉しい。
町で会ってきた友達がどうなっていたかとか、そんなことは一言も話してくれなくても、それでもなんとなくは分かるのだ。例えば、今回はちゃんと再会が果たせたんだろうな、とか。
少なくとも、生きて再会できたのなら、ちょっと安心できる。
なので「お風呂、作ってみたんだけど」なんていう報告もすんなり伝えられたりする。
「ええ! 風呂?」
グウィンは満面の笑みを作って喜んだ。
「たぶんこの気温だと、そろそろいい感じに冷めて入りやすくなってると思うからゆっくりどうぞ。……私、ハナのところに行ってるから」
さすがに少々距離はあるとはいえ、裸のグウィンの近くにいたんじゃお互い落ち着かないし、ハナやニゲルのところに行って時間を潰そう、と考える。
「……なんだ。一緒に入らないのか?」
にやっと笑いながらそんなことを言ってくるグウィンの背中を思いっきりどついてからリョウはそそくさと河原を後にする。
ハナは探すまでもなくすぐ近くにいた。
「……ハナ」
声をかけると近づいて来て頭を寄せてくるのでそっと撫でる。
「お前、食べなくても生きていけるんだね……」
昼間、初めて知った事実にリョウはまだついていけていなかったのだが、ハナの様子を見てなんとなく納得してしまう。
確かに、昼間に申し訳程度に草を食べて以来、そのあとはガンガン走ったのに飲まず食わずで今に至るハナは全く何の問題もなさそうに見える。
ふと、後ろに気配を感じてリョウが振り返ると、そこには闇に紛れるようにして黒いニゲルが佇んでおり、静かにリョウとハナを見ている。
「ニゲル……あなたは……ご主人様を本当に大切にしているのね……」
リョウはそう言うとハナを撫でる右手はそのままに左手を伸ばしてニゲルに触れる。
人との別れを経験することはグウィンにとって避けられないことだとしても、ニゲルやレジーナとは別れずに済む。そういう安心感は聖獣たちには確実に伝わる。そして、その気持ちに答えようと思うからこの子達は彼のそばを離れないのだ。
グウィンにしか気を許さないのかと思ったニゲルはリョウが手を伸ばすとそれに誘われるように自分から寄ってきておとなしく撫でさせてくれた。
二頭の間にはさまれてリョウは不思議な気持ちになる。
竜族として、その立場を知っていてくれるグウィンや馬たちは、なんだか家族のようだった。
何も隠す必要のない相手。
リョウは家族なんて持ったことがないけれど、きっとこんな感じなんじゃないか、なんて思う。
そして、都市に残してきた人をふと、思う。
レンブラント。
彼は、私が同じ時を生きることが出来ないと知ったならどんな顔をするのだろう。
彼が年老いて弱っていって、そして死んでしまう時にも私は今とさほど変わらない姿で、そんな彼を見送らなければならないと知ったなら、やはり寂しいと感じてくれるんだろうか。
……いや。それ以前に、そんな自分を見せなければいけないと気付いたら、さすがに私と共に生きるなんて事は諦める、よね。
それにやはり、愛する人の死を見届けるというのは辛いことなのだ。
そんなことになるくらいなら初めから本気にならない方がいい。
私は弱いから。
もう、それは認めてしまうけど、私は弱いのだ。
愛する人の死を直視できるほどに強くはない。
もし、レンブラントをこのまま愛してしまったら、その別れは「あの人」との別れよりも辛いものになるだろう。
なにしろ、あのときは私はまだ子供だったのだ。あの人への思いそのものだって恋とか愛とかそんなものにすらなっていなかったような気がする。子供なりに本気ではあったが。
それに、あの人は私の気持ちを知ってか知らずか、いつもうまくはぐらかしていた。そういう別れがいずれ訪れることを知っていたからなのかも知れない。そもそも私が本当に子供っぽすぎて、そういう感情の対象ではなかったという可能性すらある。
でも、今、レンブラントとなら。
私が気を許してしまったら、本当に私は彼に本気になってしまう。
そうなったら、別れが訪れたとき、あの時の比ではない悲しみと絶望に襲われること間違いなしなのだ。
もう、あんな思いはしたくない。
「ああ、そんな考え自体が矛盾しているんだっけ……」
つい独り言が口をついて出る。
私、これから死ぬ覚悟で戦うつもりなんだった。
考えていることが支離滅裂で、つい口元に自嘲の笑みが浮かんでしまう。
でも、だから、今のこんな状況に甘えてしまう。
自分と同族。
自分の存在を受け入れてくれる器のある存在。
そんな人と一緒にいられることに気が緩む。
思わず二頭の聖獣の首に両腕を回して抱き締める。
どうか、そばにいてね。
最後のそのときまで。




