第五章 英雄祭 〜其の漆〜
「……チッ、安い手品を並べ立ておって」
阿修羅が巨大な太刀を横一閃に振るった。
その瞬間、押し寄せる溶岩と猛毒の霧が、轟音と共に発した爆風により両断され、陽炎たちの周囲にだけ清浄な空間が取り戻どした。
「陽炎! 迷うな。目の前の『ノイズ』は無視しろ。お前が斬るべきは、あのふざけた『帳簿』の持ち主だけだ!」
「……分かってる。感覚が狂わされるなら、心臓の音だけを聞く……!」
陽炎はアゾットを逆手に構え、目を閉じました。ホメロスの雑音も、ロキの嘲笑も。すべてを「不必要な足し算」として削ぎ落としていく。
(……引き算だ。……熱も、音も、影も、全部消せ。……そこに残る『核』を撃ち抜く)
陽炎の体から赤い気が消え、代わりにアゾットの刃が再び、透き通るような青白い輝きを放ち始めた。
「——行くぞ、メラムプース!!」
陽炎が踏み込んだ瞬間、操られた観衆の隙間を縫うように、最短距離の「光の筋」が走る。
(!?、…また光の道筋が)
「来なさい、影法師! この子には指一本触れさせないわ!」
ノヴァが双剣を旋回させ、足元から這い寄るアルケイデスの影を次々と切り裂く。彼女の背後で、雫は震えながらも、自らの首元の光を陽炎の背中へと送り続けている。
その光は、ヤコブの「嘘」を暴く真実の灯火となり、陽炎の進むべき道を照らし出している。
戦いの中、阿修羅が気づく。
(雫…クラトスの言っていた、雫の中の『何か』。…そうか!)
どうして雫が一万人の犠牲の元、並の常人では到底受け止めきれないはずの呪術を施され狂戦士覚醒の鍵とされたのかを。
(…スサ、お前が何故、私ならなんとかできると言った訳がわかった)
阿修羅の口角が少し上がる。
「聞けっ!商人ども!!お前たちは挨拶に来ただけだよな。……それとも、本気を出した私に勝てると!?」
阿修羅が告げると共に、身体から『闘気』が溢れ出す。限度解除をしたその闘気は、空間を揺らしながら都市国家マーベラスを包み込む程に拡大する…尚も広がっていく…
その圧倒的な《気》の前に、鑑定師メラムプースのモノクルにピシリと亀裂が入る。
その瞬間、誰もが動きが止めた。
(——次元が違う…)
「………わかりました。今、あなたと殺り合うのはよくて相打ち。しかも、私たち九商全員の『死』に繋がりそうです。……やめときましょう」
「……賢明な判断だ、鑑定師」
「フォッフォッ……。赤字を出してまで行う商売は、もはや娯楽に過ぎませんからー……ですが陽炎さん。貴方の評価額は今、この都そのものよりも高くなった。……それだけは覚えておいてください」
メラムプースが指を鳴らすと、空に浮かんでいた呪力の『帳簿』が、音を立てて閉じられた。
「あ〜あ、つまらないですね。……あ、そうだ陽炎さん。お土産を置いて帰ります。」
ロキが去り際に、懐から一つの透き通った紅い結晶を陽炎の足元に放り投げました。
「それは蒼波さんの『心臓の一部』から精製した紅晶です。彼を助けたいなら……その石が指し示す『楽園』まで、私を殺しに来てくださーい。ヒャハハハ!!」
「待て、ロキーーーッ!!」
陽炎の叫びも虚しく、九人の影は足元の影の中に溶け込むように、一瞬で消失した。同時に、闘技場を埋め尽くしていた溶岩も毒霧も、幻だったかのように霧散していく。
後に残されたのは、ボロボロになった闘技場と、薬の副作用で泥のように眠り込んだ数万人の観衆、そして立ち尽くす陽炎たちだけだった。
「……ハァ、ハァ……」
陽炎は膝をつき、アゾット鞘に戻し荒い息を吐いた。極限の『引き算』と、ロキへの怒りが、彼の体力を根こそぎ奪っていた。
「陽炎……!」
雫が駆け寄り、倒れそうになる彼の体を支える。彼女の首元の痣は戻っていたが、その瞳には、自分の力への戸惑いと、陽炎を救えたことへの安堵が混じり合う。
阿修羅は太刀を鞘に納めると、空を見上げたまま、静かに口を開いた。
「先程の雫の力を目にしてわかったよ。雫の出生が。そこに陽炎と雫の二人を助ける答えがあった」
(……スサ。お前が雫に託した『鍵』。それは『人』として繋ぎ止めながら、狂戦士の力を自らのものにするためと…雫の声にかかった呪術を解呪し取り戻すことができる唯一の男へ導くことだったんだな。…生きてるってことなのか?)
阿修羅は陽炎の元へ歩み寄り、阿修羅は拾い上げた紅い結晶を、陽炎の手の中に落とした。
「……熱い」
陽炎が呟く。結晶はドクン、ドクンと、微かであるが確かに脈動していた。それは紛れもなく、彼を救うために身を挺した蒼波の生命の鼓動、まだ生きている証でもあった。
ノヴァが折れた双剣を拾いながら、鋭い表情で二人に合流する。
「……御前試合は台無しね」
ノヴァの言葉が、静まり返った闘技場に重く響きわたる。
豪華だった装飾は焼け落ち、観衆は折り重なるように倒れている。闘技場を中心とした周辺の復興には時間がかかるだろう。
陽炎は惨状を目の当たりにし、怒りが込み上げ拳を握った。
そして、四人の視線は——『楽園』へと向けられていた。




