13.チームプレイと策略
「実を言うと、少しは怖かったんだよ。
防弾チョッキの実演をしている時に、ナイフが刺さちゃって死んだってニュースを、随分前に聞いた事があってさ。ナイフがチョッキを貫いて刺さったらどうしよう?って。
ま、カッターナイフ程度の刃なら、全然通さなかったみたいだけど」
そう言い終えると、村上アキは制服を脱いでその下に着ている防弾チョッキを見せた。長谷川沙世はそれを見ると不思議そうに言う。
「防弾チョッキ?」
「うん。売っている店を日曜日の間に探すのは苦労したよ。この上無さん達の計画を知ったのが土曜日で、そこから慌てて計画を立てて何とか準備を間に合わせた」
沙世はそのアキの説明に疑問を思った。
「ちょっと待って。どうしてアキ君がわたし達が立てた計画を知っていたの?」
その質問に、アキはにんまりと笑った。
「それは簡単。沙世ちゃんが、この上無深夜さんの自宅を突き止めた時に、ちょうど僕らも居合わせたからだよ」
「居合わせた?」
「そう。僕らが着いたのは、沙世ちゃんが上無さんの自宅に入った後だったけど、中に君がいるのは分かった」
そこで上無が声を上げた。弱々しい声だったが、それでも何とか聞こえる。
「………それだけで、…どうして、……ボクの計画の中身まで分かるんだ?」
アキはこう返した。
「僕“ら”と言ったでしょう? 上無さん。早い話がそこには、僕の他にももう一人異能を持つ人間がいたのですよ。
僕にはあなたが予想した通り『異能察知』という異能がある。だから当然、役に立つ異能の持ち主を他にもたくさん知っている。そのうちの一人に協力を求めたのですよ」
それを聞いて、上無は大きく目を見開いた。
この時、敢えてアキは塚キミコの異能の詳細を隠した。秘密にする事で、より不安を煽ろうと思ったからだ。これなら上無は心を読める人間がいると勘違いするだろう。しかし、アキに協力した塚キミコは、言葉として明確に心が読める訳ではない。アキは塚キミコから聞いた漠然とした内容を聞いて、上無の計画を推理しただけなのだ。だから、所々で不安な点もあったのだが。
「恐らく、偶然、そこに僕らが居合わせる事ができたのは、そこにいる白石さんのお蔭です。彼女には悪運を吸収するという異能があってですね、僕は毎日、彼女に自分の悪運を吸収してもらっていたんだ。それできっと僕は幸運に恵まれたのでしょう」
沙世がそれを聞いて尋ねた。
「アキ君が計画に備えていたのは分かったけど、どうしてここに松田先生がいるのに、感染者達が学校に入って来なかったの? 彼らを止める人が誰もいないじゃない」
「それも異能者だよ、沙世ちゃん。君も知っている人だけどね。松田先生に異能を無効化してもらわなくても、学校に感染者達を入れない方法くらいいくらでもあるんだ」
――その頃、学校の外では、死にそうな様子で深田信司が、未だに懸命に逃げ回っていた。
上無が言う。
「なるほど……。それで、…この松田って教師が……、外にいると、ボクらに思わせたのか」
アキはそれを聞くと笑う。
「はい。その通りです。上手くいきました。でも、上無さん。辛いのなら喋らない方が良いですよ。立てもしない状態なのに」
沙世はそれにこう言った。
「でも、アキ君にしては随分と危ない橋を渡ったのじゃない? もし、わたしがナイフで顔を狙ったらどうするつもりだったの?」
それを受けると、アキは沙世をゆっくりと見てからこう続けた。
「いや、それはないと思っていた。何しろ、沙世ちゃんにあったのは、純粋な僕への殺意じゃなくって、“自分をふるのなら殺してやる”って思いだった。この点は、恐らく上無さんも勘違いをしていたのじゃないかと思うけど。
僕が君に辛く当たるのならまだしも、僕は普通に接していたからね。だから、狙うのなら致命傷にはならない場所だと予想していたんだ。ま、僕は君を信用していたのだね。僕を本気で殺したりはしないって」
そのアキの言葉に、沙世は顔を少し赤くした。それからアキはこう続ける。
