第六章 楽園
「陽炎、雫。よく聞け。……この戦いで、雫の中に眠るもう一つの力の正体が見えた」
阿修羅は二人を見据え、静かな声で『須佐能袁の真意』を解き明かした。
「それには雫の出生を語らなければならない。
雫は狂戦士のトリガーとして、偶々選ばれたのではない。選ばれるべくして選ばれていたんだ。
…私より一つ上の世代、この世界に最強の陰陽の術師と謳われた男がいた。その男の名は、弥勒。弥勒様の術は『言霊』を使う。言霊とは、発する言葉に力を乗せて現実化する力を宿す能力だ。そして彼にはには一人の娘がいた。しかし、娘が失踪。その後、弥勒様も行方不明になられたんだ。丁度、失踪した娘さんと雫の年齢的にピタリと合う。…つまり娘(雫)はその言霊の力を持つ血を受け継ぐ最適な逸材だったという訳だ。
言霊は聖なる力だ。雫が陽炎を思う心が呪術とは別に出現したんだ。それが狂戦士化を抑制する力になっているんだろう。陽炎の第二覚醒を誘発するための言霊が、逆に抑制する力にもなっていることを知った商人たちも大目玉を食ったんじゃーないかな。
……もし、もしだ、弥勒様が何処かで生きてるとしたら?……言霊の本来の力を引き出すことをできれば、呪術を解呪し、言葉も取り戻せる!尚且つ、陽炎が自我を消すことなく狂戦士の力だけを手にすることができる!」
阿修羅の考察を聞いた後、三人それぞれが希望を感じ、拳を握りしめた。
「スサは、陽炎が狂戦士の力を御し、雫を呪縛から解き放つ……そんな「真の英雄」へと成長することを信じて、二人に試練を与えたんだと思う」
陽炎は結晶を握りしめ、ゆっくりと立ち上がりました。身体の芯まで疲れ切っているはずなのに、アゾットから伝わる青い輝きと、掌にある蒼波の鼓動が彼に新たな活力を与えていた。
「……行こう。エデンへ」
その短い言葉に、すべてが込められていた。
「そう言うと思ったわ。……紫苑の治療が終わったら、私も同行するわよ。これだけの『借り』を作らされて、黙って引き下がるほど私はお人好しじゃないから」
ノヴァが折れた剣を腰に差し、不敵に笑う。
雫もまた、陽炎の服の裾を強く掴み、力強く頷く。
声は出せなくても、その瞳は「どこまでも一緒に行く」という不退転の決意を物語っていた。
阿修羅は大きく頷くと、都の衛兵たちに指示を飛ばし、事後処理を開始させた。
「準備を整えろ。マーベラスの総力を挙げて、エデンへの航路を確保する。……陽炎、お前は少し休め。次の一歩が、地獄への入り口になるからな」
地平線の彼方、燃えるような夕刻の赤が、次第に冷たい夜の帳に飲み込まれていく。
しかし、陽炎たちの胸に灯った火は、消えるどころかさらに静かに、深く燃え上がっていた。
阿修羅の号令の下、マーベラスの街は平穏を取り戻そうと努力している。薬の影響を受けた市民たちは医療班の手によって隔離・治療され、闘技場の瓦礫も片付けが進んでいる。
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宿舎のベランダで、陽炎は一人、ロキから投げ渡された紅晶を見つめていた。
規則正しく刻まれるその微かな熱。それは、ほんの少しの出会いではあったが、温かく導いてくれた蒼波の命そのものである。
「……待ってろよ、蒼波さん。すぐに、あんたの体を奪い返してやる」
アゾットの鞘を撫で、彼は自分に言い聞かせるように呟いた。
そこへ、雫が温かい飲み物を持って静かに現れた。
彼女は陽炎の隣に立ち、同じ夜空を見上げた。阿修羅から告げられた、父・弥勒の存在。それは、孤独だった彼女にとって、暗闇の中に差した一筋の光明。
(陽炎……私の声が、あなたの力になれるなら。……お父さんに会って、この呪いを解きたい。今度は私が、あなたを守りたいから)
雫が陽炎の横顔にそっと視線をやる。
言葉はなくとも、今の陽炎には彼女の『言霊(意志)』が、波紋のように心に伝わってくる。
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翌朝。
マーベラスの秘密軍港には、阿修羅が極秘裏に建造させていた高速潜空艦がその雄姿を現していました。
「いい顔になったじゃない、二人とも」
準備を整えたノヴァが、新調した双剣を腰に鳴らして現れた。
「師匠を助けるために私も一緒について行きます!」その後ろには、まだ包帯姿ながらも、鋭い眼光を取り戻した紫苑の姿もあった。
艦のタラップの前で、阿修羅が腕を組んで待ち構えている。
「準備は整った。奴らのアジトは紅晶の指す方向、つまり北の大陸の上空…雲海の上。通常の方法では辿り着けない。だが、この艦なら結界を突破できるはずだ」
阿修羅は陽炎の肩を強く掴み、その瞳をじっと見つめました。
「陽炎。狂戦士の血に呑まれるな。お前の中には、雫の聖域と、アゾットの正義がある。……そして、『自分を待つ者たちがいる』という最強の力があることを忘れるなよ」
「行ってくる。……阿修羅さん、ありがとうございました!」
陽炎、雫、ノヴァ、そして再起した紫苑。
四人の戦士を乗せた潜空艦は、轟音と共にマーベラスを飛び立ち、死の商人が待ち構える偽りの『楽園』へと進路を取った。
ゴォォォォ……ッ!
重力制御のエンジンが唸りを上げ、高速潜空艦が白亜の都を眼下に見下ろしながら雲を突き抜けた。
窓の外に広がるのは、どこまでも続く真っ白な雲の海。その遥か先、紅晶が放つ拍動は、まるで「ここに来い」と誘うように激しさを増していく。
陽炎はデッキに立ち、強い風に髪をなびかせながら、水平線の先を見据えていた。
「……親父さんのこと、絶対に見つけ出そうぜ。雫」
雫は陽炎の隣に寄り添い、手帳を取り出す。
『私、怖くない。陽炎と一緒に、自分の過去と向き合う』
その文字は、以前よりも強く、迷いのない筆致だった。
「あーあ、熱い熱い。空の上は空気が薄いっていうのに、これじゃあ酸素が足りなくなっちゃうわね」
ノヴァが双剣を磨きながら冗談を飛ばし、紫苑もまた、不器用ながらに微笑む。




