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【完結】異世界に逃げたシングルマザー経理は、定時退勤だけは譲れない  作者: 木風


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4/5

第四話 陛下と娘

結局、優子は城に住むことにした。


理由は単純で、翌日起きたら体がぴんぴんしていて、一方で「また一時間歩くのか」と思ったら気力が根こそぎ消えたからだ。

なるほど。これはみんなリモート勤務したがるわけだ。


割り当てられた部屋は広かった。

桃花の部屋も隣に用意された。

侍女が三人つき、「モモカさまのお世話もお任せください」と言われた。


「桃花は『さま』じゃないですけど」

「ヴィクトル陛下のご指示です」

「それに、あなたたちのお給金、私では払えません」

「そちらも、心配ご無用かと」


優子はため息をついた。


城での生活が始まると、思いがけないことが起きた。


桃花が、ヴィクトルになついた。

最初は廊下ですれ違っただけだった。ヴィクトルが「よう」と声をかけると、桃花は一瞬じっとして——それから、よちよちと近づいていって、ヴィクトルのズボンをぎゅっと掴んだ。


「……ん?」

「す、すみません!桃花、ダメだよ!」

「構わん」


ヴィクトルは桃花を見下ろした。

桃花はにぱーっと笑った。


「……笑った」

「人見知りしないんです、この子……本当にすみません」

「なぜ謝る。可愛い」


その日から、桃花はヴィクトルを見るたびに突進するようになった。

ヴィクトルも最初こそ戸惑っていたが、三日目には当然のように抱き上げるようになった。


決定的だったのは、一週間後の午後だった。

仕事を終えた優子が中庭に出ると、その光景が目に飛び込んできた。

石畳の上に、ヴィクトルがしゃがんでいた。

隣に桃花。

二人で、アリを見ていた。


「あー!あー!」

「ああ、これはアリだな。小さいな」

「あーあー!」

「そうか、でかいな、こっちのほうが」

「あ!」

「急いでどこかに行った。忙しいんだろう、余みたいに」


桃花の喃語にヴィクトルが真剣に応える、そして桃花がころころ笑う。

優子は、廊下の柱の陰で、完全に動けなくなっていた。


元夫とは願っても見られなかった光景が、今、目の前にある。


胸のあたりで、何かが音を立てた。

やばい。


夕食の席で、ヴィクトルは何事もなかったように「今日の馬の飼料費の件だが」と仕事の話を始めた。

優子も「はい、先月比で十二パーセント増加していまして」と普通に答えた。

桃花はヴィクトルの隣に座って、パンをもしゃもしゃ食べていた。


気が付けば、三人で食事をすることが当然になっていた。


「モモカ、それは余のパンだ」

「あ」

「……まあいい。食え」


そこで優子の口の端が微妙に動いた。


「なんだ、笑うな」

「笑ってません」

「口が動いていた」

「気のせいです。陛下、月次報告の件ですが」

「話を変えるな」

「経理の話です。お仕事の話です」

「……」


ヴィクトルは桃花を見た。桃花はにこにこしながらパンを食べていた。

ヴィクトルも、知らず知らず、似たような顔になっていた。


ある晩のこと。

桃花を寝かしつけた優子が廊下に出ると、ヴィクトルが壁にもたれて立っていた。


「……陛下、こんな時間に」

「散歩だ」

「お城の廊下で?」

「余の城だ、余の自由だ」


優子は少し笑って、並んで歩いた。


「スズキ。いや、ユウコ」

「……はい」

「……よくここまで一人でやってきたな」


唐突だった。優子は少し驚いて、ヴィクトルを見た。


「私は一人じゃないですよ。桃花がいるので」

「そうではなくて」


ヴィクトルは少し困った顔をした。


「まあ……大変だっただろう、ということだ」

「陛下こそ。お一人でこの国を動かしているんですよね。私なんかより」

「余はたくさん部下がいる」

「部下がいても、一人は一人です」


また沈黙。

廊下の窓から、月が見えた。


「ユウコ」

「はい」

「ここに……いてくれるか。モモカも含め」


優子は足を止めた。

ヴィクトルも止まった。


「……それは、どういう意味でしょうか」

「そのまま受け取ってくれ」

「……私は、夫から逃げた女です」

「知っている」


優子はしばらく月を見た。

胸の中で、あの音がまたした。あの、アリを見ている横顔を見たときの、音。


「少し、時間をいただけますか。まだ……男性を信じるのは怖いです」

「わかった。急がなくていい。これでも気は長いほうだ」

「でも、一つお聞きしていいですか」

「なんだ」

「私、定時に帰りますよ。それと、王様だからって特別扱いしないですよ。たぶん一生」


ヴィクトルは少し沈黙した。

それから。

くっと、笑った。


「知っている。それがいい」

「……なんで」

「世界中の誰も余に『待て』と言わない。お前だけだ」


優子は少し考えて、言った。


「では、今だけ特別に言いません」

「今は何と言う」

「……私は、ここにいます」


月が明るかった。

部屋のベッドでは、桃花がすやすや眠っていた。

夢の中でアリを追いかけているかもしれない。

廊下の二人は、しばらく並んで月を見ていた。

言葉はもう、必要なかった。

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よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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