「そして上無さんは、沙世ちゃんに僕を殺した罪を着せようとしていたはずだから、沙世ちゃんが刺したのと同じ辺りを狙うはず。ほら、カッターナイフも君と同じタイプを用意していたろう? だから、やはり顔はないと僕は考えた。
それともう一つは、白石さんの異能『悪運吸収』の効果もある。僕らの悪運は、その異能で上無さんに吸収されていたんだよ」
それを聞いて、上無は言う。
「……まさか、…ずっとボクに疲労感が、……あったのは?」
「その通りですよ、上無さん。松田先生が、あなたにこっそりと白石さんの異能『悪運吸収』をつけていたんだ。
今回の件は、僕にとっても沙世ちゃんにとっても松田先生にとっても… 早い話がここにいるあなた以外の人間全員にとっての“不運”ですからね。悪運は充分に溜まっていたはずだ。それら悪運を全て上無さんは吸収したんですよ。
それで、僕らには幸運が起こり易くなって、上無さんには悪い事が起こり易くなっていたのです」
白石の異能『悪運吸収』。その効果を、アキは沙世が上無の自宅に入るところに居合わせる事で既に体験していた。だから信頼していたのだろう。そこで松田が言った。
「俺はここにいる戸森の異能『隠れ蓑』で、存在感を消してもらっていたんだよ。だからこっそりと異能をつける事が可能だった」
そう松田が言うと、戸森は照れたように笑った。日曜日、長谷川沙世の身にどんな事を起こっているのかをアキから聞くと、彼は喜んで協力を約束したのだ。元々は、彼が情報を漏らした事が切っ掛けだから責任を感じてもいたし、純粋に沙世を救いたいという思いも彼は持っていたからだ。沙世の異能効果が切れた今でも、どうやら彼は少なからず沙世に対して、好意を持っているようだった。
「この上無って男が来る前から、俺らはこの空き教室に潜んでいたんだが、こいつは全く俺らに気が付かないから、可笑しくて仕方がなかったよ」
そう松田が言うと、ため息を漏らすように白石が言う。多少、呆れた様子で。
「先生、後少しで笑いそうだったから、わたし、心配でハラハラしていたんですよ」
アキが続ける。
「もし、上無さんが入って来なかったら、空き教室に僕らが足を踏み入れた時点で松田先生が僕に教えてくれる手筈になっていたから、実を言うと、上無さんが何処かに隠れているのは分かっていたんだよ。ま、はじめから来るとは思っていたけどね。さっきも言ったけど、確実に僕を殺すのと、それと沙世ちゃんを手に入れる為に」
それを聞くと沙世が尋ねた。
「でも、この空き教室を利用しない計画だったら、どうするつもりだったの? わたしが別の場所にアキ君を連れて行こうとしていたら、それで計画は失敗するじゃない。そこまで計画が分かっていたとか?」
「その時は、強引にでも僕はこの教室に足を運んでいたよ。松田先生達に、それを伝えなくちゃいけないしさ。で、松田先生の異能で沙世ちゃんを正気に戻してもらっていた」
それからゆっくりと上無を見ると、アキは続けた。
「一番不安になったのは、刺された僕が平気でいる姿を見せれば、直ぐにでも上無さんが現れると思っていたのに、なかなか登場しなかった時かな? だから沙世ちゃんにキスをしたんだ。そうすれば嫉妬で出て来ると思って。予想通りだったけど」
それを聞いた瞬間、沙世は少しだけ機嫌の悪そうな表情を見せたが、アキはそれに気付かない振りをした。それから上無が弱々しく口を開く。
「……しかし、…どうして、初めからボクの動きを封じておかなかったんだ? ……ボクに、さっさと……三つとも異能をつけておけば、わざわざ、刺されなくても……」
そう上無は言いかけて止まる。白石がデジタルカメラを取り出したのを見たからだ。その画面には、上無が村上アキを刺すシーンが映っていた。しかも、動画が撮影できるタイプらしい。証拠は動画で残っていた。松田が言う。
「それは、あなたと同じ事を考えたからですよ。さっき、村上をナイフで刺した時、そのシーンをばっちり撮らしてもらった。これ以降、あなたがまだ村上を、いや、自分の異能を利用して誰かを傷つけるというのなら、この証拠を警察に提出する」
