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策士

 場所は変わって、リョウとグウィンが旅立った後の西の都市。



 レンブラントは、グリフィスの部屋の前にいた。

 他よりほんの少し装飾の多いドア。

 ここに来るのは、騎士隊隊長としての仕事の時のみだ。

 個人的にグリフィスに会いに来る時は建物の外れにある住まいの方に行く。

 で、この度は、司からの正式な呼び出しがあり、正式な呼び出しということはここに来ることは間違ってはいないのだが。

「はぁ……」

 無意識にため息を漏らしてしまう。

 どうにもここ数日仕事に身が入らない。

 そんなことが許されるときではないことは分かっている。

 そして、いつもの自分なら上手く気持ちを切り替えて仕事の時は仕事に集中できるのだが。

 今日は会議中にもぼんやりしてしまって指揮官だけでなくクリスやハヤトも目を丸くしていた。

 ……あれには我ながら驚いた。

 原因は分かっている。

 だから尚更どうしようもない。

 ……ここに呼び出されたのも、おそらくこの体たらくぶりが報告されたとかそんなことなのだろう。あの人のことだ、父親として心配するよりも司として忠告するほうが効果的だと考えてわざわざ呼び出したのだろう。

 気を取り直してドアをノックする。


「……ひどい顔だな、レン」

 ドアを開けるなりそんな声がかけられる。

 一瞬、レンブラントのノブにかけた手は止まったが、返す言葉も無いのでそのまま中に入ってドアを閉める。

「お呼びですか?」

 決まり文句のような機械的な返答をする。

「……ああ、ちょっと頼みたいことがあってね」

 そこにいるのは、都市の司としての顔ではなく、今までずっとレンブラント個人を見守ってきたグリフィス一個人としての顔をした人だった。

 レンブラントの予想とはどうやら少し様子が違う。

「頼みたいこと、ですか?」

 今のこの状態の自分に新しい仕事を任せられると判断されるとは到底思えない。

 そんな考えがレンブラントの頭をよぎる。

「レン。お前、リョウがこの都市を出ていったのは知っているだろ?」

 知っているもなにも……!

 レンブラントはグリフィスと目を合わせることも出来ずに顔をしかめる。


 あの日、リョウは僕を結界に閉じ込めて部屋から出て行った。

 僕が油断して腕の力を緩めた隙に、この手の中からすり抜けてしまったのだ。

 部屋から出ていく彼女をただ見送るしかなくて、名前を呼ぼうが、何を言おうが、全く聞く耳を持たずにまるで本当に何も聞こえていないかのように、振り向きもせず、足を止めることもなく出ていった彼女を見てどれだけあの一瞬を後悔したことか……!

 夜更けに結界が解けたのを感じた時には彼女はもういないのだ、と実感した。

 もう戻っては来ないのだと。

 それでも、部屋から出ることが出来ずに一晩そこで過ごし、そのあと明るくなってすぐに、ザイラがクリスから聞いたと言ってリョウがいないことを確かめに駆け込んできた。続いて、前日のリョウの様子から彼女の体を心配したハヤトが見張りの仕事の後に顔を出し、ザイラを追いかけてきたクリスも駆け込んできて、リョウが司の所に行ったことと、グウィンと都市を出たことを改めて聞かされた。

