116 百年前の大災害
百年前の大災害。
これは天より降りし少年が数百億もの虫を操り、大陸から魔族を消し去ったことに端を発する。
一度平和になったかに見えた世界は、じきにその偽りの救世主を憎むことになる。
彼は魔族を滅した後、世界を支配する神獣を全て管理下に置いた。
命令ひとつで国家を一つ滅亡させることのできる少年は、実質的に世界を支配することとなったのである。
これは魔族に脅かされていた頃よりも、理不尽で絶望的な状況だった。
しかし今、その体制は続いていない。
それはつまり、何者かがこの体制を打ち壊したという事でもあるのだが……
百年後の今、その理由はほとんど知られていない。
「これ! ここは神聖なる御所じゃぞ! 出てゆけ悪魔の手先ども!」
宙に浮いたゼヘタが叫び、悪魔の手先と呼ばれたディアロは一瞬顔をしかめる。
しかし思い直したように悪魔は唇を噛み。
「主よ。折り入ってお願いがございます」
そう言ってディアロは膝を折り、深々と頭を下げた。
隣の少女、ゼタはぽけっと立ったままにじっとゼヘタを見上げている。
「な、なんじゃあ急にそんなに頭を下げて……」
動揺した様子のゼヘタに、ディアロは頭を下げたまま言葉を続ける。
「偉大なる主に、お力添えをお願いしたいのです。主よ、どうか……」
「な、何を言う悪魔め! わらわがそちに協力することなどあり得ると思うたか、この、信者泥棒めがぁああ!」
「それは誤解です。我々は主のために……」
「主のためにじゃと⁉ ロ、ロナ少年から、貴様の悪行の数々は聞いておるぞ! 近頃も教皇まで登り詰めておきながら、他国の宗教へ多額の献金を流していたとか……!」
眉をひそめるディアロに、畳みかけるようにゼヘタは続ける。
「それに悪魔召喚のための魔法陣を作ろうとしてるという噂もあったぞ! しかも国家ぐるみで! これは言い逃れできぬじゃろ!」
「それはオーブで計算機を作成していただけで……。魔法陣などこの世界に存在しないことは、あなたもご存じのはずですが」
「まだあるぞ! 少し前には、特定の容姿の少女を部下に集めさせて、何やら怪しいことをしていたとか! それにロナ少年を殺そうとしていたことも……!」
「情報が古い……。あれはここにいらっしゃるゼタ様捜索のためです。決して邪悪な目的で行っていたわけではございません。それにロナを襲った獣人は、私の部下ではない」
ことごとく反論を返してくるディアロに、ゼヘタは疑わし気に眉を潜める。
ようやく追及の手が止んだのを察して、ディアロは顔を上げて口を開いた。
「その、ロナからの頼みでここに来ているのです」
「なんじゃ? ロナ少年の頼み……?」
「百年前の大災害。これが、繰り返されようとしているというのです。そこでどうか、ゼヘタ様にご助力を頂きたく思います」
「は、はぁ……⁉」
ゼヘタは目を丸くして、ディアロの顔をまじまじと見つめる。
その反応にディアロは息を吐いて、言葉を続けた。
「その昔、空より降りし少年の引き起こした大災害。これが甚大な被害をもたらしたことは誰もが知るところ……。しかし、それを収めたものの存在については語られておりません」
「……何が言いたいのじゃ」
ゼヘタは口をむっと尖らせてディアロとゼタを見つめる。
「ロナが言うには、ゼヘタ様こそが災厄を治めたのだと。災厄の力はあまりにすさまじく、当時の主以外に収めることが出来る者がいなかったとか」
「……嫌なことを思い出させるな」
「では、やはり?」
ゼヘタはため息をつき、視線を外して天井を見上げる。
「忘れもせんわ。もとはといえば、この戦いでわらわは力を使い果たしたのだ。だというのに貴様らは恩を忘れ、わらわの存在を無かったことにしようとしおって……」
仏頂面でゼヘタがゼタを睨みつけると、ディアロは顔をしかめ。
「それは違います。私がこれまでして来た工作の全ては、原初の神、つまり主への回帰を促すためだけです」
「……わらわへの、回帰?」
「我々は、分裂したこの宗教を再び統一することに尽力してまいりました。こちらのゼタ様は、百年前の分裂によって、国も種族も、信ずる心も分かれてしまったことに心を痛められているのです。だからこそ、それがまた一つに戻ることを願っておられます」
熱っぽく訴えるディアロ。
上目遣いに見上げるゼタに、ゼヘタはぽかんと口を開ける。
「私はゼタ様より命を受け、世界中で原典への回帰を促しておりました。主にとっては異なる神の使徒ですので、悪魔とお呼びになるのは甘んじて受け入れますが……私は、主の味方です」
「な、何を言っているのじゃ……! そ奴はわらわの力が弱まったゆえに分裂して出来た存在……わらわが再び信仰されるようになっては、その存在は消えることになるのじゃぞ⁉ そのような存在が、儂の復権を望むことなど……!」
ゼヘタは思わず立ち上がって、ちいさなゼタを見下ろす。
口を真一門に結び、ゼタは宙を浮かぶゼヘタに訴えかけるように見上げていた。
「それでも、と申しているのです。ゼタ様は、世界を救ったはずの主が世界から見向きもされず、消えて行く現状に心を痛めております。だからこそ、自らの存在を賭してでも、主をもう一度復活させたいと」
「……そんなたわ言を、信じろというのか?」
「たわ言だとお思いですか。私とゼタ様は、此度の災害を抑えるために、信仰を全て、主に捧げる覚悟です」
「ば、馬鹿な……⁉」
ゼヘタは目を丸くする。
信仰を全て捧げる、という事はすなわち……
「全盛期のゼヘタ様ならいざ知らず、今の信仰では……奴の操る神獣たちを抑えることは難しいでしょう。我々とて死にたくは有りません。しかし今は、こうするしか……」
ディアロの言葉にゼヘタが怯んだそのとき。
辺りに大きな地響きが鳴り渡る。
「な、なんじゃ……⁉」
やはり、これもロナの予言通りの時間。
日付の変わる直前に、それは起きると彼は言っていた。
「主よ……! 今まさに、百年前の大災害が繰り返されようとしています! どうか、どうか賢明なご判断をお願い申し上げます……!」
「し、しかしじゃな、それではわらわは……」
「私としても、主に願うのは心苦しいのです。百年かけて戻した力をお使いになり、世界を救って欲しいというのは、身勝手な願いで……」
「そ、そうじゃ! 長い年月をかけて、ようやく力を取り戻してきたと言うのに! 百年の孤独は、何よりも耐え難いものじゃったのだぞ!」
ディアロは唇をかむ。
ゼヘタの言う事は、痛ましいほどに分かる。
ディアロもまた、ロナに頼み込まれたときはそう簡単に承諾できなかった。
世界を救ったというのに、百年の孤独を代償として味わった。
それが、ようやく力を取り戻してきたというのに。
これまでのことを全て無かったことにして、もう一度責苦を受けてくれというようなものだ。
それでも、それでも……!
「それでも、お願い申し上げねばなりません。このままでは、世界が……!」
「う、うぅ……わ、わらわは、わらわはぁ………………」




