第十章 銷魂 〜其の弐〜
朝——
「ん?…何かあった?」
朝から皆んなの顔をマジマジと見る陽炎の不審な仕草に、ノヴァが言葉をかけた。
「陽炎?どうしたの。」
「……いや、なんでもない。ちょっと変な夢を見ただけだよ、ハハハ」
陽炎は努めて明るい声で答え、差し込む朝日を避けるように視線を落とした。
だが、その胸のうちは穏やかではなかった。
昨夜、須佐能袁と阿修羅から告げられた『第二覚醒』、そして自分を絶望の底に突き落とそうと狙う者の存在。それらが重い鉛のように心にのしかかっている。
「変な夢? 陽炎がそんなこと言うなんて珍しい。…うなされてたの?」
雫が心配そうに覗き込んでくる。その澄んだ瞳に見つめられると、昨夜言われた「お前の守りたい存在が奪われた時」という言葉が呪いのように頭をよぎり、陽炎は思わず彼女の肩を強く掴みそうになった。
「本当、顔色が悪いですよ。昨日の疲れが取れてないんじゃないですか?」
紫苑が少し心配したように言葉を続けた。
「ただの夢だって。至って元気だぜ!」
それを聞くなり、蒼波が陽炎の顔に近づいて覗き込んだ。
「……本当になんでもないんだな?よし、それなら、朝飯食いに行こうぜ。腹が減っては戦はできぬ、だろ?」
「蒼波さんの言う通りだ!、ハハハ」
陽炎は無理やり笑ってみせたが、仲間の何気ない仕草や笑顔の一つ一つが、今は壊れ物のように儚く見えてしまう。
(守らなきゃ……。大切な仲間達を……!)
決意を固める陽炎。
帝都の朝の活気、焼き立てのパンの匂い、行き交う人々の笑い声。しかし、宿屋を出た瞬間、人混みの中に混じって「彼ら」を見つめる冷たい視線が一つ。
雑踏に消える黒いローブの影。そのすべてを塗り潰すような、どろりと濁った「死」の気配。陽炎はその視線の主を追おうとしたが、人混みの波に呑まれ、一瞬で掻き消されてしまう。
「……陽炎? どうしたの、急に立ち止まって」
雫が立ち止まった陽炎の顔を覗き込む。
陽炎もまた視線を雫へ移す。今の陽炎にはあまりにも眩しく、そして壊れやすく感じられて、拳をつくり強く握りしめた。
「……いや。……行こう。みんなとはぐれないようにしなきゃな」
——裏路地
数匹の猫が鳴いている。
「フフ……。見つけた」
黒いローブを纏い、霧のように実体の掴めない少女のような影—— それは、帝都という陽のあたる場所へ、『楽園』の君主の臣下、『冥府の三臣下』の一人『ヘル』が子供の容姿を借りた姿だった。
彼女の足元には、先ほどまでそこにいたはずの数匹の野良猫が、外傷一つなく魂だけを抜かれたように事切れている。
陽炎たちは、蒼波の提案で評判の食堂へと向かって歩いていた。
「ねぇ陽炎、あそこの屋台の串焼き、美味しそうじゃない?」
雫が楽しげに声をかける。陽炎は「ああ、そうだな」と生返事をしながらも、周囲への警戒を片時も解けずにいた。
その時だ。
人混みの向こうから、一人の小さな少女がふらふらと歩いてくるのが見えた。
粗末な布切れを纏い、力なく視線を彷徨わせている。迷子か、あるいは腹を空かせているのか。
「おや……? 陽炎、あの子、様子がおかしくないか?」
ノヴァが異変に気づき、足を止める。
雫が「大丈夫?」と駆け寄ろうとしたその瞬間、少女と陽炎の視線が真正面からぶつかった。
少女の瞳は、濁った泥のように暗く、底知れない。
「……っ!?」
陽炎の全身に、氷水を浴びせられたような戦慄が走った。
仲間たちの声が遠のき、周囲の雑踏がまるでスローモーションのように引き伸ばされていく。
少女は、陽炎のすぐ側をすれ違いざま、その小さな唇を微かに動かした。
その声は、他の誰にも聞こえない、冷たく湿った「呪い」のように陽炎の鼓膜へと直接突き刺さる。
「……いい『絆』ですね、陽炎様」
陽炎は足を止め、目を見開いた。
「誰を、最初に壊されたいですか? その愛しい少女(雫)? それとも、頼もしい仲間たち?」
「貴様……!」
陽炎が反射的に腰の剣へ手をかけたが、少女――冥府の三臣下の一人、ヘルは、クスクスと不気味な笑い声を残したまま、人混みの中へと溶けるように消えていった。
「陽炎? 急にどうしたの、怖い顔して……」
雫が心配そうに陽炎の腕を引く。
陽炎の視界が元に戻る。そこには、いつも通りの賑やかな帝都の風景が広がっていた。
だが、陽炎の右腕は、怒りと恐怖で自覚もなく小刻みに震えている。
「……なんでもない。ちょっと、目眩がしただけだ」
嘘をつくたびに、心の中の暗い火が、じりじりと熱を帯びるのを感じる。
『冥府の三臣下』。
奴らは、昨夜の警告通り、陽炎の最も守りたい場所を正確に、そして残酷に指差してきた。
(……やらせない。指一本、触れさせない……)
それは、本人の意図とは裏腹に、ヘルの囁きによって引きずり出されようとしている「第二覚醒」の胎動であった。




