第八章 思惑 〜其の肆〜
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陽炎の視界は、もはや赤と銀の火花で埋め尽くされていた。
降り注ぐ炎の雨は一滴が鉄球のごとき重さで肉体を叩き、四方から迫る刃は回避を許さない。
「ぐっ……あああああッ!!」
狂戦士の力を解放しようとすれば、熱気が体内を駆け巡り、己を内側から焼き焦がそうとする。だが、力を抑えれば刃が容赦なく皮膚を裂く。
(熱い……痛いなんてレベルじゃねぇ……! 骨が、筋肉が、融けてちぎれそうだ……!)
「どうした陽炎! その程度か!」
炎の渦の向こうで、阿修羅の冷徹な声が響く。
「鋼を鍛えるには、叩き、焼き、さらに叩く工程が必要だ。貴様の肉体という鞘が脆いなら、この火と金で不純物を焼き払い、密度を極限まで高めろ! 狂戦士の熱を、外に漏らすな! 全て筋肉の深層に、骨の髄に閉じ込めろ!」
陽炎は歯を食いしばり、立ち上がる。
(閉じ込める……だと? この、爆発しそうな力を……!)
彼はあえて、無防備で目を閉じる。
(…イメージだ。本来いた狂戦士たちは正気を保ってどうして戦えていた?…攻撃するためだけの力なのか?………防御するためにも…)
陽炎は理解した…狂戦士の『力』は攻防一体であることを。暴れ狂う内なる熱を肉体の中に凝縮していく。炎が涼しく、あれだけ荒れていた呼吸が安定する。そして嘘のように疲労感が消えていった。
一方——
雫の周囲では、荒れ狂う水の大蛇が祭壇を砕かんと咆哮を上げていた。
周囲の巨木から伸びる枝は、雫の気力を奪い、彼女の体温を奪っていく。
(苦しい……息が……。力が、勝手に吸い出されていく……)
雫の心に焦りが生じるたび、水蛇は巨大化し、木々はより鋭く彼女を縛り上げる。
真言を使えば、この森を容易に消し飛ばせるだろう。だが、阿修羅が求めているのは「破壊」ではない。
『——雫、命の音を聴くのです』
阿修羅の穏やかな念波が、雫の脳裏に響く。
雫は、あえて抵抗をやめた。
自分の気力を奪いにくる木々の脈動に、自分の鼓動を合わせていく。襲いくる水蛇の激流に、自らの呪力の流れを同調させる。
(木も、水も……お父さんが守ろうとした世界の一部。敵じゃない……私の中に、流れているものと同じ……)
雫が深く、深く精神を沈めた瞬間。
彼女の体から放たれていた刺すような光が、穏やかな翡翠色の輝きへと変じた。
絡みついていた枝が柔らかな揺りかごのように彼女を包み、荒れ狂っていた水蛇は静かな波となって祭壇を洗う。
(……できた)
雫が目を開いたとき、そこには「万物を操る」のではなく「万物と共鳴する」真言の端緒が開かれていた。
数刻後——
二人が修行場から戻ったとき、その姿は出発前とは一変していた。
陽炎は全身から凄まじい熱気を発しながらも、その佇まいは岩のように揺るぎない。
雫は、ただそこに立っているだけで周囲の空気が清められるような、絶対的な静寂を纏っていた。
阿修羅は二人を見るなり、最後に残った『土』の試練場、中央の広場を指差した。
「仕上げだ。陽炎、雫。二人で私に打ちかかってこい。今の力が、口先だけではないことを証明してみせろ」
阿修羅が拳を構える。
それは、世界を統べる『国家間円卓会議』へ向かうための、最終試練の合図だった。
阿修羅の拳が、空気を爆ぜさせる。
構え一つで、周囲の空間そのものが重力に押し潰されたかのように軋んだ。
「来い。殺す気で来なければ、何も得られんぞ」
陽炎と雫は、互いに視線を交わす必要さえなかった。修行を経て、二人の感覚はかつてないほど鋭敏に繋がっている。
「……行くぜ、雫!」
「うん……!」
陽炎の瞳が金色に光り輝き閃光となり弾ける。
これまでの「五分の壁」を感じさせていた不安定な熱量は微塵もない。狂戦士の力により身体をも強化した踏み込みは、広場の石畳を粉々に粉砕し、一瞬で阿修羅の懐へと潜り込む。
「はあああッ!!」
アゾットが放つ一撃は、火の練成を経て重厚な破壊力を宿していた。だが、阿修羅はその刃を、気を纏わせた素手で平然と受け止める。
「重さは及第点だ。だが、動きが直線的すぎる!」
阿修羅のカウンターの回し蹴りが陽炎を襲う。しかし、その背後から雫の澄んだ声が響いた。
「——『凪』」
雫が紡いだ一言。それは破壊の真言ではなく、世界の流れを一時的に停滞させる制止の音。
阿修羅の蹴りの軌道が、まるで水中にいるかのようにわずかに鈍る。その隙を逃さず、陽炎は空中で体を捻り、阿修羅の死角から追い打ちの連撃を叩き込んだ。
「ほう……面白い連携だ」
阿修羅が初めて口角を上げる。
陽炎の「剛」と、雫の「静」。
相反する二つの力が、一つの歯車のように噛み合っている。陽炎が攻めれば雫がその死角を理の力で埋め、阿修羅が圧を強めれば、陽炎の不壊の肉体がそれを正面から受け止める。
「だが、世界はもっと理不尽だぞ!」
阿修羅の闘気がさらに膨れ上がる。土の試練を司る彼女の足元から、無数の巨大な岩柱が地龍のように突き上げ、二人を分断しようと襲いかかった。
「させない……! ——『結』!」
雫の祈りが、翡翠色の輝きとなって陽炎を包む。岩柱の猛攻を、森の呼吸に同調した雫が先読みし、陽炎にその進むべき道を光で指し示した。
陽炎は光の導くまま、岩柱を足場にして跳躍する。
「これで……最後だあああッ!!」
陽炎の今出せる出力が最高潮に達し、閉じ込めていた熱量をアゾットの一点に集中させる。
ドォォォォォォォンッ!!
激突の衝撃波が広場を真っ白に染め上げた。
砂塵が舞う中、そこには——。
阿修羅の突き出した拳と、陽炎の放った剣が、寸分違わず正面から激突し、静止している姿があった。
「……見事だ」
阿修羅が拳を引き、闘気を収めた。
陽炎は肩で息をしながらも、その瞳から力強い光が失われることはなかった。
「……合格だ。今の二人の連携、忘れるなよ」




