第八章 思惑 〜其の捌〜
演武場へ移動する回廊。
陽炎は、隣を歩く雫の手を、今まで以上に強く握りしめていた。
「……雫。怖いか?」
「……ううん」
雫は首を振った。その瞳には、かつてドヴォルグで怯えていた時の弱さはなかった。
「私、お父さんの名前を聞いて……少しだけ、思い出したの。温かい風みたいな、父の声を。……だから、見せたい。私が、もう壊れるだけの道具じゃないってこと」
「ああ。……見せてやろうぜ。俺たちが、どんだけ自由か」
前を行くノヴァと蒼波、そして紫苑も、それぞれの得物に手をかけ、戦意を昂ぶらせている。
「陽炎、雫。貴方たちに何かあれば、私たちが守るわ。……思いっきり暴れなさい!」
ノヴァが振り返り、白い歯を見せて笑った。
演武場の扉が開いた先に待っていたのは、ドヴォルグ(楽園)が有機兵器として作り上げた、幾重にも呪式を施された鎧を身に纏う三体の影——『機兵剣士』が鎮座していた。
「……あれが、相手か」
陽炎の瞳が赤から緑、そして金色へと輝き、かつてないほど激しく脈動し始める。
大和の空の下、誇りを取り戻すための「証明」が、今、始まろうとしていた。
演武場の中央で対峙する両陣営。
陽炎と雫に対する前方には、無機質な殺気を放つ三体の『機兵剣士』。
静寂が支配する広大な会場に、上層の観客席から、帝の声が凛と響き渡った。
「これより、実証実験を開始する。」
シャナは手にした扇をゆっくりと閉じ、それを無造作に階下へと投げ落とした。
ひらひらと舞う扇。それが、この場における唯一の「審判」の合図だった。
「……雫、いくぞ」
「うん、陽炎……!」
扇が床に触れる——その瞬間。
「——始めよ!!」
シャナの鋭い宣言と共に、張り詰めていた空気が爆発した。
ドォォォォォンッ!!
合図と同時に、機兵剣士の足元から爆圧が生じる。
先ほどまで石像のように動かなかった三体が、赤い単眼の光跡を残しながら、一斉に陽炎たちへと襲いかかった。
「……起動しろ。検体(雫)の再教育を開始する」
特使の冷徹な声が、演武場に虚しく響く。
機兵剣士たちは、人間には不可能な速度と精密さで三角形の陣形を組む。その中心に陽炎と雫を閉じ込め、逃げ場を完全に塞ぐ構えだ。
「……雫、後ろへ跳べ」
陽炎がアゾットの柄を握りしめ、低く呟く。
機兵剣士の一体が、背負った大剣を抜くと同時に、爆発的な加速で陽炎の正面へ肉薄した。同時に、残る二体が左右から挟み撃ちの軌道を描く。
ギィィィィィィィンッ!!
正面からの猛撃を、陽炎はアゾットで受け止める。しかし、その威力は想定を超えていた。
(重い……っ! ただの機械じゃねぇ。この剣筋、誰かの動きをトレースしてやがる!)
「無駄ですよ。機兵には、我が国が誇る歴代の剣聖たちのデータが刻まれている。陽炎、君の『狂戦士』の力も、彼らの計算の前には単なる暴走に過ぎない」
特使が勝ち誇ったように笑う。だが、その笑みはすぐに凍りついた。
陽炎は剣を押し戻すどころか、あえてその場から動かず、全身の筋密度を極限まで高めたのだ。
「計算だぁ? ……そんなもんで、俺の熱を測れると思ってんじゃねぇ!」
陽炎の全身が輝きを放ち、正面の機兵剣士の剣を力ずくで跳ね飛ばした。
その一瞬の隙、左右から迫る二体の腕が雫に伸びる。
「——『拒』」
雫の透き通るような声が演武場に響き渡る。
かつての『呪言』は、己を削り、周囲を破壊する恐れのある暴威だった。だが今の彼女の声には、父・弥勒が遺した温かな記憶——人を守るための《意志》が宿っている。
雫を中心に展開された翡翠色の防壁が、機兵剣士の冷たい鋼の手を強烈に弾き返した。
発した言葉が現実になる光景を目の当たりにし、円卓の席で見ていた各国代表たちから驚愕の声が上がる。
「雫、今だ!!」
「……うんっ!」
陽炎の黄金の瞳と、雫の翡翠色の瞳が重なる。
二人の共鳴が、かつてない高密度の呪力を生み出し、演武場全体の空気を震わせた。
「……見せてやるよ。雫が、お前たちの『所有物』じゃないって証拠をな!」
陽炎が地を蹴り、雫がその背中を支えるように真言を紡ぐ。
それは、一方的な蹂躙を目論んでいたドヴォルグの目論見を、根底から覆す反撃の始まりだった。
演武場の外縁。ノヴァ、蒼波、紫苑の三人は、溢れんばかりの闘気を抑えながら、固唾を呑んでその光景を見守っていた。
「……信じられない。あの二人、修行前とは別次元の動きをしてるわ」
ノヴァが手すりを握りしめる。彼女の目には、陽炎の熱量と雫の呪力が、目に見えるほどの太い「絆」となって螺旋を描いているのが見えていた。
「——『亢進』」
雫の凛とした声が響く。彼女が紡ぐ真言は、もはや周囲を壊す呪いではない。陽炎の足元に風の道を作り、物理的重力負荷を一時的に無効化する。
陽炎は、まるで重力から解き放たれたかのように、空間を滑るような超速の移動を見せた。
「……捕らえたぜ」
背後を取られた機兵剣士の一体が、演算限界を超えた陽炎の速度に反応しきれず、鈍い駆動音を立てて振り返る。しかし、そこにはすでに、黄金の光を纏ったアゾットが振り下ろされていた。
ドォォォォンッ!!
黒鋼の装甲が紙のように引き裂かれ、機兵のコアが露出する。陽炎は追撃の手を緩めず、露出した心臓部へ拳を叩き込んだ。
「馬鹿な……! 機兵の予測演算を上回るだと!? それにあの娘……指示も受けていないのに、なぜこれほど完璧に、奴の動きをサポートできるんだ!?」
ドヴォルグ特使が椅子から身を乗り出し、狂ったように叫ぶ。
「理屈じゃねぇんだよ」
陽炎が残る二体を睨みつけながら、熱気を帯びた息を吐く。
「雫の声は、俺の鼓動そのものだ。機械に測れるほど安くねぇ!」
「——『断絶だんぜつ』」
雫が掌を機兵たちに向ける。すると、機兵剣士の周囲を漂っていた強化呪印が、ガラスが割れるような音と共に霧散した。それは、父・弥勒がかつて得意とした、対象の『縁』を一時的に切り離す、攻撃に転ずる最強の一手。
剥き出しの鉄塊と化した機兵たちに向け、陽炎と雫が同時に地を蹴った。
「これで……最後だ!!」
陽炎のアゾットに、雫の真言が純白の輝きとなって収束していく。二人の魂が重なり、演武場全体が眩い光に包まれた。




