出発前_2
「イリスは速記コースの出だが、今回の任務ではお前が記録係、イリスに手紙係を担当してもらう。お前には手紙を書かせられないからな。だが、イリスも卒業したてで現場は未経験だ。お前の方が先輩になるから、いろいろ教えてやれ」
「いや、あの…」
テキパキと言うナイラにアザは言葉をはさめない。
「特に、お前の記録の取り方は、お前らの代の中で随一だったからな、見本になってやれ。最終的にはアザもイリスも、どちらもできるようになれればベストだな。まあそれと、お前は余裕があれば吟遊詩人でもしてやれ」
「俺科が違いますっ!」
ぎょっとして、言い損ねた分も含め今度こそと口をはさんだアザだが、即座に「アホか」と一喝される。
「戦場ではそんなこと言ってられん。あそこでは、ある意味誰もが平等なんだ。コトノハも兵士も、ましてや科の違いなんて関係ない。誰もができることをやらなければならないんだ。…心の余裕を持つことも大事。娯楽のひとつも無かったらみんなすぐに壊れてしまう」
アザから視線を逸らし、どこか遠くを見つめるナイラ。長年戦地の記録係を務めてきた彼女の言葉には、言葉以上の重みがあった。
「だから物語は必要なんだよ。吟遊詩人じゃなくても、お前はモミの書き手だろ。あいつの世界をみんなに届けてやれ」
「…はい。」
彼女はそれを、身をもって理解しているのだろう。ニカリと笑うナイラに、アザはただ頷いた。
彼女は、女性のコトノハとして初めて戦地の記録係を務めた人物だ。それも、最前線で。異例中の異例のことだった。彼女が戦地にいた期間は特に戦闘が激しかったはずだ。なぜコトノハが最前線へ行くことになったのか、そこで何があったのか。当時のことをナイラが詳しく語ったことはない。“いろいろあった”――そのひと言だ。
「まあ、なんだ……クツァオのこともあるし、昔と今じゃ兵器も戦況もまったく違うからあてにはならんだろうが……案外、前線でも何とかなるもんだ。気負わず行け」
声の調子を変えてナイラが明るく言う。
「私のときは銃の飛距離もそんなになかったからなぁ。見える銃口だけ気にしていれば良かった。狙撃なんて考えもしなかったな」
「そうなんですか?」
アザも軽い調子で聞き返す。
「ああ、ここ十数年の変化だな。特に相手側の武器の発達が著しい。しばらく前に報告を受けた兵器の性能には驚いた。我が国の軍でよくあれらと渡り合っていると思うよ」
「へえ…」
それからしばらくの間、他愛もない話をした。たまにぽろりと出るナイラの昔話が興味深く、さらに尋ねると懐かしんで教えてくれたり、ギロリと睨まれる。
彼女とこんなに話をしたのはいつ以来だろうか。笑いながらアザは考える。いつもその飾り気のない態度に安心してつい甘えてしまう。本人には口が裂けても言えないが、仲間内のあだ名は“おふくろ”だ。
「…はぁ。悪かったな、引き留めて。ついしゃべり過ぎてしまった」
ぎしりと椅子の背に身体を預け、ナイラが大きく息をつく。
「いえ、俺も楽しかったです」
にっこり笑って言ったアザに、ナイラも笑みをこぼした。そして表情を引き締める。
「さっきも言ったように、戦場では誰もができることをやらなければならない。だが気負いすぎるなよ。お前はいつも通り、自分にできる最善を尽くせばいい。……見送りには行くつもりなんだがな、どこで足止めをくらうかわからん」
そう言って顔をしかめるナイラにアザはまた笑って、しっかり頷いた。ナイラは席を立つと扉までの短い距離を一緒に来てくれる。
「お前も、イリスも…無茶をしがちで心配なんだがな…」
「どんな子なんですか?」
ため息をつきながらぼやくナイラにふと尋ねる。ナイラは難しい顔で唸った。
「真面目は真面目だ、だが……うーん、無茶というより、予想外のことをしてくるって感じだな。ああ、そういう雰囲気は、少しクツァオと似ているな」
「そうなんですね」
もう少し詳しく聞きたかったが、アザはドアノブに手をかけた。多忙な彼女をこれ以上引き留めるわけにはいかないだろう。
「うわ」
アザがナイラの部屋から出てくるのを待ち構えていたかのように、通路の端と端からそれぞれ書類やら何やらを抱えた人たちがドタドタと押し寄せてくる。
「所長!この案件の相談を――」
「いやそれよりあと30秒で講義はじまりますよ?!」
「もうこの書類読まなくていいんで、とりあえずサインしてください!」
「ええいやかましい!見送りぐらいさせろ!!」
口々に用件を言う大人たちにナイラが怒鳴り返す。彼らの勢いに圧倒されるが、ふと口許が緩んだ。
やはりナイラは忙しい。そんな中、自分との時間をとってくれたことが嬉しかった。
「きょ…所長、今日はありがとうございました。俺はこれで失礼します。」
「悪いなアザ。こちらこそ、ありがとう。モミにもよろしく」
アザが声をかけると、ナイラは人の合間から顔をのぞかせ手を振った。ぺこりと礼を返して、アザは背を向ける。
「ああ!分かった、とりあえず教室に行く。演習の合間に書類も見るからまとめて持って来い!」
背後から、ナイラのよく通る怒鳴り声が聞こえた。
「……ふぅ…」
ナイラと別れ、養成施設から十分離れたところで。アザは大きく息を吐いた。道をそれて路地裏に入り、壁に背中を預ける。
おそらく、動揺は表には出ていないはずだ。ナイラも言ってくれたように、やろうと思えばちゃんと取り繕える、と思う。
“我が国の軍でよくあれらと渡り合っていると思うよ”
そう言ったナイラのようすを思い出す。嘘を言っているようには見えなかった。だが彼女も本職だ、知っているとすれば嘘をつくことも、そうやってアザにカマをかけることも出来るが……そうではないと思いたい。
彼女の態度が本心だとするならば。ナイラは軍が善戦していると思っている。“報告”どおりに。とすれば、ナイラも知らないのだ。本当の戦況を。
彼女はコトノハの上層部だが、それはこの国における上層部でもある。その彼女も真実を知らない。
軍からの報告は軍部があるこの町の集積所に届き、王族用へと書き直され、王都へと届けられる。そしてそれは、公にはできないがアザが担っていた。つまり、別ルートの報告でもない限り、王族へも虚偽の報告がなされていることになる。
アザは身震いする。
この国のトップですら本当のことを知らないのだとすれば…この戦争を主導しているのは、一体誰なんだ?