 そういえばハヤトは怒っているようだった。

「レン、お前本当にそれでいいの?」

 そう言ったハヤトの目はいつになく真剣で真っ直ぐだった。

 とはいえ、いいも何もどうすることもできないのだ。

 都市を出ていったリョウを止めることができなかった僕は、それ以上何もできない。


「レン……リョウのこと、諦めようとは思わないのか?」

 グリフィスの、今まで聞いた中でも最も優しい口調の言葉にレンブラントが顔をあげる。

 気付けばグリフィスは机の向こう側から机を回ってこちら側に来ており、机に寄りかかるようにして腕を組み、レンブラントを眺めている。

 その目は昔レンブラントが、周りの冷たい仕打ちに耐えながら騎士の訓練に励んでいた頃にも向けられていた温かく優しい目と同じ色を湛えている。

「諦める……って……」

 レンブラントは、ああ、この気持ちは見透かされているのか、と改めて実感する。

 この人にはかなわない。

「……そう簡単に諦められるものなら、もうとっくに割り切って仕事してますよ」

 どんなに無様でも、この人の前では本当のことを言ってしまう。

「だな……。お前ならそうだろうと思っていたよ」

 そう言うと、グリフィスは少し間を置いてから。

「リョウは、お前の気持ちに応えると言ってくれたのか?」

 その言葉にレンブラントは改めて顔をしかめる。

 いかにも、痛いところを突かれた、という顔で言葉もないレンブラントを見るグリフィスはその気持ちを察してこっそりため息をつく。

「なぁ、レン。グウィンに会っただろ?彼、何歳だと思う?」

「……?」

 いきなり話の方向が変わってレンブラントが目を上げる。

「あいつ、多分、350年は生きているはずだ」

「え?」

 グリフィスの言葉にレンブラントの目が点になる。

「竜族っていうのはそういう種族なんだよ。私が初めて彼に会ったのはほんの子供の頃だったがその後一向に年を取った様子はない。彼らは千年は生きるそうだ。そもそも人間の姿をしているのに『竜』なんて呼ばれるのは、結局のところ人間にはない能力や寿命を恐れた人間が、その恐れからつけた呼び名なんだよ」

「……じゃあ、リョウは」

 グウィンがそんなに長く生きているのだとしたら、自分より年下のように思っていたあの子は……。

「まぁ……グウィンより若く見えるからせいぜい250か300といったところか」

 グリフィスの言葉にレンブラントが言葉を失う。

「なぁ、レン」

 言い聞かせるような、それでいて優しい口調のグリフィス。

「リョウがお前の気持ちに応えられないと思うとしたら、恐らく原因はそこかもしれんぞ。……自分と同じ時間の流れを生きていくことが出来ない者と一緒にいるというのは案外残酷なもんだ。人は数十年で年老いて死んでしまう。彼女はそれを見送らなければならないし、お前は年老いて弱っていく身をさらさなければならない。彼女がもしお前の気持ちを受け止めることを躊躇するとしたら……それはむしろお前のことを軽々しく考えていない証拠、ということじゃないのか?」

 グリフィスの言葉を聞きながらレンブラントはリョウの言葉を思い出していた。

「あなたは私とずっと一緒になんていられない」

 そんなことを言っていた。それはつまり、こういうことなのか。

 一緒にいたいと思っても叶わないということ。

 そして、彼女は過去において少なくともそういう別れを経験している。一緒にいたというレンジャー。その人間がどうやって死んだかはさておき、彼女をおいて先に逝ってしまったのだ。

「で。それがわかったところで、彼女を諦める気になったか?」

 真っ直ぐにレンブラントの目を見据えてグリフィスが問う。

「……どうして、それくらいのことで諦める必要があるんですか?」

 レンブラントは迷いのない視線を返す。

 それならそうと、本人の口から聞きたかった。

 例え数十年だとしても一緒にいられるなら、一緒にいたい。その先の長い年月を心配するがために今の数十年を無駄にするなんて馬鹿げている。

 それは先に逝く者の自分勝手な考えかもしれないけれど。

 それでも。

 今、彼女を抱き締めて安心させてやることができるのなら。

 今、彼女が独りぼっちにならずに済むのなら。

 今、彼女が必要としているものを与えてやれるのなら。


「……そう言うんじゃないかと思ったよ」

 グリフィスが、にやっと笑う。そして。

「では、第八部隊隊長レンブラント。あなたには都市の守護者(ガーディアン)の援護を任せます」

「……え?」

 グリフィスの口調が、司としてのものに変わり、レンブラントはその言葉の内容に一瞬戸惑う。

「今、リョウは騎士の職から解任してこの都市の守護者(ガーディアン)という立場に就いてもらっています。そしてまずはグウィンと共に北の山岳地帯の水の竜に会いに行ってもらっています。あそこはそもそも人が近寄れるところではないし、今から追いかけても人が追い付けるとは思えません。あなたは彼らがそのあと行くことになっている東の高山の土の竜のところに先回りをしてもらいたい。出来れば土の竜を説得して戦いに力を貸してもらうよう頼めればリョウとグウィンの手間が省けるかもしれませんね。……まぁ、そう簡単に人間の言うことを聞くとは思えませんからこれは簡単な任務ではありませんが」