それを聞いて、上無の目は絶望に揺れ始めた。そんな彼を見ながら、アキは彼の傍らに転がっていたデジタルカメラを拾うと、沙世がアキを刺したシーンを消去する。
「もちろん、沙世ちゃんの方の画像は消させてもらいます」
それから彼はそう言った。そして、しばらくの間の後、ゆっくりと冷徹な表情でアキは語り始める。
「断っておきますが、僕にはまだまだ知っている異能者達が大勢います。その中には、協力を求めれば、あなたを簡単に抹殺できるような異能を持っている人もいる。生物学的な意味でも社会的な意味でも。だから僕らに逆らおうなんて思わない方がいい。自分の身を護りたいのなら。
あなたがまだ自分の異能を、社会に害する目的の為に使うというのなら、覚悟をしてください。例え、この証拠の写真がなくても、あなたは僕らには敵わないんだ」
深い敗北感。
その感覚と激しい衰弱の中で、アキの台詞を耳にしていた上無の心には、色濃くその言葉が刻印されていた。恐怖心。
まるで残酷な予言をする精霊のように、村上アキの存在が感じられてしまう。
もちろん、アキの言葉は半分はハッタリだった。確かに彼は数多くの異能者を知ってはいる。その中には、恐るべき異能を持つ者もいるし、異能を組み合わせればほぼ反則のような事も可能だろう。しかし、その彼らとアキは知り合いでも何でもなかった。文字通り、単に“知っている”というだけの話だ。
「しかし、ボクのこの異能は……」
そう呟くように上無が言うのを聞くと、アキはこう言った。
「あなたの異能は、人と触れなければ発動はしないでしょう? なら、満員電車さえ避けるようにすれば、それで解決するはずだ。もっとも、あなたは自分の異能に気付いてからは、朝の満員電車は避けていたのでしょうがね。
これからは、帰る時も乗らないようにするんだ。いや、そもそも、職場の近くに引っ越して電車に乗らないようにすればいい。あなたがそこまでする気がなかっただろう事は分かっていますが、もちろん、拒否権はありませんよ」
それに上無は黙った。しばらく後、彼は涙を流し始め、呻くように言葉を発する。
「……ボクだってこんな力、………持ちたくて持った訳じゃない。
………どうして、そんな事まで」
それはまるで駄々をこねる子供のように見えた。理不尽な自分の立場に納得がいかないといった様子が簡単に見て取れる。沙世はその様子を不可解に思う。
この人の、この反応は何なのだろう?
この人は、意図的に人を殺していたのじゃなかったのか?
アキが淡々と言った。
「あなた自身もある意味では、自分の異能の被害者なのだという事は分かっています。あなたは、恐らく、本気で誰かを殺そうと考えた事などなかったのでしょう? いえ、もちろん、今回の僕の件は別ですがね」
それに力なく上無は頷く。それを受けるとアキは続けた。
「あなたは、職場の人などに怒りを覚えていたのかもしれない。殺したいと妄想した事もあったのかもしれない。でも、それを実行に移そうなどと思った事はなかった。ところが、あなたの抱えたその憤懣が、満員電車に乗って他人に触れた時に、他の人に感染をしてしまった。
一回や二回なら、平気だったかもしれない。感染した人が、あなたが腹を立てている人に接触する可能性は低いでしょうから。いえ、仮に接触をしたって、暴行を加える可能性は低いでしょう。普通は我慢しますから。わざわざその対象者を探す人になると更に少ない。
ですが、あなたは無自覚なまま、それを満員電車の中で毎日やってしまったんだ。当然、感染した人の数は膨大になる。それだけ多くの人がいれば、あなたが怒りを覚えた相手に暴行を加えてしまう人間が、一人や二人現れたとしても不思議じゃない。
あなたがおかしいと思い、自分の異能に気付いた時には、もう遅かったのじゃないですか? 既にたくさんの人が、あなたの『感情感染』の所為で殺傷された後だった。だからあなたは自分の罪を隠そうと必死になっていたんだ」
