間章 絆 〜其の弐〜
「……なんだと? てめぇ、誰が一番か決めてやろうってのか!」
阿修羅が拳を握り、その体からゆらゆらと熱気が立ち昇る。大黒天もまた、静かにその腰に下げた漆黒の剣の柄に手をかけた。須佐能袁は寝そべったまま、口角を吊り上げて楽しげに目を細める。
丘の上の空気が、一気に火薬のような危うさを帯びた。
「あはは、みんな怖い顔だ。でも、君たちなら——」
天明が言葉を続けようとしたその時、丘の下から鈴の鳴るような、透き通った声が響き渡った。
「……シャナ、またこんなところで油を売っているのですか?」
その声が届いた瞬間、張り詰めていた殺気が霧散した。
現れたのは、淡い月光を織り込んだかのような白銀の着物を纏い、長く艶やかな黒髪を風になびかせた一人の女性——天明の姉、月読であった。
その美しさは、街の賑わいも、夕焼けの空も、すべてが背景へと退いてしまうほどに圧倒的だった。
「わっ、お姉ちゃん……。ごめんごめん、ちょっと面白い人たちを見つけたからさ」
天明が苦笑いしながら立ち上がる。
「ダメですよ。試験を控えて街が殺気立っているのですから、あまり騒ぎを起こしては……」
月読が穏やかな、しかし凛とした眼差しで少年たちを見渡した。
その瞬間、先ほどまで不遜な態度を崩さなかった須佐能袁の体が、弾かれたように跳ね起きた。
「…………っ!?」
須佐能袁の心臓に、これまで経験したことのない衝撃が走った。
西大陸の荒波にも、猛者たちの剣筋にも揺らがなかった彼の魂が、たった一人の女性の立ち姿を見ただけで激しく共鳴を始めたのだ。
(……なんだ、この……この世のものとは思えないほど、綺麗な人は……)
「おい、どうした須佐能袁。マヌケな面して……」
阿修羅が怪訝そうに声をかけるが、須佐能袁の耳には届かない。
彼は慌てて着物の乱れを整え、額の汗を袖で拭うと、先ほどまでの生意気なガキの姿が嘘のような、至極真っ当な「貴公子」の顔を作って一歩前に出た。
「あ、ああ、失礼……。お、お騒がせしてしまい、誠に申し訳ございません!」
急に丁寧な敬語を使いだした須佐能袁に、阿修羅と大黒天がポカンと口を開ける。
須佐能袁は月読の前に跪くような勢いで詰め寄ると、顔を赤らめながらも、その瞳をじっと見つめて問いかけた。
「……あの、天明の……あ、いえ、天明殿のお姉様でしょうか? もしよろしければ、どうかその尊いお名前をお聞かせ願えませんか……!」
そのあまりの変貌ぶりに、天明は「あちゃー」という顔で額を押さえ、月読は不思議そうに小首を傾げた。
沈みゆく夕陽は、この奇妙で熱い絆の始まりを、優しく照らし出していた。
突然、見知らぬ少年から熱烈な視線と丁寧な言葉をぶつけられ、月読は一瞬だけ丸い瞳をさらに見開いて驚いた表情を見せた。
「えっ……? あ、はい。急にどうなされたのですか?」
彼女は困惑したように、隣に立つ弟の天明に視線を送る。天明はといえば、好適手候補がいきなり姉に鼻の下を伸ばした姿を見て、呆れたように肩をすくめている。
月読は、跪かんばかりの勢いで迫る須佐能袁の熱意に押されながらも、柔らかな微笑みを浮かべて、鈴を転がすような声で答えた。
「……私は、月読と申します。天明の姉です。……須佐能袁様、でしたか? 弟が何か、失礼なことでも申し上げましたか?」
「ツ……ツクヨミ様……!!」
須佐能袁はその名を耳にした瞬間、まるで極上の名刀の銘を聞いたかのように、深く、深く魂に刻み込んだ。西大陸の荒くれ者たちを黙らせてきた若き天才の面影はどこへやら、今の彼はただの、恋に落ちた初心な少年に過ぎなかった。
「い、いや! 失礼など滅相もない! むしろ光栄、いや、奇跡! 天明殿……いや、天明! お前、こんなに美しいお姉様がいるなんて、なんで先に言わなかったんだ! 卑怯だぞ!」
「なんだよ、急に。さっきまで退屈そうにしていたのはどこのどいつだよ」
天明が笑いながら須佐能袁の背中を叩く。その横で、阿修羅は「はぁ、男ってのはこれだから……」と呆れたように鼻を鳴らし、大黒天は依然として無表情のまま、だが興味深げに月読という存在を観察していた。
「……フン。西の怪物が、女一人で骨抜きか。締まらんな」
大黒天の冷ややかな声が飛ぶが、今の須佐能袁には心地よい風にしか聞こえない。
「うるせぇ、シヴァ! お前だって、このお方の前に立てば自分の未熟さがわかるはずだ! ……ツクヨミ様、私、須佐能袁は! この一週間後の試験、必ずや一番になってみせます! ですから、その……またお会いしてもよろしいでしょうか!」
月読は、あまりの直球な物言いに頬を微かに桜色に染め、困ったように、けれど優しく頷いた。
「ふふ、勇ましいのですね。試験、頑張ってください。天明も、皆さんも……怪我をなさいませんように」
その聖母のような微笑みが、四人の少年少女の心に、それぞれ異なる形の「火」を灯した。
最強を競い合うライバルだった彼らの間に、月読という存在が介在することで、単なる競争ではない、家族のような、あるいは運命共同体のような不思議な「絆」の予感が混ざり始めた。
「よし、決まりだ! 阿修羅、大黒天、そして天明! 試験までの間、俺たち四人で修行するぞ! ツクヨミ様に恥ずかしい姿は見せられねぇからな!」
「勝手に決めるな! ……ま、いいけどよ。僕もあんたらの実力、もっと見たかったしね!」
こうして、丘の上の小さな出会いは、何故か月読を「憧れの象徴」として置く、四人の奇妙な共同生活へと繋がっていく。