「……いいんですか?」

 司からの説明に、レンブラントはついそう聞き返してしまう。

 それで良いのだろうか。

 いろんな意味で。

 隊長である者が長期間都市を空けること。しかも近隣との軍事協定だとか都市の組織の調整だとか、とにかく物事が動き始めている肝心な時期。これから先に予想されている大きな戦いが始まる前のこの時期に。

 そして土の竜の説得などという大それた仕事に人間が出向くということ。これは絶対失敗が許されない仕事である上、さらに成功の確率は……あるのだろうか? そこに人間が出向くことによって問題がこじれたりはしないのだろうか?

「そもそも、あなたの今の状態を考えたらここでの仕事はそう期待できるものでもないでしょう?」

 ぐさり、ととどめをさすグリフィス。

 ……確かにそれはそうなのだが。

 だからといってリョウのところへ行け、というのは短絡的ではないのかと思うレンブラントに。

「私を誰だと思っているんですか? 過去においては騎士隊隊長と指揮官を勤めた人間ですよ。人の適性を見抜く力はまだあると自負しています。それに、あなたには休暇を与えるなどとは一言も言っていません」

 都市の司としての口調で淡々と語られる言葉にレンブラントがはっとする。

 確かに。

 彼の人の使い方は昔から適切だった。

 戦いの際の配置や組み合わせ、人選。政を行うに当たっての人選や、人の動かし方も、いつも完璧だった。

 つまり。

 レンブラントの戦力を、今一番必要としているところに差し向けたいというのが彼の主な考えなのだ。

 そして、その差し向けたい先にレンブラントにとって「特別な」存在がいる以上、レンブラントが予想通りに働くかどうかを確認するために気持ちを尋ねた、というわけだ。リョウに対する気持ちが冷めてしまっているのなら行ったところで本領以上の力を発揮することはないだろうし、下手をすればそれすらも望めない。

 この人は、使う駒の背後にある感情や背景も計算して利用する人だった、とレンブラントは気づく。

 その彼が、レンブラントに行けと言うのは、ある意味、信頼の表れなのだ。

 そんなことを思い出したレンブラントは、一気に気持ちが引き締まるのを感じる。

「……わかりました」

 レンブラントの短い返事にグリフィスは満足げに微笑んで。

「ああ、そうだ。一応言っておきますが、リョウがあなたに対してどんな気持ちを持っているかなんていうのは単なる憶測ですからね。そういうことはちゃんと自分で確かめてきなさい。……それと、竜族というのは基本的に人間にいい感情は持っていません。生半可な気持ちで行けば命取りになりますから覚悟しなさい。そして今の状況からして余計な人材を割くことは出来ません。あなたには一人で行ってもらうことになります」


 かくして。

 レンブラントは単身、東の果てに向かうことになった。


 そしてグリフィスは。

「やれやれ……」

 部屋を出ていったレンブラントを見送って一息付き。

「……やっぱり、親バカですかねぇ……」

 なんて呟く。

 一応は、彼なりに、リョウのことをよく知っていそうなクリストフやハヤトにそれとなく確認は取っていたのだ。そしてここから旅立つ時のリョウを観察して、多分彼女はレンブラントを嫌っているわけではなく、むしろ特別な感情を抱いているのではないかという確信を得てはいたのだ。

 そんなことを踏まえて出した結論が。

「私の勘が正しければ、あの三人が一緒にいれば……無敵になれそうな気がするんですよねぇ……いろんな意味で……」

 親バカ、と言いながらもそう呟くグリフィスの目はしっかり策士の目だった。


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