そこまでを聞いて沙世は言った。
「ちょっと待ってアキ君。なら、もしかして、この人は単に自分の力をコントロールできていなかっただけなの?」
上無は衰弱し切っており、それに反応する事すらできないでいるようだった。アキは沙世の問いに頷く。
「そうだと思う。誰だって、人を傷つけたいと思う事くらいある。確かに、この人は多少、神経質でプライドが高く、過剰に攻撃的なところはあったかもしれないけど、それだけだ。実際に、誰かを自らの手で傷つけた事は、今までなかったと思うよ」
沙世はそれを聞くと、少しばかり悲しそうな表情を見せる。
「そんな……、それなら…」
そしてそう言った。しかし、それを打ち消すようにアキはこう言う。
「でも、それでも僕にはこの人を許せない」
沙世は不思議そうな顔になる。アキはその顔に答えるように言った。
「この人が、自分の罪の発覚を恐れて、僕を殺そうとしたのは、まだ許せるんだ。いや、というか、沙世ちゃんが余計な事さえしなかったら、恐らくこの人は、僕をここまで憎めなかっただろうし。もちろん、危険な事には変わりないけど」
「うるさいわね」と、それに沙世。しかし、それで益々、彼女は不思議そうな表情を見せた。そして、「でも、なら、どうして? この人をアキ君は許さないの?」とそう尋ねる。すると、アキは逆に沙世にこう訊いた。
「沙世ちゃん。君はどうして、“ふられたから僕を殺す”なんて感情を自分が抱いたのか分かる?」
「それは、この人の『感情感染』で、感情を感染させられていたから……」
「そうだね。つまり、君の感情は、この上無さんの感情そのままだという事になる。という事は、この人は君に触れた時、君を殺そうとしていたんだよ。“自分のものにならないのなら、殺してやる”ってね」
それを聞いて、沙世は思い出した。曖昧な記憶だが、確か上無は自分の首に手を触れていたのだ。あの時、偶然に『感情感染』が発動していたから良かったものの、もしそうなっていなかったなら、沙世は首を絞められて殺されていたのかもしれない。
「そうかもしれない」と、それで沙世はそう応えた。アキはそれを受けるとこう言う。
「だったら後は分かるだろう? 沙世ちゃんを殺そうとした人を、僕が許せるはずがないじゃないか。
少なくとも、もう二度とこんな事をする気にならないくらいの目には遭ってもらう」
それからアキは沙世を見つめる。
その目は、先に彼が沙世に言った恋の告白が本心である事を物語っていた。異能の効果関係なしで、アキは沙世に好意を持っている。沙世はそれで顔を赤くした。
ところが、そのタイミングだった。空き教室のドアが叩かれたのだ。
「ちょっと、もう終わっているのでしょう? ここ開けてよ」
そして、そんな声が。それは間違いなく立石望のものだった。沙世が鍵を開けると、立石は直ぐに入って来た。
「おぉ。バッチリ、計画通りに終わったみたいね」
「立石。あんた、どうしてこんなに遅く登校して来ているのよ?」
そう沙世が言うと、彼女は「だって、私が学校にいたら、却ってあなた達に怪しまれるでしょうが」とそう返した。
そして、そう言いながら、彼女は倒れている上無に近付いて行った。その様子を確認して、こう言う。
「ちょっと。もしかして、この人、危ないのじゃない? 白目剥いて、泡吹いているわよ?」
それを聞いて松田が慌てた。
「おっと、そりゃいかん! 救急車を呼ばなくちゃ。電話だ、電話!」
そう言ってスマートフォンを取り出すと、急いでボタンを押して救急車を呼んだ。それから少しばかり、学校は騒がしくなった。
――その頃、学校の外では。
「はぁ はぁ はぁ」
と、息を乱しながら、深田信司が未だに逃げ回っていた。彼自身も彼を追っている感染者達も酷く疲労しているようだった。
“てか、いつまで僕は、逃げ回っていれば良いのだろう?
……誰か助けてぇ!”
そして、心の中でそう悲鳴を上げた。