出発前_1
「そうか…。決めたんだな」
机の上で手を組んでアザの報告を聞いていたナイラは、残念そうに頷いた。
翌朝、アザはナイラに報告するために養成施設を訪れていた。以前は人の出入りが厳しく制限されていたらしいが、要件を伝え、身分証による簡単な本人確認のみですんなり通してもらえた。集積所の所長であるナイラが一日の大半を施設内で過ごしているため、彼女に用がある者の入校手続きが大幅に簡略化されたらしい。
「はい」
ナイラの言葉にアザはしっかりと頷いた。ユルドはどこに返事を伝えればいいのかも教えてくれなかった。おそらく軍の本部にいるのだろうが、いくらコトノハとはいえ簡単に話を通しにいける場所ではない。コトノハのことなのだから、話すならナイラだろうと思ったのだ。
アザの返事に、ナイラはふぅーと長く息をつくと、いつものキリリとした表情で顔を上げた。
「分かった。何かと準備も必要だろう。出発までの間、コトノハの業務は休め。集積所には私から伝えておこう」
「!…ありがとうございます」
正直、コトノハの業務をしながらテオとの仕事、モミの物語の記録をそれぞれやり遂げられるか、不安に思っていたところだった。ほっとした笑みを浮かべるアザにナイラは言う。
「お前はモミの物語の書き手でもあるからな。あいつのことだ、頼まれているだろう?」
どきりとした。報告より先にコトノハではない者に話しているのだ、咎められてもおかしくない。
だがナイラにそのつもりはなかったらしい。アザの態度を肯定と受け止めた彼女は、懐かしそうに口許を緩めた。
「変わってなさそうだな。会う機会も減ってしまったからな……どうだ?モミは元気にしているか?」
モミはナイラの教え子だった。会計課卒で活躍していた優秀なコトノハだったが、業務中に巻き込まれた事故で、視力を失った。
国家職員であるコトノハには、怪我や病気などで一定期間働けなくなった場合の保障制度はあるが、視力を失う――コトノハとして働けなくなることを想定した保障は存在しなかった。ナイラはモミの処遇を何とかしようとずいぶん腐心したが、当のモミは一般人として生きていくことを決めたのだそうだ。アザが養成施設に入るより前の話である。
「ええ、元気にしていますよ。…時々心配になりますけど。物語を語り始めたら止まらないし、そんなときでも仕事や子どもたちの相手も同時にやろうとするから、コトダマのリーダーも『いい加減休んでくれ』って頭を抱えてて…」
苦笑を交えながらアザはモミのことを話した。モミの能力の高さと、あと体力には感服する。同時並行に物事を進めながら、平気で二晩は語りたおすのだ。正直、記録するのが大変だったりする。
「本当に相変わらずだな。…うん、あの青年のもとなら、モミも安心だ」
ナイラは、「だろうな」という表情で頷いていたが、そう言って笑った。
「テオのこと知っているんですね」
なんだかここ数日、人と人とのつながりに驚かされてばかりだな。そう思いながら相槌をうつ。
「ああ。仕事で何度か顔を合わせたことがある。立場上言ってはいけないんだろうが、個人的にはよい青年だな」
テオのことを認められアザは自分のことのように嬉しくなるが、彼女が真面目くさって続けた言葉に思わず慌てた。
「コトノハにほしいくらいだ」
「ダメですよ!テオにはコトダマがある」
確かに、テオならあっという間に課程を修了しどの科であっても即戦力になるだろう。でもそれではコトダマが立ち行かなくなってしまう。でも今の不安定な立場より保障の厚いコトノハになる方が彼自身のためになるのかもしれない。いや待てよ?そもそもテオの年齢だったら無理じゃないか?いや、でも――。せわしく思考をめぐらせるアザのことを、ナイラは肩を震わせながら見ていたがしまいには吹き出した。
「ちょっ、からかったんですか?!」
「冗談のつもりだが、真に受けるとは……はぁ、やろうと思えば上手いんだから、気を抜くと全部表情に出るの、何とかしなさい」
呆れたように言われ、アザはふくれっ面をしまい込む。そんなアザを見つめるナイラの優しい瞳がふと陰りを帯びた。
「あの青年には、あの青年の生き方がある。コトノハに縛り付けるわけにはいかないさ」
「所長…?」
言われた直後だが、アザは思わず窺うようにナイラを見た。アザの知る彼女ではない姿がそこにはあった。いつもの貫禄はなりをひそめ、その目には苦渋の色が浮かんでいる。
「……コトノハだって、孤児たちの…社会的弱者の受け皿だったはずなんだがな。それが今では余計に分断を生んでいる気がするよ。コトダマは、本来コトノハがするはずだった役割を担ってくれているんだ。私は、感謝している」
「……」
見てはいけないものを見たような気がして、アザは何も言えなかった。ひとり言のようにそう言った彼女が次に顔を上げたときには、いつも通りの表情を浮かべている。
「すまない、話をずいぶん逸らしてしまったな。実は私も、通達が来た際に一人推薦していてな。コトノハとして出向するのは、お前とそいつの二人だ。お前の二個ぐらい下になるかな、イリスっていう女の子だ」
「女の子ですか?」
きょとんとして聞き返したアザにナイラはフッと意味深な笑みを浮かべた。
「安心しろ。イリスは強いぞ、したたかだ。このあたしが推薦したからな。本当は他で経験を積ませてからと思っていたんだが……」
ほんの一瞬だけのぞいた哀悼をナイラはすぐさましまい込む。




