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【完結】異世界に逃げたシングルマザー経理は、定時退勤だけは譲れない  作者: 木風


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第三話

「陛下、本日もいらっしゃいましたよ」


とエルウィンが小声で言った。


「わかってます。でも仕事中なので」

「スズキさん、あれ、絶対あなたに会いにきてるやつですよ」

「それと私の仕事は別です」


ヴィクトルは今日も椅子を持ち込んで、優子の斜め後ろに座っていた。

書類を持ってきて、自分の仕事もしているので、一応『邪魔』ではないのだが、時々優子の手元を覗いてくる。


「それは?」

「棚卸表です」

「こっちは?」

「減価償却の計算です」

「……難しいな」

「陛下、今少し集中したいので、五分待っていただけますか」


エルウィンたちは固まった。

王様に向かい、露骨に嫌そうな顔で『待て』と言ったのだ。


「……わかった」


ヴィクトルはというと、なぜか嬉しそうに待った。


問題はある日、ヴィクトルが「これを今日中に計算してくれ」と大量の書類を持ち込んだことだった。

優子は書類を見た。量を見た。時計を見た。

午後四時半。


「陛下、これは今日中には終わりません」

「なに?それほど多いか?」

「明日の午前中にお渡しします」

「しかし急ぎなのだが」

「私には定時があります。五時には退勤します」


ヴィクトルは少し眉を上げた。


「余が頼んでいるのだが」

「存じております。ですが、娘のお迎えがあります。子どもを待たせることはできません」

「……子どもを」


ヴィクトルは、初めて言葉に詰まった顔をした。


「優先するのか。余よりも」

「はい」


一切の迷いがなかった。

さも当然。何を言っているんだこの男は。という表情を隠しもせず。

ヴィクトルは、なぜかまた口の端が上がっているような、喜びを隠せないような、不思議な表情に。


「……明朝、一番に頼む」

「承知しました。お疲れ様でした、陛下」


優子は颯爽と帰った。


それから更に二ヶ月が過ぎた。


優子は城まで毎日、片道一時間かけて通っていた。

馬車もあるにはあるが、庶民には気軽に使えるものではない。

早起きして桃花の朝食を作り、近所の保育師に預け、歩いて通い、定時で帰り、お迎えをして夕食を作って、寝かしつけて。

無理が、ためらいもなく積み重なっていった。


限界が来たのは、梅雨の時期に似た、じめじめした朝だった。

城の廊下を歩いていた優子は、突然、視界がぐらりと揺れるのを感じた。

あ、やばい、と思った瞬間、膝から崩れた。


「スズキさん!?」


エルウィンの声が遠くから聞こえた。

倒れる瞬間、柔らかいものに受け止められた気がした。


目が覚めたら、城の一室だった。

知らない天井。豪華な寝具。窓から差し込む月明り。


「目が覚めたか」


声に振り向くと、ヴィクトルがいた。

椅子に座って、書類を読んでいた。


「……陛下?なぜ」

「余が抱えた。廊下で倒れていたから」


優子はそれより先に気づいたことがあった。


「桃花は!?お迎えの時間が!」

「落ち着け。すでに手配した。侍女が迎えに行き、隣の部屋にいる」

「で、でも、桃花、泣いてないかだけでも——」

「見てくるから、動くな」


優子は毛布を跳ねのけようとした。ヴィクトルが静かに手を押さえた。

有無を言わさぬ声だった。

ヴィクトルはすっと立ち上がり、隣の部屋へ行き、三十秒後に戻ってきた。


「すやすや寝ている。問題ない」

「……そう、ですか」


優子は、ようやく体の力を抜いた。

天井を見た。なんだか目の奥が熱くなってきた。


「なんで泣く」

「泣いてません」

「目が赤い」

「……疲れているだけです。すみません、ご迷惑を」


ヴィクトルはしばらく黙っていた。


「スズキ」

「はい」

「城に住め」


優子は目を丸くした。


「は?」

「住み込みにすれば、通勤がなくなる。子どもの世話も侍女に頼める。合理的だろう」

「いや、でも……」

「余のお気に入りの経理担当に倒れられては困る」

「それは——」

「娘も、城に慣れていたほうが安心だろう。今もぐっすり寝ているのは、そういうことだ」


優子は反論の言葉を探した。でも体が重くて、頭が働かなかった。


「……少し、考えさせてください」

「わかった」


ヴィクトルは再び椅子に座り、書類を開いた。


「今日は寝ていろ」

「陛下はなぜそこにいるんですか」

「……仕事をしている」

「ここで?」

「ここで」


優子は何か言おうとして、やめた。目を閉じた。

静かだった。羊皮紙をめくる音だけがした。

その静けさが、不思議なくらい安心できた。

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よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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