第六章 楽園 〜其の弐〜
雲海を切り裂き、北へと突き進む高速潜空艦の甲板には、冷たくも澄んだ風が吹き荒れている。
手の中にある《紅晶》の脈動は、北へ進むにつれてその輝きを増し、熱を帯び始めていた。それはまるで、囚われた主の場所を叫んでいるかのように。
「……見えてきたわよ。あれが、世界を裏から買い叩く連中の巣窟」
ノヴァが前方を指差す。
分厚い雲を突き抜けた先に現れたのは、太陽の光を浴びて黄金に輝く、巨大な洋館。しかし、その美しさとは裏腹に、島の周囲にはどす黒い呪力が渦巻き、幾重もの幾何学的な結界が張り巡らされていた。
「…すごく嫌な予感がする」
紫苑が包帯の巻かれた腕をさすりながら呟いた。
「……あの中に、蒼波さんが、そして雫の親父さんの手がかりがあるんだな」
陽炎は聖邪アゾットの柄を握り込み、その《音》を聞こうと集中する。
潜空艦がエデンの外殻結界に接触しようとした瞬間、直接、頭の中に響き渡る不気味な声が一行を襲った。
「——おや、想定より早いご到着ですね。ようこそ、我らが楽園へ」
伝導師マーキュリーの、押し付けがましくも冷酷な声。
「ですが、当館は『招待状』のない方の入場を禁じております。……入場料として、まずはその『船』の命をいただきます!」
ドォォォォン!!
結界から放たれた無数の「光の杭」が、潜空艦の側面に突き刺さった。
「クッ……! この艦の防御結界が持たないわ! 陽炎、このままじゃ島に辿り着く前に撃沈される!」
ノヴァが叫ぶ。
「光の杭が無数に飛んできます!」
紫苑が未完の剣技を振るい、次々と飛来する杭を迎撃していくが、杭の数が更に増していく。
陽炎は雫の肩を抱き寄せると、彼女の目を見つめました。
「雫、怖がるな。……お前の力を、俺に貸してくれるか?」
雫は力強く頷くと、首元の痣が色濃くなり、まばゆく発光し始める。
陽炎はその光に包まれた加護を受け、甲板の先端へと走り出す。
陽炎がアゾットを抜き放ち、眼前の結界——「見えざる壁」そのものを見据えた。
(……足し算された防御、何重もの障壁。……全て消してやる)
アゾットが放つ青白い光と、雫の聖域が混ざり合い、陽炎の周囲の空気が一変する。
「——道を開けろッ!!」
陽炎の振るった一撃は、物質ではなく《概念》を断ち切った。潜空艦の進路を阻んでいた結界が、一直線に左右に裂け、黄金の島へと続く『一筋の道』が切り開かれた。
結界を突き破った潜空艦は、激しい衝撃と共にエデンの外縁にある広大な円形広場へと着陸した。
「……着いたわね。ここが地獄の入り口……」
ノヴァが双剣を抜き、船を降りる。
そこには、豪華絢爛な黄金の大理石の回廊が続いている。その先の影から不気味な《影の兵団》が、そして九商の一人、影法師アルケイデスが笑い声と共に一番最後尾に姿を現わす。
「ホッホホ! よくぞいらっしゃった! さあ、死の買い付けを始めようぞ!」
陽炎はアゾットを正眼に構え、冷徹な瞳で影を見据えていた。
豪華絢爛な大理石の床が、アルケイデスの哄笑と共に黒い影に覆われていく。黄金の輝きを放っていた回廊は、一瞬にして底なしの泥濘のような『影の沼』へと姿を変える。
アルケイデスが腕を動かすと、影の沼から這い出した数百の兵士たちが、声もなく陽炎たちを包囲する。
「…また、死人還りか!」
陽炎たちは、人を死者としか考えない『商人』に心底嫌悪する。
「陽炎、ここは私たちに任せて! アンタはあいつを——蒼波の元へ行きなさい!」
ノヴァが新調した双剣を振るい、影の沼から這い出してくる『死人蘇生』へと飛び込こんでいく。彼女の剣筋は以前よりも鋭く、影の兵士たちを次々と《光の残像》で切り裂いていった。
「私も……これ以上、足手まといにはなりません! 師匠を助けるためなら、この腕、動かしてみせます!」
紫苑も負傷した腕を庇いながら、鋭い一閃でノヴァの死角をカバーする。
「…わかった!ここは任せた!」
蒼波の命に猶予がないことは四人とも知っていた。
ノヴァと紫苑は陽炎を信じ、託したのだ。
雫を抱き抱えると、陽炎は振り返らず走り出した。
「ホッホホ! 逃がさんよ。未鑑定のまま立ち去るのは、商いの作法に反するのでな!」
最後尾にいた影法師アルケイデスが指を差すと、陽炎の影が突如として意志を持ったように跳ね上がり、鋭い棘となって彼の喉元を狙った。
(陽炎、危ない……!)
その瞬間、彼女の首元の痣から青白い光が、陽炎の影を光に包み消し去る。
「……また助けられたな、雫」
「アルケイデス……お前の相手は俺じゃない。心強い仲間二人が、お前の腐り切った『影』を打ち砕いてくれるさ!」
陽炎は足を止めることなく、アゾットを抜き放ち、前方を遮る影の壁を、光の斬撃で《無》へと還元しながら突き進んでいった。




